暗転


「じゃあ、これ」

アタシは一着のスーツをアイツに渡した。

「何だよいきなり?」
「あれ? お母さんから聞いてないの?」

アタシの進路相談が学校で行われることになった。それも父兄同席で。
お父さんは仕事だし、お母さんは法事に出なきゃいけないから
代わりにコイツに出席したもらうってワケ。

「オイ、俺、兄貴だぞ? オマエの進路を決めるのに兄でいいのかよ?」

あからさまに嫌そうな顔をしてきたから、案内の紙を見せてやった。

「ここ読みなさいよ。父『兄』ってあるでしょ? だからアンタでもいいの」
「オマエ、それ屁理屈だろ」
「別にあんたでもいいのよ。桐乃は進路に悩む必要なんて無いくらい優秀だし。
 あんたはただ黙って話を聞いて、あとで内容を報告してくれれば十分」

お母さんが助け船を出してくれた。

「で? このスーツは何なんだ?」
「アンタ、人前に出られるような服を持ってないでしょ。
 モデルの衣装で使えそうなスーツを借りてきたのよ。サイズは大丈夫だから」
「へーへー。至れり尽くせりってことね」
「当日は遅刻厳禁だかんね!」
「わかったよう!」



進路指導の当日、アタシは学校の玄関でアイツが来るのを待ち構えていた。
なにせこの学校、アタシを筆頭にかわいい子が多いから、
アイツが変な気を起こさないように見張らなきゃいけないのよね。
そして、アイツをなるべく人目につかないように面接室に引っ張り込まないと。


『キャアアアアア』
『かっけ―――――!!」
『SUGEEEEE!!』
『ねえ、あの人、誰!?』

教室の方から叫び声が聞こえてきた。そんなにカッコイイ人が来たのかな?
でもそんなことより、アイツが来たらとっ捕まえないとね。

暫くして玄関にアイツが姿を見せた。それも―――全身ずぶ濡れで。

「‥‥‥ナニ、その格好?」
「あ、いや、そこの池に落っこちまった」

ハァ? 池? あの池に落ちるってどんだけボサッと歩いてんのよ?
悲鳴を上げられるくらいカッコイイ人もいるってのに、コイツは‥‥‥もう最悪!

「進路指導担当の市古です‥‥‥。はわわわ‥‥‥どうされたんですか!?」
「ちょっとそこの池に落ちてしまって‥‥‥」
「部室のシャワーを使ってください。それと着替えを用意しますので」

もう‥‥‥。こんなことになるのならコイツに頼むんじゃなかった。

‥‥‥‥‥‥

進路指導室には、市古先生とアタシ、そしてジャージに着替えたコイツの三人。
せっかく用意したスーツ、台無しじゃないの。もう死ねッ!

「えー、桐乃さんの進路のことなのですが‥‥‥」

もう進路の話なんて全然頭に入らなかった。
アイツはウンウン頷いていたけど、どれだけ理解していただろうか。
あーあ、早く終わんないかな‥‥‥
ふとドアの窓を見ると、クラスの女の子たちが覗き込んでいる。

『あの人? 本当に!?』
『へえー、高坂さんのお兄さんだったんだ』
『信じられないよねー』

みんなのヒソヒソ声が聞こえる。もう‥‥‥この場から消え去りたい!
最低! 最悪!!



「お疲れ様でした」
「桐乃のこと、よろしくお願いします」

アイツは市古先生と挨拶を交わして相談室をアタシと共に後にした。


「もう用は終わったんだから、さっさと帰ってくんない?」

アタシは周りに誰も居ないのを確認して、可能な限りの侮蔑を込めた言葉を
アイツにぶつけた。

「わかったよ。じゃあな」


イラつく感情のまま、教室に戻るとアタシはみんなに囲まれた。

「ねえ、あの人、高坂さんのお兄さんだったの!?」
「え、う、うん‥‥‥そうだケド。ごめんね。みっともなくて」
「みっともないって、何が?」
「だって、あんなのカッコ悪すぎでしょ!」
「何言っているんだ!? 高坂の兄ちゃん、最高にかっけーじゃん!!」
「みんな、どうかしちゃったの? 池に落ちるなんてカッコいいワケ無いし!」
「高坂さん、見てなかったの!? お兄さんは―――」

え‥‥‥!?


