一番近くて遠い人


「ただいま~」

学校から帰ってきて一声かけるも、返事がない。
お母さんは買い物かな? あいつもまだ学校から帰ってないみたい。
あたしは階段を上がって自室に行こうとして……途中にある京介の部屋の前で立ち止まる。

ちょっと入ってみようかな。
良いよね。誰も居ないし。

兄弟姉妹の部屋にコッソリ入り込むのって、なんだかワクワクする。
きっとあたしはその感覚が好きだから、こんな事してるんだろう。他に理由なんてない。

キィ……。

ちょっとだけドアを開けて中を確かめる。
うん、大丈夫。
そのままするっと忍び込んで、ドアを閉めた。

相変わらず殺風景な部屋を横切って、ベッドに座る。
あたりをざっと見回してみるけど、前に入った時と変わった所は見当たらない。
時々こうして無断で忍び込んでいるんだけど、物が増えていた試しがないんだよね。
ポスターとか小物とか買わないんだろうか。
あたし好みのカワイイ置物とか勝手に置いちゃおうかな。

あ、そういえば……。
ベッドの下を覗き込んで奥を探る。
こっちの方は変化があるかもしれない。

「……あれ?」

前にあったダンボールの箱がない。
捨てたとも思えないし、隠し場所を変えたんだろうか。
見つけてみたい気もするけど、さすがにタンスやクローゼットまで漁るのは気が咎める。
……それに、どーせ眼鏡モノばっかなんだろうし。

大体あいつはシスコンの癖に、なんで妹モノが全然ないんだろう。
これっておかしくない?
それとも何? 妹が眼鏡かけてれば良いの?

ちょっと眼鏡をかけた自分を想像してみる。
……ない。ないない。ありえない。
そりゃあたしにかかれば、お洒落なデザインの眼鏡の一つや二つくらい思い当たるケド。
あいつが好きなタイプの眼鏡をあたしがかけたって……。

何考えてるんだろあたし、バカみたい。
なんであたしが、あいつを喜ばせるために眼鏡なんてかけてやらなきゃいけないんだか。
シスコンのあいつの方からあたしに歩み寄るべきでしょ普通。
そう考えたところで、いつも抱いている疑問に突き当たる。

あいつ、本当にシスコンなのかな?

だって全然……あたしに構ってくれない。
べ、別に構って欲しいわけじゃないケドさ。
シスコンならもっと妹を可愛がるもんでしょ?

なのにあいつは、いつもあたしをほったらかして部屋に居るか、どこかへ行ってしまう。
遊ぶ時も一緒に出掛ける時も、あたしの方から声を掛けないと始まらないのだ。
あたしがいないと寂しいって言ったクセに……。

そもそもこういうのって男の方から誘うもんでしょ。なんで女のあたしが――

そこで気付いてしまう。兄妹の事を考えていたのに、いつの間にか男女の話にすり替わっている事に。
この事を考えているといつもこうだ。
……やっぱりそうなのかな。
あたしはあいつのコト……。

でもあいつは? あいつはあたしのコトどう思ってるんだろう。
あいつが何を考えてるのか分からない。

あたしがこうやってたびたび京介の部屋に入り込むのも、それが原因かもしれない。
少しでも気持ちが知りたくて……。

ふと視線を横にやると、あいつの枕がある。
そのまま寝そべって、なんとなく思いつきで自分の頭を枕に乗せてみた。
あいつも普段こうやって寝てるんだよね。
こうしていれば、少しは何か分かるのかな。

少しだけ、あいつの匂いがする。
全身を淡く包まれるような感覚がして、そっと目を閉じた。
あいつが帰ってくるまではまだ時間があるはずだ。
だからもう少しだけこのままでいよう。

――ふと気付くと、何もない空間にあたしは立っていた。
これは夢なのだ、と頭の片隅で理解する。
夢の中でそうと分かる明晰夢というやつかもしれない。

あたりを見回すと、京介があたしに背を向けて立っている。
声を掛けようとしたけど、何故か声が出ない。
京介は背を向けたままで歩き去ろうとしている。

ちょっと、待ってよ。

慌てて追いかける。でも足が鉛のように重くて全然進めない。
まるで水中を走ろうとしているかのような感覚。
そうこうしているうちに、京介の背中はどんどん小さくなっていく。

待って、行かないで。

京介はこっちを振り返ろうともせず、黙々と歩いていく。
どうして、どうして行っちゃうの。置いていかないで。

「行か、ないで……!」

かろうじて声が出る。
それでも京介は振り向いてくれない。
なんで? なんでよ……。
悔しくて悲しくて、涙が出てきた。
お願いだから止まって。こっちを向いて、声を聞かせて。

