パンドラの箱に残ったものは

 ここ何ヶ月かの人生相談で妹と俺の距離が縮まったかというとそうでもなく、何年もお互い話すらしなかったっていうブランクはそんな短期間じゃ埋められないわけだ。
 ブランクって言えば、いつから俺と妹はこんな風になっちまったのかって思い返してみても、ものごころついた頃から変わってない気がする。世間の兄妹ってのはだいたいこんなもんだってのは妹を持つ兄貴ならわかってくれると思う。
 ブランクも何もそもそも俺と桐乃にはベルリンの壁よりも大きな隔たりが生まれた時からそびえ立ってるんだろーな。
 尽くすばかりで見返りがなくてむなしくないかって? へっ、むなしくなんかねーよ。見返りも何も俺は俺のやりたいようにやってるだけさ。俺はエロゲマニアでシスコンで妹とラブホに行くような鬼畜な兄貴なだけさ……いったい俺は何をやってるんだろーな。ううっ。

 そんな俺はいつものように学校から帰宅した。桐乃は相変わらず携帯をいじって俺なんか見向きもしねー。へっ、そっちがそのつもりだったらこっちだって無視してやるぜ。
「……ただいま」
 小声で宣言する。……いくら返事が来なくても挨拶は礼儀だろ! べ、別に妹が怖いんじゃないんだからなっ! ……なんか変な影響をどこからか受けている気がするの気のせいだろうか。
「……」
 くるり、とこちらに振り返る桐乃。はっ、どうせゴミを見るような目で俺を睨むんだろ。いいだろう、いつも通り受け止めてやるぜ。
「おにーちゃん!」
 桐乃は携帯を放り出し満面の笑顔でこちらに走ってきた。
「おかえりなさいっ!」
 ミサイルのように俺の胸にタックルしてくる桐乃。ぐおおおおっ、痛ぇっ! そうか今度は精神じゃなくて肉体にダメージを与える作戦できやがったな! 次々とよくもまあ俺に対して嫌がらせが浮かぶもんだよまったく!
「どーしたの?」
 きょとん、とした顔で上目遣いに見つめてくる桐乃。な、なんだこの潤んだ目は! ち、違うぞ、俺は別に妹に萌えてなんか、萌えてなんか……
「えへへ、おにーちゃんだぁ」
 ぐはぁっ! だめだ、胸に頭を押し付けて幸せそうにぐりぐりとかやめてくれ! 普段は中学生に見えないかわいいというよりは美人で端正な顔立ちが崩れ、甘え倒している様はギャップの一言では語りきれないもはや犯罪的な可愛さをかもし出している!
「……ねぇ、ぎゅー、して?」
 必殺上目遣いで首をちょこんと傾げられたら、もぉーたまらんっ! おにーちゃん、ぎゅーしちゃうぞー!
 と、そこで気付いた。『おにーちゃん』?
 桐乃は、妹は、俺を呼ぶときは『兄貴』だとか『アンタ』だとか『ねぇ』だとか、いけぞんざいに扱われていた。最後にいたっては呼称ですらねぇ。
 いきなりのタックルでよくわからなくなっていたが、さっきから桐乃の様子が明らかにおかしい。これじゃまるで大人しくて可愛い妹だ。俺の妹がこんなに可愛いわけがない!

 ここで『ぎゅー』なんかした日にゃ「うわっ、本性現したなキモシスコン、略してキモコン! 何が『ぎゅー』だ、マジでキモいから近寄んな」とか言われるに決まってる。
「……」
 ほーら、いつの間にか桐乃が俺から離れて俺をジト目で見つめてやがる。あー危ないところだったぜ。
「……ゴメン」
「……はっ?」
 俺を見つめていた瞳から何かが零れ落ちたかと思うと桐乃はすごい勢いで階段を上っていってしまった。
 あれは…………涙…………だよな。
 桐乃がどうしてあんな行動をしたか。桐乃がどうして泣いてしまったのか。俺にわかるはずがなかった。

 あれから数日が経過した。
 正直、あの日の夕食に桐乃と顔を合わすにびくびくしていた俺だったが、桐乃はいつもと変わらない態度で俺に接してきた。
 そうして俺たちはまたいつもと変わらず(一方的に)罵り合いながら距離を取って暮らしていくのさ。
 ふん、こんな事はお互い慣れたもんだ。
 そうさ、どうせいつもの通りに……

 戻らねぇかもしれねぇだろ! 桐乃は泣いてたんだ! 妹が泣いてるのに立ち上がらないのは兄貴じゃねぇ!
 俺はさっき桐乃が上がっていった階段を上り、桐乃の部屋の前に立った。あれから大して時間は経っていない。だが、桐乃の部屋からは物音一つしなかった。
 ノックをしてみる。返事はない。
 意を決してドアノブを回してみた。何の抵抗もなくドアは開いた。
 部屋は暗かった。カーテンが締め切られており、ただ静寂に満ちている。
 そんな部屋に違和感が一つ。光だ。
 どうやら例のノートPCのモニタが光っているようだった。
「桐乃……?」
 呼びかけてみるが返事はない。確かにこの部屋にはいるはずなんだが……
 と、ベッドがこんもりとしている。どうやらここにいるらしい。
「お、おい、桐乃」
 布団に直接声を浴びせるが反応なし。触れるてもいいのかわからず思わず視線を逸らすとそこには例のPC。
 一体何が映ってるんだと何の気なしに見てみると。
『妹と恋しよっ Vol.21 ~恋敵は泥棒メス猫!? お兄ちゃんどいて!! そいつ○せない!!~』
 俺は見なかったことにした。
 何なんだよこれは!? シリーズ続きすぎだろっ!? 前に見たときはまだ一桁だったのに、しかも何だこの不穏なタイトルは!? あの時、桐乃に無理やりやらされた時はもっと、大人しくて可愛い妹が……
 大人しくて可愛い妹……?
 そういやさっき玄関で俺に突っ込んできたのは何だった?
 大人しくて、可愛い、妹……?
 まさか……桐乃は……

