「フンフンフン♪ さて、今日は特に済まさなきゃいけない用事もないし、帰ったらなにしようかな~」
あたしは高坂桐乃。超可愛くて成績優秀な中学三年生の15才。
そんなあたしだから学校で告られることもしばしばあるけど眼中なし。あたしの好みは最低でも3歳年上から。
それでいてあたしのために体を張ってくれる頼りになるようなやつじゃないと駄目。優しいのはもちデフォで。
それが満たせればまあ、容姿は少しぐらい妥協してもいいかな。
部活は陸上をやってる。
走ることを始めたきっかけはひどいものだったけど、今では自分の中で誇れるものになった。
中学の部活でも成績はいいし、走っている間は気持ちがスッとして気持ちがいいんだよね。
誰かさんのおかげでスポーツ留学は駄目になってしまったけど、振り返ってみればあれがあのときの最善だったように思う。
あのまま向こういれば、あたしは色々なものに押しつぶされて、今のように純粋に走ることを楽しむことも出来なくなってたかもしれない。
家に着き、ドアを開けようとして鍵がかかっていることに気付いた。
今日は土曜日で今は丁度お昼時。
部活は午前で終わりだったので、わりと早めに帰ってこれたのにおかしいな、とそこまで考えて思い出した。
「そういえば、今日からお母さん達いないんだっけ」
お母さん達は今日から二泊三日の旅行だ。
留学のごたごたで迷惑をかけてしまった両親に対する、あたしなりのお返しのつもりだった。
この話を持ちかけたとき、お父さんもお母さんもびっくりしていたけど
『親が子供の世話をするのは当然だ。しかし、その気持ちは受け取っておこう。ありがとう桐乃』
『目一杯楽しんでくるわね』
そう言ってくれたお母さん達は優しい目をしていた。
朝から出かけていったはずだから、今頃は宿についてのんびりしているに違いない。
お父さんは普段凄く大変そうだからこの機会に疲れを癒してくれるといいな。
カチッとロックを外し、「ただいま」とお決まりの文句を言いながら玄関をくぐる。
「……あいつ、出掛けてんだ」
玄関に靴がないことを確認して、あたしはそう呟いていた。
さっきから言っている誰かさん、あいつとは自分の兄である京介のことだ。
地味面で、情けなくて、寂しがりやで泣き虫で口が悪い。そこらに放り出してしまえば、その場で埋もれてしまいそうなほどの平凡な人間。
おまけに変態でシスコン(本人は頑なに否定しているが)。あたしが頼んでもいないのにおせっかいを焼きたがる極度のお人よし。
でも……そんな京介が、本当は頼りになって、凄く優しいことも、あたしは知ってる。
ま、絶対にそんなこと思ってるなんて口にしないケド。あいつすぐに調子に乗るし。
京介は今日は特に用事もないはずで、そういう日は大体家でごろごろしていたり、自身が高校三年ということもあって受験勉強をしてたりもする。なのに今家にいないということは……
「……あいつ、また地味子のとこにでも行ってんの? …ウザッ」
ある可能性を真っ先に思いつき、イライライラッ!とさっきまで優しい気分が一気に吹っ飛んだ。
地味子。本名、田村麻奈実。おそらく京介と今一番仲がいいと思われる女。認めたくないけど。
のほほんとしていて垢抜けない。どこかあいつに似ているところがムカつく。別に嫌いじゃないけどムカつく。
地味子の前でへらへらしてる京介の顔を思い出すだけで更にイライラが募る。
……何さ、いっつもあたしの前じゃ嫌そうに顔しかめてるくせに。フンッ、どーーーーでもいいんだケド!