「……桐乃」

願いが通じたのか、京介の声が響く。
声はすぐ近くで聞こえたのに、その姿は相変わらず遠い。
その背中に向かって必死で手を伸ばす。

「行かないで……ここに居てよ……!」
「……おい、桐乃」

さっきよりも近くで声が聞こえた。それと、肩のあたりに何かが触れる感触。
その感触に手を伸ばし、無我夢中で掴んで引き寄せた。
すると突然顔に何かが当たって、視界を塞がれる。

ぼんやりとした頭でうっすらと目を開けると、視界一杯に見覚えのある白いシャツが広がっている。
そのまま顔を上げると、すぐそばに京介の顔があった。

「お、おい、お前何して――」

なんだか慌てているけど、もうそんなのどうだって良い。
あたしはそのまま京介の背中に手を回して、決して逃がすまいとしがみついた。

「ちょっ、どうしたんだよ。離せって」
「……ヤダ」
「な、なんでだよ」
「あんたがどっか行っちゃうからでしょ!?」

京介は面食らったように黙り込む。

「行かないでって言ったのに……なんでどっか行こうとするのよ」
「…………」
「置いていかないでよ……ずっとここに居てよ」

涙声で懇願する。夢の中でくらい、好きな事を言ったって良いと思う。
しばらくそうしていると、ポンと頭に手を乗せられる感触。

「俺はどこにも行かねーよ」

不思議と胸に染みこむような声だった。
頭に乗せられた手からも暖かさを感じる。
ようやく少しだけ安心出来た気がした。

改めて周囲に目を向けると、さっきまでの何もない空間から京介の部屋に戻っていた。
あたしが眠る前と何も変わっていない。
……ん? あたしが、眠る、前……?

急激に覚醒した頭で考える。
ここは京介の部屋。んでもってあたしはさっきまで寝てて、多分今起きたとこ。
そして今あたしは京介に抱きついて頭撫でられてる。

ドンッ!

思いっきり突き飛ばした。

「うおっ!?」
「な、な、ななな、なな……」
「おい、いきなり何を――」
「何してんのアンタ!?」
「俺の台詞だよ!」

ど、どういう事。どういう事どういう事なの。
どこまでが夢だったの? あたしなんか恥ずかしい事口走ってなかった?
は、恥ずかしい――! 超恥ずかしい!

「お前なあ……なんか変な夢でも見て寝ぼけてたのか?」
「! そうそれ! 夢だから! 全部!」
「全部ってなんだよ」
「いいから! 何もかも夢だから忘れる事! いい!?」

そう言い捨てて、急いで自分の部屋へ逃げ込む。
ああああもう、最悪、さいっあく……!

部屋で私服に着替えたあたしは、今リビングで雑誌を流し読みしている。
あんな事があった後だけど、部屋に閉じこもっている気にはなれなかった。
だって部屋に居たら、夕食の時間までずっと……その……アレだし。

しばらくそのまま過ごしていると、京介が飲み物を取りにリビングへ入ってきた。
とても顔を見ていられなくて雑誌で顔を隠す。
でもどうせ、すぐ部屋に戻っちゃうんだろうな。

そう思っていたら、京介はあたしの向かいに腰を下ろす。
そして近くにあった雑誌を手にとって読み始めた。
何してるんだろ。普段そんな雑誌なんて読まないくせに。

ちらちら京介の方を見ていたら、偶然目が合ってしまって慌てて目をそらす。
う~~っ……なんか恥ずかしい。
すると京介が急に声をかけてきた。

「なあ」
「なに?」
「俺今度の日曜に服買いに行くんだけどさ」
「……ふうん」

またどこか行っちゃうんだ。……別に良いケド。

「……ちょっと一緒に来てくれないか?」
「え?」
「俺一人だと、最近の流行とかよく分からなくてな」

どういう風の吹き回しだろう。これって誘われてるのかな。

「だからさ。お前にちょっと見てもらおうかなと思ったんだけど……ダメか?」
「行く」

つい即答してしまった。
いや、こいつに選ばせてたら超ダサい服しか買ってこないだろうし。
妹としてはそんなの耐えらんないし。

「そ、そっか。んじゃ今度の日曜な」
「良いけど、その代わりあたしの服も買ってもらうから」
「い!? そ、それは……」
「なに? なんか文句あんの?」
「……はぁ~……わーったよ」

ふふっ。そうと決まったらその日に着ていく服を選ばないと。
何着ていこうかな。

「それじゃ今度の日曜ね。ちゃんと覚えてなさいよ、置いていったりしたら承知しないから」
「大丈夫だっての。行く時はちゃんとお前も連れてくから安心しろ」

……そっか。連れてってくれるんだ。
当たり前のはずのやり取りが、何故だか凄く安心出来た。


あたしを置いていかないでよ。絶対だからね。




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最終更新:2011年01月10日 12:51
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