 いやいやそんなわけがない。考えてもみろ、桐乃の今までの俺に対する態度を。
 目が合えば無視。
「……キモ」
 手が触れれば即座に洗面所に。
「うわ、菌がうつる」
 俺が視界に入るとゴミクズを見たような視線。
「視界に入んな」
 ……やっぱりありえねぇか。
 人生相談。
 そうだよ、妹が俺なんかに──
 誰にも相談できないでうつむく桐乃。
 あの傲岸不遜の妹様が──
 ただ部屋で一人で泣いて、自分が精一杯やったことをふいにされても。
 決して俺なんかじゃ及びもしない才能と努力を備えた妹が──
 あいつは悪くないのに。ただ、空回りしているだけなのに。

 ふん。そうさ。
 あいつは俺の妹なんだ!
 妹を守るのはこのお兄様の義務なんだよ。
 ったく、しゃーねーったらねーよ!
「桐乃!」
 俺は思い切り掛け布団を捲り上げた。後の事なんざかんけーねぇ! 妹の涙を止めるのは俺の役目だ!
「……あれ?」
 そこには桐乃はいなかった。そこにあったのはどこかで見た箱の山。
「これは……」
 そうだ、あのパンドラの箱(襖)の奥に潜んでいた災い(エロゲーの箱)ども!
 それが、なんでここに?
 ってか桐乃の奴はどこに?
 呆然とする俺の背中に何かが飛びついてきた。
「うぉっ! なんだぁ!?」
 思わずベッドうつ伏せにに倒れこむ。何なんだよいったい!
「……兄貴」
「桐乃……か?」
 俺の背中に抱きつきこくりとする桐乃。ったくコイツは俺にタックルするのがどれだけ好きなんだよ。
「……ゴメンね」
 いつになく殊勝な態度な桐乃。はっ、いつもこうならな。
「何がだよ」
「キモかったよね。いつも兄貴にキモいとか言っててあたしのがキモいじゃん。あはは、あたし馬鹿みたい」
 壊れたようにまくし立てる桐乃。でもこれは行き過ぎだ。お前はそんな奴じゃないだろ?
「だから何がだよ」
「だからぁ!」
 だから俺は言ってやるのさ。

「兄貴なんて呼ぶんじゃねぇ! 『おにいちゃん』と呼びやがれ!」
「………………はぁ?」
 ポカンと、口を開ける桐乃。はん、わかっちゃいねぇな。今からお前に教えてやるぜ! この俺の全てをなぁぁぁぁぁぁ!
「それでもお前は妹か! 兄を呼ぶときは『おにいちゃん』に決まってるだろォがッ! 『おにーちゃん』でも可だッ!
 さァ、甘えるように媚びるように蜂蜜と砂糖をぶっ掛けたようなハニーヴォイスで『おにいちゃん』だッ! さァ! さァ!」
「……あんた……」
 おお、妹から尊敬と畏敬と憧憬と睥睨の視線を感じるぜっ!
「…………あんた、わかっちゃいない! 『おにいちゃん』に込められる感情がそれだけだと思ってるの!? いい?
 『妹』が『おにいちゃん』って呼ぶのはねぇ、そこに愛があるの。逆に言えば愛がなきゃ『おにいちゃん』って呼ばないの。ただ媚びて甘えてるだけじゃ妹って言えないの!
 兄を立て、兄を尊び、兄を助ける。妹はただ兄に甘えてちゃだめなの。兄の横に並んでて一緒に同じ道を進む。そうしてこそ真の『妹』と言えるのよ!」
 言い切った。どこか論点がズレているような気がするがそもそもこの議論の論点なぞ考えるだけ無駄というもの。ていうかお前は俺を立て尊び助けたかぁ?
 はっ、しかしいつもの調子を取り戻しやがったか。桐乃はこーでなくちゃな。真の妹なんてどうでもいいんだ。お前がいつもの調子に戻りさえすればな。
 やれやれ、今回も色々あったが一件落着ってとこか……
「……で?」
「あん?」
 まだなんかあんのか?
「あたしはおにいちゃんのこと、だいすきなんだよ……?」
 …………は?
「さっき言ったよね? 『おにいちゃん』って呼ぶのには愛が込められてるって」
「あたし、何度も呼んだもんね? おにいちゃんわかってるもんね?」
 あ、あれ? 背中に押し付けられてるモノの感触が……
「おにいちゃん言ったもん。おにいちゃんって呼べって」
 言葉の綾というものが……
「お・に・い・ちゃんっ」
 桐乃サン? 俺の唇に何か近づいてますよっ! え、ちょっと目を瞑られても、あ、おい、やm

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最終更新:2009年07月16日 14:44
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