「チッ…とりあえずシャワー浴びよ。汗かいて少し気持ち悪いし」
着替えを取りに部屋へ行く途中、ポケットの中の携帯をまさぐる。
一言釘でもさしてやろうか。でもそれって、まるであたしがあいつに早く帰ってきて欲しいみたいだよね……
やめやめ。どうせ夕飯までには帰ってくるでしょ。
そう考えて取り出そうとした携帯を手放した。
後にしてみれば、この時のその判断があんな事態を招いたんだと思う。
「ハァハァ、やっぱり妹最高ーーーー!!
……ふぅ、とりあえずきりのいい所までいったし、今はここまでにしとこっかな。あれ、もうこんな時間なんだ」
あれからシャワーを浴び、部屋に戻ってからはひたすら好きなことをした。
エロゲとかエロゲとかエロゲとか。
べ、別にこれしかやりたいことがなかったわけじゃなくて! ただまだ積んでるゲームを消化しきってなかったからだし! って、あたし誰に言い訳してるんだろ?
好きなことをしていれば時間が過ぎるのも早いもので、気がつけば既に短針と長針が一直線になる時間を過ぎていた。
いつもならとっくに京介が帰ってきていてもおかしくない時間だ。なんだかんだであいつは時間はきっちり守るし。
あいつだって今日からお母さん達がいないことぐらい知ってるはずなのに。
もしかして地味子の家で晩御飯まで食べてくるつもり?
妹一人家に置いて他の女のとこで夕飯食べてくるとかありえないですケド! というか遅くなるなら連絡の一つもよこせっつーの!!
京介の無頓着さに憤慨しつつ部屋を出た。
あたし以外に誰もいない家はシンと静まり返っていた。その静けさに少しだけ背筋が震えるけど、それを振り払うように足を進める。
あいつがいれば…なんてことが頭をよぎる、わけがない。そんなことはありえない。ありえないったらありえない!
ブンブンとその考えを追い出すように頭をふる。
ふと、階段の手前、京介の部屋の扉が目に入った。
「?」
なんだろ、これ。
確かな違和感。でもそれが何かわからない。
あるべきものがない。そんな感じがするのに、それが何なのかわからない。
わからないものは仕方ないので今は放置しよう。あたしはそう結論付けて階段を下りていった。
下りなれているとはいえ、階段は暗いと危ない。上るときはそうでもないけど降りるとなると、とたんに危なくなる。
少しでも足元を明るくしようとポケットから携帯を取り出した。
(そもそも電気をつけるなら2階にも階段用の照明スイッチがあるのにこのときはスッポリ頭から抜けていた)
しかしそれがいけなかったらしい。
自分でも気付かないうちに震えていた手から滑り落ち、ゴン! ゴン! と音を立てて階段を落下していくあたしの携帯。
「あ! ちょっと、待て、このっ!」
携帯を追って慌てて階段をおりる。
携帯は少し落ちたところで止まり、それにホッとしたのもつかの間、ズルッと踏み出した足を滑らせてしまった。
「!!!!??!?」
ドン! ドダダダ! バキィ!!
