今だけ兄貴の虜


「……俺に委ねろ。お前の全てを……!」
「はぁっ……ぁっ……」
男がそう囁くと、女は両目を見開き、瞳から徐々に光彩が失せていく。
そのまま熱に浮かされたような表情で、自ら男にしなだれかかっていき――


「こんな事出来たら人生バラ色だよなあ」
俺が今やっているのは、いわゆる催眠術モノのエロゲーだ。
主人公が催眠術を使って次々と女の子を虜にしていき、己の野望を達成するという内容。
一度虜にした女の子は、念を込めてジッと見つめるだけで、再び催眠状態にする事も出来るらしい。便利なものである。

「こんなストーリーで、ほんとに純愛ルートなんてあるのかよ」
そう。これを押しつけてきた桐乃曰く、超泣ける純愛ルートがあるそうだ。もちろんヒロインは妹キャラだ。
かれこれ三日ほどプレイしているが、未だにその片鱗すら見えてこない。
「ん……っと」
大きく伸びをする。少し休憩にするか。


何か飲もうとリビングへ入っていくと、ちょうど雑誌片手にくつろいでいた桐乃と目が合う。
「ねえねえ、こないだ貸したゲーム、もうコンプした?」
「いや、まだだけど?」
「はあ? 三日もやってまだクリアしてないとか、やる気あんの?」
桐乃はすっかりお怒りになって、俺に詰め寄ってくる。
悪かったな。俺はお前みたいな上級者じゃないから、そんな早くクリア出来ねーっての。
「あんたほんとにやってたの? 適当な事言ってサボってるんじゃないでしょうね」
信用ねえなあ、ちゃんとやってるって。
と、ここでちょっとした悪戯心が芽生えた。

俺は桐乃に顔を近付け、しっかりと目を見ながら、
「……俺に委ねろ。お前の全てを……!」
「えっ……」
驚いたように両目を見開く桐乃。
どうだ。もう主人公の決め台詞を暗記してるくらいやり込んでるんだぜ? これでサボってない事が証明出来たろう。
でも我ながら、ちょっと子供っぽい事しちまったな。こりゃまた笑われるか馬鹿にされるかな?
そう思ってたんだが、桐乃の様子がおかしい。
目の焦点が合っていないというか、どこを見てるんだかよく分からない。そうしてそのまま――


俺にしなだれかかってきた。



「っな!」
なんだコレ? どういう事?
慌てて抱きとめる。胸に当たる二つのふくらみを意識してしまい、ドキリとする。
「お、おい。桐乃?」
「……」
答えはない。桐乃の顔は髪に隠れていて、表情を窺い知る事も出来ない。
そしてあろうことか、俺の背中に手を回して抱きついてくる。
おいおい、これじゃまるで……。

「なあ、ほんとにどうし――っ!?」
動揺したせいか、足がもつれて背中からソファに倒れ込んでしまう。
一瞬息が詰まる。
慌てて身を起こそうとしたら、目の前に桐乃の顔があった。ちょうど俺に覆い被さる形だ。
桐乃は頬を紅潮させ、目は潤んでいる。まるで熱に浮かされたようで……。

まさかさっきのアレで、本当に催眠状態になっちまったのか?
そんなバカなとは思うが、でなきゃこの状況を説明出来ない。
あの桐乃が、俺の顔に手を添えて、物欲しそうな、切なそうな表情で迫ってくるのだ。
頬に髪の毛がかかり、女の子特有の良い匂いが鼻をくすぐる。
一瞬俺も変な気分になりかけたが、このままじゃマズイ。
急いで催眠を解かなくては。えーと催眠を解くには……。

……どうやって解くんだ?

おおい解き方なんて知らないぞ! ゲームの中じゃ、いつもキリの良いところで勝手に解けるんだが。
そうこうしてる間に、桐乃の顔がどんどん近づいてくる。もう吐息がかかるような距離だ。
ヤバイ、俺の不用意な一言でまさかこんな事になろうとは。
だが、本当の危機はここからだった。


「ただいま~」


お袋が帰ってきやがった!?
待て待て待て、ちょっと待て。今の俺の状況を客観的に見てみよう。

『妹に催眠術をかけて、手籠めにしようとしている変態鬼畜兄貴』

もはや後生まで語り継がれるレベルだろ、これ。まさに末代までの恥である。
急いで離れなきゃいけないんだが、俺が下、桐乃が上、ちょっとでも動けば触れてしまいそうな距離に桐乃の唇。
う、動けねぇ……。どうすりゃいいんだ。
そんな事を考えている間にも、トントントン……という足音が無情にもリビングへと近づいてくる。
まさに死へのカウントダウンだ。
これまでか……と覚悟を決めかけたところで、桐乃が俺からスッと離れる。あれ?

ガチャリ
「おかえりなさい、お母さん」
「ただいま桐乃。さっきそこの奥さんと話してたんだけどね? そこの娘さんたら――」
え? どういう事?
桐乃とお袋が仲良く談笑している。さっきまでの出来事が嘘のようだ。
「あ~……、桐乃?」
おそるおそる声をかける。
「……何?」
何事もなかったかのように、そっけない返事が返ってきた。催眠が解けた、のか?
「あぁ……いや、なんでもない」
なんだか知らないが、助かった――



「――って事があってな」
ここは秋葉原某所のカフェ。いつもの四人で集まって、これからどうするか話していたところだ。
ちなみに桐乃は今、トイレで席を立っている。
「たまたま催眠が解けたから良かったが、ほんと寿命が縮む思いがしたぜ」
いくら催眠術が使えたって、任意で解除出来ないんじゃ危険すぎる。主に俺の人生が。
ゲームでもいくつかバッドエンドを迎えていたしな。それが現実のものとならなくて何よりである。

「はぁ……あなたね、そんなのどう考えたって――」
「いやはや、きりりん氏も腕を上げたものです」
呆れ顔の黒猫と、なにやら得心がいったような様子の沙織。なんのこっちゃ。

「なあ、それってどういう――」
「おまたせー。なになに? 何の話してんの?」
ヤベ、聞かれなかっただろうな。
「……あなたのお兄さんの頭の中が、お花畑な件について話していたのよ」
「京介氏も、罪な男ですなあ」
頭がお花畑な罪人って酷いなそりゃ。
でもまぁ、遊び半分で妹に催眠術をかけちまったわけだしな。
コイツにも正直に話して謝るべきだろうか?
しかし何も覚えていないみたいだったし、やぶ蛇になるのもな……。

そんな事を考えて、桐乃をジッと見ていると、
「なにアンタ、さっきから人の事ジロジロ見て……っ!?」
なにかに気付いたように目を見開き、俺からザザッと距離をとる。
「ア、アンタ……いくらなんでも、こんな……このスケベ! 変態!」
急に赤くなって俺を罵倒してくる。ちょっと見てただけで酷い言われようである。
やっぱりコイツに話すのはやめておこう……。


結局いつもの巡回ルートで行こうという事になり、四人で連れ立って店を出る。
……空耳だろうか。その時、店の喧噪に混じって、
「こんなトコじゃ、かかってあげない」
そんな声が、聞こえた気がした。





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最終更新:2010年12月14日 11:53
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