もしも京介が黒猫の告白を断っていたら  02




燦々と降り注ぐ灼熱の日差し。
焼けた砂浜は柔らかい白。
打ち寄せる波は透き通る青。
夏で、海だった。


「兄貴ー、こっちこっちー!」


俺がぶらぶらと散歩をしている間に着替えを済ませた妹が、
ビーチパラソルの影から飛び出してくる。
黒のビキニと白の素肌のコントラストが眩しい。


「どお、似合ってる?」
「ああ、可愛いぞ」


妹は顔を綻ばせ、波打ち際に走り出す。


「競争だよっ」


俺はジーンズとTシャツを脱ぎ(水着は元々穿いてきていた)、妹の背中を追いかけた。
結果は惨敗。
くるぶしを海水に浸し、涼に気を緩めた俺を、水飛沫の洗礼が出迎える。


「あははっ、兄貴ってば、走るの遅すぎィ。食らえっ」
「うわっ、マジやめろって……こんにゃろ」


俺は水飛沫を返しつつ、猛攻を避けつつ、妹との距離を詰めていく。
そして――。


「悪さをするのはこの手か?」
「やっ、離してよぉ。もうしないからぁ」


言葉とは裏腹に、妹は抵抗する素振りを見せない。
濡れたライトブラウンの髪が、妹の額に張り付いていた。
それを取り払ってやりながら、ごく自然に、唇を合わせた。


「んっ……はぁ……っ……」


軽く舌を絡ませる。
交わした吐息は、夏の空気よりも熱く湿っていた。
妹は銀色の橋架を指先で切りながら、


「……海の味がした」


これまた詩的なことを言う。
俺は原因を言ってやった。


「お前にさんざ海水をぶっかけられたからな」
「あはっ、それもそうだよね」


妹は無邪気に笑い、俺の胸に抱きついてくる。
普段なら優しく頭を撫でてやるところだが……露出した肌と肌の触れあいが、否応なく性欲を刺激する。
俺は……。


1.せっかく海に来たんだ。泳がなくてどうする。
2.りんこへの愛を抑えることはできない。


――ここまでエロゲ。
しすしすスペシャルファンディスクの主人公と義理の妹りんこりんの物語である。
一応訊いとくが、まさか俺と桐乃の物語だと勘違いしてたヤツはいねえよな?


「どっち選ぶの?」


と桐乃が催促してくる。
そう慌てるな。
俺は淀みなくマウスを動かし、1番を選択した。


「……………なんで?」
「そりゃあ、海に来たんだから、泳がなくちゃ損だろうが」


というのは建前で、2番からは危険な香りがプンプン漂ってくるからである。
妹と一緒にエロゲーのHシーンを鑑賞したところで、死ぬほど気まずいだけ。
一年前はそう思っていた。
が、ここ最近、特に俺たちの肩書きが兄妹と恋人(←new)に更新された一時間ほど前からは、
一年前とは別の意味で、Hシーン回避に全力をかけている俺がいる。


「でも、なんでこんなところに選択肢があるんだろうな」


大抵のファンディスクは一本道じゃないか、と素朴な疑問を口にすると、桐乃は不満げに唇を尖らせて、


「エロゲーにも色々あるでしょ?
 純愛ゲーとか抜きゲーとか。
 しすしすはどっちかって言うと純愛ゲーで、Hシーン飛ばしてる人も多いんだよね。
 そういう人に配慮したんだと思う。
 あたしには理解できないケド」


あのー、エロゲって基本、男性向けですよね?
妹萌え成分を日常描写から補給するのはまだ理解できるとして、
女のお前がHシーン見て何が楽しいんだよ。
お前もしかしてアレか、主人公に自己投影して、ヒロインを犯す気分を味わってるのか……。
と訊くまでもなく、桐乃は答えを言ってくれた。
柳眉をいっぱいに逆立てて。


「Hシーン飛ばす人は、しすしすの魅力を何も分かってない!
 だってだって、快楽に身悶えするりんこりんの表情、ホンットに超可愛いんだよ!?」


オーケー、お前の魂の叫びはとくと伝わった。
だがもうちっと声のトーンを抑えような?
家に親父やお袋がいたら、確実にすっ飛んできてたぞ。


それからしばらくは平穏な日常描写が続いた。
主人公とりんこりんは色々な場所に出かけ、夏を目一杯満喫した。
作中に漂う雰囲気的に、エンディング間近といったところで、


「もっと早くにプレイすれば良かった」


と桐乃が呟く。


「このファンディスクが発売されたのはいつなんだ?」
「先月の初めくらい、かな」
「意外だな。お前がしすしすの続編を一ヶ月も積んでたなんてよ」
「んー……色々と忙しかったからね」


リアの来日に偽装デート、コミケ遊覧に御鏡襲来と、確かにイベント盛りだくさんだったな。
でも、それとなく時間を見つけてプレイすることは出来たんじゃねえか?


