月と星と妹


「では、講習を始めるぞ!」

そのかけ声に、クラス全員の目が担任に集まった。
我が校にAEDが配備されたのでそれの使い方を教育するんだと。
AEDってのは、心臓の動きがおかしくなった人に電気ショックを与えて
救命措置をするアレだ。
それと併せて、人工呼吸とか骨折とかの応急措置の講習もある。
ま、確かに勉強しておけば誰かを助けることが出来るかも知れねえし、
俺自身が助けられるかも知れない。
もっとも、こういうモノが役に立つシチュエーションなど有って欲しくないが。

ところでAEDってのは、電気ショックが必要かどうかを機械の方で診断して
ほぼ自動で動くらしい。健康な人に電気ショックを与えることは無いそうだ。
よくできているモンだぜ。
人工呼吸の方は、人形の口にキスをして空気を吹き込む、よくあるパターン。
おっと、俺の順番が来たようだ。

「顎を上げて、鼻を塞いで、息を吹く込むように」

インストラクターの指示に従い、人形の鼻を塞ぎ、口にキスをして息を吹き込むと
人形の胸がわずかに膨らんだ。どうやら上手くできたらしい。
その時、嫌な感じの視線を感じた。
視線の主を捜すと、髪の赤い巨乳の眼鏡女がドアの窓越しに俺を見ていた。
「うへへへ」と笑っているように見えたのは気のせいじゃあるまい。
それもこれも、この人工呼吸人形が男っぽく見えるせいだ。
リリエント工業さん、新しいビジネスチャンスだと思いますよ!

そして最後に、骨折時の副え木のやり方をして、講習は終わった。
せっかく受講したのだから、やってみたい気がする。
おっと、それは不謹慎だよな!


「今日はお風呂の時間の頃に停電があるらしいわよ」

家に帰り、四人揃って晩飯を食っていると、お袋からの言葉。
へいへい、気をつけますよ、などとお袋の言葉を軽く流し気味に、
俺は停電までの時間を勉強に費やすことにした。

『桐乃~、お風呂に入りなさい』
『は~い』

桐乃のヤツ、風呂に入るのか。じゃあ俺はその後だな。
この時間だと‥‥‥俺は停電の中、風呂に入ることになるな。

暫く机に向かっていると、

フッ―――

あ、消えた。ほぼ時間通り。しゃあねえ。勉強は止めだ!
俺はベッドに身を投げ、目を閉じた。

‥‥‥‥‥‥

どれだけ時間が経っただろう。携帯を見ると停電からほぼ1時間が経過。
さて、俺も風呂に入りますか。
真っ暗の中、辿り着いた脱衣所で服を脱ぎ、浴室のドアを開けて中を覗く。
やはり真っ暗。
窓から月明かりくらい入ると思ったが、生憎月の位置が悪いようだ。
ドアを閉めて手探りで浴槽の位置を確認すると‥‥‥ん?
湯船のフタが開いているぞ。桐乃のヤツ‥‥‥閉めとけよ。

俺は体を軽く流し、湯船に浸かろうと片足を入れた。
俺は自分に問うたね。「やあ、地雷を踏んだ気分はどうだい?」って。

「ちょ!」

何かが足に触れたぞ? なんだこれ? そして今の音、いや、声は?
ま、まさか‥‥‥


「ちょっと、アンタ! ナニやってんよ!?」
「桐乃!? オマエ、風呂に入っていたのか?」
「入っているわよ! 何で気づかないのよ?」
「真っ暗だからだよ! オマエこそ何で気づかないんだよ?」
「アンタ! アタシが音楽に夢中になっていると思って‥‥‥!!」

げ、コイツ、プレーヤーで音楽聞きながら風呂に浸かっていたのかよ。
最近、防水のヤツを買ったと言っていたが、ヘッドホンで気づかなかったのか!?

「変態! シスコン!! 強姦魔!!!」

恒例の罵倒三連コンボを食らった俺は暗闇の中、必死にドアを開けようとした。

開かない‥‥‥

ウソみたいだろ? この非常時にドアが開かないんだぜ? エロゲみたいだろ?

