俺たちの田村さん

http://pele.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1303394673/830

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大人向け。18歳未満の方は速やかにファイルを閉じてください。

注意事項:本作は主人公がオリキャラという『外道』二次創作です。
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     オリキャラNGの方は華麗にスルーしてください。
     また、カップリングに強いこだわりのある方もスルーの方向で。
     最初の150行ぐらいで判断していただけるかと思いますが、とにかく、
     二次としてどうなの?と書いた本人が思ってしまったという。

タイトル:俺たちの田村さん
登場人物:田村麻奈実、高坂京介、「俺」、他
設  定:京介と麻奈実は大学生になっています。
     京介には年下の恋人がいます。
物  量:1150行ぐらい

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(1)

 彼女と出会ったのは大学に入って間もない頃だった。まだ、五月の連休前だったから、
本当にこっちに来たばかりの頃だ。俺はサークルで高坂京介という男と知り合い、程なく
彼女、田村麻奈実とも知り合う事となった。彼女は家の手伝いがあるとかで、どこのサー
クルにも入っていなかったけれど、高坂と一緒にいることが多かったから自然と知り合う
機会に恵まれたというわけだ。その点に於いて、高坂は俺の恩人と言えなくもなかった。
 サークルのメンバーも含めて、二人を知っている人間の殆どは二人が付き合っているも
のだとばかり思っていた。高坂は『ただの幼馴染みだ』、なんて言っていたが、それを鵜
呑みにする奴はほとんど居なかった。まあ、俺もそうだったけど。

 五月の連休が明けてすぐのことだ。
 俺はふらふらっと学食に向かっていた。ちょっと疲れていた。ここは俺が住んでいたと
ころとは色々と違っていて、まあ、それは空や風の具合や、気温や空気の匂いとか空の広
さだったりするのだけれど、一番堪えたのは街や人間のペースの違いだった。
 今にして思えば軽いホームシックだったのかもしれない。住み慣れた街の事とか、向こ
うの友人達の事とか、ついでに両親と姉の事とか、十八ヶ月付き合って半年前に別れた彼
女の事とかをやたらと鮮明に思い出したりしていた時期だった。
 食堂に学生の姿はまばらだった。夏のそれに変わり始めている日射しに照らし出される
みたいにして田村さんが一人で座っていた。テーブルにはバッグと本、それに自動販売機
で買ったらしい飲み物の紙コップ。
 珍しいな、と思った。でも、二人が別行動していても不思議はないわけか、と勝手に納
得しつつ、俺は引き寄せられるように田村さんの方へと歩いて行った。
「こんにちは。田村さん」猛烈に普通な挨拶だった。
「こんにちは。ええっと……」
 つまり、名前は覚えてもらえていないのだった。まあ、顔は覚えてくれてるみたいだっ
たので良しとすることにして、俺は二回目の自己紹介をした。
「ごめんなさい」と恐縮され、「気にしない気にしない」と言ってはみたものの、ちょっ
とだけ傷ついていたりもした。多分、そのせいだ、
「今日は彼氏と一緒じゃないんだ」
 なんていう意地の悪いことを言ってしまったのは。
「彼氏って?」ちっともお洒落じゃない眼鏡の向こうでまるっこい目が不思議そうに俺を
見上げていた。
「そりゃ、高坂にきまってるだろう」
 すい、と彼女の視線が沈んだ。あれ、喧嘩でもしてんのか? と、思ったら、
「きょうちゃんには付き合ってる女の子がいるんだよ~。わたしはただの幼馴染み」
 ほわんとした、ちょっと舌っ足らずのような声で、でも寂しそうに、彼女はそう答えた。
 幼馴染み。それは高坂がいつも言っていることだった。それで、俺は田村さんが高坂の
幼馴染みで、且つ彼女だとばかり思っていたのだが、実はそうではないらしい。
「あ、そうなんだ」と応えながら思った。
 ああ、まずった。これは地雷ではないか。
 まあ、へらへら笑いながら地雷原に突っ込んでいったのは俺なんだけど。
 そこでやむを得ず、
「何、飲んでるの?」
 滅茶苦茶強引に話題を変えた。
「え? あ、紅茶。ミルクティ」
 強引過ぎる展開だったが、まあ、なんとか。少なくとも気まずい状態からニュートラル
なレベルまでリカバリーしたいところではある。そうしておかないと次に会ったときにな
んとなく気まずくなりそうだ。
「好きだよね。女子はミルクティ」別れた彼女もそうだったっけな。
「……」不思議な間があって、「本当は緑茶がいいんだけど、売ってないから」
「俺は玄米茶が好きだな。売ってないけど」
 くすっと、彼女が笑った、気がした。
「まあ、売ってても買わないとおもうけどね」
「どうして?」
「だって、お茶は急須で淹れて湯飲みで飲むところまで込みで好きだから。なんかさ、紙
コップで出てきたら萎える」
「……そっかぁ。そうだよね」
 しげしげと紙コップをのぞき込みながら彼女は言った。
「ここ、座ってもいい?」
 彼女の斜め前の椅子を指さして俺は言った。
「うん。どうぞ」
 テーブルに鞄を置いて腰を下ろした。
 田村さんが紙コップを持ち上げて口に運ぶ。少ししか残っていなかったのだろう。飲み
きった様子だった。
「田村さん。さっきはゴメン」
「え? うん。気にしてないよ」手を振りながら彼女は言った。
「ありがと」
 俺は鞄から飲みかけのペットボトルを取り出して蓋を開けて一口飲んだ。
 くすっと笑い声が聞こえた。
「ん? どうかした?」と尋ねると、
「だって、紙コップだと萎えるのに ぺっとぼとる のお茶はいいのかなぁって」
 確かに、テーブルに乗ってる俺のペットボトルの中身は緑茶だった。
「ううむ、なぜかペットボトルには抵抗感が無いなぁ。田村さん的にはどう?」
「わたしも平気かな。なんでかな」
「ふむ」「うーん」と、何となく二人で考えてみる。
「ふしぎだねぇ」
 おばあちゃんが子供に言うような調子で田村さんが言った。
 それがおかしくて、つい笑ってしまう。
「なあに?」
「いや、なんでもないし。ふしぎだねぇ」と俺も真似して言ってみる。
 眼鏡の向こうのくりっとた目で俺を捉えて、それから小首を傾げて見せた。
 ちょっと、可愛いかもしれない。
 それに、なんだろう。会話のペースがすごく気持ちいい。
「これは湯飲みと違いすぎて気にならないのかもね」
 俺はペットボトルを持ち上げて言った。
「そうかなぁ」なんて納得してない感じで彼女は言った。
 俺は残っていた二口分を飲み干して、
「それも空いてる?」
 紙コップを指さして訊いた。
「え、うん」
「じゃあ、鞄見てて。なげてくる」
 俺は空になった紙コップとペットボトルを持って席を立った。
「なげるの?」
 ものすごく不思議そうに田村さんが俺を見上げた。
「なげるよ」
「だめだよ。そんなの投げちゃ。迷惑だよ」
 何をムキになっているのだろう? と思ったが。
「あー、ごめん。『なげる』ってのは捨てるってこと」
『なげる』は俺の地元の方言だった。
「そうなんだぁ。びっくりしたぁ」
 ちょっと気恥ずかしくて、俺はそそくさとペットボトルと紙コップを『なげて』きた。
 席に戻ると田村さんがにこっと笑った。
「えいって、投げるのかと思った」
 そう言いながら、田村さんは何かを投げる仕草を見せた。あんまり遠くまで飛びそうに
ないフォームだった。
「つい、言っちゃうんだよな。ずっとそう言ってたからさ」
「方言?」
「うん。北海道」
「そうなんだぁ。全然、気がつかなかったよ。こっちの人だと思ってた」
「まあね、北海道は殆ど標準語だから」
 そうなんだよな。殆ど標準語だから。たまに通じない言葉があるってのが、却って厄介
なんだよな。
「そっかぁ」
「田村さんはずっとこっちの人?」
「うん。そうだよ」と彼女は言った。
 まあ、そりゃそうだろうな。幼馴染みなんて引っ越ししてたら成立しない。
「いつこっちに来たの?」
「三月末。高校までは向こうだったから」
「一人暮らしなの?」
「うん。もうね、母親の偉大さをひしひしと実感してますよ」
 いや、マジでね。自炊みたいなこともしてるけど、これが難儀で。結局、インスタント
ラーメンとか弁当で済ませてしまうことも多い。
「そっかぁ。大変だねぇ」
「一ヶ月やってみてようやく感じが掴めてきたところ。田村さんは家事とかやる人?」
 田村さんはこくりと頷く。その様子を見て、
「得意そうだもんね」と俺は言った。
 なんとなく、田村さんにはそんな雰囲気があった。
「そんなことないよ」と彼女は言う。けれど、それは謙遜だろうなと思う。
「料理とか、得意そうだけど」
「どうして?」
「なんとなく」
「おばさんっぽいのかな。わたし」そう言って、彼女はてへっと笑顔を作った。
「んなことないよ」
 それどころか普通に可愛い。ほんのちょっとだけぽちゃっとしてるところも俺的にすご
く良い。とか、言ったら完璧セクハラだな。
「え~、よく言われるよ~。お前はおばさんくさいって」
「失礼な奴だな」
「だよね~」
「ああ、間違い無いな」
 俺がそう言うと、田村さんは腕を組んでうんうん、としきりに頷いた。
「やっぱり、きょうちゃんは失礼だよ」
 なんだよ。高坂かよ。ま、それにしても『ちゃん』付けはいかにも古い付き合いって感
じだよな。まあ、いずれにせよだ、
「高坂は失礼な奴だなっ」
 言ってやった。ざまあみろ。
「だよね、だよね~」
「ああ、間違い無い」
 俺がそう言うと、田村さんはやっぱり、うんうん、と頷いた。


