俺と桐乃は二人で

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俺と桐乃は二人で



さて、季節は冬。
俺は肌寒い空気とは無縁に願いたいとあったかい布団の中でぬくぬくと眠りについていた。
今日は親父もお袋もいねえし、たまにはゆっくりしよう。ふが。
ここんとこ勉強漬けだったが、ふが……、けっこう目途も立って余裕もあるしな。
それにしても冬の布団ってどうして、ふが、こう異常に気持ち、ふがふが、いいのか……。
な、なんか息がうまく……、ふが、ふがふがががぁっ!
「ぶはぁっ! はぁはぁはぁ!」
「あ、やっと起きた。いつまで寝てるつもりよあんた」
息苦しさに目を覚ますと桐乃のやつが俺の顔を覗き込んでいた。
「な! き、桐乃! てめ、なんて起こし方しやがる! 死んだらどうする気だよ!?」
「さっさと顔洗ってきなさいよ。あたし今日は特に何もやることが無くて暇なの。あんたも今日はゆっくりするとか言ってたっしょ? ゲームするから対戦相手になってよ」
「は? はあああ?」
よく見ると、小脇にノーパソやら雑誌やらを抱え持っている。
人が寝ているところを鼻つまんで口を押さえて無理やり起こし、抗議も聞く耳もたずに何かと思えば『ゲームするから起きろ』ってか?
あいっかわらず俺に対して傍若無人だなぁおまえは!
「なんでおまえの暇つぶしにつきあってやらなきゃいけねんだよ。ゲームしたいなら他の誰かとやりゃいいだろ? ケッ」
ぶっきらぼうに言い捨てると桐乃は口をとんがらせて持っていた雑誌で俺をポカポカ叩き始めやがった。
「い、いいからつきあいなさいよ! あんただってどうせ暇なくせに!」
「こ、こらよせって」
「とっとと起きろ!」
「あ~~ったく! 分かった分かった。つきあってやるから叩くのやめろって!」
オンライン対戦だとおまえほとんど勝てないもんな。昨日も『ウキーッ!』ってサルみたいな声あげてムキになってやった挙句、負け数増やしただけみたいだったし。
沙織から俺のとこにメールが来てたもん。『きりりん氏のアフターケアは任せたでござる』って。
桐乃との対戦に勝って気分良いんだろうが、それでとばっちり食ってる俺のことも少しは考えてくれませんかね、あのオタお嬢様は。俺がひでえ目に遭うの楽しんでるだろ絶対。
髪の毛をクシャリと押さえながらベッドから起き上がる。
めんどくせえけどもう起きちまったし、二度寝するだけよりはマシか。
「分かったじゃなくて『分かりましたゲームさせて下さいお願いします』でしょ?」
「どんだけ高飛車だよ! そして俺はどんだけへりくだらなきゃいかんのよ!?」
あ~力が抜けちまうマジで。
数分前まで安眠していたのにコイツにかかるとこれだ。兄貴の気分をかき乱すことにかけて、うちの妹の右に出るやつはそうはいないだろうね。
いるんだったら見てみたい。もちろん近寄らずに遠巻きでな。
「んじゃちょっくら顔洗ってくっから、準備して待っててくれ」
「分かった。四十秒で支度しな」
妙ちくりんなイントネーションで出来ないことを言う。
「無理にきまってんだろ、アホか」
「こんなネタも分かんないなんて。ハッ、まだまだ修行が足りないわねあんた」
どのネタだよ、知らなくて悪かったな。だいたい俺はオタ修行なんかした覚えはねえかんな?
やれやれと思いつつ俺は一階へ顔を洗いに下りていった。
ところで――、普段ならあいつは『ちょっと、こっち来て』と兄貴である俺をまるで下男のように自分の部屋へ呼びつけるのだが。
今のやりとりのように俺の部屋へ桐乃がやってきてゲームしようと言い出しているのには、少々理由があった。
桐乃の部屋には無いものが俺の部屋にはあったからだ。
あれだよ。寒~い冬の季節に凍えるからだを暖めてくれる日本人定番の暖房器具、日本人の心とも言っていいもの。そう、炬燵が俺の部屋にはあるからだ。
元々はリビングにあったものなんだが、いつの頃からかエアコンが取り付けられ、ソファも置かれて洋風に模様替えされたことにより、押入れへと追いやられていった悲しい過去を持つ。
んで、押入れの中で眠っていたものをなんとな~く今年は使ってみようかと思い立ち、俺の部屋で見事その存在意義を復活させたといった次第だ。
狭い部屋の中央にでーんと現れた炬燵を見てお袋は『お母さんが使おうと思ってたのに』なんて後出しジャンケン的なこと言ってクサしてたが気にしないもんねー。
暖かいよ炬燵、最高だよ炬燵。
お袋の文句なんざ放っておいて、炬燵からじんわりと染みてくるように伝わる暖かさを体に感じながら、俺は心の平穏を楽しんでいたわけなんだが……。

『なにぃ~炬燵じゃ~ん♪』

ふっ、分かったろ? それは短い間の夢のように消えていったってことが。
くっくっくっく………………シクシク。
炬燵があることを発見した桐乃は、俺同様この懐かしき暖房器具がお気に召したのか俺の部屋にちょくちょく入り浸るようになった。
猫の座布団を持ち込んで炬燵入って、雑誌を読んだり友達と電話してケラケラ笑ったりしてさ、俺がちいとばかし注意すると『じゃ、出てけば?』と部屋から追い出そうとする。
もう理不尽すぎて笑い泣きしそうだぜ。
引っ張り出してきて活躍してくれてはいるが、来年はまた押入れの中で眠っていてもらおう。悪く思うなよ、炬燵。
洗顔と歯磨きを済ませた俺は、途中台所へ行き冷蔵庫からジュースを取り出し、横に箱買いされて置かれてあった蜜柑をいくつか盆に乗っけて部屋へと戻った。
桐乃は炬燵に入ってノーパソでどこぞのHPをチェックしているようだ。
「ん~今月はコレとコレが買いかな」
お目当ての新作エロゲーでもチェックしてんのかね。
「う~さぶさぶ」
机の椅子に座って沙織から貰ったデスクトップPCを起動させ、暖房ヒーターをつけようとしたら、炬燵におわしまするお姫様からこんな御達しが発せられた。
「ちょっとアンタ、せっかく炬燵あんのに暖房つけるとかバカじゃん? 気分てもんを感じれないの? 空気濁っちゃうし、つけるの禁止」
なんっじゃそりゃ!? おまえは炬燵に入っているからいいけどさ、寒い冬に暖房も無しでいられるかっつうの。凍えちまうわ!
だいたい自分の部屋でどうして俺がそんなひでえ環境に置おかれなきゃなんないわけよ!?
もちろん猛然と抗議したよ。
「あの~、桐乃さん。なんとか許してもらえませんか? ほら、最近かなり冷えてきましたし、暖房無しだと寒すぎて耐えられそうにないんすけど」
「ダメ」
かぁぁ~~~っ! このクソ妹は人がこんだけ慇懃に言ってやってんのに、一言で切り捨てやがった!
「机座ってると寒いんだから仕方ねえだろ。暖かくしねえとゲームなんて出来ねえぞ俺は」
桐乃はジト目と口を△にして、これくらいで『だらしな~い』と見下げ果てているような顔を作っている。
いや、ようなじゃないな。確実にそう思ってやがる。口にしないのがせめてもの慰めか。
「だらしないわねアンタ。もうそのまま凍死しちゃえば?」
「考えているそばから口に出してんじゃねえ――よッ! そしてなんで自分の部屋でそんな死に方すんだよ、してたまるかボケ!」
「うわっ、なにいきなりキレてんのよ、キモ」
キモ。キモって言われちゃったよ~はっはっは。いやーまいったまいった……………………なんでだよ!
……はぁ~~あ。額をかかえて、でかいため息ひとつ。
いちいち反応してたら話が進まねえな。もうなんでもいい、好きにしてくれ。
「しっかた無いなぁ。じゃあ特別に炬燵使わせてあげる。さっさとこっち来なさいよ」
人差し指を俺に向けてクイクイと俺を呼ぶ。どうやらノーパソでいっしょにやれということらしい。
つーかその炬燵、俺が出したんですけどね~え。なんでいつの間におまえが所有権握っているみたいになってんだ? ジャ○アン? ジャ○アンなのおまえ?

「なにボケっとしてんの、早く」
「……へ~い」
くそう、いろいろ言いたいことはあるが、ここは兄貴として敢えて抑えておいてやろう。太陽系よりでっけえ俺の心に感謝しやがれ。
けっして炬燵入らせてくれたのが嬉しいなぁとか卑屈な感情じゃないんだかんね? 勘違いすんなよ!
「おら、画面見えないだろ、こっちに向けてくれよ」
はす向かいに腰を下ろし、ノーパソの画面をこっちにも見えるようにしろと言う俺。
「はぁ~? それじゃあたしがあんま見えなくなっちゃうじゃん」
「仕方ねえじゃん、画面見ずにやれなんて言うのかよ? そんなん無理だぞ」
「チッ。ほんと世話が焼けるなぁもぉ~。じゃあ、こっち座って見ればいいっしょ」
そう言って桐乃は座っている場所を少しずらしてスペースをつくった。
「いや、それは――」
炬燵はやや長方形で桐乃は辺の短い場所に座っている。
そこに二人でって……。
「なにやってんの早くしてよっ」
逡巡していると、ムスっとした顔でバンバンと空けたスペースを叩いて急かしてくる。
だってよぉ、なんでいちいち同じ場所に入ってまで。
……まあこれまでも並んでエロゲーやったことくらいあるし、今更だな。
いつまでも気にしてんのはアホらしいと腰を上げ、桐乃が空けたスペースに座り炬燵に入り込む。
案の定、二人で炬燵の同じ場所に入るとけっこうきつかった。二の腕どころか、肩が重なるほど密着している。
すまん、気にしないとか無理。いくらコイツだからってこういう直接的な刺激は……。なんか柔らかいし良い匂いが……。
「なに変な顔してんのあんた?」
「な、なんでもねえよ! 人の顔ジロジロ見んなよぉもう! ほれ、ちゃっちゃと始めるぞ」
ちょっと意識しちまってることを悟られたくないので、今度はこっちが急かす。
ゲームに集中してりゃ、そのうち気にならなくなってくんだろ。
………くるよね?

――んで、対戦型妹系エロゲー『真妹大殲シスカリプスν』をやり始めたわけなんだが。
「くっ、この! 喰らいやがれ!」
「へっへーん。遅いっつうのぉ。いけぇ!」
桐乃の操作キャラから放たれる必殺技をモロに喰らい、俺の操作する電撃妹はあっさりとやられてしまった。
KO! の宣言の後、電撃妹は服を無残に破かれる。
「あーくそ」
「プププ、弱すぎなんですケドぉ~。あんたもっと腕上げなさいよね。ねぇねぇくやしい? くやしい? ねぇねぇ」
うぜえっ。この女、マジうぜえええ! 舐めくさりやがってぇ~~!
そして俺弱すぎだろう! これで10戦0勝10敗目。
ちょこちょこはプレイしていてマシんなっていると思ってたんだけどな~。
以前はそこそこ勝てていたのに桐乃のやつも上手くなってやがったよ。全然勝てねえ……。
うー、確かに腕の差ってのもあるけどさぁ、こいつ沙織がいつぞや作った自分似キャラのkiririn(中身は超強い隠し妹)ばっか使ってくるんだもん。卑怯だよなー。
まぁ別キャラを使おうとしていないって点においては俺もそうだけど。
桐乃が桐乃似のkiririn――なんかこんがらがってきたな――しかほとんど使わないのと同様、俺も電撃妹以外はあまり使っていないんだな実は。
だってさあ、キャラごとの必殺技とか全部覚えらんねえんだって。しかも新しいシリーズが出るたびに新キャラの妹やら必殺技やらが追加されていくし。
そういったもろもろ全てを網羅して使いこなすなんて芸当、俺の脳みそは苦手だって根をあげてんのさ。一言で言えば、むいてないってこった。
その点、黒猫のやつはどの妹も全てカンペキに使いこなしてやがんだから、たいしたもんだよ。
あいつから見たら俺と桐乃の対戦なんて『……っふ……』とか冷笑してきそうな低レベルな戦いなんだろうぜ。
と、ぐずぐず考えていたって仕方ねえな。
「ぜってぇ負かしてやるかんな。もう一回すんぞ! 今度はステージ別のとこな」
気を取り直して再戦を要求する。
「いいケド~。何回やっても同じなんじゃん?」
調子乗ってんなちくしょー。
しかしこのままじゃ敗戦が濃厚なのは情けないが確かだ。
……ふむ。ちぃとばかし対戦前に精神攻撃でもして動揺させてやっか。
「おまえさ、その自分似のキャラ。負けたらマッパになんの分かってんだろうな?」
「ハッ、負けるわけないし。なにアンタ、妹のハダカがみたいワケ? うわぁ……」
「ば、ばばばか言ってンじゃねえっつの!」
うん、俺が動揺しました。
桐乃は腕を胸の前で組み「や~らし~」とか言ってるが、明らかに口調はおちょくっている。
「お、俺が勝ってオマエが泣いて恥ずかしい目にあったって知んねえぞってことだよ!」
「へ~~~~~~え。ま、いつかは勝てるんじゃないんですかァ~? 10年くらい先とか? キャハハ」
「く、くぅぅぉおのぉぉ! ほざいてやがれ」
そんでまたゲームを再開して、ディスプレイの中で魔法やら稲妻やらをどかどか撃ちまくっている最中、
こうやって妹と並んで遊んでんのって、どうなんだろうな?
ふと、俺はそんなことを考え出した。

