「きりりん氏は、京介氏に夜這いなどかけたりしていないのですかな?」
ブーーーーッ!
秋葉原某所のカフェ。いつもの三人で集まってだべっていたら、ぐるぐる眼鏡がトンデモない事言い出した。
「……汚いわね。噴水の真似事がしたいのなら外でやって頂戴」
テーブルを拭きながら嫌味を飛ばしてくる黒猫。
「だ、だってコイツが変な事言うから!」
「おかしいですなあ。若い男女が一つ屋根の下で暮らしていれば、当然そういったイベントがあるはずなのですが」
「エロゲ脳のあなたなら、十回や二十回くらい平気でしていると思ったのだけど」
あんたら、一体あたしをどーいう目で見てるワケ?
「そんな事するわけないでしょ! ありえないから!」
「しかしそれはそれで良いものですな。隣の部屋に居る兄を想い、一人自分を慰める……絵になりますなあ」
「今度その題材で本を出そうかしら」
何言ってんのよ、このエロ猫。
「出せるワケないでしょそんなの!」
「大丈夫よ」
黒いのが、ふわりと安心させるような笑みを向けてくる。
「ちゃんと『R18』の表記を付けるから」
「そういう問題じゃないっ!?」
「……『成人向け』の方が良かったかしら?」
「だからそーいう事じゃなくて!」
はぁはぁ……もういい加減つっこむのも疲れてきた。
「その内容できりりん氏が売り子をしてくれれば、売り上げ倍増間違いなしですな」
「壁サークルも夢じゃないわね。……夢が広がるわ」
それであたしが売り子とか、もはや羞恥プレイじゃない。夢じゃなくて淫夢だっつーの。
「まぁ冗談はこのくらいにしまして、きりりん氏の夜這いの件ですが」
「なにが『このくらい』よ。現在進行形で冗談が続いてんじゃないのよ」
「大丈夫ですぞきりりん氏! 旗色が悪くなったら『寝ぼけて部屋を間違えたの』と言えばいいのです」
「『怖い夢を見たから一緒に寝て』も捨てがたいわね」
「やり方のアドバイスなんて聞いてないから!」
あたしがそう言うと、にやぁ、と嫌らしい笑みを浮かべるクソ猫。
「……あら? もしかして自信がないのかしら?」
「なっ……そんなワケないでしょ!」
あからさまな挑発に乗っちゃったと思うけど、もう遅い。いまさら引けない。
「あたしみたいな超絶美少女が誘惑したら、あんなシスコン一発でメロメロに決まってんでしょ」
「そうかしら? あなたのお兄さんは意外と身持ちが堅いと思うのだけれど」
「京介氏は鈍いですからなぁ~」
そんな事言われなくても分かってる。でも改めて言われるとなんだか釈然としない。
「それに、あなたのお兄さんの好みは黒髪ロングの娘なのでしょう? あなたとは全然タイプが違うじゃない」
と、自分の『黒髪』を弄びながら笑みを向けてくるクソ猫。む、むかつく……!
「そこまで言うならやってやろうじゃないの!」
そうして今あたしは、アイツの部屋の前に居る。
時刻は……多分、深夜の二時過ぎ。
多分というのは、ここに立ってからどれくらい時間が過ぎたか分からないから。
一分くらいにも感じられるし、三十分以上経ってるかもしれない。
……なんであたしこんな事してるんだろう。
いくら挑発に乗ってしまったからといって、本当に実行するのはやり過ぎなんじゃないだろうか。
うん、やっぱりやめよう。そう思って自室に足を向けようとしたところで、
ガチャッ
「……何してるんだ?」
ちょぉっとおおお! なんでこのタイミングで出てくるワケ? どうしてあと十秒待てなかったのよ!
「の、喉乾いたから、のみもの……」
かろうじて言い訳を捻り出す。変に思われてないよね……?
「ふうん」
気のない返事をしてリビングへ降りていくアイツ。言った手前、ついていくしかない。
アイツが冷蔵庫を探ってるのをぼんやり眺めながら、もう飲み終わった事にして部屋に戻れば良かったんじゃ……と今更ながら考えていると、
「ほらよ」
中身の入ったコップを手渡してくれた。な、何カッコつけてんのよ……似合わないっての。
顔が火照ってくるのを感じる。気付かれたらどうしよう、いや暗いからきっと分からないよね。
飲み終わって部屋へと戻る。
こうやってコイツの背中をついていくと、つい子供の頃の事を思い出してしまう。あの頃は……。
「なんでついてくるんだよ」
「え?」
なんでついてっちゃいけないの?
「いや、ここ俺の部屋」
その一言で急に現実に引き戻される。
いつの間にかアイツの部屋までついていってしまったらしい。ヤバイ、昔の事考えてたらついてきちゃったとか言えない。
そこでピン、と昼間の会話を思い出す。
「ね、寝ぼけて部屋を間違えたの!」
「いやバッチリ起きてるじゃねーか」
駄目じゃん! この台詞全然使えないよ! 沙織の馬鹿!