「あ、あたしは……兄貴と一緒にやりたかったの。
 しすしすはたくさんあるエロゲの中でも、特に思い入れのある作品だし?」
「桐乃……」


俺はじんと来ていた。
傍から聞いてりゃトチ狂った兄妹と思われても仕方ないが、今更恥も外聞もねえ。
桐乃可愛いよ桐乃。


内心の倒錯的な愛情を紳士的な台詞に変換し、


「なかなか構ってやれる暇が作れなくて悪かった。
 でも、お前も遠慮すること無かったんだぜ」


いつもみたく部屋に飛び込んで来て、
『エロゲーしよっ!』と俺を引きずって行けばよかったんだ……。
いや、ここ最近は偽彼氏事件が尾を引いて、険悪なムードが続いていたんだっけか。
桐乃はディスプレイに視線を戻し、


「……夏、もうすぐ終わっちゃうね」


ゲーム内時間は、八月の終わり。
現実時間は、八月の半ばを過ぎたあたり。
常日頃からニブチンと叩かれてやまない俺も、このときばかりは言外の意図を察したさ。


「何言ってんだ。
 夏休みはまだ二週間近くも残ってるじゃねえか」


遊園地に海にプールに花火大会に流星鑑賞、夏の風物詩を楽しむ時間に不足はねえよ。
この主人公の受け売りみたいでイヤだが、


「行きたいところがあるなら言え。
 どこでも連れてってやる」
「どこでも?」
「ああ、どこでもだ」
「じゃあ、海がいい。
 撮影の時に使った水着、何着かもらってて、それが超可愛くてさぁ――」


桐乃の話に相槌を打ちながら、俺はマウスをクリックする。
街での買い物を終えた主人公とりんこりんは、手を繋いで帰路を歩む。
流れるはひぐらしの清音、背後に伸びる影法師は細く長く。
『いつまでも一緒だよ』と最後に互いの想いを確かめ、画面が暗転、Endの三文字がフェードイン。
佳境もなく、劇的なオチもなく……。
そんな、純愛日常モノのファンディスクにしてはありきたりの最後を予想していた。
結果から言う。
エロゲはやはりエロゲだった。
帰宅した主人公とりんこりんは、買い物袋を床に置き、一息吐いたところで見つめ合った。


『ねえ……あたしたち最近、シてなくない?(←りんこりん)』


そりゃそうだ。
Hシーンに繋がりそうな選択肢は徹底的に避けていたからな。
どうせ今回もH回避用の選択肢が用意されているんだろう、とクリックを続けると、


『あたし、もう我慢できない(←りんこりん)』
『俺もだ。好きだ、りんこ(←主人公)』


最後の最後の不可避H……だと?
おい待て、性欲に溺れるのはやめろ!
俺の心の叫びも虚しく、画面にはピンク色のエフェクトがかかり、立ち絵は美麗CGに変化する。
流石は本編で初H経験済みの二人とあって、
あれよあれよという間にりんこは生まれたままの姿に早変わり。
ゴクリ、と喉を慣らす音が重なった。


マウスにかけた指先が止まる。


「先、進めないの?」
「いいのか、進めても」


俺の本能の箍が最後まで壊れない保証はできねえぞ。
あと無意識でやってるのか知らんが、内股をもじもじと擦り合わせるのはよせ、
それ女の扇情的な仕草ランキング審査委員特別賞を受賞するレベルの仕草だから。
桐乃は平静を装っているのがバレバレの声音で、