ちらりと横目で見ると、桐乃は舌をぺろりと出しながら繰り広げられている戦いに熱中している。
こいつはマジ楽しいんだろうな、ゲームすんの。いや、好きなものを誰かといっしょに体感出来てるのが楽しいんだろう。
それが兄貴の俺でも。
そして俺も、なんだかんだで桐乃と遊ぶのは――まあ楽しい、かな。
いつぞや黒猫が『どうして邪険にされても妹の世話を焼くの?』とか聞いてきたことがあったっけ。
そんとき俺は自分でもよく分からず『兄妹だから』と答えた。
間違ってはいなかったかな。
桐乃の秘密の趣味を知ってから、人生相談受けたりお願いを聞いたりしていくうちに、『どうして』は俺の中で形作られていった。
打ち捨てられてばらばらになっていた、そのままにして目を背けていた『どうして』を、少しづつ、迷いながらでも、それが正解なのか分からなくても、俺は必死で形にしていったんだ。
今ならはっきり言えると思う。
〝どうして〟は〝兄妹だから〟だ。大切な妹をもった俺の、どうしようもない性分だからだ。
ただ――――、それとは別に気付いた、というより自覚しちまったことなんだが、俺がこいつと一緒にいるのは……単に妹だからってだけじゃないんだよな。
勉強や陸上の成績が凄かったり、それらの合間を縫ってのモデル仕事。
人の何倍以上もの努力、それを成し遂げるとんでもなくガンコで強いメンタル。かといえば、つらい目にあえば脆く泣いてしまう。
すぐにムキになっちまうから論理立てた口ゲンカの勝率は極端に低い。あと準備の整っていない突発的なトラブルへの対処能力は×。
その一方で、年に似合わない誰よりもしっかりとした考えを持ってる。こともあれば、素っ頓狂なこと言い出して俺をびっくりさせる。少し天然入っているよな。
忘れちゃいけないのが趣味関係。好きなことには本当に子供みたいに無邪気になって笑って喜ぶ顔。度が過ぎるとキモいくらいだ。
意外と面倒見も良かったりして、友達も多く受けもいい。
俺に対しては棘々しいが、それも柔らかくなってたまには、まぁ可愛いところを見せてきたりもしてるよ。へへ。
そんな桐乃に俺も影響されていった。
妹に嫉妬している自分に気が付き、情けなくなった。くやしくて、それまでダラダラと無為に過ごしていた時間をちょっとは有効に使うようになった。あと、オタク化が進行した。
兄貴だからっていう俺の独りよがりなおせっかいを、感謝してるともはっきりと聞いた。それを嬉しいと感じた。
桐乃が日本を離れたときは寂しくて連れ戻して。日本へ帰って来てからもいろいろあって、そのたびに俺は桐乃のことで一喜一憂、一怒してた。
全部挙げていったらきりが無いな。
つまり、以前は知ろうともしなかった妹の、桐乃のことを見て、会話してケンカして、笑い、泣いて、怒って。本心をぶつけ合っていった。
そのうちに、いつの間にかだが、俺はこいつと一緒にいるのが――そんなキライじゃねえって思ってったんだな。
暴言吐いたり、可愛げないこと言ってきて、今も横で「死ね死ねええ!」とか叫んじゃって、あいっかわらずクソ生意気でしゃあねえんだけど。
けどよ、俺は楽しいんだよ。兄妹だからってだけじゃなく、単純に桐乃といるのが。
もろもろな理由を一つに収束させてみれば、それに尽きるんだ。
あーあー言われなくても分かってるよ、もう認めてますよ。
ど~~~~~~~~~~~~~~せ、俺はシスコンだよ。しかも上に超弩級とかがつくくらいのな。ほっとけ。
これまでもこれからも、桐乃とはこうなんだろうか? さっき『10年先』とか言ってたが、そうであってくれと想いたいような想いたくないような……。
「くたばれ! このッ!」
「あ……」
ぼんやり考えているうちにまた負けた。
「キヒヒヒ。やったやった! ざまあああ!」
桐乃がまた俺の方を向いて全力で喜んでいる。
こいつはそんなに俺がくやしがる顔が見たいかねえ?
「うるせ」と言うと、
「あんたなに笑ってんの?」桐乃はキョトンとした顔で聞いてきた。
ん? 俺今笑ってたか?
「負けるのが嬉しくなったとか? 変態度が更にレベルアップしてんじゃな~い」
「ばーか、違えよ」
誰が変態だ、ばか桐乃め。これはだな――、
「おまえと遊んでんの、楽しいからな」

――あっ、しまった……。なにを面と向かって馬鹿正直に言ってんだよ!
桐乃は一瞬きょとんとしたが、すぐにまた両の口端を思いきりあげてニヤニヤと笑いだした。
ただ、今度はなぜか顔をディスプレイに向けている。
「へ、へぇ~。あんたこんだけボロ負けてんのにアタシと遊ぶの楽しいなんて言っちゃって。うひゃああ、真性のシスコンがここに居るよ――っ! こわぁ~~」
アホみたいに嘲ってきやがる。
「くっ! いや、今のは、」
「チョーやばい! チョーきもい! あんた病院行ったほうがいいよマジで!」
「…………」
わりぃ、やっぱさっきのはちと訂正な。
全ッッ然楽しくねえな! だいたい負けっぱなしなんて気に入らん! せめて一矢報いて昨日沙織にコテンパンにされたときみたいにサル化させてやる!
せめて一矢ってところが情けないでもないが、そこは俺の謙遜の美徳ということにしておこう。
と、そこで携帯の着信音が鳴った。俺のじゃない。桐乃の携帯のようだ。
「あ、あやせじゃん♪」
電話をかけてきた相手はあやせらしい。
俺をおちょくるのをやめ、桐乃は背を向けておしゃべりを始める。
手持ち無沙汰になっちまったんで蜜柑を食いながらぼぅっとしていたんだが、ふと桐乃が持ってきていた雑誌が目に入った。
ファッション雑誌やアニメ情報誌などに紛れて『シスカリプス 徹底・対人勝利への道!』と銘うった本が見えた。
桐乃のやつこんなん買って読んでたのか。
手に取ってぱらぱらと『中級者・対人戦指南』とやらのページを斜め見る。
ふ~ん、なるほど。『まず小技で相手をしっかり牽制、大ダメージを与える大技は隙が多い為ここぞという時以外は使うな!』ねえ。
そういや、必殺技ゲージ溜まったらバカスカ撃ちまくってたな。確かに当たらなければ意味なしだ。
他にもバックステップ時の距離がうんたら、回り込みのタイミングがかんたら、はっきり言って情報量が多すぎて半分以上理解できん。
「うん、うん。ヤダー違うってば」
俺が攻略本を読んでいる間も、桐乃はあやせとの会話に花を咲かせているようだ。
真横でキャイキャイ話されるのはうるせえと思う反面、可愛いもんだとも感じるが、ちと……長いんじゃねえか?
俺はなんとなく面白くない気持ちになる。
別に嫉妬してるわけじゃねえかんな。あるだろ? 話してるときに横から割って入られて、会話に参加できないときの疎外感みたいな?
そういうもんだよ。
「今日のお昼? うん、買い物? えっ、ウソー。あの服また入荷したんだ」
耳に入ってくる内容からして、どうやら買い物へ行こうってお誘いらしい。
やれやれ、この攻略情報の内容を試すのはまた今度になりそうだな。
パサッと閉じて放りだす。
どうすっかな? 俺も赤城でも誘って街をブラついてみるか。
なことを考えていると、
「えっと、ごめん! 今日はちょっと無理なんだ。うん。ごめんね。また今度いっしょに行こうよ。それじゃまた。バイバイ」
そう言って桐乃は電話を切ってしまった。
「あやせじゃなかったのか? 今の電話。どっか行くんじゃねえの?」
「ちょっとぉ、盗み聞きしないでよね。油断も隙もないなー」
めっちゃくちゃ真横で会話していたのはどこのどちらさんでしょうかね?
「おまえ今日は特になんも無いって言ってたじゃん。あ、午後から黒猫とかと遊ぶ約束でもしてんのか?」
それなら俺も呼んでくれよ。どーせ暇だし。
黒猫や沙織と秋葉原でオタ巡りするのなら、別について行ってもかまわんでしょ?
「違う」
桐乃はこっちを見ずに一言呟き、やや一拍おいて、さらにこう言った。
「あ、あんたと遊ぶの……あたしも、キライじゃないし……」
意味を理解するのに数秒かかった。
えと、だってあれだぞ? こいつがゲームやってんのは単なるウサ晴らしみてえなもんで、丁度良い標的として俺を相手してるだけのもんだと思ってたから……。
……そ、そういうことかよ。
あやせと買い物行くより、黒猫や沙織誘って遊びに行くより、桐乃は俺とゲームして遊んでる方を『優先』させたということだった。
う、なんだ? なんか、やべ……!
頬が緩んでしまいそうなのを慌てて片手で抑えて隠す。
桐乃は黙っているが、時おり俺の方をちらちらと窺っているみたいだ。
みたいだってのはあれだ。まともに桐乃の顔を見ることが出来ず、視界の隅にしか映っていないからだ。
互いに継穂となる言葉がなかなか出てこず、妙な空気が俺たちの間にたゆたっている。
な、なんか言わねえと!

「……俺も。オマエといんの。た、楽しかったり、するぞ?」
結局出てきた言葉はさっきと似たようなセリフだった。
ただ、つい漏れ出たわけじゃなく、自分の意思で言ったもんだからクソ恥ずかしくて顔が熱くなってくる。
俺の言葉を受けて桐乃は「シスコン」と一言。「ほっとけ」と俺。
どうにか再び会話が動き出した。
「あんたさー、いくらアタシが可愛いからって、妹にそんなこと言ってよく恥ずかしくないよねぇ? キモぉ~、もう病院行っても手遅れみたいな?」
肘で俺のわき腹をつつきながら、またもおちょくりだす。
「は~あ、こんなシスコン兄貴と遊んであげてるアタシって超優しくな~い」
「寝てるところをゲームしろって無理やり起こされた気がするんだが」
「うっさいなあ。シスコン」
「シスコンシスコンて。そのシスコンと遊んでて楽しいって言ったのはどこの妹だよ?」
ゴスッ! っと少し強めに肘が入る。
「グ……。おまえなぁ、照れ隠しに肘鉄入れてんじゃねえ!」
「だ、誰も照れてなんかない! シスコン! 変態!」
変態ってなんだよ変態って。
いや、自分でシスコンと認めて妹と遊んでんのが楽しいなんて言っちゃってる時点で、俺って変態なの……?
そ、そんなことねーよ! 赤城なんて瀬菜にSMグッズプレゼントとかしてんだぜ? 変態ってのはああいうのを言うんだよ、うん。
「いいから! さっさとゲームの続き!」
と、とりあえず考えるのはよそう。
さしあたっては、さっき読んだ攻略本の内容使って、せめて一勝くらいはしたいしな。
「しょうがねえな、今日はとことんつきあってやらぁ」
「『つきあって下さいお願いします』、でしょ?」
まーたこういうこと言うよこの女。いったい兄貴の俺をどう思ってんでしょうねえ?
だが今日は、つうか今はなんか気分が良い。こいつの憎まれ口も可愛いと思ってしまうくらいには。
敬語で頼めだ? へいへい、わーったよ。
「桐乃様、どーかつきあって下さい! お願いし、ま、す!」
大仰に芝居がかったセリフを吐くと、桐乃はぽかんと口を開く。
しばし見つめあった後、
「「……………………ぷっ」」
同時に吹き出した。
「あはは、何それ。バッカじゃん?」
「くっ、はは。おまえが言えっていったんじゃねーのかよ!?」
なんかおかしくなって二人で肩揺らして笑いあった。
他のやつが今の俺たちを見れば、仲が良い兄妹に見えるんだろうな。お互い見向きもしないほど関係が断絶した状態だったなんて言っても、信じないくらいに。
俺自身でさえその頃のことなど忘れてしまいそうだ。
それが、桐乃のことを考えて、行動して、共に居た結果、今こうして笑いあっている。
悪くねえ……な。
桐乃が俺をからかって、俺がそれにつっこんで。やけに居心地が良いんだよな、実際。

「~~はぁ、おっかしぃ。ところでさー」
「あんだよ?」
「ただ対戦するだけじゃつまんないから、なんか賭けしない?」
賭け? それどうみても俺に分が悪いじゃん。そんな提案のってられねえな。
「んー。負けたほうが一つ言うこと聞くってことにしよ。そんじゃもう一回やるわよ」
一言も喋ってないのに決められちまったよ。こいつの頭の中でどういう思考のフローがあったんだ? 見れるもんなら是非見てみたい。
そしてなんで俺は妹の提案を素直に受け入れてるんだろうな?
「ボケっとしてるとこ悪いけど、もう始めてるから」
「え!? ちょおま!」
あたふたコントローラを握って応戦したが、さっそく一回負けてしまった。
いや、だってこいつがいきなり始めるし! 攻略本は読んだけど、実戦はなかなかうまく……。
ヘタクソで悪かったな、ケッ!
「んっふっふ~ん。さーて、なに命令しよっかなぁ」
意地の悪いニヤケ面で下唇に指を置いて俺をすがめ見ていた桐乃は、やがてとなにかを閃いたらしい。
「あんた今からあたしの言うことは全部聞くこと。はいこれに決定」
「アホかお前はっ!?」
そりゃ一度は考えたことあっけどさあ。『三つの願い事を叶えてやろう』みたいな話を四つにしろとか永久に願いを叶え続けろとかそういうの。
マジで言いだしてくるやつがいるとは思わなかったぜ!? しかも自分で提案したルールで!
「ゲームの対戦一回負けたくらいで――ってかそんな願い事なんざ普通聞けるか!」
「はぁん? しょっぼい男」
「誰でも言うに決まってっだろ!」
きいいいいいいいい! やっぱ小憎らしいよコイツ!?
桐乃は「それじゃあ」と指をくるくる回してやがて俺を差してこう言った。
「あんた、あたしの背もたれ代わりね」
「意味が分からん」
「いいからほら、さっさと足広げてよ」
いや、『広げてよ』って言われても。ただでさえ二人して同じ向きに炬燵入り込んでて足もぶつかりそうだってのにどうしろってんだ?
意図がつかめずにいたんだが、次の瞬間、俺の疑問は解決した。
「よっと」
隣に座っていた桐乃がケツを上げて俺の太ももの上に乗っかってきやがったからだ。
「お、おいっ!?」
慌てて足を広げる。自然、桐乃は俺の前に座りこむようになる。
ついで背中を、
ポスッ
俺の胸にもたれさせてきた。