「は、ははは、ドア、開かねえ」
「ハァ~~~~? ナニ笑ってんのよ?」

真っ暗のハズなのに、桐乃の突き刺さるような視線を感じた。とても痛い。

「あ、あのさ、説明させてくれ!」
「こっち見んな! 変態!!」
「いや、真っ暗でマジ見えねえんだけど。オマエだってわかるだろ!?」
「‥‥‥ま、まさか、アンタ、裸なワケ?」
「当たり前だろ! 風呂なんだからな」


ザバン

何やら水の音がした。

「桐乃?」
「イヤッ! 見んなっつってんでしょ!!」

オイ、『イヤッ!』だとよ。あり得ねえ。コイツがこんな台詞を吐くとは。
何度も言うが、マジ見えないんですけどねえ?
つーか、裸だからちょっと寒い。

「オイ、俺も湯船に浸からせろよ」
「ハァ? ナニ言ってんの? 一緒に風呂に入りたいなんて、このシスコン!」
「シスコンじゃねえ! 普通に寒いんだよ!」

俺が桐乃の反論を無視して湯船に浸かると、お湯が湯船から溢れ出た。

「ちょっと、お湯勿体ないじゃん! アンタ立ってなさいよ!」
「‥‥‥勃ってねえよ」
「だから立ちなさいよ!」
「オマエ、エロゲのやり過ぎ」
「は‥‥‥‥‥‥?」
「あ、そういう意味じゃないのか?」
「ブッ殺す! ブッ殺す!! ブッ殺す!!!」

ガボッ

この暗闇の中、桐乃は両手で俺の頭を掴み、湯船に沈めた。

「ねえ、アンタ知ってる? お風呂での事故って多いらしいよ?」

何やら物騒な言葉を吐く桐乃の声は、死神のそれにしか聞こえなかった。

「き、きびの、グボゥ やめで‥‥‥くでっ! ガボッ」

‥‥‥‥‥‥


「仕方ないわね。我慢してあげる」

俺の必死の抵抗が功を奏したのかは知らないが、桐乃様のお怒りは鎮まり、
何とか落ち着きを取り戻したようだ。マジ、死ぬかと思ったぜ。

「その代わり触ったりしたらマジ殺す!」
「触るかよ!」
「アタシ、向こう向いているかんね! アンタはあっち向いてなさいよね」

というわけで、俺たちは背中合わせに湯船に浸かった状態となった。

当然、気まずい。
ふたりきりで密室にいること自体、慣れてないのに、今はお互い素っ裸なんだぞ。
ドアは開かねえし、どうすりゃいいんだよ?

「‥‥‥‥‥‥」

桐乃がすっかり無口になった。まあ当然か、と思ったら、

「なんか熱い。水入れるよ」
「そんな熱くないだろ? 停電で追い焚きできねーんだぞ!?」
「うっさい! 熱いんだから仕方ないじゃん!」
「やめろコラ!」

どん

俺は桐乃ともつれ合った。
桐乃を壁に押しつけ、桐乃の体温を感じるほどに密着した体勢に。

「なっ、な、な‥‥‥!」
「違う! コレは事故―――」
「離れてよ! あっち行け!」

これ以上暗闇で暴れられたら危なくて仕方ない。大人しくするか。



黒い静寂がふたりの空間を支配していた。
桐乃のヤツもすっかり大人しくなったようだ。
でも、静か過ぎるな‥‥‥?

「オイ、桐乃」
「‥‥‥‥‥‥」
「桐乃? どうした?」

俺は振り返ると手探りで桐乃を探した。
お湯に顔を浸けたままの桐乃の存在に気づくのに時間はかからなかった。

「桐乃! 大丈夫か!? 桐乃!!」

返事がない。そして何よりも息をしていない。

―――『ねえ、アンタ知ってる? お風呂での事故って多いらしいよ?』

さっきの桐乃の言葉が頭の中を駆け巡る。
冗談じゃねえ! こんなことで桐乃を! 桐乃を!

―――『顎を上げて、鼻を塞いで、息を吹く込むように』

昼間のインストラクターの言葉が浮かんできた。躊躇している時間など無い。
俺は講習の通りに桐乃にキス、いや人工呼吸を施した。
1回、2回、3回、クソッ! 戻れ! 戻ってきてくれ!
俺がガサツなばっかりに、妹をこんな目に合わせるなんて。畜生!

7回、8回、9回‥‥‥

「グゥッ ボフォ ゲホッ! ゲホッ!」

桐乃が水を吐いたようだ。戻ったか!? 桐乃!!

‥‥‥‥‥‥


「桐乃! 桐乃! しっかりしろ!!」
「あ、兄貴‥‥‥? アタシ‥‥‥どうしたの?」
「上せて、溺れかけたんだよ!」
「溺れ‥‥‥? マジ?」
「悪かった! 俺のせいで‥‥‥済まん!」

俺は桐乃を抱きしめると、桐乃も俺の背中に腕を回してきた。

そのままの体勢でどれだけの時間が経っただろう。
桐乃の躯がいきなり熱くなった。

「ちょ、アンタ、一体、ナニを‥‥‥してんのよ!?」

みんな覚えておけよ。これが、ヴェローナの毒気の解けた瞬間だ。
冷静に考えると、俺は素っ裸で、同じく素っ裸の妹と抱き合っていたワケよ。
事情はどうあれ、どう考えてもエロゲもしくは鬼畜変態兄貴です。うん。

「アタシが溺れたことをいいことに、キス‥‥‥して、抱きしめて‥‥‥!!」
「落ち着け、桐乃!」
「他にナニしたの? まさか、アタシを‥‥アタシに‥‥アタシの‥‥!」
「オマエ、すげーエッチなことを想像しているだろ?」
「うっさい! 無理矢理キスしたくせに!」
「キスじゃねえ! 人工呼吸だ!」

ぱぁ――――ん

「ブッ!」

桐乃のビンタが正確に俺の頬を捉えた。
なんでコイツは暗闇の中、正確に俺を殴れるんだよ?

