「お兄さん、ご相談があります」
いつもの公園へ呼び出され、いつものように切り出される。
この言葉を聞いた後はいつもロクな事にならない気がするが、このエンジェルボイスに逆らう事など初めから選択肢にない。
「同人誌、というモノについてお聞きしたいのですが……」
なんでも、夏コミで桐乃が同人誌製作に参加してからというもの、時々同人誌の話をするらしい。
桐乃は帰国後モデルの仕事に復帰していない。
あやせとしては少しでも共通の話題を増やしたいのだが、あいにく同人知識など皆無だ。
それで同人誌、とりわけ同人誌製作に関して俺に詳しく話を聞きたいらしい。
「ふーむ、同人誌製作に関してねえ……」
とはいえ、俺もそこまで詳しいわけじゃないんだよな。
ここは一つ、俺の知る限りで最もそっち方面に明るい奴の力を借りる事にしよう。
「……一応初めまして、になるのかしら。ハンドルネーム黒猫よ」
「新垣あやせです。よろしくお願いします」
ここは秋葉原某所のカフェ。俺の提案で詳しい奴に直接話を聞こうって事になったのだ。
お互いに桐乃の親友という事で関心があったのか、二人とも意外にすんなり承諾してくれた。
「それで、同人誌製作に関して話を聞きたい……という事で良かったのかしら?」
「はい、その通りです」
「その前にまず、同人活動というものについてだけど――」
最初こそ黒猫のゴスロリファッションに少々気圧されていたあやせだが、今は落ち着きを取り戻し神妙に話を聞いている。
これなら俺の出る幕はなさそうだ。今回は何事もなく終わる、そう思っていたのだが――
「あ、あなたに桐乃の何が分かるんですか!」
「……だからさっきから話しているじゃない。耳が聞こえないのかしら?」
どうしてこうなった。
初めのうちこそ普通に話していたのだが、話が桐乃の事に及ぶとみるみるうちに険悪に。
黒猫特有の言い回しが、あやせの耳には桐乃の悪口を言っているようにしか聞こえなかったのだろう。
黒猫に悪気がないのは分かっているので、ついつい聞き流していた俺なのだが……失敗した。
「桐乃は、あなたが言うような子じゃありません! それは親友の私が一番よく知っています!」
「……あらそう? その親友について『知らない』事があるから、話を聞きにきたのだとばかり思っていたのだけれど」
ぐ、と言葉に詰まるあやせ。オタク趣味の話題に関しちゃ、あやせの方が分が悪いよな。
この場をセッティングしたのは俺だ。ここは俺が二人の仲を取り持ってやらないと。
「なあ、黒猫」
赤いカラコンをつけた瞳が、ついっと俺の方を向く。
「あやせは、知らないなりに桐乃の趣味に歩み寄ろうとしてくれてるんだ。あまり苛めないでやってくれないか」
お前が桐乃の事を大切に思ってくれているのは、知ってるからさ。
「あと、あやせ」
「……なんですか」
「黒猫はあんな言い方だけど、ほとんど照れ隠しみたいなもんなんだ。悪く思わないでやってくれ」
横の方から「な……っ、そ、そんなワケ……」という声が聞こえた気がするが、無視。
「な? 頼むよ」
「お兄さんが、そう言うんでしたら……」
やれやれ、これで一件落着かな? そう考えていたのに、
「……随分その子に優しいのね?」
気が付けば、黒猫がジト目でこっちを見ていた。
「よく見ればその子、先輩の好みの容姿をしているものね? ……やっぱりそういう事なのかしら?」
おい、話を混ぜっ返すな! そりゃ滅茶苦茶好みだけどさ!
「そういう事じゃ――」
「い、いきなり変な事言わないでください!」
怒りのためか、顔を真っ赤にしていきり立つあやせ。
「こんな変態に好かれても、ぜ、全然嬉しくありません!」
グサリ。俺の心に深々と言葉のナイフが突き刺さった。
あれ? さっきまでフォロー役に回ってたはずなのに、なにこの仕打ち。
黒猫はそんなあやせをチラリと一瞥すると、
「ふぅん……。そうなの」
こちらに意味ありげな視線を送ってきた。
「まぁ、先輩は私が『大好き』だそうだから。私の
勘違いだったかしら」
まだそのネタ引っ張るの!? てかこれ以上広めないでください!
その言葉を聞いて、一瞬硬直したあやせだったが、
「わ、私だってお兄さんに『大好き』って言われました!」
おい対抗するな! そんなに黒猫を言い負かしたいのか!?
黒猫は頬をひくっと引きつらせ、
「あ……あらそうなの。先輩は誰にでもそういう事を言ってしまうのかしらね?」
笑顔を浮かべながらこちらに話を振る。目が笑ってないぞ。
それを見たあやせは、我が意を得たりとばかりに更なる爆弾を投下する。
「この間なんて、け、『結婚してくれ』と言われましたから!」
そんな大きな声で言うなよ! 周りに聞こえちゃうだろ!
「……ふっ……。もし良かったら、詳しい話を聞かせてもらえないかしら?」
なにやら黒いオーラを纏って、ゆらりとこちらに体を向ける黒猫。と、その両目が驚きに見開かれる。なんだ?
「……どうやら尋問するのにより相応しい人物が来たようだから、任せておきましょうか」
正面に向き直り、紅茶に口をつける黒猫。一体どうしたんだ、と思った矢先――
「ア、アンタ……!」
背中から、溶岩の煮えたぎるような声が聞こえた。
慌てて振り向くと、そこには怒りのオーラを全開にした我が妹、桐乃。
何故ここに!?
「……そういえば今日は、新作ゲームの発売日だったわね」
そういう事は最初に言ってくれ! 知ってたら秋葉原で待ち合わせなんかしてねえ!
「アンタ……何? 今日は用事があるとか言ってたくせに、こんな所で二股デートってワケ?」
「いや……これはだな……」
なんとか宥めようとするも、口が上手く回らない。
「……これが日頃の行いの成果、というヤツなのかしらね」
「お兄さんはもう少し、普段の自分を見つめ直すべきだと思います」
おいお前らこんな時だけ結託するなよ! さっきまで喧嘩してたじゃねえか!
「日頃の行いと言えば。こないだお兄さんにかけた手錠を外す時、何故か急ににやにやし始めたんです」
「……興味深いわね。手錠を外される瞬間に性的興奮を覚えるのかしら」
後ろの会話が進むたび、目の前の妹の怒りゲージがぎゅんぎゅん上昇していく。
「……それにしても、手錠なんて一体どこで入手したの?」
「はい、それはですね――」
二人はすっかり打ち解けた様子で、会話に花を咲かせている。
対称的にこっちは、今まさに血の雨が降らんとしている所だ。なんだこの天国と地獄。
妹に襟元をギリギリ締め上げられながら、当初の目的だけは果たせそうだ……と現実逃避にも似た思いにとらわれていた。
「そんなに結婚したいなら、地味子のとこの養子にでもなれば良いじゃん!」
「なんでそうなるんだよ!?」
そしてコイツの言ってる意味がさっぱり分からん。
最終更新:2010年12月05日 14:33