「あ~楽チン楽チン」
「楽チンて……、な、何してくれやがんだよ!」
背中から腰までぴったりとくっつき、横で肩を重ねていたときよりもはるかに桐乃の体温を感じる。
俺は恥ずかしさに耐え切れず「よ、よせっ」と桐乃から慌てて離れる。
のが、今までの俺のパターンなのだが――――、なぜか、そんときの俺はそうしなかった。
恥ずかしいのは恥ずかしいんだけど、変に抵抗感を感じることはなく。
素直に桐乃の行動を受け入れていた。
「……人を椅子扱いしやがって」
直ぐそばにある桐乃の耳へ感情を出さないように気をつけながら声を投げかける俺を、
「……負けたアンタが、悪い」
素っ気無く切り捨てる桐乃。
返事にわずかな熱がこもっていると感じたのは俺の気の迷いだろうか。
「それに、おまえが前にいるとコントローラ操作しにくいんだけど」
「そんなん知らない、自分でなんとかすれば?」
なんとかって、どうすんだよ? 両手を上にあげて操作するなんてやりにくいし。
少し考え、俺は一番楽な姿勢を取った。
そろりと腕を桐乃の前へと回す。
「……っ…………」
肩をわずかにピクッと動かしたようだがそれだけだ。なにも文句は言わない。
顔は前を見据えたままだが、でもこいつ、絶対顔赤くなってるよな? てか俺も鏡で見れねえ顔になっている気がする。
俺と桐乃を覆うようになんとも言えない空気が漂う…………。
「き、桐乃」
「な、なによ?」
「えーっと、あ~その。お、おまえって、腰細いな?」
「ばっ! ばか! スケベ! へ、変なこと考えてんじゃないっつの」
「ス、スススケベってなんだよ! ちょっと思っただけだよ、勘違いすんな!」
「ハッ。どうだか。あんたラッキーとか思ってんじゃないの? 匂いとかくんくんしないでよね、キモいから」
「しねーよ!? もういいから、続きすんぞ! 今度こそ泣きっ面にしてやるぜ」
「へーん無理無理。逆に一年分くらいあんたにあたしの言うこと聞かせてあげる。嬉しいっしょ?」
「ざっけんな、ばか桐乃め」
「ばかと言った方がばかでーす。ばか兄貴、ばかばーか!」
「子供かよ!?」
…………ふうぃ。
これで、ちいとは恥ずかしさも収まった、かな?
セクハラかませば、こんな流れになるかと思ってみたんだが案の定だ
てか妹にセクハラ発言かましてる俺って変態?
ち、違うよ、違うんだからね! なんかキマりが悪かったから、それを無くそうと仕方なくなんだからね!?
…………よ、よし。とにかく、気分も落ち着いたところで今度こそ勝利を我が手にだ! いくぞ、俺!

で、対戦開始――!
速攻、桐乃の操作するそっくりキャラkiririnから魔法弾が飛んできた。
防御してダメージを最小限に抑える。
えーと、小技小技と。
俺の電撃妹が右手から短い間隔で雷撃を二度、三度と放出する。kiririnは防御をしながら後退して距離をとった。
ダッシュで距離を詰めずに、小刻みにステップを踏みながら少しづつ間合いを近づけていく。
カウンターを狙っていたkiririnの魔法が飛んでくるが、距離に余裕があるのでかわす。
桐乃は「チッ」と舌打ちしている。
よしよし、攻略情報バンザイ。
冷静に間をとって、さらに出の早い小技でかく乱していく。
「こんのぉ!」
kiririnが焦れて、高速で電撃妹に突進してくる。そのままいっきにダメージの大きい技を繰り出す腹なんだろう。
そうはいくか!
俺は横ステップでひらりと身をかわして、逆にカウンターを入れた。
うまく決まってkiririnはダウン。よっしゃ、追撃のチャンス!
と思いきや、すぐに立ち上がられ、動きを封じる魔法を撃ち出される。あえなく喰らう俺。
「やべ!?」
「よくもやってくれたわね!」
威力の高いハイキックが飛んできてぶっとばされる。
体力ゲージがガツンと減った。
「くっそ! まだまだ!」
またkiririnがダッシュで迫ってきたが、雷撃を連続で浴びせてやると、たまらず動きを止めて防御体勢に入った。
今回はなかなか白熱した戦いがディスプレイの中で繰り広げられている。
付け焼刃だが攻略本読んで良かったぁ! 今までだったらそのまま攻撃されてガリガリ体力減らされてたもんな。戦法が変わったことで桐乃も戸惑ってるみたいだぜ?
お互いにそろそろ体力も残り少ない。ここまできたら、ぜってえ負けられねえ!
「くぅ~この! 当たりなさいよ! バカ兄貴!」
「当たってたまるか! それと誰がバカだ!」
「ばかと言ったらアンタしかいないでしょうがっ。ばかばかばかばかばかー!」
「子供よりひでぇ!? ケッ、こんなバカ妹に負けてられねえな~~!」
「うぎぎぎぎぎ!」「にぎぎぎぎぎ!」
単発攻撃をなんとか確実に防御してしのいでいく電撃妹。じりじりと距離を狭めてくるkiririn。
フィールドのコーナーに追い詰められてしまい、
「こうなったらもう、これでも喰らえ!」
必殺技ゲージを消費してkiririnが稲妻を纏いだした。突進しつつ無数の蹴りを放つ超必殺技だ。受けてしまえば、たとえ防御の上からでも残り少ない体力を全部奪い取られちまうだろう。そうなれば、俺の負け。
そう、そうなっちまえば俺の負けだ。―――だがよ、待っていたぜ! 今この時をっ!
「な!?」
俺の操る電撃妹はパリッと光を発すると、kiririnの背後へと出現する。
今まで使いどこが分かんなくてほとんど使っていなかった、いわゆる瞬間移動技だ。
超必殺技を放つべき相手のいなくなった空間へkiririnは空しく蹴りを繰り出している。
「大技はここぞというときだぜ!」
電撃妹が右手首を左手で押さえ、照準を合わせるごとく腕をまっすぐに目標(kiririn)へ伸ばして青い放電を掌へと集めだす。さあ喰らえ桐乃! こっちの超必殺技『とある妹の超電磁砲』だ!
「いけええええ――――――――――ッ!!」
ズガァアッアアァァンッ! どでかい青い閃光がkiririnへと撃ち出された。

よっしゃ勝ったぁぁぁ――ッ! 勝利ぃぃぃ! 俺の勝ち! 朝っぱらから負け続けだったからチョー喜しいぜ! ひぃぃひゃっほおおおぉぉッ!
どーれ、いっちょ桐乃のくやし涙でも拝んでやろうかねえ、ひっひっひ。
で、勝利に歓喜しながら超必殺技をまともに受けているkiririnがゆっくりとしたモーションで倒れる様を見て、そこで俺は、はたとあることに気が付いた。
あ……、これってkiririnのハダカが見れ、いや見えちまうんじゃ? 沙織が桐乃のスリーサイズまで完全再現して作ったっつう…………。
げ! やべ、またこいつ暴れだす!
ずっと前に額を怪我した嫌な経験を想起して、俺は勝利の余韻をそっちのけに急いで目を手で覆って首を90度以上ひん曲げた。
ディスプレイの方からびりびりとkiririnの服が破ける音。
「み、見てないぞ! 俺は見てないからな!」
クビをおもいっきりひねったまま、まくし立て、それでも飛んでくるだろう桐乃の怒声を専守防衛とばかりに待ち受けたが、
「べ、別に。見ていいってば」
「へっ!?」
み、見ていい? いやいや! そ、それはまずいだろ! 絶対怒るだろおまえ!?
マッパを見ちまったときは問答無用で家を追い出そうとしたじゃん!?
「ほら、いつまであさっての方向見てんのよ。さ、さっさと前向いたら?」
だが、桐乃はさして怒った風な様子ではなく、むしろ照れの混じった呆れた口調で言ってくる。
いやでも、俺おまえのハダカ見ちまうんだぞ? ゲームっていっても。そんなのダ、ダメでしょ?
おそるおそる首を戻して指の隙間からディスプレイを見るとそこには、
「あ、あれ?」
「ぶ、ぷぷぷ。なにその顔っ」
kiririnの服は確かに破かれていた。しかし、その下にあったのはハダカでもなんでもなく。
「た、体操服?」
上は半袖のトレーニングシャツに下は短パンというオーソドックスな体操服姿のkiririnが俺の瞳に映る。
「沙織に頼んで作ってもらったんだぁ。ク、ククク! あんたその顔、あたしのハダカ見れなくてガックリきたとか? うひぃ、超キモぃんですケドぉ~! キャハハハ」
俺が呆けているのをよそに桐乃は爆笑している。
こ、こ――この、このやろおおおぉぉ! こいつ初めっから! だから俺が動揺させようとした言葉にも反応しなかったってことかよ!?
顔がカ――ッと火がついたみてえに熱くなった。
「ひ~ひ~ひぃぃ! チョーウケる! 『み、見てないぞ! 俺は見てないからな!』だって! ぶひゃひゃひゃひゃ! ダ、ダメ! キ、キモすぎてお腹痛ひぃ~っ!
 キキキキキ! や、やだ。可笑し過ぎて死んじゃうんだけどアタシぃ! だ、誰か助けて! キヒ、キャハハハ。ひ~ひぃ、ひいぃぃ!」
勝ってこのクソ妹をサル化させてやろうと思ってたけど、別の意味でキーキー腹をかかえて笑ってやがるよ!?
チクショウ、チックショウ~~~! ひ、人の純情踏みにじりやがってええええ!
「こんの! いつまでも笑ってんな!」
恥ずかしいやらムカつくやらで、俺はバカ笑いを続ける桐乃の口を手で押さえて塞いでやった。
「んむ、むむむぅ! ゃ、やだ! はにふんのよふぉのろスケベ! ガブッ!」
「あ痛ッてっ! 噛みつきやがったこのアマ!」
「フン、ばーか死んじゃえ」と桐乃は悪びれたそぶりも見せない。
なんで勝った俺がこんな目にあってんの? クソゲー過ぎじゃね、現実ってさあ?
「あ~あ~くっそ! あんたなんかに負けるとか、くやし過ぎるんですけどおおおぉ!?」
ひとしきり笑ったあと、今度は負けたことをくやしがり出す桐乃。
ころころと忙しねえなあおまえ。
「なんでよ! おかしいっつうのぉ! あーもう!」
トスンと俺の肩へ頭を預けてきて、ブツクサ耳そばでブーたれている。ふわりと髪の毛が頬に触れて、少しこそばゆい。
「ま、これが本来の実力ってやつだな。キーキー喚くだけの誰かさんとは違って俺はクレバーに戦ってるのさ。こっから先はぜーんぶ俺が勝つと思うから、謝るなら今のうちだぞ?」
さっきのお返しにと桐乃を嘲ってやったら、
「ウザい!」
「いって!」
カリッと耳に噛み付いてきやがった。

「痛い痛い痛い! ちょ! だから噛むのやめろって桐乃!」
「アンタなんか動きが違った。なんで? 教えなさいよ! 言わなきゃ炬燵から追い出すかんね?」
今度は俺の耳をつまんで聞いてくる。
だからどうして俺が出した炬燵をオマエは当然のように所有物にしちゃってんの?
「ったく。あー、オマエがあやせと電話しているときに攻略本読んでたし」
「攻略本? ――あぁぁ~、それあたしのじゃん! なに勝手に読んでんのよ、あたしだってまだ少ししか読んでないのに」
「良いじゃん、ちょっとくらいよ」
「あたしも読む! ってどこにやったのよ?」
「えーとその辺に。あ、ベッドの上だ」
寝転がって読んでて、つい元の場所じゃなく後ろのベッドに置いちまってたんだっけ。
「っとにもう。よっ」
ぶつくさ言いながら、桐乃は体をぐるりと入れ替えて、俺の肩へ片手をついて身を乗り出して攻略本を手に取ろうとする。
「桐乃さん、重いっす」
「な! だ、誰が重いって!?」
「いえなんでも…………」
いかん。失言でこれ以上噛まれたり耳引っ張られたりしたらたまらんわ。おとなしく黙っていよう。
そう考えて俺は桐乃がもぞもぞしているのを見守っていたんだが、
「ッ!?」「ひゃっ」
ぐらりと俺は体勢を崩してしまい、そのまま肩につかまっていた桐乃と一緒に二人して倒れこんでしまった。
「なにやってのよもう、ちゃんと支えててよ」
「す、すまん。い、いいから取るならさっさと取ってくれ!」
いやぁ、そのな。体勢崩しちまったのは不可抗力なんだ。だってコイツが横着して身を乗り出してきたもんだからさぁ。…………顔にちょっと、胸がね。
お、俺が取ればよかったぜ。
「人のもん勝手に別のとこ置かないでよね」
ぶつくさ言いながら桐乃は攻略本を読み始める。目に入るもんだから一緒に読もうとしたら「見んな」だってよ。
けち。
「おまえがそれ読んでいる間、俺暇になるんだけど?」
「蜜柑でも食べてれば?」
そうですか。