「こ、ここからが良いトコでしょ。
 あたしに言わせれば、なんで今まで避けてきたの、って感じ」
「……分かったよ」


どうなっても知らねえからな。
俺は設定で『オートモード』を選択する。
よほど溜まっていたらしく、前戯もそこそこに主人公は挿入を開始した。


『匂い立つ雌の匂いに目眩がした。
 濡れそぼった茂みを掻き分け、秘蜜の源泉たる割れ目を探し当てる。
 軽く腰を突き出しただけで、一物はいとも容易く呑み込まれた。
 ぴっちりと絡みつく肉襞は、喩えるなら飢えた獣だ。
 一刻も早く精を絞り尽くさんと、蠕動の妙絶にて一物を攻め立ててくる。(←主人公モノローグ)』
『あぁっ……いいよっ……兄貴、もっと動いてっ……もっと激しくしてぇっ……!(←りんこりん)』


序盤からクライマックスである。


文章やCGからは目を逸らせても、如何ともしがたいのがエロボイスで、
りんこりんの艶やかな嬌声を聞かされてリアルの一物が反応しないヤツは、
聖人君子か不能者くらいだろうよ、と俺は誰ともナシに言い訳する。
つまるところ、俺は勃っていた。
それとなく片膝をついてテントを隠し、バレてないよな、と隣を見れば、
桐乃はハァハァと呼吸を荒くしてりんこりんの肢体に魅入るでもなく、
顔を真っ赤に上気させ、両手を内股に挟み込み、切なげな呼気を漏らしてこちらを伺っている。
ああ、クソ。
ただでさえ理性が飛びかけている時に、反則行為の三点セットときたもんだ。
心頭滅却すれば火もまた涼し、と故人は言ったが、そいつ結局焼死してて説得力に欠けるから困る。


「しても、いいよ?」


と不意に桐乃が言った。
目的語不在の言葉に、想像の両翼は自重を知らずに羽ばたき始める。


「兄貴も男だし、あ、あんまり我慢するのも体によくないと思うし」


それにさ、と桐乃は俯いて言う。


「さっきも言ってたじゃん。
 あたしたちの他に誰もいないときは、恋人らしいことをするって……」


親は日帰り旅行で不在。
俺たちは家に二人きり。
傍らには清潔なベッド。
恋人っぽいことをするには絶好のシチュエーションだ。
これ以上は望めない。
またしても心の悪魔が囁く。
今犯さずしていつ犯す?
心も体も準備万端、押せば倒れる脆さを晒す女を前に、逡巡はどこまでも無価値だぜ?
……応とも。
まったくもってお前の言うとおりだ。
今まで何を悩んでたんだか、自分が馬鹿らしくなってくるね。
理性よさらば。
本能よこんにちわ。
俺は桐乃に覆い被さりかけ――。


「してもいいよ……キス」


――目を瞑り、薄桃色の唇を突き出す妹の姿を見た。
え?……キス?キス、だけ?
あー……あっはっはは、そうですよね、いや、うん、分かってたよ、
恋人らしいことと言えば、チューに決まってるじゃないか、もちろん俺は最初からそのつもりだったさ。
とまあ白々しい言い訳はここまでにして、たとえキスでも、
俺たちの肩書きを鑑みれば、栄えある背徳的行為第一号には変わりない。
緊張と興奮に脳髄が痺れた。
が、次の瞬間には、俺は桐乃の唇に、自分のそれを押し当ててていた。


「んっ……」


妹とキスしている。
非現実的な現実は、不思議とあっさり飲み込めた。
舌先で閉じた唇を割り、桐乃の舌を探し当てる。


「っ……ぁ……ふぁ……」


ここまでされるのは予想外だったんだろう。
桐乃は驚きに大きく目を見開きながらも、
数秒後には、自分から舌を絡めてきてくれた。
淫靡な水音が響く。
唇と一緒に唾液を吸い、舌で口蓋を蹂躙する。
このとき既に俺の脳味噌は完全に出来上がっていて、
手は桐乃の後頭部から、着々と胸へと南下しつつあった。
ヤバイ。止まらねえ。
桐乃も止めろよ。
許すのはキスだけで、最後までするのはイヤなんじゃないのかよ。
指先が至上の弾力に触れる。


「あっ……」


さあ平手打ちしろ。渾身の力で俺を突き飛ばせ。
果たして桐乃はピクリと身動きしたのみで、
ああ、なんてこった、暴走は看過されちまった。
もはや俺を阻むものは何も無い。
俺はそっと桐乃に体重をかけ、本格的に南方侵略を開始した。