「あ、あっぶなー…」
足を滑らせた瞬間に壁に両手を突っ張り、足を広げてなんとか落下は防げたようだった。
はたからみれば凄まじくはしたない格好をしているだろう。大股を広げ、下半身を下に突き出している今の格好は。
この下にあのバカがいたなら、間違いなく蹴り飛ばしてる。断言できる。
「っていうか、今すっごい嫌な音がしたんだけど…うあぁ~~……やっちゃった…」
なんとか階段から落下は防げたけど、足元の惨状を見て漏れたのがその科白だった。
足をどけてみれば、そこには見るも無残に踏み砕かれた携帯が。正確には、中折の部分を見事に踏み抜いたみたいで携帯が真っ二つになっていた。
流石にこれはもう修理は無理だよね。ホンッとについていない。
「あ"~もう最悪!! あれもこれも全部あいつのせいよ! でも、どうしよう。これじゃ連絡取れないじゃん……ん? むしろこれは好都合?」
うん、そうだ。シスコンのあいつのことだし、あたしの携帯に電源入ってないことに気付けば飛んで帰ってくるかもしれない。
あせったあいつの顔が目に浮かぶ。連絡もよこさないあいつが悪いんだし、自業自得よね。
イヒヒ、いい気味。あ~キモイキモイッ。
ついでにあたしの携帯の買い替えにつき合わせてやろう。あいつもそろそろ携帯買い換えたいって言ってた丁度いいでしょ。
そのときにあたしと同じ携帯を買わせよかな。同じメーカーなら割引もききやすいし。あいつ相手に携帯代かさむのも癪だし。
あなたは本当に素直じゃないわね
うっさい
どこからともなく黒いのの声が聞こえた気がした。
「とりあえず何か食べよ。お母さん何か作り置きしてあるかな?」
もし何もないなら今から出前を取るなり買いに行くなりしなくちゃいけない。お金はお母さんからもらってるけど、正直面倒だ。
そう思ってキッチンを覗いてみると、お母さんお得意のカレーを発見! これなら温めるだけでいいし、手軽に食べられる。
お母さんグッジョブ! 早くあっためて食ーべよっと。
コトコトと音をたててカレーが温まっていく間、ついつい思い浮かぶのは京介の顔。
「兄貴、ほんとにどこ行ったんだろ。いい加減帰ってきてくれてもいいじゃん……」
自分でも信じられないほどに弱々しい声音が漏れていた。
思い返せば、夜に一人で留守番なんてことはほとんどなかった。あたし以外にも誰かしらが家に必ずいた。
それはお母さんだったりお父さんだったり――京介だったり。
そういえば、親がいないときはいつだって京介が家にいた。
それは冷戦中だったあの頃も同様で――あいつはあいつなりにあたしを心配してくれてたのかな。
コトコトコトコト。カレーの煮える音だけがリビングに響く。
カレーはとっくに温まっているのにもかかわらず、そあたしはのまま煮続けている。――まるで誰かの帰りを待つように。
あたし、何やってんだろ。さっさと食べて部屋に戻ればいいのに。意味、わかんない。
「……カレー食べて部屋もどろ」
どうにも味気ないカレーを食べ終えたあたしは部屋に戻り、PCを起動させてチャットを開いた。
この苛立ちと寂しさと、他にもぐちゃぐちゃになった感情をどこかに吐き出さないとやっていられない。
見てみれば、丁度よく黒猫と沙織がいた。
少し悪いとは思うけど、今は愚痴のはけ口になってもらおう。
ピロリーン
きりりん@あのバカが帰ってこない件 さんが入室しました
きりりん@あのバカが帰ってこない件:やほ
†千葉の堕天聖黒猫†:あら、来たのね。ごきげんよう
沙織(管理人):あらあら。いらっしゃいませ、きりりんさん
きりりん@あのバカが帰ってこない件:っていうか聞いてよ! もう信じらんないんだケド!!
†千葉の堕天聖黒猫†:またいきなりね。あなた、もしかして愚痴りにきただけなのかしら?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:うっさいなぁ。別にいいでしょ!! 文句ある!?
沙織(管理人):まあまあ、きりりんさんも黒猫さんも、お二人とも落ち着いてください
†千葉の堕天聖黒猫†:……まあいいわ。それで? 何があったのかしら?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:それがさあ、あんたらには言ったと思うけど、今日からウチの親が旅行にいってんのね
†千葉の堕天聖黒猫†:そんなことも言っていたわね
沙織(管理人):「思う存分メルルがみれるー!」とはしゃいでいましたもの。覚えてますわ
きりりん@あのバカが帰ってこない件:うっ……ま、まあそれはいいとして!
あたし今一人で留守番してるんだけどさあ、ウチのバカがいまだに帰ってこないんだよね
ありえなくない? こ~んな可愛いあたし一人家残すとか!
せっかくあたしが構ってあげようと思ってたのに!