さて、それから勝負はどうなったかというと――。
「へへーん、これであたしの何勝目だっけ?」
「あー知らね知らね」
「え~とぉ、10勝までは数えていたけど忘れちゃったな~」
惜しい戦いは何度かあったんだがなぁ。結局あれから一勝も出来なかったんだな、これが。
「やっぱこれがあるべき姿よね。あれー、どっかの誰かさんは全部勝つとか言ってたっけ? ねえ兄貴、誰だっけ? ねえねえ?」
一回負けたことが口惜しかったのか、さっきより更に拍車をかけてネチネチ言ってきやがる。
もうやだ、この妹。
連戦でさすがに疲れたんでこの辺でゲームはやめて休むことにした。桐乃は「ん~」と腕を伸ばして、首をグリグリしている。
「肩揉んでよ」
「あん? なんで俺がそんなこと――」
「さっき言ったこともう忘れた? 負けたほうは言うこと聞かなきゃいけないの。まだ百回以上は命令出来んだからキリキリやってよね」
「しれっと桁一つ水増ししてんじゃねえ! 多くても二十回くらいだろうがっ」
「ほら、さっさとする」
くっそう。しゃあねえが負けは負けか。
それに、こんくらいのこと『人生相談』や『お願い』ごとに比べりゃまだ全然かわいいもんだ。
「言っておくけど、俺も一回おまえに言うこと聞かせれるんだからな」
肩を揉んでやりながら俺は自分にも権利があると主張する。
言っとかんとコイツは素で忘れそうだしな。
「どーせロクでもないこと言う気でしょうが。ん、もうちょっと強く」
「そうだな、おまえ今から俺の言うこと全部聞かなきゃいけないってのはどうだ?」
「アホじゃん? そんなガキみたいなこと却下に決まってんでしょ」
ガキみたいなこと言った自分をもう忘れてんのかよこいつは。
「冗談に決まってんだろ。大切な一回だしな、そのうち思いついたら言ってやるよ覚悟しとけ」
「シスコンのあんたが考えそうなことだけど『お兄ちゃん』とか呼ばせる気じゃないでしょうね? まっ、アタシって超可愛い過ぎる妹だから? 言わせたくなる気持ちも分かるけどね~」
それはおまえ自身がシスコンだからか? だが見解の相違だな。
肩を揉みながら、からかい口調の桐乃に俺は「言うわけねーだろ、んなこと」とすげなく答えてやった。
「なんでよ?」
首をひねって怪訝そうに俺を見つめる桐乃。
「なんでって。――おまえは俺を『兄貴』って呼んでるじゃねえか」
「そ、そうだけど?」
「言葉通りだろ。呼び方なんていちいち気にしねえけど、おまえが俺をそう呼んでくれてんの――、なんか一番しっくりくるんだよ」
桐乃は「おい」とか「あんた」とかぞんざいに言うことが多いが、俺を『兄貴』と呼ぶようになった。
もっとも、小さい頃は別の呼び方をされていたような気がしないでもないが、それは遠い昔の話だ。
ここ何年かで俺たちは兄妹の関係を修復して、再構築していった。その過程で、こいつが俺を呼ぶようになった言葉。けっこう気に入ってんだぜ?
だから俺は、それを変えさせようなんて思うわけないさ。
だいたいコイツが猫なで声で「お兄ちゃ~ん」とか呼ぶ姿なんざ想像出来ねえっつの。呼んだところで「お兄ちゃ~ん(プゲラw)」てな具合だろうしな。
「い、意味分かんないし……」
「そうか?」
「い、いつまで肩触ってんのよ! も、もういいから!」
自分で肩揉めって言ったくせになんだそりゃ。
「あ、あんたがアタシに呼ばれるのを超嬉しがってんのは分かったわ。キモいけど、これからはバカ兄貴ってたくさん呼んであげていいよ?」
「なんでそうなるんだよ、てかバカとかつけんじゃねえ!」
「じゃあシスコン兄貴とか変態兄貴? カ●ビアンコム兄貴でもいいけど」
「いちいち上に変なもんのっけるな!」
「めんどいな~~。せっかく好意で考えてあげてんのに。なんなら満足するわけよ?」
「普通に呼ぶって感覚がおまえにはないわけ――!?」
どう受け止めたら好意になんのよ!? なんか知らんがやたらニヤニヤしながら言ってくるしよぉ。ハッ。ちくしょー、可愛いじゃねえか。
愛らしく笑む妹の顔に、苦虫を噛み潰したように俺はただ苦笑するしかなかった。
冗談を重ねるようなおしゃべりを続けながらなんとなく時計を見やると、いつの間にか昼をけっこうまわっていることに気がつく。
「ゲームしてて忘れてたが腹減ってきたな。下降りてメシにしないか?」
「あ、ほんとだもうお昼じゃん。う? あぇうぅ~、気付いたらお腹空いてきたし」
両手でお腹を抱えている。
そんじゃ腹ごしらえすっかと俺たちは炬燵を抜け出て、一階へと降りていった。

リビングを通ってキッチンへ行き冷蔵庫の中を確認する。
「冷凍ピラフがあるな。ちょうど二人前だし、これでいいか?」
「うん。ほんじゃあっためヨロシクー♪」
そう言ってさっさとリビングの方へ戻っていく桐乃。
へいへい、これも命令の一つってことな。
俺は苦笑しながらピラフの袋を大皿に開けてレンジに入れ、解凍ボタンをポチッと押す。
ぐるぐる回る中身をぼけーと見ながら待つこと数分。
出来上がったほかほかのピラフを持ってリビングへ持っていく桐乃はソファの定位置で体操座りになって、からだを揺すっている。
「う~、寒い寒いぃ。早くあったかくなってよぉ」
ここのエアコン、暖気が出てくるの遅せえからなぁ。
ちなみに今更ながら説明すると、桐乃は上はカットソーのシャツにニットのカーディガン、下は寒い季節だってのにショートパンツとハイソックスといった体だ。
そして俺は――上はパジャマ下はパジャマと未だに就寝姿のままだったりする。
だって桐乃のやつがいきなり起こすんだからさ、着替える暇なんて無かったっての。
一旦ピラフをテーブルに置いて、もう一度キッチンへ行き皿を一つとスプーンを二つ、ついでに麦茶とコップを二つ出してリビングへ戻る。
桐乃は体を丸めたまま…………なにやっとんじゃ、このアホ娘は。
「んむんむ……。あ、熱、熱っ」
皿に顔を近づけて犬みたいにピラフを食べているよ。
「桐乃さん、親いねえからって行儀悪いことしてんじゃないっスよ」
スプーンを渡しながら桐乃を窘める。
普段こんなことしねえのに、なに子供っぽいマネしてんだよ、おまえ。
「だってお腹空いてたんだもん」
やれやれだ。
ちっとその姿が可愛かったからそれ以上何も言わず、桐乃の前へ皿を置き、大皿からピラフを分けようとすると桐乃はそれを制した。
「そのままでいいよ。食器洗うのめんどいっしょ」
「へ? まあ、それでいいって言うなら」
で、大皿に盛ったピラフを二人して食べ始めたわけなんだが、大きめの皿といっても一つなので、必然俺は桐乃の横に座ることになる。
「あ、あんまひっついてくんなよ。食いにくいだろが」
桐乃が密着しているもんだから、スプーンを持っている利き腕を動かすたびにモゾっとした感触がしてなんか……あ~なんつうか、落ち着かない。
……そばに近づきすぎじゃねえか、こいつ?
「お皿一つしかないんだから文句言わないでよね。あっエビちゃん見っけ!」
だから二つ皿出したってのに……。それに、理屈になってないような気が?
そんな桐乃の行動に俺はどぎまぎしたが、数分ほど経って謎が解けた。エアコンがようやく暖気を送り出す仕事を始めると離れたんだよコイツ
寒かっただけかよ!

「あ、そだ! あれまだやってるかな~♪」
と、桐乃はテレビをつけお目当ての番組を観だす。
画面に映っているのはけっこう長寿番組のバラエティだ。毎週女の子たちがファッションやらデートスポットやら、食い物とかの特集をしたりしてる。
たまには観たりするが、今日のはあんま興味沸かねえな。
千葉の全国でも有名な遊園地についてタレントの女の子たちがキャーキャーはしゃぎながらレポートしているのだ。
冬場の幻想的なパレードが最高だとかどうとかさ。
「またこの遊園地かよ。何度も特集してて飽きてこねえのかこんなの」
「あんた、そういうこと言ってるからモテないんだよ。どーせ一回も行ったことないくせに」
「おまえだってそんな行ったことねえだろうがよ」
「あたしはアンタみたいなのとは違うの。たまにあやせたちと遊びに行ってるしぃ」
はーん、いいよな女って。こういうカップル多そうなところでも気軽に行けるんだから。
なんというかさ、世の中にゃ女同士なら行けて男同士だと行けない場所とかって多くね? こう思ってるの俺だけじゃないよな?
「どうしてもって頼むんなら、連れてったげてもい、いいけど?」
「ケッ、誰が。別に遊園地の一つや二つくらい行かなくたって死にゃしねーよ」
「ハ、そんなだからモテないって言ってんの。地味ヅラなんだから少しは積極的に動いたらどうなのよ」
「ほっとけ。んなこと言ったって行きてぇ相手がいないんだからどうしようもねえだろ」
「あー草食系なんだ」
「誰が草食系だよっ」
「言われたくなきゃ、遊園地くらい行こうとか言いなさいよば~か。たかがちょっと遊びに行くくらいの行動も起こせないからダメなんだよねぇ」
オーバーアクション気味に肩をすくめて「は~あ、かわいそかわいそ」とかため息をついちゃってますよ、この妹様は
勝手にどっかの誰かが作った草食系どうたらなんてレッテルはどうでもいいが、ここまで言われて引き下がることなんか出来ねえよな?
「い、行ってやるよ! フン、なに遊園地? 超楽しそうだぜ! ジェットコースターでもメリーゴーランドでもどこでも連れて行きやがれ!」
「そ、じゃ土下座して」
「おまえはいちいち兄を土下座させんと気が済まんのか!?」
もう少し兄貴に対して敬意ってやつを覚えてくれてもいいんじゃねえか、こいつは?
しかし、今の会話……。なんかひっかかんだよな。まるでこれじゃあ……、

「あああ――――――――!」
横からでかい声が飛んできて浮かんだ疑問は掻き消えた。
「今度はなんだよ?」
「そのエビあたしが食べようと思ってたのに! 取らないでよね」
俺がスプーンにすくった残り少ないピラフ(最後のエビつき)の徴発を求めてきている。
そんなこと知らん。
「早いもん勝ちだ」
「命令、それ寄こしなさい」
「うっぐ、卑怯な……」
でももうスプーンに乗っけちまったし。対戦に負けた罰ゲームとしては妥当なところなんだろうが、ただでくれてやるのはなんかくやしい。
ん~と頭を回転させた俺はそこでピーンとちと面白いことを思いついた。
「じゃ、口開けろよ桐乃」
「な、なんで?」
「なんでって、食うんだろ? ほらよ」と、スプーンを桐乃の口元へ運ぶ。
「え!? ちょッ! だ、だって……!?」
おーおー慌てとる慌てとる。
そうだよなぁ、俺からもの食べさせてもらうとかプライド高いおまえには恥ずかしすぎて出来まい。
「どうした? やっぱ食いたくねえのか? せっかく大人しくくれてやろうって俺の真摯な心遣いな・の・に、なぁ~~(ニヤニヤ)」
だてにオマエの兄貴やってきたわけじゃねえから反応なんか、もう分かってんのさ。
このあとはフン! と鼻を鳴らして「ウザ! いらないっつのぉ!」といった展開が目に浮かぶぜ。そして俺がまんまと食べれるってわけさ。
ぶっちゃけそこまで食いたいってワケじゃないし、本心を言えば素直にあげてもいいんだけど、こいつが欲しがってんの見てたら、なんか惜しくなってきたんだよ。
「こ、この! うににに!」
俺の作戦は功を奏しているようで、桐乃は歯噛みしたり顔を膨らませたりしながら俺とスプーンを睨んで、しきりに目をキロキロ動かしている。
言ったらキレられるだろうが、罠じゃないかと疑って目の前のエサを取って良いのか悪いのか本能と理性の間で悶えている小動物を見ているようだ。
「なんだよ、いらないみたいだな。なら俺がもらうかんなー」
ははは。ざまあみろだ。
と思っていたら――さっきまで顔膨らませていた桐乃からまた命令が下った。
「食べてあげる。ただし、あんた『どうぞ、お召し上がりください桐乃様』って言うこと!」
「な、なんだと!?」
思わぬ反撃を食らって逆に俺がうろたえる。
「冷めちゃうじゃん。さっさとしなさいよこのダ召使いは」
そう言って桐乃は口を開けて目を閉じた。
無理やり立ち居地変えてきやがったか、くそっ! ダ召使いってなんだよダ召使いって!?
さっきまで俺が優勢だったのにこんなんねえよ!
うぐぐぐ。
上手く形勢を逆転させる方法を考えたが何も出て来ず。
ええいままよ! と俺が考えなしで口にした言葉は爆弾だった。
「き、桐乃。い、いいのかそんなこと言って? 言葉でどう言おうが、兄貴である俺からあ~んしてもらってるんだぜ、オマエ?」
ドカーン! 桐乃の顔が真っ赤になる。閉じていた目を見開いてわなわなと羞恥に身を震わせる。
お、やった。効果あり!
と思った瞬間、
「あ、あんただって! 妹に口開けろって言ってあ~んさせようとするなんて。……あ、あーあーこれだからホント変態は困るっつうのー」
ドガン! 自分にも返ってきて爆発した。首まで赤くなっていく俺。
お、おおおおおおおお!? 俺のアホォォ、自爆じゃねえかよこれええぇえぇぇええッ!
そのまましばし俺と桐乃は茹で上がっていたが、やがて桐乃が「…………は、早くしてよね」と言うので、結局桐乃の命令どおりに、
「ど、どうぞ。お召し上がりください、桐乃……様」とぼそぼそ呟きながら桐乃の口へとスプーンを運んだ。
「あ、あー美味しかった! 召使いのあんたには嬉しいでしょ? ご、ご主人様が食べてあげたんだから。泣いて感謝しなさい」
テレの混じった表情で桐乃は嬉しそうに笑う。まだ顔が赤い。
そんな妹にフンと俺は鼻を鳴らしてそっぽを向き、皿に残ったピラフをかっこんだ。

