「あんた……なんでいんの?」
桐乃は開口一番にそう呟いた。
両親は遅くまで帰らない予定で、こいつは陸上部の練習があったはずだった。
だからこの時間は俺しか家にいないはずなのだが、しかし、この場には高校生一人と中学生二人が固まっていた。
やはり家に招いたのは軽率だったようだ。
「お、おまえ、部活はどうしたんだよ?」
「今日体育でねん挫したから休んだ。で? あんたと約束した覚えなんてないんだけど」
なんでいんの、と再び呟いた桐乃の、一際鋭く眇められた目が、ここにいるはずのない黒猫の姿を射抜く。
「いや、これはな……お、俺が呼んだんだよ! こいつ近所だろ? 偶然そこで会ってさ」
苦しい。あまりに苦しい言い訳だった。
桐乃はこちらには一切視線を向けず、その親父譲りの眼光に、黒猫だけを映している。
俺の話など、はなから聞いちゃいねぇ。
黒猫はというと、桐乃の視線を正面から受け止めて涼しい顔をしている。
なにもやましい事などない、というように。
確かに、妹に内緒にしていた、という点で後ろめたさは感じているが、別に責められるような事をしているわけではない。
「京介、別に隠しておく事はないわ」
「確かにそうだけどよ……」
それでも、兄としては気が引けてしまうのだ。まさか妹の友達と――
「私たち交際しているのよ。別に彼女が彼氏の家を訪ねていても不思議ではないわ」
―-付き合っているだなんて。
「……は? なに言ってんの? ギャグのつもり? キモいんだけど」
「じ、実はそういう事なんだ」
顔に熱がこもるのを感じながら、妹から視線をそらす。どんな羞恥プレイだよ。
果たして笑われるか、罵倒されるか。こいつの事だから思い切り馬鹿にするんだろうよ。
身を硬くして桐乃の反応を待っていたが、予想外な事にすっかり黙り込んでしまっていた。
俺たちの関係を聞いた桐乃は焦点の合わない虚ろな眼をさせていて、あの鋭い目から光が失われたような気さえする。
「き、桐乃?」
「……なんで? いつから?」
「え、ああ、まだ一ヶ月くらいか? 黒猫から告白されてさ」
「あら、あなただって以前から私を見る目に熱が篭っていたようだったけれど?」
黒猫は明らかに俺をからかい始めていた。妹の前でなんて事を言いやがるんだ、こいつは。
まぁ、つまりは両思いだった、というわけなのだが。
しかし、そんなのろけ話を聞いてもなお、桐乃は冷めた様子を崩さない。
「んなワケないじゃん。だって、こいつ、すっごいシスコンなんだよ? ねぇ?」
いつもの調子の台詞なのだが、やけに言葉にプレッシャーを感じる。
普段、俺を馬鹿にするのとは違い、言葉のトーンはひたすらに平坦だ。
否定してしまえば、どうなってしまうかわからない。そんな危うさを持っている。
「ああ、そっか。あんた遊ばれてんじゃん? さすがに実の妹に手を出すわけにはいかないもんね」
「あなた、いい加減に……」
「うっさいな! 黙っててよ根暗女が! さっきから人の家でなにしてんの!? さっさと出てってよ!」
黒猫の声に、桐乃は弾かれたように声を荒げた。
さっきまでの会話も、まったく聞いていなかったような、本当に何故黒猫がここにいるのかわからない、といった様子である。
ギリギリと音が聞こえるほどに歯を食いしばり、黒猫を睨むその目からは抑えようもない嫌悪が滲んでいる。
なんだこいつの取り乱し様は。いつもとは違う、すぐにでも壊れてしまいそうな予感をさせる。
俺は背筋に冷たいものを感じた。こいつは、一体どうしちまったんだ。
お、俺の妹がこんなに恐いわけが……
最終更新:2009年08月22日 02:55