(2)


 そんな事があって、俺と田村さんはお互いに見かけたときに声をかけたり立ち話をする
程度には仲良くなった。高坂とはサークルも同じだから、俺たちが三人でつるむようにな
るまで、そんなに時間はかからなかった。
 そうして打ち解けてみると、高坂と田村さんが一緒にいる時間が実のところそれほど長
く無いということが分かってきた。何処で何をやっているのかは分からないが、高坂とい
う男はあきれるほど忙しい男で、電話だのメールだので呼び出されては姿を消し、翌日に
なると淀んだオーラを引きずるようにして現れたりしていた。そんな高坂を田村さんは天
使の如き優しい眼差しで眺めていたりするのだが、それは俺にとってはちっとも微笑まし
くなくて、むしろ痛々しくて、そして俺自身も痛かった。胸をチクチクと痛めながら高坂
を見ているであろう田村さんを見るのが辛かった。
 それで、俺は彼女に、田村麻奈実に惚れているんだということを自覚した。
 
 関東地方が梅雨入りして二週間が経った。腐海のように不快だ。

 片恋の相手がつかず離れずで自分の傍にいるのって、どうなんだろうな。
 そんな事を考えながら学食で昼飯を食べている時だった。
「ここ、空いてる?」
 田村さんがどんぶりの乗ったトレーを持って立っていた。
「あ、うん。どうぞ」
 俺の正面に田村さんは座った。彼女の昼食はきつねうどんだった。
「今日もカレーだねぇ」
 彼女は言った。田村さんの言う通り、俺の昼飯カレー率はかなり高かった。
「安いし、味も悪くないしね」
 俺が答えると、そっかぁ、と言って田村さんはうどんをちゅるちゅるとすする。
「でも、毎日だと飽きちゃうんじゃないかなぁ」
「そりゃそうだ。……火曜日と木曜日はカレーじゃない日にしようかな」
「ああ、それはいいねぇ」
 田舎のばあちゃんみたいなリアクションだった。だが、それがいい。
 ぽつぽつと午後の予定なんかを話しながら、俺と田村さんは食事を終えた。
 彼女はふと外を見て「今日も雨だね」と言った。
「本当に雨ばっかり。こっちの梅雨時っていっつもこうなの?」俺が訊くと、
「あんまり降らない時もあるんだよ。今年はふつうかなぁ」と田村さんは答えた。
「そうなんだ」
 これで普通ですか……。うんざりです。
「北海道は梅雨がないんだよね」
「無くもないけど、こんなに続かないし、こんなに蒸し暑くないから」
「じゃあ、大変だね」
「う~ん、まあ、そうだけど、とりあえず命に別状はないよ」
 俺が応えると、彼女はくすっと笑って、「そうだね」と。
 そんなやりとりの全部が心地よかった。
 世界が俺に微笑んでくれてる、そんな気分だった。
 ふと、壁にかかっている時計を見ると、随分と時間が経っていた。
 ほんわりとした彼女の醸す雰囲気の中ですごしていると驚くほどの時間が経っているこ
とがある。五分ぐらいのつもりが十五分経っていたりと、彼女が生み出す『田村さん時空』
では『うちゅうのほうそくがみだれる』のだ。
「そろそろ行こうかな」と田村さんが言った。通常の時空間に帰還すべき頃合いだった。
「俺も。これ、下げてくるから鞄を見てて」
 俺は席を立って二人分のトレイを持った。
 俺は後ろ髪引かれる思いで『田村さん時空』から帰還する。


 午後の講義の後、俺はサークルのアジトに顔を出した。ゲーム研究会は結構な人数を擁
するサークルなのだが、俺の所属する所謂『制作派』はサークル内ではマイノリティだ。
俺は遊ぶよりも創る方が好きで、ゲームの制作は高校生のころからの趣味だった。高坂も
『制作派』に所属している。しているのだが、ほぼ素人で制作に関するスキルは殆ど無い。
どうやらバグ出しをやった経験はあるらしいのだが、どの程度のやる気で入ってきたのか
よく分からない。と、言うかやる気だけはあると言った方がいいのか。
 俺は制作用の共有ノートパソコンを棚から出して作業を再開した。今、担当しているの
はアドベンチャーゲームのシナリオからルート分岐チャートとアイテムリストを起こす作
業だ。プリントしたシナリオに赤ペンで書き込みながら、フリーのドローツールでチャー
トを描き、フリーの表計算ソフトにアイテムのリストとイベントとのマッピングを打ち込
んでいく。
 作業を始めてから二十分ほどが経ったころ、タコ部屋(アジトもタコ部屋もこの部屋の
事だ。他にも閉鎖空間、風絶、結界とか様々な痛々しい呼称がある)に高坂が現れた。
 高坂が担当しているのは俺が描いたチャートとリストのチェックだ。なんでこんなにきっ
ちり役割分担をしているのかというと、どうやら大作ゲームを開発するという野望が制作
派首脳部にはあるらしく、その準備として分業開発の練習中ということらしい。
「うーす」と高坂が言うので、
「うーす」と応えた。
 俺は高坂に出来上がっている分のデータを渡した。高坂はチャートとリストをプリント
アウトして蛍光マーカー片手にチェックを始める。凄くローテクだ。しかし、やる気だけ
はちゃんとある高坂にはぴったりの仕事だったりする。
 珍しい事に閉鎖空間には俺と高坂しかいなかった。
「ちょっといいか?」
 高坂が言った。
「ん? ミスってたか?」
 チェックしながら進めているけど間違えることもたまにある。
「いや、」
「なんだよ?」
「今日、麻奈実と昼メシ喰ってたか?」と高坂は言った。
 ああ、一緒にいたさ。隠すようなことじゃない。
 だって、お前の彼女じゃないんだろ?
 それにしても、
「ああ、一緒だった。情報早いな」
 サークルの誰かが見てたんだろう。別にチクらなくてもいいだろうに。
 まあ、おもしろがってるだけなんだろうけどさ。
「お前さぁ、ひょっとして麻奈実が好きなの?」
 高坂は手元の資料を目で追いながら言った。
 お前、読んでるふりしてるだけだろ、と思いながらも、そこはスルー。
「だとしたら?」
 とぼけてみる。
「……お前は俺の敵と言うことになるな」
「意味が分からん」
 俺はマウスを滑らせながら言った。実は画面なんかまともに見てないのだが。
 そして高坂も資料なんかきっと読んでいないのだろうが。
「つまり、麻奈実が男と付き合うなんてことは俺がゆるさん」
「はぁ? 高坂、お前さ、彼女いるんだろ?」あ、ひょっとして振られたとか。
「いる」
 なんだよ。わけが分からん。
「なんだよ、それ。自分は彼女がいるのに、田村さんが彼氏つくるのは駄目なわけ?」
「その通りだ」言い切りやがった。
「なんで?」
「理由なんてねぇ」
 最悪だ。どこのジャイアン様だよ。
「理由は無いけど、田村さんが彼氏を作るのは許さない、と」
「ああ、そうだ」
 なに、こいつ。なまら、むかつく。
 一体、こいつは何なんだ。何を考えている。田村さんをどうしたいんだ。俺にはまるで
わからない。でも、ここで押し問答したって意味は無い。
「なるほどね。田村さんの事が気になるって奴に会うことがあったら伝えとくよ」
「あ、ああ」
 歯切れ悪く高坂は応えた。
「それだけか?」
「お前は麻奈実の事、どう思ってるんだ?」
「お前の持ち物じゃないと思ってる」
 高坂は険しい目つきで俺を睨んでいた。
 すぐに睨み返してやった。俺が田村さんの事をどう思っていようが高坂には関係ない。
色々、言ってやりたい事はあったが全部飲み込んだ。不毛な言い争いにしかならないだろ
うから。
 俺は視線をディスプレイに戻し、何も言わずに作業を再開した。
「麻奈実には言うなよ」高坂が言って、
「言われるまでもない」俺が答えた。
 しばらくしてサークルのメンバーがぞろぞろとやってきて、俺と高坂の直接対決第一弾
は水入りとなった。