――メシを食い終わって、麦茶を飲みながらテレビを観ていたんだが、番組も終わり、そろそろ部屋に戻ろうかってことになった。
「あたしが片しておくから、あんた先に戻ってていいよ」
「え?」
意外な言葉に耳を疑う。てっきり片すのも俺に押し付けるもんだと思ってたのに。
「なによ、おかしいっての?」
「いや、そんなこたあねえけどよ。――んじゃ任せたわ」
「うん」
せっかく片付けてくれるんならってことで俺は先に部屋へと戻った。
桐乃が戻ってくる前にパジャマを脱いでセーターとジーンズに着替え、ノーパソでサイト閲覧していると桐乃が戻ってきた。
「あ~寒かった」
俺をギュっと押し出すように炬燵に入り込み横に座る。
「片付け、サンキュな」
「別に。お皿とスプーン洗うくらいだったし」
「そっか。んで、どうする? またシスカリの続きでもやんのか?」
「ん~。それはもういっかな。ちょっとサイト巡回したいしね」
マウスを俺からひったくるとカチカチとブックマークを呼び出す。
そういやこいつって普段どんなサイト見てんだろうな。興味をそそられたので俺は桐乃のサイト巡りを観察することにした。
最初にブラウザに表示されたのはどこぞのファッションブランドのネットショップ。
アクセサリーなどがサムネイル表示されている。
「うーん、まだ新着アイテム出て無いなー。そろそろ出てもいい頃なのに」
「他にもめちゃくちゃあるじゃん。それじゃダメなのか?」
横にツリー表示されているカテゴリ欄には『ピアス―422件』とか随分種類があるみたいだ。
「気に入ったのがあればそれでもいんだけど、やっぱ新作の方がデザインいんだよね。ここのデザイナーさんがさ、超良いセンスしてんの。新作出てもすぐ売り切れちゃったりして?
 ブランドで選ぶこともあるけど、ここのはガチで良いからチェックはかかさないようにしてんだー。渋谷とか直接お店で良いの見っけることもあるけど、基本はネットで調べんの。
 この前なんかさ、ネット予約限定ってのがあって50個しか作られなかったやつがあんだけど、ホムペに出て一分もしないうちに予約埋まってんだよ、スゴクない?
 あたしの友達の中にも欲しがっている子がいて諦めずにキャンセル待ちとかしたらしいけどダメだったって」
聞いていないことにもすんげー勢いで口を動かしてるよ。
まったく、男の俺に女モンのアクセサリーなんか話したって意味なくね? 俺が「キャー欲しい」なんて気持ち悪いこと言うわけないのに。
だが、そんな興味が沸かない話を耳元で聞かされても俺は辟易とはしていない。
なんてことはない、黒猫や沙織といっしょになってアニメとかの話題でさんざ盛り上がっている時と同じだからだ。好きなもんに夢中になって、楽しく語ってるのを聞いていると、だんだんとこっちの気分までそうなってくる。
あんまり長いとさすがにアレだけどな。
相槌を打ちながら話しているうちに、お次はヘアーカットサロンのページが出てきた。
「おまえってあんま髪型変えんけど、いつもどこで切ってんだ?」
駅前の散髪屋――なわけないよな? きっとこだわりの美容院みたいなとこ行ってんだろうぜ。
「色々。友達とか、評判聞いたりして毎月変えてるかなー」
「毎月って……。そんな伸びるわけでも髪型変えるわけでもないのにか?」
「うっさいなー。あんただって全然ヘアースタイル変えないよね。その地味カットにこだわりでもあんの?」
「誰が地味カットだよ!」
「横にハネッ毛してんのそのまんまにしてるしー」
「おまえだってハネてんじゃん」
「し、仕方無いじゃん! ドライヤー当てたってハネちゃうし、ここだけ固めるのも変だし!」
俺と桐乃って生まれつきなのか知らんが髪が少々ハネているんだよ。似てない似てない言われる兄妹で唯一共通点といえるところかも知れない。
……ハネッ毛が似ているってなによ? どうせなら顔とか似てくるもんじゃねえの? そうすりゃ桐乃もイケメンの俺に似て可愛く………………すまん、言ってみただけ。
「でも、兄貴って割と毛並みはいいよね、サラサラしてるし」
言いながら俺の髪を引っ張ってくる。イテえからやめろっての。

「まさかシャンプーあたしの使ってないでしょうね?」
「使ってねーよ。いつものお徳用シャンプーだよ! 女じゃないんだから髪の毛に気なんか使わねえし」
「それはそれでムカつくんですケド~。こっちが努力してんのにこんな……。くぅ~なんか腹立ってきた!(くい、くいくい!)」
「髪が抜けるからやめれって。どうしてそんな理不尽なこと俺にすんの、もう!」
「この! このぉ!」
おまえ腹立ってないだろ! 半分以上面白がってイジってるだけだろ!
「いいじゃねえか! おまえの髪の方がすげー綺麗なんだからさ」
「ま、まあね。あ、あたしほどの髪になると? 他と全然違う? みたいな?」
今度は自分の髪を一人で絶賛しだした桐乃。
てか、なんか照れてないか?
あ、今俺こいつを、『綺麗だ』って褒めたからか。
……ま、まあそう思ったんだから仕方ねえだろ。見てくれだけはこいつ超可愛いし? 兄の欲目もあるが、妹ってところ除けば正直俺の知り合いの中ではダントツ……みたいな?
うん、見てくれだけ……はな。そう、見てくれだけ。
「いくら綺麗だからって、勝手に触ったりしたら許さないからね?」
「だ、誰が!」
ぽりぽり頬をかいていると桐乃はまた別サイトを見出す。今度はネイルアートの紹介をしているブログのようだ。
あーこれは俺にはマジで分からん世界だわ。いや、爪に色塗ったくるのはなんとなくだが分かる。
しかしよぉ、だってあれだぜ? 爪に色塗るだけじゃ飽き足らず、絵を描いたりやら、ビーズやらなにやらつけて三次元にゴテゴテしたもん爪の上に作りあげるわ。
長いと数時間かけて仕上げたりもするらしい。
「手ぇ洗ったり、歩いたりして落ちちまったらどうすんのこれ?」
「は? それくらいじゃ落ちないようになってるし。歩くときも気をつけてゆっくり歩けばいいじゃん」
「足のマニキュアの為にゆっくり歩くって……。う~ん俺にはよく分かんねえ」
「足のはペディキュアって言うの。あんたもしてみればいんだよ」
「ちょっと待ってて」と桐乃は止める間もなく部屋を出て行く。
おい桐乃。
まさか俺にマニキュアだかペディキュアだかをさせるつもりかよ!? エロゲーみたいに俺をそっちの世界に連れてく気じゃないだろうな?
一瞬、自分でマニキュアを塗る姿を想像。
……おええええぇ~。
「お待たせっ」
手に何種類かのビンを持って桐乃が戻ってきた。
「ちょ! 桐乃さん、俺男なんすからそういうのはやっぱやめません?」
「ヤダ、するもん。逆らってもダメだかんね、まださっきのゲームの負けた分、言うこと聞いてもらうから」
するもんて可愛い声出しても、その超意地の悪そうなウス笑みで台無しだよ!
嫌がってジタバタ抵抗する俺の腕を桐乃は無理やり両手で掴み、ダンと炬燵の上に持っていく。
うう、俎上の鯉にでもなった気分だ。
「動かないでよ、服に付いちゃったら落とすの面倒だし」
それなら初めからマニキュアなんてしないでおく案を一考してくれまんかね?
「なんかゴツゴツしてない? 血管浮いてるし、気色わるー」
浮き出ている血管を押したり、指を摘んで酷いこと言っちゃってるよ。
「男なんだからこんなもんだよ」
「ふーん、まいいや」
すげなく言いいながら、マニキュアのビンを開けてフタについていた筆で俺の爪を塗り始める。
「出来上がるまで見ちゃダメだかんね。あっち向いてて」
「はいはいと」
もう好きにすればいいじゃない! 俺の気持ちなんて考えてくれたことないんでしょ!
そんな安いメロドラマのヒロインみたいなこと考えてる横で、桐乃は「~♪、~~♪」と鼻歌を歌いながらマニキュアを塗りつけていく。
俺の手を引っつかんで、筆を爪になぞらせるたびに、なんかくすぐったいやら気恥ずかしいやらで、身の置き所に困る。
「なあ桐乃。あんま凝ったようなモンにはしなくていんだぞ」
「ん~? 大丈夫大丈夫」
ほんとかよ?  まぁ始めちゃったモンはしょうがねえ、野となれ山となれだ。俺は苦笑いを浮かべて観念した。

やがてマニキュアが完成。
「うん、けっこう良いかも! 速乾性だからもういいよ」
「ああ」どんな風に出来たのやら。男の俺が綺麗に爪塗ってもしゃあねえじゃん。とは思うものの、ちょっとだけドキドキしながら俺は指の先に視線を合わせた。
で、桐乃作のネイルアート、俺のマニキュア初体験の感想はと言うと。
「…………桐乃さん? なんすかこれは?」
「ププっ、似合ってるよ『ばか兄貴』。くひひひ」
そこには爪をピンクで下塗りされた上にキラキラとラメの入った赤色で小指から一文字づつ『ばか兄貴』、そして親指に『(^┰^)ベ~』の顔文字。
ほっほう、ばか兄貴とな? そうかそうか。桐乃? オマエが一生懸命描いてくれたこのネイルアートはとーって俺の心に響いたぜ?
特に! この無駄に可愛い顔文字が俺のこめかみにダイレクトアタックだよ――ッ!
「おま! なんってことしやがる!」
「キャハハ、似合ってるよ? 嬉しい?」
「嬉しいわけあるかあああ!」
「ベースコートだってちゃんと使ってあげたよ?」
「誰も出来のことなんて聞いてませんよ!? こ、これどうやって落とすんだよ? 洗っても落ちないんだろ?」
「何度か洗えば落ちるけど、除光液でちゃんと落とさないと爪に悪い」
「それ寄越せ!」
「どうしよっかな~? 明日までそのままでいればぁ?」
八重歯を見せて悪ガキみてえに笑ってやがるよ!
「こんのアマ!」
「まーまー。そこまで言うなら? 土下座したらちゃんと落としてあげるか――あふっ!?」
おイタが過ぎた妹へ制裁を加えてやったね! 両の頬をつねってやった。
「あいへへ! は、はにふんのよ!」
だが、すぐにやり返してくる負けず嫌いな桐乃。
「いはいいはい! おはえが俺であそふかららろうが!」
「あとふぇ落としふぇあげるって言ってんふぇひょうがぁ! このふぇんたいぃぃ! 妹あいふぇになにひゅんほよクソあにひぃぃ!」
「はんはとぉ? あふぉいもうふぉおぉ!」
で――、そのまま呂律の回らない舌で口ゲンカすること五分弱。
さすがに疲れてきたのでお互いに手を頬から離した。
おーイテ。こっちは少し加減してやったのに、おもいっきりつねんなよなぁ。
「はぁはぁ……。後でちゃんと落としてくれよ、ったく」
「初めから言ってんじゃん。――もう、あとになったらどうしてくれんのよ!」
頬を両手で押さえながら、んべ~と舌を出してくる。
「強くはつねってねえだろ? 俺の方が――見ろよ、これぇ?」
ジンジンする頬を桐乃に指差して見せる。鏡見てねえけど絶対赤くなってるよ。
どうだ? 少しは反省するか?
「ねぇ、それよりアタシ喉渇いたんだけど」
「…………」
もうつっこむ気力も沸いてこねえ。
ジュースは飲んでしまっていたので桐乃は蜜柑を取り、そして俺の前に差し出す。
「それ――」
「『剥いてよね』、だろ?」
ため息をしながらセリフを代弁してやると、桐乃は目を一瞬丸くしたが、すぐにその丸目の尻を下げてきた。
「分かってきたじゃん」
「ケッ。でもゲームの負け分はそろそろ尽きるからな」
「そうだっけ? じゃ、今度また増やしてあげる」
「ぬかせ」

蜜柑の皮を剥きつつ、俺はさっきまでのケンカはどこ行ったんだろうなってことを考えてたよ。
「あたしたち、さっきまでケンカしてなかったっけ?」
どうやら兄妹して同じようなことを考えていたみたいだ。
口の端を持ち上げつつ「確かにな」と俺は答えた。
実際、怒っていたのかさえ分からん。『ケンカ』なんて言葉を出したが、イタズラした桐乃にちょいとイタズラし返したってだけなのが正解な気がする。
その証拠に、俺の口は今も緩やかな下弦を描き続けている。
どうしたんだろうな? 今日の俺と桐乃は。おかしいってくらい仲が良すぎだ。
今まででも桐乃とは話もしたし、どこかへ出掛けたこともあった。振り回されたりもしたが、それはそれで悪くない思い出だ。
だけど今日はどこかに遊びに行くわけでもない、黒猫や沙織たちと集まってわいわい過ごしているわけでもない。
ずっと二人、妹と家にいた。
ただそれだけなのに殊更……。
「あ、そうだ。アンタにこれまだやらせたことないっしょ?」
デスクトップにあるショートカットをクリックしてエロゲーを立ち上げ、見せてくる。
「ねえな。最近出たやつか?」
「うん。短くて三時間くらいで終わんだけどさ、けっこう面白いんだぁ」
立ち上がったウィンドウを囲うようにカーソルをくるくる回して桐乃は頬を緩めながら言う。
ふーんとすげなく答えつつも、俺はまたうるさく桐乃とゲームすることに想いを巡らせていた。