‥‥‥‥‥‥


俺は頬に鈍痛を感じながら、完全復活した桐乃様の説教を拝聴していた。

「アンタがアタシにキスした事実は消えないから グスッ」
「オマエ、泣いてんのか?」
「泣いてない!」
「悪かった。済まなかった」
「そんなの、アタシが許さない」
「オマエの好きな相手との?‥‥‥キスじゃなくて悪かったよ」
「違う!! 問題なのは―――」
「え?」
「アンタがキスしたことじゃなくて、アタシがワケわかんない間にキスを‥‥!」
「え? 何だって?」
「何でもない‥‥‥」

何だよ。言いかけたことを引っ込めるなよ。気持ち悪いじゃねーか。

「でも‥‥‥ありがとね。助けてくれて」
「うん? あ、ああ」

暗闇の中でもコイツの口調から感謝の“表情”を読み取れた。

「でも、久しぶりだよね? こんな風に‥‥‥ふたりで‥‥‥入るなんてさ」
「そうだな。いつ以来だろ?」
「う~ん、小学校1年の時にはもう入らなくなったカモ」
「随分、入ってなかったんだな」

さっきは背中合わせで顔も合わせてなかったのに、今この瞬間は向き合って
普通に話している。真っ暗とはいえ、俺たち裸なのにな。異常だぜ。


「ねえ‥‥‥窓、開けてみる?」
「何言ってんだオマエ? 外から見えちまうだろ」
「そっか。じゃ、ブラインドだけ」

シャッ

「ここからじゃ、月、見えないんだね」
「オマエ、それでも月明かり入るんだぞ。その‥‥‥み、見えるぞ?」
「あんまよく見えないじゃん」

そんなことはない。
どこかで反射した月明かりが、ガラス越しにわずかに射し込む。
表情は伺えないが、ブラインドを開けるために立ち上がった桐乃の躯が
わずかな月明かりに照らされて‥‥‥

ヤバい。

「星がきれい‥‥‥」
「‥‥‥あ、ああ。キレイ‥‥‥だな」

窓の外側にあるものではなく、窓の内側にあるものを見た感想だ。

マジ、ヤバい。

「もう閉めるぞ!」
「ちょ、何すんのよ?」

俺は無理矢理ブラインドを閉めた。目の毒だ。


再び真っ暗になった浴室の中、俺は短い静寂を破った。

「悪かったな、桐乃」
「ううん、いいの。ありがと、兄貴」

随分久しぶりとなった、ふたりでの風呂イベントで起こったことを思い返し、
俺たちが向き合って囁いていると、

パッ

停電が終わった。『ああよかった』と安堵したのもほんのつかの間。

「きゃあああああああああああああああああああ―――ッ!!!」
「ぬああああああああああああああああああああ―――ッ!!!」

ふたりで一緒に風呂に入っているという現実に戻された俺たち。

「出てけッ! 出てけッ!! 出てけッ―――!!!」

桐乃が烈火の如く喚き散らし、俺は這々の体でドアを開けて出て行った‥‥‥

ん? ドアは壊れていたんじゃないのかって? それが違うんだな。
暗闇の中で、しかも桐乃と鉢合わせしたせいで前後不覚になり、
浴室に向かって内開きのドアを必死に押していたんだよ、あの時の俺は。

いずれにしろ、このままでは俺は
”妹と風呂に入りたいがために、ドアが壊れたフリをした変態鬼畜兄貴”
のポジション確定だ。俺は自分の部屋に戻って服を着て出かける用意をした。
外に逃げて少し時間をつぶせば何とかなるだろう。
よし、着替え完了! 俺はドアを開けて階段に駆け下りようとした‥‥‥が、
はははは、やっぱり手遅れだった。

「やあ、桐乃! 濡れた髪が色っぽくて素敵だ! とても可愛い!」

取り繕い丸出しの俺の甘言に無反応のまま、服を着た桐乃が階段を昇ってくる。
俺が踵を返して部屋に逃げ込もうとすると、桐乃が俺の服を掴んでこう言った。

「ねえ、アンタ知ってる? 階段での事故って多いらしいよ?」


『月と星と妹』 【了】





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最終更新:2011年04月10日 17:11
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