 牛丼屋で晩飯を食ってから、1DKのレトロな(ボロと言ってはいけない)アパートに
帰宅した。鞄を置いてベッドに寝転がると自然と溜息が出た。何をする気にもなれず目を
閉じた。シーツも毛布もなんとなく湿気っている感じがする。不快だ。
 せっかく田村さんと食事して幸福度が上がったのに、高坂のお陰で俺の幸福度はだだ下
がりもいいところだ。俺の青春ポイントはちっとも貯まらず常に収支とんとんである。

 まったく、高坂は何を考えているのだろう。
 田村さんが男と付き合うのを許さない、なんてまるで子離れできない父親のようだ。
そのくせ自分は年下の女の子と付き合ってるのだからまったくわけがわからない。しかも
結構な美人らしい。まあ、それはいいとして……。

 唯の独占欲なのか、本当に二股なのか。
 高坂にあんな態度をされたら田村さんだって諦められないだろう。
 それとも、ずっと幼馴染みで付かず離れずでいたいって事だろうか。そりゃあ高坂はそ
うかもしれないけど、田村さんはそうじゃない気がする。
 あるいは今の彼女とダメになったときのための保険とか。うわ、これ最悪だな。なんか、
こんな事を考えてる俺がダメ人間になりそうだ。

 また、溜息が出る。

 考えると今の関係性って田村さんにとって辛すぎだろう。幼馴染みで片想いの相手には
彼女がいて、そのくせに思わせぶりに近くにいる。いや、逆に考えると彼女がいるのに遠
ざけられないってことは田村さん的には嬉しいのか? 
 
 言ってみるか? 好きです、付き合ってください、田村さん

 絶対に断られるな。なんだろう、勝てる気がしない。
 それ以前になんだかんだで高坂に阻止されそうな気もするが。
 嫌われてるってことは無いと思うけど、だからといってなぁ、

 ……いや、待てよ。

 断る立場だったらどうだろう。あの田村さんが人を傷つけて平気なわけがない。振られ
た方(つまり俺)より振った方(つまり田村さん)の方がよっぽど凹みそうな気がする。
だから、なのか? 高坂の態度は田村さんを傷つける可能性をつぶすためなのか? 
 いや……、いや、いや、それは考えすぎだろう。

 きっと何かこれっていう明確な理由があるわけじゃ無いだろう。田村さんを思いやる気
持ちもあるだろうし、高坂自身の独占欲みたいなものだってあるかも知れない。そういう
幾つもの想いや重ねてきた時間があって今のようになっている、そんな気がする。

 けど、このままでいいはずがない。では、俺はどうすればいい?
 田村さんはどうしたいんだろう。
 今のままでいることを本当に望んでいるのだろうか。
 それとも、今より悪くなるのが怖くて動けないだけなのだろうか。
 彼女の気持ちがわからない。
 だから、彼女がそうであるように、俺もここから動けない。進む方向が分からなくて、
唯々立ち竦んでいるようで、そんな自分の無力さ加減がとても、

 つらい。


(3)


 ようやく梅雨が明けて、俺の気分は緩やかに上昇中である。しかし、田村さんとの関係
には全く進展がない。未だにデートにすら誘えていないのは情けない限りなのだが、しか
し田村さんの真意を掴めないでいる俺には手の打ちようが無いのだった。しかも、それ以
前の問題として、俺は自分が女の子と付き合うこと自体を怖がっているらしいということ
に気がついた。シンプルに言えば、終わるのが怖くて始められない、そういう事だ。別れ
た彼女と俺はお互いに良い方向を見つけようと思っていたはずなのに、なぜか最後は滅茶
苦茶な終わり方だった。その経験が俺に二の足を踏ませてしまうらしい。
 ともかく、そんな俺の状況を察してなのか、高坂はあの日以来、俺のアクションに対し
ては静観を決め込んでいる様子だった。田村さんと話したり、高坂を交えて三人で話した
り、食事に行くこともあるのだが、別段変わったところはなく、これといって牽制じみた
こともない。
 だからと言ってのんびりと構えてはいられない。あと十日ほどで大学は夏休みに入る。
そうなると、田村さんと会う機会は激減するだろう。それはちょっと、いや、かなり避け
たい事態だ。最悪、後先のことは考えずに突撃してみるしかないかもなぁ、いやいや、
そりゃあ無理だろう、などと考えつつ、俺はキャンパスに向かった。

 講義が終わると学生達がぞろぞろと教室を出ていった。三人で同じ講義に出るのも良く
あることで、こういう時の席順は真ん中に田村さん、その両側に俺と高坂が座るというの
がお決まりになっていた。

「今度ね、うちのお店で夏のふぇあーをやるんだよ」
 
 田村さんの実家、田村屋で夏の和菓子フェアをやるのだそうだ。
 ま、しかし。『ふぇあー』ってのは『市』の事だろ。一軒だけの単独開催でフェアって
のはどうだろう? と思うのだが、そこには突っ込まないでおこう。些細なことだ。
「またイベントとかやるのか?」高坂が言った。
「そうだよ~。あのね、お菓子作りの実演とか、体験とか、あと、夕涼み大会とかもやる
んだよ。あと、ふぇあー限定の新作和菓子もあるんだよ。それでね、田村屋はただ今ある
ばいと募集中なのです」
「アルバイトってあれだろ。荷物運び」
「うん」
「荷物運び?」
「米とか小豆とかの運び込み。結構、きついんだぜ」と高坂が言った。
 知っているということは手伝いに行ったこともあるのだろう。多分、田村さんは高坂に
声をかけているのであって、それが俺の耳にも聞こえているってところなんだろう。だと
すれば、ここで『俺、やるよ』なんて言うのも空気が読めてない感じだよな。そういう仕
事は割と得意なんだけど。
「へぇ。で、いつなの?」と差し障りのない発言で話をつないでみた。
「えっとねぇ、明日の三時ぐらいから夜まで」
 俺的には問題ないが。
「あー、悪い。俺、行けねぇわ」
 高坂はそう言ってから、ちょっと呆れ気味な表情を浮かべて「つーかよ、もっと早く言
えよ」と。
 田村さんは、てへへ……と曖昧に笑って見せて「ごめんね」と言った。
 どういうこと? 思案する。田村屋のフェアは前から決まっていたことだろう。人手が
無いってのも、まあ、本当だとして、なのに今日になって言い出すというのはちょっとお
かしい。辻褄が合わなくてモヤモヤする。まあ、グダグダ考えていても仕方ない。
「あのさ、俺、ヒマだけど。よかったら手伝うよ」
「ほんと? でも、力仕事で大変だよ~」
「それは、大丈夫だと思うよ」
「本当かよ? あれ、マジできついぜ」
「だったら、お前も来て手伝えよ」俺は言った。
「明日は用事があって行けねぇんだって」
 高坂はそう言ってそっぽを向いた。田村さんは俺たちに挟まれて曖昧に笑っていた。
「だってさ。田村さん、どう?」
「うん。じゃあ、お願いしようかな」
 にこっと笑う。とても可愛い。そんな笑顔のまま、
「でも、本当に大変だからね~。恨みっこなしだよ」と彼女は言った。