†千葉の堕天聖黒猫†:…なるほど。それで寂しくなってここにきたのね
せっかく家に招待した男に逃げられて、その寂しさの埋め合わせというところ?
フッ、いい気味ね。これに懲りたらもう少し普段の態度を改めたらどうかしら?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:な、何言ってんのあんた!? ウチのバカって言ったらあいつに決まってんじゃん!!
†千葉の堕天聖黒猫†:あら、あなたがそう呼ぶなんて随分と仲がいいのね。いつの間に男なんて作ったのかしら?
しかもご両親が家にいない間に連れ込むだなんて。このビッチ
きりりん@あのバカが帰ってこない件:んなぁ!? ちょっと! ふざけんのもいい加減にしてよ!!
あいつって言ったら兄貴に決まってんでしょ!?
†千葉の堕天聖黒猫†:ふざけるも何も、あなたこそ何を言っているの?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:何がよ!?
†千葉の堕天聖黒猫†:あなた、一人っ子じゃない。兄がいるだなんて聞いたことがないわ
……は?
一瞬目を疑った。こいつは、今、なんて言った?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:は、はあ!? な、何言ってんのあんた。頭でもおかしくなった!?
†千葉の堕天聖黒猫†:おかしいも何も、それはあなたではなくって? ねえ沙織?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:ちょっと! まさかアンタまでおかしなこといわないでしょうね!?
そ、そう。これはこいつの悪い冗談。そうに決まって……
沙織(管理人):え、えっと……きりりんさん?
わたくしもきりりんさんは一人っ子だと記憶しているのですけれど…
アンタマデソンナコトヲイウノカ
きりりん@あのバカが帰ってこない件:……あ、あはは。何? 二人してあたしをからかってんの?
冗談にしても笑えないよ? それ
†千葉の堕天聖黒猫†:からかっているつもりはないのだけれど……
あなた疲れてるんじゃなくて?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:そうですわ。慣れない留守番で疲れているんでしょう
今日は早めにお休みになられたらどうです?
きりりん@あのバカが帰ってこない件:……もういい!! あんた達に言ったあたしがバカだった!
きりりん@あのバカが帰ってこない件 さんが退室しました。
なんなのよ二人して! ムカつくムカつく!! 憂さ晴らしのつもりだったのに余計にストレスたまったじゃん!!
あたしが一人っ子?ハッ、寝言は寝てから言えっての。あんたらとあいつ、何回顔を会わせたと思ってんの!? 人を勝手に恋人扱いしたくせに!
バン! と蹴破るように部屋を出て、ドンドンと床を踏み鳴らしてあいつの部屋の前に着く。
もう物理的にでも何かに当たらないとやってられないぐらいにあたしは苛立っていた。
思いっきりドアを蹴飛ばしてやろうと足を振りかぶって、
「あれ?表札がない?」
ようやく感じていた違和感の正体にたどり着いた。
いつもかかっていたはずの「京介」と書かれた表札がない。
嫌な、胸騒ぎがした。
「ま、まさかね。そんなはずは……」
苛立ちは既に忘れていた。背中に嫌な汗をかいてるのがわかる。
さっきの黒猫の言葉が頭をよぎった。
あなた一人っ子じゃない
ゴクリ、と喉を鳴らす音がやけに響いて、見慣れているはずのドアノブがやけに恐ろしいものに見えた。
あいつに人生相談を持ちかけてから出入りするようになったドア。そのドアをいつものように開けようとして……やめた。
バ、バッカみたい。そんなことあるわけないじゃん。あいつだって流石にもうすぐ帰ってくるでしょ。
今日っていう時間はまだまだあるんだから、嫌なことは忘れてさっきの続きをしようっと。
自分に言い聞かせるようにそんなことを考えながら、あたしは部屋に戻った。
拭いきれない不安を胸に抱えたまま。
その日、京介は家に帰ってこなかった。
最終更新:2011年08月25日 21:09