一時間は経ったか。
体も瞼も鉛のように重いくせに、俺は眠れずにいた。
時計の一秒一秒を刻む音が耳障なのは、眠れないときの嫌なパターンだった。
「…ねぇ」
ああ、っくそ、明日普通に出勤日なのに。
「ねぇ、おきてるんでしょ?」
だいたい三日連続で泊り込んだら普通次の日休みじゃね?
「ねぇったら…っこの!」
ッゴッ!
突然後頭部を襲った激しい痛みに俺は飛び上がった。
手元に転がる投げ付けられた物を見て驚愕する。
「てめぇ、殺す気か!?」
信じられるか?この女、ジャ●プを人の頭めがけて投げやがった!
リノは悪びれもせず「ふんっ」と鼻を鳴らし、
「あんたがシカトするからでしょ?」
と切り替えしてきた。
「寝てただろうが!」
「嘘!寝息無かった」
「お前さっきまで寝てたんじゃねぇのかよ!」
「だれかさんが興奮して見つめてくるから怖くて寝た振りしてたの」
「誰が興奮だこのマセガキ!」
「見つめてたのは認めるんだ?」
ぐ…痛いところを…。
言葉に詰まると、リノはにんまり笑った。
相変らず、苛立ちを覚える顔だ。
「知るか。明日早いんだ、寝かせろ。」
再びコタツの中に体を埋める俺。クッションを枕代わりに彼女の反対方向を向く。
数秒とおかずリノが話しかけてきた。
「ねぇ、眠れないから面白い話してよ」
…出た。
面倒な女の一番面倒な無茶振り「面白い話してよ」。
彼女ならともかく何故こんな子供相手にそんな気を使わねばならないのか。
無視して寝ようと思うと、背後から再びゴソ、という音がしたので急いで振り向いた。
「…あ」
思ったとおり、リノの手にはジャ●プが握られていた。
…危なかった。
怒りをこめて睨みつけると、ばつが悪そうにジャンプを手放し、作り笑いを浮かべた。
「ね、ねぇ、さっきさ妹がどうとか言ってなった?」
「妹?」
「『お前を見てると妹を思い出す~』的な事言ってたジャン」
聞いてたのか、こいつ。
俺の話なんざまったく聞いてないものだとばかり思っていたからすこし驚いた。
「どんな子だったの?」
うるさいと言って煙に撒こうとするも、リノは執拗に聞いてきた。
この調子だと朝まで粘られそうだったので、仕方なし妹のことを説明した。
物凄い美人で、スタイルが良く、勉強は県下トップで、陸上部のエース…まるで俺が嘘をついてるみたいだ。
「なにそれ、エロゲ?」
「え、エロゲ?」
「…なんでもない続けて」
「続けても何も、中二のころに親父と喧嘩して、それで家を出て行ったきりだ。」
「家出したの?」
「…ああ、多分。よくしんねーけどあいつの大切なもんを親父が捨てたらしい」
ボリボリと頭をかいて、リノとは反対方向に寝返りをした。
リノの続きをせかす声が消えた。が、耳を澄ます気配だけは消えてないように思えた。
「お袋が言うには、いかがわしい物だったんだと」
「なにそれ」
「よくしんねーけど、エロいアニメとかのDVDとか人形とか…チラ見しただけだから良く憶えてねぇ。
でもアレがあいつにとって家を飛び出すほどのお宝だったなんてな、未だに信じらんね」
美人で、優秀で、同年代の誰よりも垢抜けていた妹。
その趣味が同年代の女子からもっとも忌み嫌われる類のものだとは、誰にもいえなかったに違いない。
一体何を間違えてあんなものに手を出したのか想像も付かないが、おそらく、桐乃は――――
「あたしさ、」
静寂を破って、リノが口を開いた。
「家で居場所無かったんだよね。」
「虐待でもされてのか?」
言ってから、なんて無神経なんだろうと自分を呪った。
リノは気にしたそぶりも見せずに続けた。
「そんなんじゃないんだけどさ、お父さん厳しい人であんまり自由にさせてくれないっていうかさ」
そりゃ、おまえ、高校生でそんな茶髪にしてりゃ目くじらも立てられるだろ…と突っ込もうとしたが、
話の腰を折りそうなので黙っておいた。
「なんか、親の思ったとおり以外のことは全然させてくれないというか、私は人形じゃねー!って思ってさ」
「だから家を出たのか?」
だとすればとんだ自己憐憫だ。明日躊躇無く少年課の窓口に放り込んでやる。
だがリノは首を振った。
「あたしが追い詰められたときにさ、誰も助けてくれなかったんだよね。友達も家族も。お母さんはお父さんの言うことを
聞け、って人だったし、兄貴は幼馴染の彼女に夢中で私になんて興味ないみたいだったし、相談できる友達もいなくてさ、
私って一人ぼっちなのかなって。」
ふふ、と思い出し笑いをするようにリノが笑った。
「したら普通落ち込むじゃん?でもあたし、なんか怒りがふつふつ湧いて来てさ、だったら一人でいきてやらーって」
「それで公園で野宿とか笑えねーぞ。」
「最初のうちは上手く行ってたんだってば。友達の家を泊まり歩きながらバイトして、お金ためて」
「友達頼ってんじゃん」
「だから暫くして住み込みで働かせてくれるお店見つけて、お酒作ってたよ」
「っちょ」
たまらず振り向いてしまった。
仮にも現職の警察官を前に未成年が風営法違反の暴露だと!?