そんな時だった。一本の電話が俺の携帯にかかってきたのは――

着信を知らせるメロディが俺の携帯から鳴り出した。
剥いた蜜柑をそのままに、俺はわきへ置いていた携帯を手に取る。
液晶画面を見ると――お、なんだ麻奈実じゃん。
「ちょっとわりぃ」
蜜柑に手を伸ばしている桐乃にことわり、炬燵を抜け出し部屋を出てから受話キーをプッシュした。
「もしもし」
『あーきょうちゃ~ん。こんにちは』
「よぉ、相変わらずのんびりした口調だなおまえ」
『むぅ、そんなことないもん。きょうちゃんひどいよ』
「はは、わりわり」
『も~怒っちゃうんだからね、わたし。ぷんぷん』
擬音を口にしながら麻奈実は怒っているんだぞとアピールしてくる。しかし全然迫力ねえよな。そこが麻奈実っぽいっちゃ麻奈実っぽいんだがよ。
『はっ。そうだきょうちゃん、今家にいるの?』
怒る(?)のをやめて、麻奈実は質問を投げかけてきた。
「おう、いるぞ。なんか用があったのか?」
『うん。用ってほどじゃないんだけどね。きょうちゃん、ずいぶん前のことだけど、わたしにCD貸してくれたじゃない?』
「そういや貸してたな。良かっただろけっこう?」
『うん、聴いててほんわかしてきちゃったぁ』
メタル系の音楽CDを貸してたはずなのになぜほんわか?
『それでね、今スーパーにお買い物出るところなんだけど、行く途中できょうちゃんちの近くを通るから、きょうちゃんが家にいたら返しに行こうかな~って』
「なんだ、別にわざわざ返しに来なくてもずっと持っていてもいいのによ」
『うん、でもちょうど思い出したところだし返せると思ったときに返しとかなきゃ忘れちゃいそうだから。その、行っても大丈夫?』
「そういうことなら。スーパー行くんなら少し回り道になっちまうだろ。近くまで行ってやるよ。俺の家行く角あんだろ? その辺で待っててくれ」
『そう? それじゃあわたしも待ってるね。えへへ』
「ああ、じゃあ後でな」
通話を終えて、ドアの隙間から炬燵にいる桐乃へ一声かけた。
「ちょっと出てくるわ。すぐ戻ってくるから」
「――――え!? ちょ、ちょっとあんたっ!」
なんか驚いたような声をあげていたが、俺はかまわずドアを閉め、そのまま玄関へと向かった。
俺はそのとき、桐乃がどうして声をあげたのか省みようとしなかった。
ただちょっと。
そんな軽い気持ちで桐乃を部屋に残して、家を出た――。

家を出て待ち合わせの場所へ向かうと、麻奈実のやつは既に来ていたようだ。
「きょうちゃ~ん」と手を振っている。
「手なんて振らなくても分かってるって」
そばまで駆け寄り話しかける。
「えへへ、そっかぁ。あ、忘れないうちに。はい借りてたCD。ありがとね、きょうちゃん」
「あいよ、確かに」
物の受け取りだけじゃあれなんでと、それから俺と麻奈実は少し世間話を始める。
「スーパー行くって言ってたよな。今日はおまえんち何にするんだ?」
「え~っとねえ、コロッケとカキフライにしようかなって思ってるんだ」
「『思ってるんだ』ってお袋さんじゃなくおまえが作んの?」
「うん」
「へ~、お袋さんの料理も美味いけど、おまえのも負けず劣らず美味いからなぁ。今度また食わしてくれよ」
麻奈実の手料理はしばらく食ってないもんな、うちのお袋のカレーは食い飽きたし。
たまに田村家の家庭の味が恋しくなるよ。
俺が料理を催促したことが嬉しかったのか、麻奈実は髪の毛を手で押さえて撫で付けている。
「じゃ、じゃあ今度、また時間あるときにうちに寄ってきょうちゃん。きょうちゃんの好きなもの、たんとこしらえてあげる」
「それはありがてえ」
「うふふ。きょうちゃんが来てくれたら、ロックやおじいちゃんたちも喜ぶよきっと」
「ロックのやつはまだ五厘刈りのままなのか?」
「うん、なんか髪乾かす手間が省けるって気に入ったみたい」
「はは、本当のスキンヘッドにしたらそれこそ髪乾かす必要もねえんだがな」
「あと、きょうちゃんのCD聴いて『やっぱメタルは最高だぁ! ヒャッハア~』とかはしゃいでたよ」
すぐ影響受けるやつだな。洋楽熱は英語の成績が悪くて冷めたと思ってたんだが。
ロックの未来がなんとなく不安に思えてしまう俺だった。
さらにひとしきり雑談していると、麻奈実が何かに気付いたような表情を見せた。
「あれえ~? きょうちゃん、手がなんか汚れていない?」
「え? どこがだ?」
「ほら、そこ。爪の辺り」
手の甲を麻奈実に見せながら自分の爪を確認してみると『ばか兄貴』の文字。
うおっ! しまった! すっかりマニキュア塗ったままなの忘れてた!?
「なにが付いているのきょうちゃん」
麻奈実が横に回り俺の爪を確認しようとしてくる。
やべ! 急いで手をからだの後ろに回す。こんなもん見られたら訳を説明するのもめんどうだし、からかいのネタを提供するだけだ!
「や、なんでも、なんでもねえよ! ちょっと絵の具が付いてただけでさ」
「絵の具? きょうちゃんお絵かきでもしてたの?」
頭を横にかしげる麻奈実。
「そ、そうなんだよ~う? 勉強の合間に――な。そう気分転換、気分転換にちょっと童心に返って絵でも描いてみようって思ってよ」
「ほえ~そうなんだ」
あまり納得していないようだが、とりあえずこれ以上追及はしなさそうだ。
「それより、そ、そろそろ買い物行かなきゃいけないんじゃないか? 夕飯にまにあわなくなっちまうぞ?」
「あ、そうだった。えへへ、つい話し込んじゃったね。それじゃそろそろ行こうかな」
「おう、頑張ってエビフライ作ってくれ!」
「コロッケとカキフライだよ?」
「だ、だったな! はは。コロッケとカキフライ! うん、がんがん作ってくれ!」
「うん、それじゃあねきょうちゃん」
「ああ、またな」
挨拶を交わして麻奈実はスーパーの方向へ歩いていった。
あーやばかった。なんとかごまかせたな。額の汗を拭いつつ、麻奈実の後ろ姿を見送った。
……ふぅ。そんじゃ俺も家に戻るか。
携帯も時計も持って出なかったんでどれくらい時間が経ったのか分からないが、二十分くらいは経っている気がする。
桐乃にはすぐ戻るといっておいたから、怒っているかもしれんしな。

麻奈実と別れ、家に戻った俺はそのまま自分の部屋へと直行した。
まだコートがいるってほどの寒さじゃねえけど、けっこう立ち話してたし、からだが冷え込んじまったよ。
ドアを開けて中に入ると、桐乃はノーパソをたたみ、その上に雑誌を広げて読んでいた。
「あー外寒いな、やっぱ」
言葉をかけつつ炬燵へと入り込む。
家を出る前と同じ場所は桐乃がすっかり真ん中に移動していた為スペースが無くなっており、体を落ち着けたのは、はす向かい。
「それアニメ情報誌か? 面白いのがあったら俺にも教えてくれよ」
桐乃や沙織たちに比べればまだまだだが、それでも俺はだいぶアニメを観るようになってきた。
いや、半分以上はやっぱ性に合わないもんばかりなんだけどさ、たまにかっけえくて熱いストーリーのアニメもあんだよ。そういうの観ているのは正直面白い。
それに、こいつらとの話に混ざりたいってのもあるしな。
「……………………」
あれ? 聞こえなかったのかな? 絶対、ゲリラ豪雨のようにどばどばアニメの話をしゃべりだすと思ってたのに……?
もういちど言おうと俺が口を開きかけたとき、ようやっと桐乃の口が動いた。
「……あんた――――今まで何やってたの?」
「え? いや、何って」
紙面から目を離さず、事務的な口調で言われたもんだから少し面食らう。
「麻奈実のやつに貸してたCDを返してもらってたんだよ」
「あーそう。それだけにしては随分遅かったみたいじゃん」
今度は少し苛立ちが言葉に混ざっている。
こいつ、遅くなったのをやっぱ怒ってんな?
まあすぐ戻るって言ってけっこう長い時間あけちまった俺がわりいか。さっさと謝っちまおう。
「すまん! こんな遅くなるとは思わなかったんだって。麻奈実と会ったの久しぶりだったし、つい話し込んじまっててさ。悪かったよ」
「ふん、地味子と地味話してたってわけ? 寒い中ご苦労様」
掌を縦にして謝ったが、聞いてないという風に小馬鹿にしたことを言う。
「…………ああ、ちょっとな」
正直、麻奈実を蔑むようなことを言われて少しムッときたが、帰ってくるのが遅れてしまった負い目もあることだし抑えた。
これまでも桐乃は麻奈実に対して明らかに嫌ってる態度だったし、何度も地味子だとか地味眼鏡と呼んではいるが、俺はその都度眉をひそめて窘めている。
桐乃もそのことを分かっているから、『はいはい、ゴメ~ンね』とか言ってくるだけだ。今のも俺が怒るだろうって分かるはずだが、ついポロっと出た感じなんだろう。
いつのまにか桐乃も、そんなこと言い出すこと自体無くなってきていたしな。
いちいち怒っていてもしゃあねえ。
「地味子とか言ってんなよ」
軽い感じでクギを刺す。これであとは桐乃が軽くフンと鼻を鳴らすか、ちょいと憎まれ口叩いておしまい。
いつもの流れ、いつものパターンだ。
そう、いつもはそれで終わるはずだった――。
「地味子は地味子でしょ。あんな冴えない地味女と話して何が楽しいんだか。ハッ、しょぼいあんたにしか分かんないだろうけどぉ~」
な!? ――こいつ!
「だから、麻奈実のこと悪く言ってんじゃねえよ」
「本当のこと言っただーけじゃん。なにキレてんの? バッカみたい」
「本当のこととか、まあそうだけど! チッ、いちいち突っかかって来てんのはどっちだよ」
「つっかかってませんけどぉ~。ブス専フェチだからって熱くなんないでよね。あーキモ」
頬杖をついて冷めた態度を見せてはいるが、それとは裏腹に桐乃はなおも俺を挑発する言葉を吐き続けた。

カッとなり俺は桐乃を怒鳴りつけた。
「ああ!? 今なんつったてめえ! ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!」
「なに凄んでんの? 気持ち悪っ!」
「だったらつまんねえこと言うんじゃねえよ! 俺があいつの悪口言われんのキライなこと知ってんだろうが!」
「あんたのことなんか知るかっつ――の――――ッ! アンタと地味ヅラ眼鏡のこともね~~!」
まるで憎悪の対象のように桐乃は目を鋭くさせて俺を睨んでくる。
なんだよ……これは……?
さっきまで、機嫌良かったじゃねーかオマエ。それがなんでそんなこと言うんだよ?
麻奈実と話してて遅れたのが気にくわないってヘソを曲げるのも分かる。理由は知らんが麻奈実のことをあまり良く思っていないのも分かる。だけどこれは…………。
いつもとは違う。
俺は桐乃の態度に違和感を感じとっていたが、それが何かを吟味するよりも怒りが先に立っていた。
マニキュアで言いあいをしていたのとはわけが違う。
俺の頭を支配したのは本気の怒りで、奔流のように流れてくる感情に任せて俺と桐乃の怒声も更に大きくなっていった。
「いい気になってんなバーカ! お情けであんたと遊んでてあげてんのにさ!」
「寝てるとこてめえが無理やり起こしやがったんだろうが! こっちはいい迷惑なんだよ!」
「はぁ? それにしては随分喜んでたみたいだけどねぇ!」
「かっ、誰が! 一人で本でも読んでた方がよっぽど楽しいっつの」
桐乃の鋭い眼光が俺を突き刺すが、俺も負けてはいなかった。目の前が赤くなるほど怒りの炎を宿して桐乃の顔を射る。
バカだのアホだのって言葉には痛々しい棘をはらみ、おまえみてえなアマ相手にすんの疲れるだの、ウザいからさっさと死ねだのと言葉の刃でお互いを斬りつけあう。
罵りあいはエスカレートしていき、やがてこんな終わりを迎えた。
「たかがちょっと出かけたくらいだろうがっ。いちいちうるせんだよ、おまえは!」
「たかが!? あんた…………、あたしに何したか分かってない! 全然分かってないッ!!」
「あー分かんねえな。俺がなにしたってんだよ? ちょっと物返してもらいに行ったくらいじゃねえか。それをどうして文句言われなきゃならねんだよ、筋合いなんかねーだろ! おまえには、関係ねえことなんだしよぉ!」
俺が吐き捨てるように言うと、桐乃は絶句して顔が一瞬白くなり、ぶるぶると体を震わせだした。
「………たが……」
「なんだよ?」
「……たが言ったんじゃん……。あん…が、……しいって……アタシと………いて…し…って…………」
奥底から搾り出すような声だった。
しかしその声は僅かな断片でしか無く、言葉として理解することが出来なかった俺は、桐乃の心を推し量ることもなく冷たく言い放った。
「聞こえねーよ」、と。
桐乃が爆発するように叫んだ。
「アンタが…………ッ、アンタが、アンタがアンタが――――――――ッ!!」
部屋が揺れるほどの語気を俺にぶつけ、次いで炬燵の上にあった蜜柑を掴んで俺の顔に思いッきし投げつけてきた。
とっさに手で庇うが蜜柑は俺の顔には当たることはなく。
顔をかすめて後ろへと飛んでいき、ベシャッと壁にぶち当たってころころと転がる。
「てっめ! 何しやがる!」
睨みつけた桐乃は肩を震わせて、はぁはぁと息をしている。目を吊り上げ、眉間をひどく歪めて俺を見据えていた。
ただ、それは怒っているんじゃなく、泣きそうなのを必死にこらえているようにも見えた。
いや、ようにじゃなかった。桐乃の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「…………………………ぎッ……!」
服の袖で落ちる涙を拭った桐乃は、何かを噛み砕くように歯を食いしばる。
また怒鳴り散らすかと身構えたが。
桐乃はバッとからだを翻して、炬燵布団を頭までかけて横になってしまった。
「………………」
チッ! なんだよ! 一方的に俺が悪いみたいに言ってきやがって! おまえがケンカ振ってきたんだろうが!
泣けば済むとでも思ってんのかよ、このクソアマ!
どろどろと胸糞悪い気持ちでいっぱいだ。
叫び過ぎたんで喉が渇いたが、炬燵の上に置いていたジュースはとっくに空になっている。
くそっ。
ここには居たく無い思いも手伝って、俺は喉の渇きを潤そうと部屋を出て行った。
ダン! とドアを叩きつけて。