 翌日、田村屋で俺を待っていたのはトラックに積まれた大量の穀物袋だった。それらを
店の冷蔵室に運び込むのが俺の仕事というわけだ。
 田村さんの父親はとても寡黙な人だった。穀物袋を担ぎ上げる俺の姿を見た親父さんは
「ふむ」と納得すると店の中に戻っていった。
「ちからもちなんだねぇ」と驚く田村さん。エプロンも良く似合う。とても可愛い。
「慣れだよ。俺、実家が米屋なんだよ。配達とか手伝ってたから」
 そんなわけで穀物袋を運ぶのには慣れている。ちょっと鈍っているだろうけど中学生の
頃からやっていることだから身体が動きを覚えている。
「へぇ、そうなんだ」
「ここは俺だけで大丈夫だから」
「うん、お願い。終わったら呼んでね」
 そう言って田村さんも店に戻っていった。
 俺は真夏の日射しにジリジリと灼かれながら、トラックから田村屋の冷蔵室へと穀物袋
を運び続けた。貸してもらったタオルは拭った汗で重くなり、濡れたTシャツが肌にべた
りと貼り付いた。
「しっかし、暑すぎだろ」
 独り言も漏れようというものだ。
 日陰に入って汗を拭う。
 そして作業再開。ずっしりと重い米袋を持ち上げて慎重に運ぶ。ただひたすらに肉体労
働に没頭する。それはそれで楽しかった。確実に、間違いなく、やった分だけの成果が出
るから。三十分ほどで俺は全ての荷物を運び終えた。もう、すっかり全身汗だくだった。
顔をタオルで拭い、店の裏口から田村さんに声をかけて仕事が終わったことを告げた。
 親父さんが倉庫の中を見渡して「ふむ」と納得すると店の中に戻っていった。本当に無
口な人だ。つか、俺って嫌われてる? などと詮索していると、親父さんと入れ替わりに
田村さんが店から出てきた。
「お疲れ様。早いねぇ。お父さん、感心してた」
「そうかな」どうにも、そう思えないんですが。
「うん、絶対に休み休みで一時間ぐらいかかると思ってたから」
「じゃあ、もっとのんびりやればよかったな。他にやることある?」
 言いながら汗を拭う。田村さんは微かに首を傾げ、
「えっとねぇ、お風呂、入ってきて」と。
「……へ?」
 首を傾げる俺に田村さんはにこっと笑う。とても可愛い。
 とてとてと歩く田村さんに連れられて俺は田村家のお風呂へ。「これ、着替え」と田村
さんに渡されたのは新品の下着と灰色の浴衣だった。
「いべんとは、五時からだからそれまでのんびりしててね~」と言って田村さんは脱衣所
の引き戸を閉めた。どうやら、イベントの接客係を仰せつかったらしい。ともかく、汗で
べたべたして気持ち悪いのでお風呂を借りられるのは有難い。これが深夜アニメとかだっ
たら洗濯カゴに田村さんの下着が! みたいなイベントとかあるんだろうけど、ま、現実
にはそんなことがあるはず無い。脱いだ服を洗濯カゴに放り込んで浴室に入りシャワーを
浴びる。あー、まじ、きもちいい、なんて思ってたら、
「ばすたおる置いておくからね。あと、服、洗っちゃうね」と、田村さんが……
「い、いいよ。そのままで」と、言ってみたものの、
「遠慮しなくていいよ~。お財布とか洗面台に置いておくね」と見事にスルー。
 そんなまさかの逆イベント発生により、俺の不浄なる下着は田村さんの手により田村家
の洗濯機に投入されてしまうのであった。

 二十分後、すっきり、さっぱり。容姿のパラメーターがちょっと上がった。

 俺は田村家の居間で胡座をかいてぼんやりと扇風機の送り出す風に当たっている。首を
振る扇風機が作り出す風のリズムが心地よくて、うつらうつらとし始めた時だった。

「きょうちゃーん」
 耳元でしゃがれた声がした。その直後、

「ぐはっ」
 何物かに首を絞められた。俺は慌てて首に巻き付いている物に触れた。腕だ。その腕は
妙に細くて、しわしわの潤いの無い皮膚に覆われていた。俺はその腕をバンバンと叩いた
が力が緩む気配がない。
「ひさしぶりだのぉ、きょうちゃーん」
 耳元で囁いてくる気色悪い猫なで声。さらにまとわりつく加齢臭。
 俺は背中に貼り付いている敵性生物の襟首を手探りで捕まえて、腰を浮かせて首投げの
要領で思い切り投げ飛ばした。
 畳の上に投げ飛ばされて「ぐげっ」と悲鳴をあげたのはステテコ姿のジジィだった。
 謎の生命体や物の怪では無さそうだ。と言うか、状況的に判断すると、このジジィは田
村さんの祖父であるに違いなかった。そして、畳の上に大の字になっている老体は断末魔
の悲鳴を上げたきりピクリとも動かない。とてもヤバイ。
「し、し、しっかりしてください」
 お祖父さんの耳元で大声で言ってみる。しかし反応はない。
「どうしたの! おじいちゃん!」
 田村さんが顔を引き攣らせながらお祖父さんの元に駆け寄り、
「しっかりして、おじいちゃん」
 叫びながらお祖父さんの襟首を掴んで揺さぶった。
「田村さん! こういう時は揺すらない方が……」俺は田村さんの肩を掴んで言った。
 その直後、お祖父さんの目がばっと開き、
「おじいちゃん?」と田村さんが声をかけると、
「誰じゃ! おぬしはぁああ!」とジジィが俺を指さして叫んだ。

 ジジィ……、もとい、お祖父さんの趣味は死んだふりらしい。
 それは趣味と言うより悪趣味だと思うのだが、それはさておき、あのあとお祖父さんは
お祖母さんと田村さんにこてこてに説教されてしょんぼりとしていた。でも、それも『フ
リ』だけなのだと田村さんは言った。

「いや~、すまんかった」とお祖父さん。
「いえ、こっちこそ。あの、本当に大丈夫ですか?」
「へーき、へーき。この通り」と言いながら得意げにボディービルダーみたいなポーズを
取って見せるお祖父様。心配して損した。
「もう、おじいちゃんが馬鹿みたいなことするからいけないんだよ」
「てーっきり、きょうちゃんが来ているもんだと思ってなぁ」
 幼馴染みだもんなぁ。高坂は何回もここに来てて、家族みたいなものなんだろう。それ
に俺の背格好は高坂と似たり寄ったりだから、浴衣の後ろ姿では別人だとは分からなかっ
たのだろう。
「高坂は都合が悪くて来れなかったんですよ」
「そうかぁ、そりゃー残念だったの」
「しょうがないよ。きょうちゃんだって忙しいんだから」
 何の用事なのか高坂は言わなかった。言わなかった事が答えの様なものだった。
「楽しみにしとったのになぁ……。しょぼーん」
 しょぼーんって言うな。
「そうじゃ、もういっかい誘ってみたらどうじゃ」
「だーめ」
 どうも会話の流れから察するに、お祖父さんは高坂に彼女がいるって事を知らないよう
だ。というより、田村さんと高坂が付き合ってると思い込んでいるっぽい。
「いいじゃん、いいじゃん」
「だーめ。もうこの話はおしまい。お店にもどるね」
 田村さんは素っ気なく言って立ち上がった。居間を出ようとする田村さんに、
「喧嘩でもしとるんか?」とお祖父さんは言った。
「してませんよーだ。ちゃーんと仲良くしてるよね。ねぇ」
 田村さんは俺を見て言った。話を合わせてね、と、まあそうなのだろう。
 俺は頷いて、「そりゃあもう、見てて腹立たしいぐらいですよ」と。
 何やってんだろね、俺。
「妬かない、妬かない」とか言いながらジジィは俺の脇腹を肘で突いた。
「おじいちゃん、いい加減にしてよ。おばあちゃんに言いつけるからね」
 田村さんがちょっとだけ強い口調で言うと、
「おー、こわいこわい」
 とかなんとか言いながらジジィは奥の部屋に引っ込んだ。

「ごめんね」田村さんが言った。
 何とも言いようがない表情だった。頬を緩ませ口元は笑っているのに、目元は酷く寂し
げだった。そんな無理矢理の笑顔に俺はなんと言えばいいのだろう。
「気にしてないよ。お店の方、手伝うことある?」
「うん、ありがとう。じゃあ、そろそろいべんとの準備しようかな」
「了解」
 俺は腰を上げて田村さんと一緒に居間を出た。


 正直に言うと俺は田村屋のフェアを甘く見ていた。意外にもこの和菓子屋のイベントは
それなりに強力な集客力があり夕涼み大会もプチ花火大会(プチなのに大会という自己矛
盾には目を瞑れ。正直、田村家のセンスは微妙なのだ)も盛況で、大人のお姉様達や、す
ごく大人のお姉様達にからかわれたり冷やかされたりしながら不慣れな給仕に四苦八苦さ
せられ、花火大会ではお子様達の相手をするハメになりよじ登られたりスネを蹴られたり
と散々だった。