アイツは不審の眼差しをあたしに向けている。うぅ……なんとかしないと。
いやもう一つ台詞があったはず、確か……。
「一緒に寝て!」
「な、なんで!?」
あたしも同じ気持ち。なんで前半部分を省略して言っちゃうの? これじゃ意味が分からない。
アイツはもう不審を通り越して珍獣を見るような目だ。マズイマズイマズイ、何か言わないと、えっとえっと……。
「きょ、今日読んだ雑誌に、人肌が身体に良い温度だって書いてあったの! だから試してみようかな……って」
咄嗟に思いついたにしては上出来だと思う。もうこれで押し通すしかない。
「い、今から?」
「何よ、なんか文句でもあんの?」
コイツは押しに弱い。あたし知ってるんだから。
「いやしかしだな……」
「もしかして妹に欲情しちゃってるワケ? だから一緒だとドキドキして寝られないんだ?」
「なわけあるか!」
かかった!
「じゃあ良いよね、ほらほら早く寝る寝る」
首尾良く一緒のベッドで寝る事になったんだけど、アイツは早々にあたしに背を向けて横になってしまった。
……なんか面白くない。
「こっち向きなさいよ」
「な、なんでだよ」
「アンタいっつも仰向けで寝てるでしょ? なんで今日に限ってそっち向くのよ」
「お前なんでそんな事知って――」
「良いからこっち向く!」
強引にこっちを向かせた。すでに仰向けですらないけど、そんなの気にしない。
でもアイツの顔を見てられなくて、誤魔化すようにギュッと抱きついた。これくらいしても良いよね。
「ちょっ、お前そんなくっつくなって」
「は、離れてたら寒いでしょ? それにくっつかないと人肌効果が実感出来ないし」
それに離れたら、あたしの顔を見られてしまう。鏡を見るまでもなく、真っ赤になっているのが分かる。
アイツはモゴモゴとまだ何か言いたそうにしてたけど、あたしの完璧な理論に負けたのか観念したように身体の力を抜いた。
チッ、チッ、チッ…………。
時計の針の音がやけに大きく聞こえる。あれからどれくらい経ったんだろう。
当然のようにあたしは全然寝付けなかった。こんな状況で寝られるわけない。
自分の心臓の音が、アイツに聞こえるんじゃないかと思うくらいの静寂。そう思うと余計にドキドキしてしまう。
アイツは今どんな気持ちなのかな……。
「ねえ」
「……」
反応がない。不審に思って顔を見ると、健やかな寝顔がそこにあった。
……信ッじらんない! この状況で寝るフツー!? こんな超かわゆい子が添い寝してあげてるのに爆睡とか、ありえなくない!?
「はぁ……」
ポスン、とアイツの胸に顔を埋める。
やっぱり女として見られてないのかな。少しは脈があるかもって思うのは、あたしの思い上がりなんだろうか。
ねえ、ほんとはあたしの事どう思ってるの……?
もう幾度も心の中で繰り返してきた言葉、今だに答えは分からない。
直接聞けば良いのかもしれない。でももし拒絶されたら、もう妹として甘える事も出来なくなるんじゃないか。
それを思うと、怖くてたまらない。どうしても一歩が踏み出せない。
あたしはどうしたら良いんだろう。
ふと見ると、アイツの首筋が目の前にある。
……良い事思いついた。
ちぅ……。
首筋にちょっと強めに吸い付く。跡が残るくらいに。
ドラマなんかでよくある、キスマークだ。
初めてだから上手く出来たか分からないけど、それっぽい跡がついた気がする。
「ふふっ」
この跡を見てると、コイツはあたしのなんだって気がしてくる。
もちろん欺瞞なのは分かってるけど、心が弾むのは抑えられない。
胸に顔をピッタリくっつけると、トクン、トクン……と規則正しい音が聞こえてくる。
この音を子守歌代わりにして眠るのも良いかもしれない。そう思うと、だんだん瞼が重くなってきた。
もう寝よう。明日は学校もあるんだし。
翌朝の食卓、いつものように朝食を摂っていると、
「あら京介、首のところどうしたの? 赤くなってるけど」
ガチャッ!
あやうくお茶碗落とすところだった。お母さん、なんで今日に限ってそんなに目ざといの?
なんとか誤魔化さないと……。
「む、虫さされじゃないの?」
「あらそう? やあねえ、季節はずれの蚊でも居るのかしら。もう冬なのにねえ」
さしたのは蚊じゃなくてあたし、とは言えない。
「最近急に冷え込んできたから、二人とも風邪ひかないようにね」
「へーい」
「うん、大丈夫」
特に昨夜は暖かかったもんね。いつもああなら風邪なんて絶対ひかないと思う。
家を出ようと玄関に向かうと、ちょうどアイツも出るところだった。
「いってきまーす……」
相変わらずダルそうにしてる。またいつものように地味子と待ち合わせてるんだろうな。
昨夜はあたしと一緒に寝たくせに……。
「ねえ」
「どうした?」
ちぅ……。
振り向いたアイツの首筋に吸い付いてやった。もちろん昨夜つけた跡のところに。
「な、何しやがる!?」
「虫さされ。早く治るようにツバつけといてあげたの。感謝しなさいよね」
治るどころか悪化したけどね。ざまあみろ。
「お、お前一体なに――」
「いってきまーす」
抗議の声を無視して家を出た。今日はなんだか気分が良い。
今度四人で集まる時は、またアイツに虫さされを作ってやろう。
あの二人が見たらどんな顔するかな。
あたしの心は、今朝の天気と同じくらい晴れやかだった。
最終更新:2010年12月08日 23:39