冷蔵庫からペットボトルのコーラを取り出してリビングのソファへどかっと座り飲む。
炭酸の喉越しがやけに喉にまとわりついて嫌な感触がした。
麦茶にすりゃ良かった。
部屋での怒鳴りあいで鬱積したイライラが収まらず、テレビをつけザッピングしていくが観る気も起きずにすぐに消す。
「あ゛あ゛~~~~っ! くっそ! なんでこうなんだよっ!」
ふざけやがって! 麻奈実のことをよく思っていないのは知ってるが、だからってアレはねえ。麻奈実は俺の幼なじみだ。
「それをバカにするように言いやがって! チッ、ムカつく!」
バカ桐乃が、ヒステリーみたいに喚きやがって! 一方的に文句垂れてさあ! 俺がなんでもはいはいと頷いてるとでも思ってんのかよ、くそったれ!
俺はまだ高ぶっている感情の捌け口を求めて心の中で桐乃を一方的に指弾した。
なんども、なんども。
だが、頭のどこかで別の自分が「ほんとにそうかよ?」とも問いかけてきている。
だって俺が何したよ? 俺はただ麻奈実と電話して、CD返すって言ってきたから少し家を空けた。ちっと遅くなったが戻ってきたじゃねーか。忘れて遊びに行ったとかじゃねえよ。
それがそんなに気に食わないことだったってのか? どうなんだよ俺? 答えてみろよ!
「……ケ、あほらし」
自分と問答したってしょうがねえだろ。
とにかく桐乃は俺が怒って当たり前のことを言ったんだ。それ以上に何があるってんだよ……
チィィ、くっそ! くそ! しばらく不貞寝でもしてるか。
盛大に舌を打ってからソファに横たわり目をつむる。
腕枕をしてしばらくみじろぎせずにいたが、
…………………………………………。
「眠れるわけねえじゃねえかよ……」
どうしてだ? どうして桐乃は怒っている!? なんでケンカになると分かっているのに怒らせるようなことを言ってきたんだ?
すぐに戻ると言ったのに遅くなったからか?
――いや、違う。
さすがにそれだけであそこまで機嫌を曲げるとは考えにくい。
新作のエロゲーしようって言ってたな。すぐに始められなかったからとか?
――違うだろ。
もうクリアしたっぽいこと言ってたしな。
じゃあ、あれだ。麻奈実のことが気に食わないから俺が麻奈実の話をしてて怒った。
――これも、違う気がする。
地味子だとか言って気炎を上げていたが、これまでもそんなことはあった。けど、あそこまで感情を剥き出しにすることはなかった……と思う。
もろもろ全部が気に食わねえ? 遅れて帰ってきたのも麻奈実と話してたのも全部。
うーん、どうもしっくりしない……。
「はあ、分っかんねえな」
ため息を吐きながら、俺は桐乃のことを必死に考えていた。
あんだけムカつくことを言ってきたやつなのに。
なんでだろうな?
「……なんでだじゃねえ。だってよ……、ついさっきまで、ほんの一時間前まで、………………あいつといて、楽しかったからじゃねえかよ」
ムカつくけど、イライラすっけど、確かに俺と桐乃は楽しく笑っていたから。
ふと、手の先に目線を向ける。
そこには桐乃が笑いながら、俺をからかいながら塗ったマニキュアがあった。
『ばか兄貴』って文字とあっかんべーをしている顔文字。
もう一方の手でそっと爪をなぞる。
塗られた時は、ざけんなって思ったのに、イタズラして仕方ねえやろうだって思ったのに――、今はバカみてえに俺の胸を締め付けてくる
時間を見ると三十分ほど経っていた。
頭を掻きながら少しばかり苦悶したのち、俺の足はソファから立ちあがって、自分の部屋へと向かっていた。

――部屋のドアを開けるとき、自分の部屋へ帰ったかもと脳裏をかすめたが、桐乃はまだそこに居た。
さっき俺が出ていったときのまま。炬燵布団を被って横になっている。
窓は閉めきっていたのに、部屋が冷たい空気で満ちていた。冷たいと感じるのは温度だけが原因でもないのだろう。
静かにドアを閉じて、炬燵に入りこむ。
…………さて、どうしよ?
考えなんか持っちゃいなかった。とにかく衝動的に動いてここへと戻ってきたわけだが。
勝手知ったる自分の部屋だってのに俺は落ち着きなく眼を走らせて部屋の様子を窺う。
床に転がった蜜柑が目に付いたので拾い上げた。さっき桐乃が俺に全力で投げつけてきたやつだ。
目標に当たることなく壁に激突した蜜柑は、中の果実が皮を破って飛び出してはいないものの、ぶち当たった衝撃で形が一部崩れてひしゃげた楕円となっている。
手に持って遊びながら、俺はやっとこさ斜め前方、やや目線下にいる炬燵布団の膨らみに視線を向けた。
そこに桐乃がいる証明に、布団がかすかに上下に動いて妹の息遣いを俺に伝えている。
部屋に入ってきた俺の存在には気づいているはずだ。なのに一切の反応を見せようとしない。
俺と同じで、まだ機嫌が収まっていないんだろう。
「…………寝てんのか?」
返事が返ってくるとは思っていないが、ぼそりと問いかけてみる。最後の方、少し声がうわずったかもしれん。
………………。
やっぱりというか、返事はもちろん返ってこなかった。
自分で吐いた言葉だが、桐乃が寝ているとは俺は思っていない。じゃあどうして聞いているんだよ? 分かんねえよ。
「おい。なぁ……、起きてんだろ?」
もう一度問いかける俺。起きていて、桐乃が「何よ」と言ってきても、言葉を詰まらせるだけだろうに。
………………。
再度の沈黙。
「桐乃、おいってば。返事くらいしろよ」
返事しねえってんならこれはどうだよ?
炬燵の中で胡坐かいてた足を動かして、つま先で桐乃の足に触れる。
これならなんか言ってくんだろう。ウザいか? 死ねか? それとも口癖みてえに俺に腐るほど浴びせてきたキモイって言葉か?
言っておくが気持ち悪いって意味なんだぞそれ? 略して言葉軽くしたって、気弱なやつなら傷つきまくんぞ。試しに親父譲りの怖えガン飛ばして他のやろうに言い続けてみろよ。そいつは泣くね、絶対。
平気なのは、俺くらいなもんだぜ。
――ガスッ!
桐乃から返事が返ってきた。ただし無言で。
伸ばしていたと思しき脚を神経伝達の最高速をもって跳ね上げたようだ。俺に向かってな。
「……いってぇ」
くそぅ、馬鹿々々しいじゃねえか。なんで俺がこんな目にあってまで話かけなきゃならんのだ。
それに、さっきから自分の行動が思考と一致していないぞ。
俺はどう考えている?
桐乃なんてムカつく! イライラさせるようなこと言いやがって。放っておけばいいんだ。
話かける必要なんぞ無いだろ。そうしないと全身から血が噴出してのたうち回って死ぬわけでもないしな。
俺はどう行動している?
そのムカついてイライラする妹へ口を開いている。無視されてるから足でつついて桐乃の反応窺ったら蹴られた。痛かった。
それでもまだ、次に投げかける言の葉を探している。
どういうこったこれは。
いつの間に俺は多重人格者みたいになってる? それとも宇宙人に体をのっとられでもしたのか? んなアニメみてえな話があるかよ!
じゃあ、どうして…………、

どうして俺は〝必死に〟桐乃に言葉をかけているんだよ?

「桐乃。ゲームすんじゃなかったのか? けっこう面白いんだろ?」
二、三時間で終わるとか言ってたよな。横に並んでエロゲーすんの慣れたけどさ、それでもまだ恥ずかしいのは恥ずかしいんだぞ、俺。
でも、ちいとくらいは付き合ってやるよ。超長かったり、気まずいエロシーンがたんまりあるようなやつよりはマシだろうしな。
「だからさ、起きろって」
俺は二言、三言と言葉を連ねていった。それでも桐乃は本当に寝てんじゃねえかってくらい変わらずに口を開かない。
ったく、無口キャラなんて全然似合うわけねえっつうのな。
外見からして分かんだろ。茶髪でハデな服着て耳にピアスしてさあ。おまえみてーなやつは、ギャーギャーうるせえクソ女が適役なんだよ。
無口な妹なんて、俺は持った覚えはねえよ。
「今日だっておまえ、朝から俺の口と鼻ふさいで無理やり起こしやがって、ゲームしろとか。窒息死してたらどう責任取る気だよ。――それに、暖房使うなって言うわ、炬燵はいつの間にかオマエのもんみてえになってるわ。
 ここって俺の部屋じゃねえのかよ? まだあるぞ。シスカリもkiririnばっか使ってきやがって、能力差ありすぎだろ。俺の電撃妹を何回マッパに剥けば気が済むっつうの」
いつしか自然と口が動いて、俺は朝からの出来事を羅列するようにしゃべっていた。
多分に主観を込めて、恨みごともこっ恥ずかしい気持ちも全部。
心を吐露するというよりは蛇口がぶっ壊れて止めようも無く溢れっぱなしになった水道管のようだ。ただ、どこか詰まっている箇所があるのか、溢れる水は歪な流体をしていなくもない。
「――あやせの誘い断ってゲームしようって言われたの、かなり嬉しかったよ。へっ、その後にひでえレートの賭けを強要されたけどな! 俺より忙しくしてるくせにゲームも強くなってやがるんだもん、ズリぃぞおまえ。
 どうやって時間作ってんのか今度教えろよな。……背もたれ代わりにもされたよなー。そんときオマエにセクハラまがいのこと言ったの、あれ、恥ずかし過ぎるから気を紛らわすためにわざとだかんな?
 まあ悪い気はしなかったけどよ。あー、セクハラがじゃねえぞ。おまえが背もたれだって俺に背中預けてきたときに……、つい想ったんだよ。仲が良いってこういう感じかなって。なんとなくさ」
息を継いでは桐乃との今日の出来事を頭に浮かんだままに舌へ乗せていく。
二人して熱くなってゲームしたことも、賭けに負けたぶん色々横暴な要求されたことも、昼メシを食べてテレビ観ながら雑談したことも、部屋に戻ってからサイト巡回する桐乃の話を横で聞いていたことも。
一秒の漏れもないほど、訥々と俺は頭にある記憶と胸にある気持ちを部屋に振りまいていく。
もう桐乃に向かってしゃべっているんだか、勝手に浮かぶままのセリフを独りで繰っているんだか分からねえわ。
独白はまだ続く。
「この爪のマニキュア、除光液ってやつで落とさねえとダメなんだろ?」
爪に書かれた文字を見ながら俺は苦笑した。
「誰かに見られたら一発でおまえにやられたって分かっちまうじゃねえかよ。そうだよ、これ塗られた後に――、」
そこで、動いていた口がぎしりと歯車のような音を立てて止まった。
後に…………俺はどうした?
あんとき、マニキュア塗られて、ちょっとした言いあいをして、それはすぐ終わって、桐乃が喉渇いたとか言って渡してきた蜜柑を俺は剥いてて。
それから電話がかかってきて、それに出る俺。
既視を感じた。
いまいま口にしていた言葉の中に、似たようなことがあったからだ。
ゲームをしていると桐乃にあやせから電話がかかってくる。
俺は早く電話が終わんねーかなって攻略本を読みながら蜜柑を食う。そのうちに桐乃たちの会話から何処かへ行こうって誘いのような内容を聞いて、なんとなく寂しい気持ちがした。
でも、桐乃はあやせからの誘いを断っていた。

――俺と遊ぶのがキライじゃないからと。

桐乃は俺との時間を優先してくれた。俺はそれが嬉しかったし、ついうっかり口にも出した。オマエといて楽しいって。桐乃はそんな俺を楽しそうにからかってきていた。
……似たような状況になったとき、俺はどうだったろうか?
俺は麻奈実と会うことを優先していた。たいした用事でもない、すぐに戻るからと言って。
はたから第三者が見れば、本当にたいしたこと無いように映るだろう。まさに俺自身が思ったのと同じように『ただちょっと』のことだ。
だがそうじゃない。
少なくとも今日の俺と桐乃の間では、それは決して違えてしまってはいけない約束に等しいものだった。
なのに俺はそれを省みることなく……、桐乃の驚いた声に振り向くことなく……、今の今まで自分でくっちゃべってた桐乃との時間を…………………壊した。