「おまえ、自首してんのか!?」
「別に変な事してたわけじゃないって。そこのママさん凄くいい人だったし。学校も行かせてくれたよ?」
いやすっごくイイ人ってのは未成年雇って酒作らせたりしねぇよ。
っくそ、明日書類に書くことが増えたな…。
「あ、そうだ、働きながら書いてた携帯小説が小説の編集者の目に留まってさ、あたし小説出したんだよね」
「はぁ?小説?」
こんなまとも小説の感想文書けるかもどうか怪しいような奴がか?
「「妹空」ってタイトルなんだけど知らないかなぁ~。けっこう売れたんだよ?」
あぁ~…なんか警察学校にいたころ聞いたような…
「同僚が爆笑しながら読んでたな…」
「はぁ!?爆笑?アレの何処を笑えたっての?!」
「しらねーよ、俺が読んだんじゃねぇんだから…、
てかそんな有名な本出してんならお前いまごろどっかの豪邸に住んでんじゃねーのか?」
「…お金なんてもらってないよ。盗作された。」
今日道端で100円落としちゃった、とでもいうかのように、あっけらかんと言った。
公園でのやり取りから、それが嘘でないことだけは分かった。
「で、一昨日お店も借金残してママが逃げちゃった。」
…無残というか無様な話である。
もしリノの目じりに雫が溜まっていなければ、これだけのことがありながら強かに態度を崩さないこの少女にうすら怖さすら感じるところだった。
必死に溜め込んだものを押し殺そうとしている。多分こいつは、桐乃と凄く似ている。
「さ、こんどはあんたの番。」
「え?」
「あたしにだけ恥かかせる気?」
「恥って、……わかったよ。何が聞きたいんだ?」
「自分で考えろっての…そうだなぁ」
天井をみて考えるそぶりを見せた後、嬉しそうに振り向いた。
「ねぇ、なんで警察官になったの?あんた全然そんな感じしないんだけど」
「うるせぇ…どういう意味だ。」
「なんか迫力が無いって言うか地味って言うか…」
「本当に意味を言った!?」
しかも迫力は兎も角、地味ってなんだ地味って。
これでも少しは気にして同僚に勧められたメンズFU●GE買って勉強をしてるんだぞ!?
「で、どうして?」
「ッチ、」
少し気恥ずかしいので、またリノに背を向けた。
「妹が家を出て行ってから家の雰囲気が悪くなってな、」
「また妹?」
…わるかったな。
それから10分ほど、身の上話をする羽目になった。
親父がしゃべらなくなったこと、お袋がやせたこと。
家に居ることが耐えられなくなり、東京の警察官採用試験を受け、全寮制の警察学校に入ったこと。
親父が予想外に喜び、卒業後に絶対にあったほうが良い、と言って乾燥機能付きの洗濯機を送ってきたことまでベラベラと吐かされた。
喉がカラカラだ。
リノは半ば無関心そうに「ふーん」と言うだけだった。
こんどこそ寝るつもりで俺は瞼を閉じたのだが、そうは行かなかった。
「ねぇ、最後にさ」
妙に神妙な声で、ぽつりぽつりと、リノが言う。
「ん?」
「聞きたいこと、もう一つだけあるんだけど…」
俺は諦めるように溜息を吐き、続きを促した。
どうせ断っても聞いてくるに決まっているからだ。
「あんたさ、――――妹のこと、嫌いなの?」
最終更新:2010年11月17日 22:59