7-109



「たっだいまー、っと」

 麻奈美と別れ、誰もいないはずの家に帰ってきた。
 これから自分の部屋でダラダラと時間を潰して、晩飯を――。
 というのがいつもの流れ。毎日の光景。変わらない時間ってやつだ。
 なのに。なのに……。

「あ、お帰り」

 なぜウチの妹様はそんな優しい言葉を掛けてくるのだろう?
 えぇー?

「……どったの?」

「え? あ、いや」

 落ち着け。落ち着くんだ京介。
 深呼吸して素数を数えるんだっ。
 すーは―……。

「何アンタ、挨拶もまともに出来ないの?」

「…………ただいま、桐乃」

 そう、そうだよ。
 その情け容赦の無い、ツッコミじゃなくてバッサリがお前の味だよ。

「……チッ」

 そしてこの舌打ちである。
 ふぅ、焦った。
 焦ったね、マジで。
 この妹が「お帰り♪」だなんて、鳥肌どころか気絶モンである。
 いまだにダメージが抜けず玄関に突っ立ったままの俺に「早く上がれば?」と、
 これまた今までに無いセリフを残して妹様はリビングへ。
 何だ? 何が起こっている?
 何時の間に桐乃はエイリアンに拉致されて洗脳されたんだ……?

「――いや、落ちつけよ、俺」

 とにかく、靴を脱いで俺もリビングへ。
 はぁ、ったく。またなんか言われんのかな?
 憂鬱だ。

「ただいま、桐乃」

「それさっきも聞いたし」

 へーへー。
 さっきとは打って変わって、相変わらずの不機嫌。
 まぁ、これがいつもの桐乃なんだけどな。
 さっきのはきっと、よほど良い事があったんだろ。
 メルルとかメルルとか、黒猫とか。
 その辺りで。

「なに? あんま見ないでほしいんだけど?」

「あー、スマン」

 いかんいかん。
 とりあえず、何か飲むか。

「麦茶、飲む?」

「ん、持ってきて」

 ここ最近、俺と桐乃の兄妹仲は結構良い――と思う。舌打ちされる回数は多いけど。
 こー……返事をしてくれるようになった。
 前みたいに無視とか、暴言が返ってくるのはかなり減った。……いまだにあるけど。
 これが普通の家庭の兄弟かと思うと、そう悪くないもんだな、って思ってる。
 前の関係はやっぱり、お互いイライラしてたしなぁ。

「ん」

「…………あー……」

 桐乃の分をテーブルに置き、自分用に注いできたのは一気飲みする。
 あー、冷たくて美味ぇ。
 もう一杯、っと。

「あ、ね、ねぇ」

「んあ?」


 っと、変な声が出た。
 いやだって、あっちから話しかけてくるもんだし。

「……そ、そんなに喉乾いてんの?」

「へ? あ、ああ」

 どもってしまうのは勘弁してほしい。もうなんだ? 癖みたいなもんだな、うん。
 嫌な癖だな。改めて考えると、泣きたくなってくる。

「じゃぁ、あたしの分、飲んでいいわよ」

「………………」

 どうしたんだ、コイツ?
 なんか悪いモンでも食ったんか?
 熱でもあるとか?

「……なによ?」

 顔が赤いのは怒りからだな。うん。
 目が滅茶苦茶怖ぇ……。

「いや、何でも――良いの?」

「良いって言ってんでしょ?」

 何で飲まないのに俺に注がせるんだろう、この女。
 あれか? 一回会ったら一回使わないと気が済まない性質か?
 否定する要素がねぇってのがなぁ。

「んじゃ、貰うわ」

 飲まないなら勿体無いし。
 相変わらずのワガママっぷりに安心してしまうのは、兄として正常なんだろうか?



「ねぇ」

 ほらね、来たよ。
 麦茶を飲みながら、やっぱりね、と。
 この妹が優しい言葉イコール、なぁ?