まるで遅効性の毒がまわってきたような痛みを覚えた。痛みを感じてようやく「あの時だ」と俺は愕然とする。
……そうか…………。
桐乃、おまえが怒っていたのってのはこういうことだったのか。
帰ってくるのが遅れたことや、麻奈実が理由じゃなかった。桐乃は初めからずっと――、ずっと俺に怒っていたんだ……。
「……塗った後にさ、電話がかかってきて俺は家を出ていって、」
再びぶっ壊れた水道管から水が流れ始めた。
今度は詰まっている箇所は無いが、変わりに口以外のところから水漏れが秒読み段階になっている。
「家に帰ってきたら、おまえが怒っててケンカになったんだよな。俺もおまえの口から麻奈実の悪口言われてカッとなってさ、頭真っ白になったわ。
 どうしてオマエがキレてんのか分かんなくて、『たかが家をちょっと留守にしたくらいで』。んなことを俺が言ったんだよ。
 そしたら『あたしに何したか分かってない! 全然分かってないッ!!』って怒鳴り返したよな、おまえ」
鼻をすすって、「その通りだ。全く分かってなかったよ俺は」と桐乃の言っていた言葉を肯定した。
「それまで、すげー楽しかったんだよ、俺は。……おまえと遊んでんの……めちゃくちゃ。あやせから電話あったとき……がっかりしたし。ぜってえ、出かけるんだろうなってさ……。
 でも断ってるの聞いて嬉しくってさ。……なのに、俺はオマエ置いて出かけちまったんだよな。そりゃ、怒るわなおまえ……グス」
最後のグスって、泣いてんのかって?
そうだよ。情けなくて悪かったな。もう前後立てて話せてもいねえし、頭の中がぐちゃぐちゃになってんだわ。早いとこ言うこと言わねえと、ただグズグズしてるだけになりそうだ。
ほら、早く言え俺。言っちまえ!
「おまえとの時間……壊すつもりなんて俺にはねえよ。すげー大切なんだよ、おまえのこと……。スン。……だから俺は。ムカついてるけど、おまえもキレてんだろうけど」
そんなことよりもなによりも。
桐乃、俺はおまえと――、

「仲直り、してえんだよ…………」

どうしてムカついてんのに部屋に戻ってきたのかって? どうして無視されても話しかけてんのかって?
恥ずいことを長々とペラペラ口にして、情けねえツラで泣いてようやく気付いたのかよ。
ケンカなんかすりゃあ誰でも考え付くことじゃねえか。
さっさと言えよな。
鈍感すぎだろ……………………、俺のバカ。

――鼻がかかった俺の声はウズメのように楽しげな歌と踊りではなかったが、どうやら生意気な妹様が岩戸から顔をのぞかせてくれる位には効果があったようだ。
炬燵布団を引っ被っていた桐乃がゆったりとした動作で上半身を起こして小さな声で一言。
「バカじゃん……?」
「……うるせえな。しょうがねえだろ」
ようやく口を開いたかと思ったらバカとか。ひでー妹だ。だけども顔を見せないで黙っていられるよりはずっと良い。
俺はもう一度、同じ言葉を口にした。
「桐乃、仲直り……しようぜ?」
「………………あんたさ、なんでそこまで言ってくんの?」
俯いていた桐乃は俺の問いには答えず、俺が仲直りしようと言ってきたことへ逆に疑問を返す。
「それは、さっきも一人で勝手にしゃべってたけどよ。桐乃、俺はおまえと一緒にいて楽かったんだよ。ゲームしてさ、昼メシの取り合いなんかして。――おまえも、ちっとはそう思っててくれてんだろ?」
堂々と妹に向かっておまえといて楽しいなんてな。あんまり恥ずかしいこと言い過ぎて、俺は感覚がマヒっているのかもしれない。
「………………」
桐乃は口を開かなかったが俺はその沈黙を肯定と受け止めることにした。
「なのに、つまんねえだろ? ケンカなんかでぶち壊すのは。いや、俺が最初に壊しちまったんだよな。――すまん、ゴメン。マジで謝る」頭を下げて素直に詫びると桐乃は「うん」と呟いた。
許してくれてんのかどうかは不明だが、謝罪は受けとめてくれたようだ。
「ああ。でさ、麻奈実のこと……おまえがあんま良い印象持ってねえだろうってのは知ってるけど――」
桐乃は俺に憤慨しただけで、麻奈実への罵詈雑言は俺を挑発する為の手段だったんだろうと思う。
それでも訂正はしてもらいたい。
こじれることも覚悟して俺は切り出したが、桐乃は「言わなくていい」と遮ってから次いで、「あたしも……あんたの……あの女のこと、言い過ぎた。……ごめん」と麻奈実のことを素直に俺に謝った。
少しほっとした。言い合いをしたくない、仲直りしたいだけだからな。
桐乃も同じ気持ちだと思う。
俺は一度部屋を出て行った。だけどこうしてここにいて桐乃と会話をしている。桐乃も自分の部屋へ戻ることなくここにいるのは、きっとそういうことなんじゃないだろうか?
泣いていても、こいつは逃げずにいたんだよな、俺と違って。
そう、桐乃は泣いていた。他ならない、俺が泣かせたせいだ。
少し俯いている桐乃の顔には涙が流れたあと。目も赤いし瞼もはれぼったい。
こいつが泣いているところを見たことは幾度かあったが、今回は自分に起因する。胸が痛かった。
「泣かせて悪かったよ」
「泣いてないし。うじうじ泣いてんのあんたじゃん」
「そっか」
強がりを言う桐乃に俺はそれ以上言う気は無い。うだうだ考えんのもやめだ、きっぱり聞こう。
「じゃあ、これで仲直りだな?」
「…………やだ」

ちょッ!?
「……な、なんで?」
否定の言葉に内心激しく動揺する俺。
仲直りの定義なんて無いが、お互いに非を認め合っているんだ、考えようによっては既に果たしたとも言える。
なかば確認の為に聞いたことにまさか『やだ』って答えが返ってくるとは。
虚を突かれた俺は桐乃の口がどういう言葉を紡ぐのかを待った。
「…………なんかキモいし」
眉根を寄せて、桐乃が呟いたのは慣れ親しんだ――親しみたくねえが――お決まりの文句。
俺が呆けていると、
「……そ……、あん…た…………」
桐乃はもにょもにょ唇を動かしてまだ何かを言おうとしているようだったが、結局キュッと閉ざす。
「俺、まだオマエにひでえこと言ったか? いや色々言ったかも知れんけど」
「そう言うんじゃない。と、とにかくッ、ヤなの!」
「イヤって……」
それはねえだろ桐乃よ。こっちはもう恥じもなんもかんも全部ってくらい投げ捨てて歩み寄っているのにどうしてそこでゴネるんだよ?
俺は一つずつ状況を整理するように桐乃へ聞いていった。
「えっと、俺が家から出て行ったこととかはもう許してくれてんだよ、な?」
「……まあね」とぼそり。
「そんで、俺もおまえが言ったことは謝ってくれたしもう気にしてねえ」
「ふぅん」とすげなく。
「つまり俺らがケンカする理由はどこにもないってことだよな?」
「そうだけど」といじけたように。
「じゃあ、仲直り……だろ?」
「………………やだ」
「……………………」
い、意味分ッッッかんねえええぇぇぇ――――――――――――ッ!?
どうしてそこでヤダって言葉が出てくんの、この女? なんなの、まだ俺に対して含みがあるっていうのか!?
正解の選択肢を辿っていったはずなのにバッドエンドを迎えたクソゲーのような桐乃の返答に俺は混乱した。
これが気に入らなかったのかあれがダメだったのかと、ためつすがめつ聞いてみたが桐乃は「別に」というだけ。
もうどうすればいんだよ、また泣きそうになってきたわ!
「とにかく、仲直りすッからな俺は!」
「ヤダっていってるじゃん!」
「どーしてだよ? 理由を言え、理由を」
「だから、キモい」
「キモいってなんだよ、キモいってー! はっきり言えばいいだろ、まだなんか言いてえことがあんじゃねえのか?」
「無いわよバーカ。あんたなんかに言いたいことなんて! んべっ!」
「お、おまえな~~~~……」
羊の毛を刈り取った後ほどの不毛な言いあいをすること十分。
桐乃から聞き出せたことは、
まず、さっきのケンカに対してはお互いに悪いと思ったことも謝ったしもうそこにケンカする理由は存在しない。
かといって仲直りはしない。その理由は「なんかキモい」から。何故キモいかと言うと、キモいものはキモいだそうだ。
えーと。疲れてきたんで寝ていいかな?
俺は桐乃に「ちょっと休憩な」と言ってドサッと倒れて横になった。

くそームカツクなー。
どうして素直に「うん」と言わないんだよコイツは。
仲直りはせず全く理由の無いケンカをし続けようとする桐乃の気持ちが分からない。
マジ疲れる。もう仲直りしなくて良いんじゃねーの? 取りあえず俺も桐乃もさっきの怒りは消えうせてるし。
このままなし崩しで放っておきゃ普段通りに戻るだろうよ。
俺がそう諦めのような心境でため息をついていると、横で布団がもぞもぞ動いた。
で、ライトブラウンの髪をした頭が炬燵の中から生えてくる。
「な、桐乃……。なに子供みたいなことしてんだよ」
突然のことに目を丸くしたが、取りあえず思ったことを口にする。
「あんた、アタシと仲直りしたいって泣いて頼んでたクセにもう諦めたの?」
「諦めたって……おまえが『やだ』なんて言うからだろ。それと泣いたのは確かだけど、それ誰かに言いふらしたりしたら許さねえかんな?」
そう言うと桐乃は鼻を鳴らして「どうしよっかなー♪」と憎たらしい笑顔を向けてきた。
「へっ。もし言ったらオマエの恥ずかしいことも――そうだな、犬みてえに皿から直接メシ食ってたことなんてどうだ?」
「うっさい。そしたらあんたがアタシ襲おうとしたって言うかんね」
「い、いつ俺がんなことしたよ!? デタラメでっちあげてんじゃねえぞ!」
「ふ~ん、あたしの腰がどうとか言ってたくせに。うひぃキモイキモイ。シスコンはこれだから怖いんだよね、自覚無しにそんなこと言うなんてやーらしー」
「だから言ったろうが。あれは気を紛らわすためにわざとだって!」
「そーそー、恥ずかしがってたんだよね~。あとなんだっけ? 仲が良いなって想っちゃったとか言ってたっけ兄貴? キヒヒ」
「おま!? しっかり全部聞いてんじゃねーよ! 無視ってたくせに」
「知らないしィー。シスコンの誰かさんが勝手にしゃべってただけだもん」
くそう、どうにも俺のほうが分が悪い。
なーんであんなこと言ったかなぁ? さっさと仲直りしようって言えばいいだけだったのによお。
見ろよ桐乃の顔を。八重歯むき出しでマル顔をもっとマルくしてさ、思いっきりニヤついてるし! ここまでニヤついてる顔見たことねーぞ俺も。チッ。
「そうだ。このマニキュア、落としてくれよ」
桐乃の眼前へ、コイツが塗りたくりやがった『ばか兄貴』とネイルアート(?)された手を差し出す。
「あれ、アンタまだ落として無かったんだ」
俺の手を触りながら爪をマジマジと見つめる桐乃。
……これだよ、どう見ても素で言ってやがる。ため息も弾切れしそうだ。
「ちゃんとした方法で落とさえねえとダメって言ったのはおまえじゃんか」
「除光液ね。せっかく書いてあげたのにもったいなくない?」
「もったいなくねえよっ」
「しょうがないなぁ、分かったわよ。――あ、落とす前に写真撮っとこ」
携帯を手に取って俺の手を掴んでパシャリ。
桐乃さん、それまさか黒猫や沙織にメールで送って見せるつもりですか? カメラの角度的にばっちり俺の顔も写ってて自尊心が壊れそうなんすけど?
「へへ、SNSにあとでうpしておこっと」
「それはやめて!?」

除光液を浸したコットンで爪を拭きながら、次はと言いかける桐乃にあとでダッシュしてケーキ買ってきてやるからと話題をそらしつつ、マニキュアもようやく落としてもらって人心地。
俺はもう一度桐乃に聞いてみることにした。
どう見たって俺たちのケンカは既に終わっている。正になし崩し的に仲直りは果たしたと言えなくもないだろう。
でもケジメって言うのかな? 掛け違えたボタンが直ったと、俺は桐乃に言って欲しかったのかもしれない。
「桐乃、いい加減仲直りすんぞ」
「しつこいなー、ヤダ」
嘘つけ。おまえとしゃべっててはっきり感じたよ。
桐乃がどうして仲直りしないって言ってるのか? なんてことは無かったわ。こいつはいつも通り素直じゃないのさ、照れ臭くてどうしてもそれが言えないってだけ。
そんないつも見ていたはずの妹の態度に気付かず、呻吟していた俺は自分で自分を苦笑した。
やっぱり今日の俺はどこかおかしいのかもしれないってな。
ま、それも終わりさ。
ほんじゃ、そろそろ生意気で素直じゃない妹と仲直りをするとしよう。幸いなことに切り札を俺は持っているしな。
「どーしてもしないってんなら、俺にも考えがある」
「な、何よ?」
自身たっぷりの俺に桐乃は少し怪訝な表情を見せる。
「おまえは俺の言うことを聞くしかないんだよ桐乃」
「は? 頭おかしくなったのあんた?」
ますます訝る桐乃。
こいつ……忘れないように確認もしたってのにね。
「おまえが言い出したことだよ。午前中、俺たちは何してたっけ?」
「何ってゲームだけど」
「そ、ゲームだ。だが、ただゲームしていたわけじゃあない。それじゃつまんないからと、おまえ俺に持ちかけたもんがあっただろ?」
「えっと~」と桐乃は目をさ迷わせて、やがて「あっ」と思い当たったらしい。
「俺は一勝したはずだぜ?」
桐乃は下唇を噛んで、あごに梅干しを作っている。
その〝くやしそうな顔〟を見ながら笑みの混じった呼吸を一つして。今度は否定の言葉が飛んでくることはないと、俺は確信を持って口を開いた。

「仲直りをしようぜ、――――桐乃」




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最終更新:2010年11月25日 13:15
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