その時だった。


「ただいまー。桐乃、京介、二階にいるのー?
 お母さん帰ってきたわよー」


脳裏を過ぎるは、最悪の未来。
まぐわう息子と娘を目撃したお袋は、まず絶句し、次に親父の名を叫び、最後に卒倒するだろう。
俺たちは迅速かつ的確に行為の証拠隠滅を完遂した。
即興のコンビネーションは血の繋がりが成せる業か。
トントン。


「入るわよー?」
「は、はぁい」
「桐乃ー、京介どこにいるか知らない?……って、あんた桐乃の部屋で何してるの?」
「桐乃に勉強見てくれって頼まれてさ。
 夏休みの宿題で難しいところがあったみたいで……な、桐乃?」
「そっ、そうなの!
 理科の先生が超意地悪でさあ、有り得なくらい難しい宿題を出してきたんだよね」


お袋はジト目で俺たちの顔を交互に見遣り、


「ふぅん、桐乃が京介に宿題を手伝ってもらうなんてねえ……いつ以来かしら」


これ以上追及されたらボロが出る。
そうなる前に、と俺は訊いた。


「お袋たち、帰りは遅くなるんじゃなかったのか?」
「それがねえ、あの人、急に職場から呼び出さちゃって、
 一人で温泉を楽しむのもアレだし、帰ってきたのよ」


なるほど、さっきから親父の気配を感じないのはそのせいか。
幸いなことにお袋に長居するつもりはなかったようで、


「京介、あんた桐乃に勉強教えてあげるのはいいけど、変なことしちゃダメよ」


と釘を刺して出て行った。
俺は桐乃と顔を見合わせ、深い深い息を吐く。
お袋は冗談で言っていたのだろうが、ついさっきまで俺たちは「変なこと」の真っ最中だったのだ。


「ふふっ、危ないトコだったね」


ここで笑えるお前の胆力に感心するよ。
ピンク色のムードはどこへやら、緩慢な空気が流れる。
桐乃はおもむろに唇に人差し指の腹を当てると、


「さっきの……ファーストキスじゃなかった、って言ったらどうする?」


「別に……どうもしねえよ」


お前も中学三年生だ。
兄妹関係が冷え切っていたときに、
彼氏の一人や二人いたとしても、今更怒りやしないさ。


「ぷっ、兄貴ってば、すっごい顔が強張ってる」
「うるせえ」
「あたしのファーストキスを奪った誰かに嫉妬してるんだ?」


こいつめ、なんでこんなに嬉しそうなんだ?
俺の心をナイフで抉るのがそんなに楽しいのか。


「やっぱり忘れちゃってるんだね」


何を。


「小さい頃に、キスしたこと」


誰と誰が。


「あたしと兄貴が」


マジで?


「うん。今日みたいに、あたしと兄貴がお留守番を任されたことがあって、
 そのときに二人でテレビ見てたら、ちょうど昼ドラが流れてたの。ドッロドロのやつ」


止めろよ、当時の俺。
なぜ桐乃の目を覆って子供アニメのビデオをセットしてやらなかったんだ。


「そんなに過激なシーンは無かったよ。
 あっても、精々キスくらい。
 それでね、あたしもあんたも、その頃は全然そういうことを知らなくて、
 二人で実際にやってみない?ってことになったの」
「どっちが言い出したんだ?」
「……あ、あんたに決まってるじゃん」


怪しい。
が、今言及すべきはそこじゃない。


「それがお前のファーストキスか」
「うん。でも、あたしが言うのもなんだけど、あんなのはファーストキスのうちに入らないと思う。
 半分、遊びみたいなものだったし、あんたは次の日には忘れちゃってたし……」


なぜ恨めしげな目でこちらを見る。
俺は言った。


「それじゃあ、実質的なファーストキスはさっきの、ってことでいいのか」
「うん。そだね……それでいい」


桐乃はクスリと笑い、冒頭のりんこりんの台詞に準えて言った。


「……ソースの味がした」


これまた散文的なことを言う。
俺は原因を言ってやった。


「昼飯に焼きそばを食べたからな」
「あはっ、それもそうだよね」


それから俺たちは、ひとつ約束事をした。
次に恋人らしいことをするときは、事前に歯を磨いておこう、ってさ。




おしまい! 続くかな~?

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最終更新:2011年06月25日 15:21
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