 片付けが済んだ後、田村さんのお母さんが夕飯に誘ってくれたのだがそれは固辞させて
もらった。色々あって疲れてしまったし、俺がいるとお祖父さんが高坂の事を蒸し返して
きそうな気もしたから。
 玄関の外まで田村さんが見送ってくれた。肩から下げたバッグには洗濯されてきちんと
畳まれた俺の下着とバイトのお代が収まっている。
「今日はありがとう。助かったって、お父さんが」
「そうかな。あんまり役に立った気がしないんだけど」
「ううん」ふるふると顔を振って、「そんなことないよ」と田村さんは言った。
 そりゃ、まあ、田村屋の役にはたったのかもしれないけど、肝心の田村さんの助けには
なれていない。
「高坂の事、知らないんだな。お祖父さん」
「うん。ずーっとね、勘違いしてるんだ」
 そう言って田村さんは俺に微笑んで見せる。
「そうか」
「みんな、きょうちゃんの事すきだからね」
 田村さんの弟も高坂を慕っているのだという。
 そう言っている田村さん自身、今も高坂の事が好きなのだろう。
「それはわかるよ。でも、つらくない?」
「ごめんね。心配させちゃって。でも、平気」
 平気な筈が無いだろう。
「そんな風には見えないよ」
 彼女が顔を背ける。
「そんなこと、言わないで、くれるかな」
 呟く様な田村さんの声はちょっとだけ震えているようだった。
「……でも、俺は、」
 もういい、言ってしまえ。
 好きだと言ってしまえばいいんだ。そう思った、その時。
「よかった、間に合ったぁ」
 玄関口に田村さんのお母さんが出てきた。つっかけを履いてパタパタと外に出て田村さ
んのすぐ隣に来た。お母さんは見た目も仕草も田村さんとよく似ている。
「これ、夕飯のおかず。おうちで食べてね。一人暮らしなんでしょ」
 そう言いながらお母さんはタッパが入った田村屋のビニール袋を俺に渡した。
「すいません。いただきます」
 俺が袋を受け取ると、お母さんは「また来てちょうだいね」と言った。
「はい。お邪魔しました」
 軽く会釈すると、お母さんは何かを分かっているような目で俺を見て微笑んだ。
「じゃあ。田村さん。また」 
「うん」
 田村さんはにこりと微笑んで俺に手を振る。
 俺はちょっとだけ手を振って見せて、もう一度軽く会釈してから田村家を後にした。
 
 酷く切なかった。彼女の作り笑顔もなにもかも。
 情けなかった。お母さんが出てきたとき、俺は『助かった』と思ってしまった。
 言わずに済んだと思ってしまった。そんな自分に、凹む。
 街灯がジリジリと呻っていた。
 青白い月が、光っていた。そいつを見上げて俺は呟く。

 どうすりゃいいんだよ、と。
 

(4)


 然る後、結論は出た。やはりやるしかないないのだ。

 俺は作戦の決行日時を夏休み前の最後の講義の後に設定した。
 なぜなら、この作戦の実行により俺と高坂、そして田村さんは社会的なダメージを受け
るからだ。そのほとぼりを冷ますための時間が必要だから、俺はその日を決行日としたの
である。幸いにして頻繁に二人と行動を共にしていた俺は夏休みまでの二人の予定を大ま
かにではあるが把握していたから作戦を実行に移すのはさほど難しいことでは無かった。

 夏休み前の最後の講義が終わり教室からぞろぞろと学生が出て行く。
 いつもの様に俺たちは三人ならんで座っている。
 
「高坂、田村さん、ちょっと話があるんだけど」
「ん、なんだ?」と高坂。
「人が減ったら話す。ちょっと待ってくれ」
「いいけどよ」
 高坂は俺を怪訝な顔で見た。
「悪いな。どうしても今日、話しておきたいことなんだ」
 田村さんはちょっと困ったような目で俺を見ていた。彼女の予感は多分正しい。
 暫くすると教室から殆どの学生が出て行った。
「で、なんだよ?」高坂が言った。
 まだ数名の学生が残っているが仕方ない。
「確認したいことがあるんだけどさ、前に言ってた、田村さんが男と付き合うのは許さな
いって、あれってまだ有効なの?」
 俺は高坂に言った。先に反応したのは田村さんの方だった。
「どういうこと?」と田村さん。
「お、お前、それは言うなって言っただろ」
「ああ。けどさ、やっぱ変だよ。それにさ、俺、それじゃ困るんだよ」

「俺、田村さんが、好きだから」

 言った。ついに言った。言ってしまった。もう戻れない。
 田村さんは一瞬きょとんと俺を見た。目が合った。それで完全に覚悟が決まった。

「田村さん、好きだ」

 大事な事なので二回言った。
 田村さんの頬が微かに赤く染まり、半開きになった口があうあうと動く。でも言葉は出
てこない。
 田村さんの向こう側に座っている高坂の目を見た。 
「だから訊いたんだ。田村さんが男と付き合うのは許さないって、今でもそんなこと考え
てるのかって」
 高坂が俺を睨み付けた。
「くっ、当たり前だ」
「そうか。でもよ、そもそもなんでお前がそんな事を言うんだ? お前には付き合ってる
娘がいるんだろ?」
「あ、ああ」
「お前が田村さんと付き合ってるっていうなら、そりゃあ手を出すなって言う権利だって
あるだろうけどさ、お前にはそんなことを言う権利なんて無いよな」
「いや、ある」
「ねぇよ。田村さんが自分で決めることだ」
 俺は今俺がいったことを高坂に言わせたいのだ。
「そうだろ?」
 たったそれだけの事だ。
 けれど、それがとても重いのだ。俺はそう思っている。
 これは『今の関係』を守ることで田村さんを傷つけまいとする高坂の正義と、田村さん
を傷つけてでも田村さんを『今の関係』から解放しようとする俺の正義の衝突だ。どちら
も間違っていてどちらも正しい。それは主観の問題だから。
 俺が思うに高坂を想ってきた田村さんの矜持は高坂が田村さんを必要としているという
一点につきる。付き合っている恋人がいても、なお、高坂が自分を必要としているという
事実が田村さんの心の支えになっている。俺はその支えをボッキリとたたき折ってしまお
うとしているのだ。
 そうすれば彼女はここではないどこかに立つことができるはずだから。
 そこからなら、彼女はきっと歩き出せるはずだと俺は信じているから。

「断る!お前に何を言われても麻奈実は譲らねぇ!」
「だからお前のものじゃないだろうが」
「お前もわからない奴だな」
 どっちがだよ。
「そこまで言うなら俺にも考えがある」
 高坂の出方がわからない。正直なところ、リアルなバトルの経験は殆ど無い。
 高坂が立ち上がり、教室の後方窓側へと歩き始めた。
「来いよ。そこじゃあ狭すぎる」
 やるのか……。ああ、いいさ、
「つきあってやるよ」
 俺も席を立って、高坂の後を歩いた。窓際で高坂は振り向き、
「お前がそこまで言うなら俺にも考えがある」
 いざと言う時のために奥歯をぐっと噛み締めておく。
「あわわ、きょ、きょうちゃん……」
 背後から田村さんの震える声が聞こえる。
 けれど俺は彼女の方を振り向くことは出来ない。目の前の高坂の動きに集中する。
 拳を握り直す。先制攻撃オプションは破棄。一発殴らせて可能なら反撃。殴り合いより
つかみ合いの方がお互いのために望ましい。よし、来い! 高坂!

 高坂の身体がゆっくりと沈み込む。そして、高坂が繰り出した技は、

 土下座だった。

「この通りだ。麻奈実のことは諦めてくれ」
 恐るべし、高坂京介。これじゃ、俺がものすごく悪い人みたいだ。
「やるな、高坂。だが、断る」
「たのむ、諦めてくれ」
 床に額をこすりつけるようにして高坂は言った。
 だが、俺だってここで引き下がるわけにはいかないのだ。
 
 目には目を。歯には歯を。そして、土下座には土下座だ。

 俺は靴を脱ぎ、床の上に正座した。さらに手を床につき頭を下げる。
「頼む。田村さんが男と付き合うことを認めてくれ」
 なんで俺、高坂に頼んでるんだろうな……とか思ってはいけない。
「や、や、やめてよ、二人とも」
 上から田村さんの声が聞こえる。が、その姿を見ることは出来ない。俺に見えるのは床
だけだ。
「ぬうう……」
 高坂は唸った。そして、「断る! 断じて認めん」と。
 高坂がここまで田村さんに拘る理由が俺には分からない。あいつが何を思い考えている
のか分からない。俺は高坂じゃないし、田村さんと高坂をずっと見ていたわけじゃない。
まるで分かっていないと言った方がいいだろう。俺がやっていることはまるっきり見当違
いで無意味なのかもしれない。
 でも、それでも、俺は今の彼女の状況が許せない。いつの間にか出来上がってしまった
であろう切なすぎる現状が許せない。たとえ彼女が現状維持を望んでいるのだとしても、
俺はそんなの絶対に許せない。多分、余計なお世話だろう。そうだ、これは俺のエゴイズ
ムだ。勝手すぎる暴走だ。それは分かっている。けど、だからといって、

 好きな娘が苦しんでいるのに何もしないでいるなんて、そんなのよっぽどあり得ない。

「高坂。お前と田村さんの付き合いは長い。それについては俺に勝ち目なんてない。
 だがな、俺は全力全開100パーセント田村さんの事だけを考えてる! どうだ、お前
には出来ないだろ! お前には付き合ってる娘がいるんだからな。どうしたって50パー
セント未満のパワーしか使えまい」
 なんとまあ出鱈目な理屈だよ。大体、『ぱわぁ』ってなんだよ。まったく小学生レベル
もいいところだ。でも、肝心なのはそういうことだ。片手間で付き合ってる幼馴染みなん
ぞに、こんなはんかくさい男に、俺は田村さんを任せられない。