「さっきお父さんがあんたの部屋のドアノブ交換してたんだけど」

「ぶふぉっ!?」

 吹いた。
 マジで吹いた。ネタとかそんなの無くて。
 気管とか、いろんなとこに麦茶がはいって痛ぇ!?

「汚っ!?」

「す、すまっ」

「こっのっ」

 すわ蹴りかっ!
 と警戒したが、その脚はキッチンへ向き……台拭き用のタオルを取ってくる妹様。
 えぇ!?

「気ぃ付けろっての」

 あたしに掛ったらどうすんの? と言いながら何故か零れた麦茶を拭いてくれる妹様。
 な、何だ!? 何が起きている!? 新手のス○ンド攻撃か!?
 と内心絶賛混乱中の俺。

「なんで鍵なんて付けてんの?」

「し、知らん」

 この前のか? この前の事か? アレか?
 おふくろー? おふくろー??
 俺要らないって言ったよね? 言ったよね?
 っていうか、何で親父が付けてんだよっ。
 もう黒猫は家族公認かよっ、違うってんだろ!?

「……なんか隠してる」

「違うっ!?」

 こっちはなんか勘違いしてる!?
 目、目が怖ぇッす、桐乃さん。

「いい」

 そ、そうか。
 まぁそれでも、蹴りが来ないあたり相当機嫌が良いらしいな。

「後でお母さんに聞くから」

「ヤメテっ!?」

 何でそこでお袋!?
 親父に聞けよ、そこはっ!!


「何で?」

「……え、いや」

 マジ怖ぇ。
 コイツ本当に俺の妹か?

「……ふぅん」

「別に良いだろ? 俺だって良く判んねぇんだし」

「ま、別にアンタの部屋がどーなろうが、どーでも良いけどねぇ」

 ですよねぇ。
 アナタ、ワガママですもんねぇ。
 ふぅ。

「チッ」

 凄ぇ露骨な舌打ちだな、おい。
 ったく。

「おい、京介」

「……な、なに?」

 うぉ、親父居たのか。
 ってことは。

「ほら」

 と投げ渡されたのは、多分。

「部屋のカギだ」

「あ、ああ」

「スペアは俺が預かっておく」

「判った」

 っていうか、な。
 聞きたい。凄ぇ聞きたい。

「何で鍵なんか付けたんだよ、親父」

「む、ぅ」


 そして何故そこで黙るんだよ……。
 何故そこでチラチラ桐乃を見るんだよ!?

「こっちに来い」

 結果、手招きされて玄関の所に呼ばれた。
 嫌な予感しかしねぇよ。

「京介」

「誤解だ」

 聞いてくれ、親父。
 違うんだ、五更はただの学校の後輩で、前からの友達なんだ。
 部屋で勉強してたらおふくろが勝手に入ってきて勘違いしただけなんだ。
 と、10分ほど説いた。ああ、説いたね。これでもかってほどに。
 かつて俺がこれほど親父に意見した事があっただろうか?
 …………あの春先の事件以来か。
 親父は重々しく頷き、

「判っている」

 判ってねぇ!?
 絶対判ってないよね!?

「まぁ、お前も……」

「違うって!!」

 なに、俺って両親からどんな風に見られてんの?
 ……聞きたくねぇ。

「はぁ、鍵、ありがと、親父」

 言葉が途切れ途切れになるのも判るだろ?

「あまり過信しないようにな?」

「何の話だよ!?」

「俺は、そう言うのはまだ、と思うんだが……かーさんが、な」

「…………」

 いいよ、もういいよ親父。
 泣いていいか、俺? 泣いていいよな、俺。



「じゃ、じゃぁ、もう部屋に戻るから」

「そうか、判った」

 もう、放っておいてくれ。色々と。
 はぁ。
 まぁ、鍵が付いたから部屋がいきなり変わるわけじゃないんだけど。
 むぅ。

「何だかなぁ」

 色々と。
 別に何が悪いってわけじゃないんだけどさ。
 ドアを閉めて、鍵を――って、別に良いか。
 このまま晩飯まで時間を潰そうとして……早速、ドアが開かれた。
 ……今度から、やっぱり鍵を掛けよう。

「ノックくらいしろよ」

「うっさい」

 さいですか。
 別に良いですけどね。

「あんた、何したの?」

 もうすでに俺が犯人になってる!?