「ただいま‥‥‥」

家に帰ったアタシはリビングに入った。誰も居ない‥‥‥
二階に上がってアイツの部屋のドアをノックすると、
アイツがバツの悪そうな顔でドアを開けてきた。

「ただいま‥‥‥」
「おう、お帰り‥‥‥。ああ、今日は悪かったな。あんなことになって」
「なんで言ってくれなかったの!?」
「な、何を?」
「アタシ、クラスのみんなから聞いたんだよ! アンタ、池に落ちたんじゃなくて、
 池で溺れていた猫を助けるために自分から飛び込んだって!」

アイツは、頭を掻きながら言った。

「いや、オマエが俺に用意してくれたスーツを台無しにしちまったし、
 自分で飛び込んだ以上、言い訳はみっともないと思ったからな」
「ナニ、カッコつけちゃってんのよ!? バカッ!!
 あの後大変だったんだから。クラスの子に囲まれて、女の子からは
 『カッコイイ』だの、男の子からは『男前』だの散々言われたし」
「ホントか?」
「ニヤつくな! キモッ!!」

ぽふっ

アタシは頭のてっぺんをアイツの胸に押しつけた。

「オ、オイ、何を?」
「カッコ悪いアンタにアタシのカッコ良さを分けてあげるから充電しなさいよね」
「でも‥‥‥」
「じっとしてて!」

なんて子供染みた言い草だろう。自分が嫌になってくる。
アイツの心臓の鼓動を感じながら、今日のことを思い浮かべた。

「ねえ、なんであんなコトをしたワケ?」
「うーん、何というか、それが俺に課された使命っていう感じ?」

アイツは薄笑い含みの声で答えてきた。



「ナニそれ? バッカみたい」
「でも猫も喜んでいたみたいだぞ?」
「ハァ? 猫が喋ったとでも言うワケ?」
「ああ、そうだ」
「猫なんかと喋ったら、首を吹っ飛ばされるわよ」
「オマエ、あのアニメに相当堪えてんのな」
「うるさい! あれは―――」

アタシは頭をアイツの胸から離して怒鳴った。
もう、コイツ調子に乗りすぎ!

「ああ、借りたスーツ、クリーニングに出したから」
「あ、そう」
「返すときは俺も付き合うよ。お詫びしないとな」
「いいよ別に‥‥‥」
「そんなワケにいかないだろ。返した後、そのままどっか遊びに行くか?」
「え‥‥‥、そこまで言うのなら、行ってあげても‥‥‥いいケド」
「よし! 決まり!!」


アタシは自分の部屋に戻ってベッドに身を投げた。
なんか今日のアタシ、すっかり主導権をアイツに取られちゃったじゃん。
でも、こうなったのもそもそもアタシの我が侭だし、学校に来なければ
あんなことにもならなかったワケだし、それに誘ってきたのはアイツなんだし。
全然構わないよね‥‥‥。


ふふん。何を着て行こうかな。



ピロピロピロ

メールが来た。あやせからだ。
なになに、『お兄さんの大活躍聞いたよ。写メが回っているから桐乃に送るね』
―――って、まさか、ずぶ濡れ姿の写メってこと? もう! 物好きなんだから。
アタシは半ば呆れながら、添付の写メを開いた。

――――――――ッ!!!

ピッ ピッ ピッ ピッ
アタシは写メをメールごと削除した。あんな写メ、見るんじゃなかった。


ピリピリピリピリ

今度は電話だ。誰から‥‥‥?
―――ッ!!
イヤだ。出たくない。絶対に出ない!!
アタシの耳をつく着信音を必死に無視した。

“あいつ”は諦めたのか、着信音が止まった。
なんでこのタイミングで電話をかけてきたのよ?

今になってアイツの言葉が頭の中を駆け巡る。

『―――それが俺に課された使命っていう感じ?』

そんなコトありえない。そんなワケあるはずない。深い意味なんて何もない。
そう、全部偶然。偶然なんだ。


写メに写ったアイツの腕の中に居る猫が―――


真っ黒だったなんてこと。


『暗転』 【了】




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最終更新:2011年03月05日 12:39
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