「もう、やめてよ……」
 姿を見ることは出来ないが、田村さんがおろおろとしている姿が頭に浮かんだ。
 でも、ごめん、田村さん。俺は引けない。

「さあ、高坂。俺と田村さんが付き合うことを認めろ。認めてくれ」
 折れろ、高坂。もういいだろ。お前も楽になれ。
「……決めるのは、麻奈実だ」
「そうか」と俺は言った。
「そうだ」と高坂が応えた。
「田村さんが良いと言ったら、良いんだな?」

 ああ。それは麻奈実が決めることだ、と高坂は言った。

 俺たちは顔を上げた。田村さんは真っ赤な顔をして、ちょっと涙を浮かべていた。
 教室の外からがやがやと声が聞こえてくる。どうやら人垣が出来ている様子だ。
 まあ、当然だな。
「ううう……」
 田村さんは持っていた鞄を振り上げて、俺の頭をぼかんと殴った。まあ、当然だな。
 別に痛くは無かった。物理的には大したダメージじゃない。物理的には……ね。
 
 しばしの沈黙。そして、

「ばかぁあああー」田村さんの絶叫が教室に響きわたった。

 彼女は潤んだ目で俺たちを一瞬だけ睨んで、鞄を抱えて走りだした。出入り口の人垣が
さっと割れて、彼女の姿が消えていく。その場に取り残された俺と高坂は、最悪に辛気く
さい顔をお互いに見せ合った。
「バカだってよ」高坂が言った。
「わかってるよ」俺は言った。
 それぐらい分かってる。
 高坂は俺の名を呼んで、それから、「すまねーな」と。
 そんな事を言われる義理じゃない。むしろ助かったのは俺の方だ。
 少なくとも高坂のおかげで俺がやりたかったことは出来たのだ。それは間違いない。
「別に。つきあってくれて助かった。じゃあな」
 俺は立ち上がって膝にこびりついた埃を払い落とした。机の上に置きっぱなしになって
いた鞄を肩にひっかけて俺は教室を出た。誰かに何か言われたような気もしたが、俺の大
脳はそれをちっとも理解しなかった。
 夏の日射しの下をゆらゆらと歩きながら、馬鹿だよなぁ、と自分に呟いた。


(5)


 高坂との土下座対決の翌日、俺は北海道に帰省した。実家近く(と言っても車で十分は
かかる)のJRの駅まで親父が店の軽トラで迎えに来てくれた。母さんが意味不明なほど
喜んでくれて、腹がパンクしてもおかしくないぐらいに豪勢な晩飯を作ってくれた。数ヶ
月ぶりの母さんの料理は、そりゃあもう美味かった。

 それから数日。
 俺は実家の米屋で店番をしながらノートPCでレポートを作っている。ラジオはずっと
前からSTVラジオにセットされていて、多分もう何年間も変えたことがない。開けっ放
しの引き戸から弱い風が吹き込んできて伸びてしまった前髪を揺らす。盆休みの前にこっ
ちの床屋で切ってしまおうか、なんてことをちょっと思ったりもした。
 不意にカウンターに置いておいた携帯電話が断末魔の虫みたいな音を立てながら這いずっ
た。俺は携帯を手に取り、サブディスプレイに表示されている名前を見て、

 躊躇った。

 うーん、と二秒考えてから携帯を開いて通話ボタンを押し、気まずさを噛みしめつつ自
分の名を告げた。
「あ、あの、田村です。今、いいかな」
 田村さんの声はちょっと上ずっていた。
「うん、大丈夫」言いながら、俺はラジオのボリュームを絞った。
「どうしたの?」
 なんとすっとぼけた台詞だろう。
 数日前に『好きです』と言っておいて『どうしたの』は無いだろう。
「今、どこにいるの?」
「実家。店番してる」
「札幌、だよね?」端っこもいいところだが札幌には違いない。
「うん。そうだけど」
「あのね、今、羽田空港にいるの。これからそっちに行くから」
 一瞬、意味が分からなかったが、微かに聞こえてくるのは間違いなく羽田空港内のアナ
ウンスだった。
「ちょ、今からって」マジかよ。
「一時の飛行機に乗るから。千歳空港に着いたらまた電話するね。じゃあ」
「じゃあって、田村さん!」うわ、切れてるし。
 時刻は一時十五分前。定刻運行ならもう搭乗時刻だ。
 どうする? どうすんだよ?
 
 って、どうするもこうするも。もう、迎えにいくしかないっしょ!

 俺は店番を母さんに頼み、親父の車で家を出た。
 免許は十八になってすぐに取った。店を手伝うにしても、普通に暮らすにしても車が無
いと不便な土地柄だ。親父の車は十年落ちのレガシーで、見た目もその名の通りレガシー
と成り果てているけど十三万キロを突破した今も元気に走ってくれる。千歳空港までは車
で一時間半ほどだ。一方、羽田から千歳の飛行時間も一時間半だ。田村さんが到着ロビー
に着くのは三時ちょっと前だろう。
 それにしても、まさか彼女が飛んでくるとは思わなかった。心の準備なんてあったもん
じゃない。完璧に想定の範囲外、奇襲もいいところだ。
 赤信号で一時停止。溜息をつく。
 とりあえず、千歳に着くまで考えるのは止めておこう。
 青信号。ギアを入れてクラッチをつなぐ。(マニュアルなのだ)
 紺色のレガシーは札幌北のETCゲートをくぐり抜け、ボクサーエンジン特有のビート
を響かせながら札樽道のランプを駆けていく。

 千歳空港の広大な駐車場に車を止めて到着ロビーに向かった。本当は走りたいところだ
けど、団体の観光客が多くて早歩きがやっとだった。ターミナルビル二階の売店ゾーンを
抜けたところで握りしめていた携帯電話が鳴った。速攻で出る。
「もしもし、今、着いたところ。ここからどうすればいいの?」
「あー、今、どこにいるの?」
「え? 千歳空港だけど」
 精神的にこけた。
「それは分かってるよ。えーと、ANAで来たの? それともJAL?」
「え? うーんと、あなだよ」
 てことは左側の到着ロビーだな。
「じゃあ、そこで待ってて。今、行く」
「えーっ! ちょっと、えー、こ、こ、心の準備が」
 そりゃあこっちの台詞だっつーの。
 俺は携帯を耳に当てたままで一階への階段を早足で降りた。緩い弧を描く千歳空港の到
着ロビーに彼女が立っていた。
 プリントのワンピースに淡いグリーンのカーディガン。
 傍らには小振りなキャリーバッグ。
 携帯電話を耳に当てて、きょろきょろと辺りを見回している。
 その仕草、醸し出す空気、間違いなく、そこにいるのは田村麻奈実だった。

 俺は彼女に向かって歩きながら「見つけた」と。
 携帯から「え? どこ?」と彼女の声が聞こえてくる。
 彼女と目が合う。携帯電話をポケットにしまい込み、俺は彼女に駆け寄った。
 ところがだ。俺は彼女を捜すのに夢中で見つけた後でどんなふうに声をかけるか、まる
で考えていなかった。
「えーと、おつかれ」
 他に言うことは無いのかよ! と、俺は俺に強く問いたい。
「急にごめんなさい。来ちゃった」
「あ、うん」
 困った。困った挙げ句に俺は、
「ようこそ、北海道へ」などというトンチンカンな台詞を吐いたのだった。


 心の準備が整っていない者同士である。会話は弾まない。
 俺は田村さんを助手席に乗せて車を札幌市内へと走らせている。高速道路の両側はひた
すら林とか原野とか、極めて人工的な構造物が少ない景色が続く。田村さんは俺が迎えに
来たことに驚き、次に俺が車で来たことに驚いて、東京との温度差に驚き、そして空の色
や広さや高さが違うことに驚いていた。俺はと言えば、田村さんが帰りの航空券を持って
いないことに驚かされ、どこにも宿を取っていないことに驚かされ、「行けば何とかなる
かなって」とあっけらからんと言ってしまう彼女に驚かされた。

「運転できるなんてすごいね」
「そうかぁ? こっちじゃ高三で免許取るのはそんなに珍しくないよ」
「そうなんだぁ」なんて彼女は言う。

 輪厚のサービスエリアに車を止めた。所謂、トイレ休憩である。本当は千歳で済ませて
おけば良かったのだが、千歳ではお互いそれどころではなかったということで。
 サービスエリアの建物の前で田村さんを待つ。
 晴天である。高い空にぽつんぽつんと雲が浮かんでいる。
 爽やかな風が頬を撫でてゆく。