「な、何の事だ?」

「別に? いきなり部屋に鍵って、不自然じゃん」

「だよなぁ」

 むしろ、俺が勘弁してくれと言いたい。
 …………が。

「んで? なんかやったの?」

「おふくろにいきなり入ってくるなって言っただけだよ」

 こいつに黒猫の事を説明したらどうなると思う?
 十中八九、いや、十割蹴られる。絶対蹴られる。
 なんだかんだで、こいつら仲良いからなぁ。
 そんなこいつに黒猫とのことを説明しよう。したとしよう。
 「二人でベッドに横になってるところを見られた」
 死ぬな。
 確実に死ぬな、俺。

「うそ」

「……嘘じゃねーって」


 嘘だけどな。

「ま、便利で良いだろ」

「どこが? 不便なだけじゃん」

 んなわけあるか。

「お前の趣味、バレる可能性が減るしな」

「ん、む……」

 だろ? と言ってやると流石に黙ったか。

「でも」

「あん?」

 まだなんかあんのか?

「別に、もう良いっ」

 ……いや、別に良いんだけどさ。
 そのまま部屋を出ていく背中を見……なんでアイツはドアを閉めないのか。
 しっかし、

「何怒ってんだ、あいつ?」

 部屋に鍵って、あいつの部屋にも付いてるだろうに。
 やっぱりあいつは、良く判らん。



「――ってなことがあってな」

「良かったわね、先輩」

 と言っても、素直に喜べねぇんだけどな。

「ま、鍵一つじゃ何も変わんねぇって」

「それもそうね」

 俺の安全は劇的に上がるけどな。
 主におふくろ関係で。

「今日もウチに寄っていくか?」

「迷惑では無いかしら?」

 小さく肩を震わせて笑い、こちらを見上げてくる視線。
 コイツ風に難しく言うなら、試されている、と言ったところか?
 その言葉に肩をすくめ、

「友達を部屋に呼ぶだけだって」

 そう、と小さな声とともにその視線は前に。
 照れ、てるのか?

「だろ?」

「……そうね」

 鍵一つで珍しい顔も見れるもんだ。


 ソレをどう思ったのか、もしくは、どう勘違いされたのか。
 その視線が再度上を向き、

「あまり変な顔をしないで頂戴、恥ずかしいわ」

「そこまで酷くないだろ!?」

 たぶん。
 そこまで自信ないけどさぁ。
 はぁ。

「……そう思ってるのは、きっと先輩だけじゃないかしら?」

「ひでぇ」

 この後輩容赦ねーよ。
 いや、判ってたけどさぁ。

「ゲームの方の調子はどうだ?」

「そこそこよ。もう少しで、何とか形になりそう……といったレベル」

「そか、なんか手伝える事があったら、また言ってくれ」

「言われなくてもそうさせてもらうわ、先輩」

 そーかいそーかい。なら良いや。
 ま、もう手伝える事も無いだろうけどな。
 良くてこの前したデバッグとか、あとはシナリオの感想くらいか。

「お手柔らかに頼む」

「ええ、もちろん」

 クスクスと、小さな笑いが耳に届く。
 ……こいつもよく、笑うようになったもんだ。
 そう思うのは、最初の頃のこいつを知ってるからか。

「どうかしたのかしら?」

「いんや、別に」

 くぁ、と欠伸を一つ。
 世は事も無し。



        そう思ってる時期が、俺にもありました。






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最終更新:2010年10月22日 22:01
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