もしも、京介が桐乃とぶつからなかったら 前編
三日ぶりの風呂を浴びるため、築30年の今に壁を伝う緑に破壊されそうなボロアパートへ帰る途中、
公園のベンチで横たわってうずくまる人影に目を取られた。
ダンボールを布団代わりにしていないので、すぐにホームレスではないことが知れた。
時刻は午後11時をまわり、季節柄、上着一枚で寝れば命にかかわるほど寒かったからだ。
帰宅途中同僚と飲んだ酒が一気に冷めていくのを感じた。
少しためらったが、ため息を吐いて諦めた。…仕方が無い。
疲れた体に鞭を打って、俺は公園に踏み込んだ。
「おーい、大丈夫か?……高校生?」
近づいて確認すると、なんと寝ていたのは女で、中学生か高校生らしき制服を着てた。
体つきは大分大人っぽいので、多分高校生だと思う。
背もたれのほうに体を向け、寒そうに縮こまっている。
短いスカートから伸びた脚が震えていないところを見ると、相当冷えているに違いない。
腰まで伸ばした茶髪がベンチからはみ出しだらしなく地面に垂れ下がって汚れていた。
「……なに?」
俺の問いかけにかなりの間を置いて、小生意気な声で女子高生(仮)が振り向きもせずに言う。
「こんな時間にどうした、家は?」
「…カンケーないし…ナンパ?」
なんだろう、たった一言二言交わしただけなのに、無性に腹が立つ。
仕事で生意気な高校生の相手することがたまにあるで、慣れたつもりではいたが…。
多分、この妙に幼い声色のせいだろう。それにロングの茶髪も気に入らない
あと常に上から目線なのが言葉から透けて見えるあたりもだ。
「ちげーよ。つか家に帰るつもり無いなら警察呼ぶぞ」
女子高生(仮)は、カバッと勢いよく振り向いた。
ガラス細工のように整った顔立ちに、につかわしくない皺を眉間に刻みつけて俺に啖呵を切る。
「はぁ?あたしがなんかしたっての!?」
想像以上の容姿に一瞬だけ気負される俺。
なさけねぇなぁ…。こんな小娘に一瞬でドキッとするあたり実に情けない。
それにしてもこんな時間に男に話しかけられてここまで威勢よく切り返せるあたり、たいしたタマである。
滅茶苦茶イラッとくるけど。
だがこういういかにも場かなDQNは経験上、理詰めに弱い。
ふふふ、覚悟しやがれ。
俺は咳払いをして普段詰め込んでいる知識の一部を得意げに開放した。
「お前未成年だろうが、東京都の条例じゃ午後10時以降は…」
「うっさい!悲鳴上げて人を呼ぶわよ!?」
「!?」
な、何だと!?
こ、こんな切り返しは初めてだった。
そういえば普段は必ず二人一組で行動しているし制服を着ているのでなんと言うことは無いのだが…
今は私服で悲鳴に人が集まってきては妙な誤解をされかねない。
「…て、てめぇ!」
餓鬼の相手なんてしてられない。
ポケットを探り携帯を取り出す。
「っちょ、ちょっと、なにしてんのよ?」
「警察に連絡してんだ。てめーとは話にならねぇ」
つか滅茶苦茶ムカつくからな。
こんな腹立たしい奴妹以来だぜ。
あー、イライラする。
こっちは久しぶりに仕事から解放されたばかりだってのになんだってこんな餓鬼のお守なんざ…
そう思った瞬間、女子高生(仮)は俺の想像を超える行動に出た。
バチ!
「ってぇ、おい!」
「っふん!」
――――バキィ!!
え、ええええええ!?
嘘、マジで?
突然飛び掛って携帯を掠め取ったかと思ったら、その携帯…膝で圧し折りやがった!?
いや、いやいや、ちょっとまて…え?なにこれ?
仕事を始めて一年、大分いろんな奴を見てきたつもりだったけど、
いくらなんでもここまでアクロバティックなやつには会ったことが無いよ?
女子高生(仮)は呆然と口を半開きにしているであろう情けない俺を睨みつけて言い放った。
「つかマジでウザい!あたしが何時何をしようが誰にも迷惑かけて無いじゃん!」
いや、俺の携帯…
「ほら、早くどっかいってよ、マジで大声出すよオッサン!」
最後の一言に、俺の堪忍袋の尾が切れた。
「誰がオッサンだゴルァ!」
「キャ!」
女子高生(仮)の両肩をつかみ、力任せにベンチに押し倒して座らせる。
「ちょ、なにすん…!」
ジャケットの内ポケットから取り出したカードケースを開いて突きつけた。
ふふん、これで少しはビビるだろう…。
「…高坂京介?い、いまさら自己紹介?やっぱりナンパ…」
「そこじゃねぇ!!警察手帳ってところに驚け!」
女子高生(仮)はぷい、と顔をそらした。
「はん!それであたしがビビるとか思ってんの?」
「これはな、逮捕する手順だ…器物破損の現行犯でしょっ引かれたくなかったら、
今すぐ名前と自宅の電話番号とここに居た理由を吐いて携帯電話を寄越せ」
「中身見る気!?」
「署に連絡すからに決まってんだろうが!」
この期に及んで何考えてんだこの餓鬼!
むーと唇を結んで俺を睨む女子高生(仮)
俺は容赦無くボールペンを取り出し、質問を始めた。
「名前は?」
「こ……りの…」
「んあ?」
「あ、新垣リノ」
いやな響きの名前だ。
俺は続けた。
「家の伝は番号は?」
「……」
「ほら、どうした」
「…携帯に記録してあって、憶えてない。」
あからさまに嘘だった。
どうやらこういうやり取りは、案外苦手なようだ。
「じゃ携帯をよこせ」
「ない」
にべも無く言い放った。
どうにもこいつは人の苛立ち中枢を刺激するのが上手い。
「おまえさっき『中身見る気?』とか言ってたよな?」
「今は持ってない。家にある」
ほら、と立ち上がって上着をヒラヒラさせてみせる。
ついでにポケットも裏返す。糸くずと小銭がいくらか。
「家は何処だ?」
「千葉」
ジーザス…。
俺は署に帰った後の事務処理手続きの面倒さを想像して天を仰いだ。
あそこの少年課のオバちゃん苦手なんだよなぁ…
「何?」
「何でもねーよ。…で、なんでこんなところに居るんだ?」
聞くまでも無いが一応形式上、聞いた。
リノは今度はまっすぐ俺を見据えて妙にはっきりと言った。
「人探し」
「人?」
意外な答だった。
てっきりただの家出だと思っていたのだが
「…男を探してる」
あー…そういうことか。
「彼氏とかか?」
「…言いたくない」
それきり、むすっとして質問に答えようとしないリノに業を煮やした俺は、ひとまず自分の部屋に上げることにした。
そこで署に電話して引取りに来てもらおう。
「なにそれ、やっぱり変なこと…」
「調子に乗るな。…このまま外に居たら凍えるだろうが」
そういうと、リノは渋々俺の部屋に入った。
最終更新:2011年04月27日 23:09