 どうしたもんだろう。まずは話をしないと始まらない。どこで? 静かなところがいい
だろうけど、公園とか?
 札幌の地図を頭の中に思い浮かべてみる。中心部を南北に分断する大通、碁盤の目を描
く道路、北部をうねる高速道路、北西に石狩湾、南部をぐるりと囲む山々。これまでに行っ
たことのある場所を次々と思い出し、そして俺は次に向かうべき場所を決めた。
 このあと俺と田村さんがどうなるにしても、俺は彼女にあの景色を見せたかった。
 戻って来た田村さんに「遠回りするから」と告げると、彼女は「うん」と応えた。


 一時間ほどのドライブで目的地についた。
 札幌市街を一望できる大倉山ジャンプ競技場の展望台が俺の決めた場所だった。展望台
は大倉山シャンツェのスタート地点の真上にある。
 ジャンプ台の麓から展望台のあるラウンジまでは二人乗りのリフトで上ってきた。田村
さんはオリンピックの中継でジャンプ競技を見たことはあるけれど、本物のジャンプ台を
見るのは初めてだと言った。
 平日ということもあって展望台には数組の観光客しかいない。
 緑色の山の向こうに夏の日射しに照らし出された市街地が輝いている。ずっと続く市街
地の向こうには緑のなだらかな丘陵がうっすらと見え、その更に向こうで地平線が弧を描
いている。
「すごいね。地球って丸いんだぁって感じがする」
 田村さんが喜んでくれてるのが嬉しくて、俺もちょっと笑った。
「ここから真正面が札幌の中心街。あそこの緑の島みたいになってるのが大通公園」
 俺が指さす方向を田村さん目を凝らして見つめる。それからちょっとしてうんうん、と
頷く。そんな仕草も可愛らしい。
「大通公園の向こう側の鉄塔がテレビ塔。形は東京タワーっぽいけど全然しょぼい」
 確か東京タワーの半分以下の高さしかない。
「そんな事言ったらかわいそうだよ」
「そんなもんかな」
 うんうん、とまた頷く。
「あ、でもこっちの方が東京タワーより一年早く完成してたと思う」
「へぇ、先輩なんだぁ」と、なぜだか嬉しそうに田村さんは言う。
 良かったな、札幌テレビ塔。少なくとも田村さんはお前の味方だ。ついでに俺も今日か
らお前の味方になってやるさ。
 俺は手すりから少しだけ身を乗り出し、左手方向を指さして、
「で、そっちの方が石狩湾。日本海」
 街のずっとずっと向こう側で傾いてきた日射しに照らされた海が光っている。
 田村さんが俺の指さした方を向く。さらっとした髪の毛が、さらっとした風にそよぐ。
 薄いカーディガンに包まれた肩越しの景色を眺める。
「日本海って初めてかも」
 彼方の海を見つめて彼女は呟くように言った。
「そっか、向こうじゃ海って言ったら太平洋だもんな」
「うん」と彼女の背中が応えた。
 
 不思議だね。と彼女は言った。

「もしも、あなたと出会わなかったら、わたしがこの景色を見ることは無かったかもしれ
ないよね」
「そうかな、観光地だもの。俺と出会わなくても来たかも知れないよ」
「うん。でもね、その時の気持ちで見える景色は違うと思うんだ」と田村さんは言った。
 ああ、そうだ。それは真実だ。この景色は、今のこの瞬間、田村さんと見つめているこ
の風景は、もう二度と見ることが出来ないたった一度きりのものだ。きっとそうだ。

「田村さん」
「うん」背中を向けたままで彼女は応えた。
「ごめん、あんな事して」
「あんな事?」
「夏休み前に、大学で」
「ああ。うん、ひどいよね。すっごく恥ずかしかった。でもね、」
 そう言ってから田村さんは俺の方を向いた。
「きっと本当に悪いのはわたしなんだ」

 田村さんはちょっとだけ顔を伏せて、ゆっくりと話し始めた。
 自分の内側とか、過去とかを探りながら、それを言葉にしている様だった。

「きょうちゃんは優しいからわたしを必要としてくれちゃうの。
 わたしはそれに甘えてたんだ。

 でもね、
 本当は、もうわたしの事、いらないの。
 きょうちゃんの気持ちが遠くなっていくのがわかってたの。
 でも、認めるのが嫌だったの。
 けど、なにもできなくて。
 勇気が無くて。
 
 信じたかったの。

 絶対にきょうちゃんはわたしから離れていかないって、
 絶対にわたしのところに戻ってくるんだって、
 わたしたちはずっとずっと変わらないって思ってたの。
 信じてたの。信じたかったの。

 でもね、きょうちゃんは、」

 田村さんはそこで言葉を切って、小さく首を振った。
「全部ね、わたしがいけないんだ。わたしって鈍くさいから」
 そう言って、田村さんはてへへと笑って見せた。

 そうじゃない。そこは笑う所じゃない。俺はそんな笑顔は見たくない。

「田村さん。そういう時はさ、泣こうよ。そんな頑張って、無理に笑うなよ」
 彼女の表情が一瞬固まった。微かに涙が浮かんでくる。表情が崩れかけて、それを押し
とどめるみたいに彼女は下唇をきゅっと噛んだ。きっと、その表情こそが彼女の真実なの
だと俺は思った。
 本当はもっと話したいのだと思った。
 泣きたいのだと思った。
 その相手に、俺を選んでくれたのだと思った。それが嬉しかった。

 彼女のために出来ることが俺にはある。

「俺はさ、田村さんと知り合って三ヶ月ちょっとだから、田村さんのこと少しし分かって
ないけど、でもさ、俺はもっともっと田村さんのこと分かりたいって思ってる。
 だって、田村さんのこと、好きだから。
 あんなことやって恥ずかしい思いをさせちゃったけど、でも、それは本当だから」

 田村さんは俯いて、その小さな華奢な手で俺のシャツの前身頃をきゅっと掴んだ。
 そして俺の胸に額を押しつけて、声をしゃくり上げながら、彼女は泣いた。

 憎かったの。と彼女は言った。
 年下の可愛らしい女の子が憎かった。そんな風に思ってしまう自分が怖かった。
 どんどん自分が汚らわしいものになっていくのが恐ろしかったのだと、
 そんな自分を高坂に見せたくなかったのだと、
 彼女は声を詰まらせ懺悔した。

 けれど、そんなのは、きっと誰にだってあることだ。
「それも人を好きになるってことの一部だと俺はおもうよ。誰かを好きになったことのあ
る人なら、田村さんを責める事なんてできないよ……」
 俺だって、田村さんを責める事なんてできやしない。

 けれど、彼女は首を振った。

 当てつけのつもりだったの。と彼女は言った。
 あなたと仲良くしていると、きょうちゃんが不機嫌そうになる事に気付いたの。
 最初はそれが面白かったの。
 きょうちゃんがわたしにしたことを、わたしもしてやろうって。
 酷い事してるってわかってた。

 でもね、

 だんだん違ってきちゃったの。自分でもわからなくなっちゃったの。
 変わっちゃったきょうちゃんを恨んだのに、いつの間にかわたしも変わっちゃったの。
 ずっと、ずっと、わたしは変わらないって思ってたのに。
 酷いよね。都合、良すぎるよね。
 なのに、わたしは、こんなふうに、あなたにあまえて、すがっ……るの、なのに、

 田村さんが言葉に出来たのはそこまでだった。
 彼女は洟をすすりながら、溢れる涙を押しとどめることも出来ずに、
 自分の中から溢れてしまった物に押し流されるように、
 唯々、ひたすらに泣いて、泣いて、泣いて、泣いて……、泣いた。

 俺に出来ることはそっと肩を抱き寄せることぐらい。
 耳元で「いいよ、もっと泣いてもいいんだよ」と囁くと、彼女は声を詰まらせながら
「ごめんね、ごめんね」と呟いた。

 こぼれた涙が眼鏡から滑り落ちてウッドデッキに水玉模様を描く。

 心が軋み、胸が裂ける。

 大好きな人が心の嵐に翻弄されているのに、俺にできることはこれっぱかしだ。
 でも、これっぱかしだからこそ、これだけは俺がしっかりやらなきゃいけないのだ。
 彼女は俺を選んでくれたのだから。

 ここから逃げない。しっかりと彼女を受け止める。
 支えるんだ。
 泣かせてあげるんだ。

 みっともなくても構わない。誰に見られても構わない。笑われたって構わない。
 堂々と、堂々と、これが俺の役割だ。今、ここに存在する意味だ。
 彼女が高坂を好きでも構わない。
 それがどうした、なんぼのもんだ。
 たとえ彼女が俺を好いてくれなかったとしても、俺は田村麻奈実が好きなのだ。

  さあ、俺! 
  全力で、
  彼女を支えて見せろ!


 日がすっかり傾いて、札幌の街並みは金色に輝いている。
 展望台の下にあるラウンジで景色をぼうっと眺めていると、
「待たせちゃってごめんね」と、トイレから戻ってきた田村さんが言った。
 濡らしたハンカチで目を片方ずつ冷やしながら、
「変じゃ無いかな?」と聞いてくる。
「そんなに目立たないと思うけど」
 彼女が思っているほどは目立たないと思う。まあ、眼鏡もあるし。
「そうかなぁ」
「大丈夫だって」
「うん」あんまり納得してないっぽい『うん』だった。
「じゃあ、行こうか」
 ラウンジが閉まる時間が迫っていた。
 歩きだそうとした俺のシャツを田村さんが捕まえた。
 俺が振り向くと、田村さんはぱっと目をそらして俯いた。そのまま、
「あのね、今日、来たのはね……えっと、」と、呟く様に小声で話し始めた。
「うん」と応えて、彼女の言葉を待つ。

「きょうちゃんとのことはね、もう、きっと違う気持ちになっちゃってたと思う。
 それに気付いたの。あなたが気付かせてくれたの。
 それで、早く言わないと、わたし、また迷っちゃってダメになっちゃうって思ったから、
あなたに逢わなきゃって思って、それで、来ちゃったんだけど、あの、何を言わなきゃい
けないかっていうと、その、えっと、だから、その、あのね……」

 頬を真っ赤に染めてテンパってる姿が異常に可愛らしかった。
 ずるいよなぁ、と思う。どうしてこんなにも彼女は俺のツボにはまるんだろう。
 ま、だから惚れてしまったんだろうけれど。
「ねぇ、田村さん」
「え、うん」
 田村さんの顔がすっと俺の顔を見る。目と目が合う。
 こんなときぐらいはちょっと気障でもいいと思う。

「俺の彼女になってくれる?」

 彼女の瞳がとろっと潤む。見てる俺の方が蕩けるような笑顔。
 それから彼女はこくっと頷いて、
 唯一言、「はい」と、とても可愛らしい声で言った。


(6)


 それからの事を手短に語っておくことにしよう。
 俺は実家に電話して彼女を連れて行くことを話した。止まる予定だったホテルがオーバー
ブッキングであーたらこーたらと、理由は適当にでっち上げた。母さんはパニック状態に
なりながらも大慌てで物置と化していた姉貴の部屋を片付けて田村さんが泊まれる状態ま
で回復してくれた。おかげで俺の部屋が物置と化してしまったのだが文句は言うまい。
 実家の台所で母さんと田村さんが並んで夕飯の支度をしている様は、なんというかとて
もむず痒かった。狼狽える親父なんてのも久方ぶりに見た。あんなに取り乱したのは姉貴
が一人暮らしすると言い出した時以来だ。

 田村さんは二泊して三日目に帰って行った。一週間ぐらいいてくれても全然オッケーだっ
たのだけれど、「突然来ちゃったからみんな心配するし」と言われては引き留めることも
出来なかった。早朝、俺は千歳まで彼女を送り、出発口の金属探知機のゲートをくぐって
いく田村さんの背中を見送った。それから俺が向こうに戻るまで、毎日電話とメールで遠
距離恋愛気分を堪能した。

 ちなみに、二泊とも別々の部屋で寝たから夜の素敵イベントは発生しなかった。
 まあ、焦る必要なんてなかったし、俺的には田村さんと手を繋げるようになっただけで
全然オッケーだった。高校生じゃあるまいし、とか言うな。物事には順序があるのだ。

 こうして高坂と田村さんはやっと唯の幼馴染みに戻り、俺と高坂はたまに悪乗りしすぎ
て田村さんに怒られる友人同士となった。

 秋が来て、初めての学園祭のちょっと前に俺は初めて田村さん……、麻奈実を抱いた。
 それから幾度も俺たちは一緒に夜を過ごしている。とはいえ、朝まで一緒にいられる機
会はあまりない。その日の内に彼女をちゃんと家に送り届けるのも俺の大事な役割だった
りするのだ。そうして田村ファミリーの信頼ポイントを積み重ねていくと、彼女のお母さん
が見え透いた娘の嘘に騙されてくれると、まあ、そういうふうになっている。
  
 そんなわけで、今夜女友達の家に泊まっているはずの麻奈実は俺の隣にいる。
 朝まで一緒にいられる貴重な夜を、まだまだ楽しまないと勿体ない。

 ベッドに横になったまま麻奈実の腰に右手をまわす。
 左腕で頬杖をついて彼女の顔を眺めながら、彼女の腰からヒップのラインを確かめる。
 滑らかで、柔らかい肌。
 彼女の左手が俺の背中へ。俺の右手も彼女の背中へ。そして互いの身体を抱き寄せる。
 素肌が触れ合う。胸と胸、腹と腹。
 唇を触れ合わせる。啄むように戯れる。唇を緩く開き、抱き合うようにキスをする。
 熱くぬめる口の中で踊るように舌と舌を絡ませる。
 触れ合っていた唇を離す。彼女の甘い息が俺の唇を撫でる。
 彼女の身体を強く抱き寄せて耳元で囁く。
「うん。もういっかい、しよ」と彼女。

 唇にキス。耳朶にキス。首筋にキス。鎖骨にも、やわらかい乳房を食べるように唇で味
わって、乳首にキス。乳房に指を沈めると、切なげに麻奈実は喘ぐ。
 乳房をほぐすように、くすぐるように、触れて、もんで、
 甘く可愛らしい喘ぎ声を聴きながら、
 首筋に、耳にキスをする。

 彼女の手が俺の下腹に触れて、固くなり始めた愚息の裏筋を細く滑らかな指が撫でる。
 堪らずに息を漏らすと、彼女がくすりと笑う。
「きもちいいの?」
「うん」そこは正直に。
 右手を彼女の下腹へと伸ばして指先でラビアを撫でる。
 人差し指と薬指でそっと開いて中指を沈める。愛液で濡れた指先で膣口を弄る。焦らす
ようにかき混ぜる。彼女の喘ぎ声と、くちゅくちゅという音が混ざり合う。
「きもちいいの?」と意地悪く訊くと、恥ずかしそうに
「うん」と彼女は答えた。
 彼女の手が固くなったペニスを包んで優しくこする。
「もっと奥まできて」
 リクエストに素直に応えることにする。
 中指を彼女の中に沈めていく。ぬるぬると滑る彼女の内側をゆっくりとかきまぜる。
 指を曲げて、前側の肉壁を擦り上げるようにして刺激する。
「はあっんん……」
 びくんと麻奈実の身体が爆ぜる。ひくひくと身体を震わせる。
 指を引き抜いて、彼女の身体を強く抱きすくめる。
 汗ばんだ麻奈実の肌が、熱く火照る身体が恋しくて、愛しくて、堪らない。

 波が引くのを待ってから、
「いい?」と訊くと「きて」と彼女は応えた。
 二つ目のコンドームを開封して装着する。
 とろとろに蕩けているヴァギナにペニスをあてがい、ゆっくりと沈めていく。
 麻奈実は眉根をよせて苦しげな表情を浮かべる。けれど、桜色の唇から漏れる喘ぎはしっ
とりと甘く濡れている。
 奥へ、奥へ、根本まで沈める。
「ふぅ、ん」と、彼女が切なく喘ぐ。
 身体を重ねてキスをする。
 彼女の腕が、俺の背中を抱きしめる。
 少し身体を起こして上気した麻奈実の顔を見つめてみる。
 潤んだ瞳が俺を見上げる。
「きもちいい?」といたずらっぽい笑顔で彼女は言った。
 良くないはずがない。
「うん。麻奈実は?」
 俺の言葉に麻奈実はこくりと頷いた。
 腰を少しだけ動かすと、麻奈実の身体がひくんと震えた。
「ぁん」と甘い声を漏らす。
 頬を染めた彼女が微笑んで俺の仇名を呼ぶ。それは彼女が俺の名前を大胆にアレンジし
て発明した俺の新しい名前。そして彼女は、

「だいすき」と。

 ホントにずるいなぁ、と思う。
 彼女に抱き寄せられてもう一度キス。
 彼女の耳元で、「俺も」と囁き、身体を起こして彼女を見下ろす。
 愛らしい顔、細い首、華奢な肩、綺麗に膨らんだ乳房、全部が素敵で愛おしい。

 潤んだ瞳で俺を見上げている麻奈実の顔を眺めながら、いつか彼女と一生モノの約束を
交わす日が来るのかも、なんていう気の早いことを俺は考えている。


(俺たちの田村さん・おわり)



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あとがき

7巻までの展開をベースに書きましたが、8巻で麻奈実がどうしたいのやらさーっぱり
分からなくなってしまった。ともかく、最終的に麻奈実ルートは無さそうなので不憫な
幼馴染みを救済しようとしたらこんなことに・・・        356FLGRでした。

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最終更新:2011年06月01日 23:17
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