それは例えるなら、夜空にきらめく綺羅星の一。
赫赫たる輝きは仰いだ者の目を惹きつけてやまず、
されど所有欲を懐いた者には冷ややかな一瞥を投げかける。
見渡せば、夢破れた者たちの屍の群れ。
「あやせ、今まで何人にナンパされた」
「覚えてません。
お兄さんがいけないんですよ、わたしを30分も待たせるなんて」
「桐乃を説得するのに手間取っててな」
「それで、あの子は……?」
「電話で話したとおり、家で休ませてる。
俺も残って看病するって言っても、
あたしの分まで楽しんで来て、の一点張りでよ」
「わたしも同じです。
桐乃がいないと意味ないよ、ってメールを送ったら、
あたしの代わりに花火の写真を撮ってきて、って逆に宿題を出されちゃいました」
困り顔で目を細め、たおやかな所作で腰を上げる
あやせ。
ラブリーマイエンジェルの愛らしさを表現したところで何を今更と笑われそうだが、
今夜の彼女は、持てるボキャブラリーの粋を尽くして誉めちぎらずにはいられない。
長い黒髪は後ろで一つに結わえられ、
覗く項は健康的な白、身に纏うは黒地に朝顔をあしらった湯帷子、
下駄は歩みに合わせて幽玄の音を奏で、鼻緒の赤は大人びた雰囲気に一抹の幼さを残している。
要するに何が言いたいかというとだな。
「あやせたんすげー可愛い。鼻血出そう」
「今何か言いました?」
「浴衣、似合ってるって言ったんだよ」
「そ、そうですか?
お兄さんなんかに誉められても全然嬉しくないですけど、
一応は、誉め言葉として受け取っておきます」
あやせはフイと顔を背け、
「今日お兄さんと一緒に出かけるのは、桐乃に頼まれて、仕方なくですから。
その点だけは
勘違いしないで下さいね」
「へいへい」
俺のことは精々、ナンパ避けにでも使ってくれ。
お前の美貌には到底釣り合わない地味顔だが、それくらいの役には立つぞ。
「わたしはお兄さんのことが嫌いです。
でも、卑屈なお兄さんはもっと嫌いです。
わたしの隣を歩くなら、せめて、堂々と胸を張って下さい」
そ、そそ、それってつまり……。
「今日一日限りなら、お前の彼氏を名乗ってもいいってことか!?」
「もうっ、またそうやってすぐに調子に乗る……!
お兄さんがわたしの彼氏?
あ、有り得ないですから。妄想は大概にして下さいね」
これくらいの暴言は慣れたモンだ。
「じゃあ、もし誰かに俺たちの関係を聞かれたら、何て答えればいい?」
「そうですね……」
あやせは人差し指の腹を唇に当て、可愛らしく小首を傾げると、
「兄妹ということにしておきましょうか」
兄妹、ねえ。
「知り合いに会った時はどうするよ?」
例えば加奈子とか麻奈実とか。
確率は極々低いと思うが、一応な。
「その時は即刻どこかに隠れて下さい。
もしもお兄さんが隠れるのが間に合わなかった時は、
少々面倒ですが、時間をかけて事情を説明しますから」
やれやれ、どうあっても誤解される事態は避けたいと見える。
俺との仲を色眼鏡で見られるのがそんなに嫌かよ?
俺は大歓迎なんだがな……。
「絶っ対に嫌です」
ですよねー。
肩を竦める俺を余所に、あやせは
「もうすぐ電車が来ます」
と踵を返し、駅構内へと歩き出した。
ナンパに失敗した男どもの怨嗟の視線を背中に浴びつつ、浴衣姿の後を追う。
さて、ここらで俺とあやせがデートするに至った経緯を説明しておくか。
事の発端は数日前。
桐乃が隣町のお祭りに行きたいと言い出したことがそもそもの始まりだった。
暇を持て余していた俺は一も二もなく承諾し、経つこと数日、
俺たちの予定を聞きつけたあやせが突然の参加を意志表明、
本人曰く、前々からそのお祭りに興味があった、というのは桐乃向けの建前で、
俺が桐乃の浴衣姿に欲情して間違いを犯さないよう監視するのが真の目的なのだとか。
んなことするわけねーだろ、と力説しても馬耳東風、
あまりの信用のなさに慨嘆に暮れていた俺を蚊帳の外にして、
桐乃とあやせは仲睦まじく、祭りに着ていく用の浴衣を選んでいたっけな。
そして迎えた祭りの当日、桐乃は馬鹿みたいな高熱を出して寝込んじまった。
即日快復の見込みは薄く、祭りは生憎の一晩限り。
どうするべきか、と悩んだ俺に桐乃がかけてくれた言葉は、冒頭であやせに受け売ったとおりである。
説明終わり。
電車に揺られること十数分。
駅から出た俺たちは、しばし言葉を失った。
「大賑わいだな」
「この辺りでは、有名なお祭りですからね」
耳を澄ませば、祭り囃子の清音が聞こえる。
遠くに見えるのは御神輿だろうか。
お面を付けた子供が「まだ帰りたくない」と泣きながら、親の手に引かれていた。
「あやせは今まで、このお祭りに来たことはあるのか?」
「小さい頃に、両親に連れられて何度か。
でも、ここ数年は遠慮してました。
暴走族の集会に使われたり、スリや置き引きが増えたりと、悪い噂ばかり聞くようになったので」
「一日限りになったのもそれが原因らしいな」
晩飯の席で、親父(現職の警官)が喋っていたことを思い出す。
何年か前までは、祭りは二日間に渡って開催されていた。
が、軽犯罪の温床と化すにつれて、自治体は期間の縮小を決定し、
警察は気合いを入れたパトロールを実施する運びとなったらしい。
「今日だって、お母さんを説得するのにすごく苦労したんですよ。
悪い人に絡まれたらどうするの、ってうるさくって」
「あやせママは心配性か」
「というよりは、過保護の方が正しいですね。
今でもわたしのことを子供扱いするんですよ?
もう十五歳なのに……」
軽く頬を膨らませるあやせ。可愛い。
「結局、あやせはどうやってお袋さんを説得したんだ?」
「友達のお兄さんも一緒だと言ったら、渋々納得してくれました。
もっとも、もしお母さんがお兄さんの素性を知っていたら、
絶対に認めてくれなかったでしょうけど」
冷ややかな目つき。たまりませんなあ。
ちなみにあやせが言った俺の素性とは、近親相姦上等の変態鬼畜兄貴のことである。
今更それを訂正する意志も元気もないとは言え、
「一応、俺はあやせのお袋さんに、保護者役を期待されているわけだよな?」
「まあ、そうとも言えますね」
「そこで、だ。
お前の護衛を万全なものにするために、一つ俺に提案があるんだが」
「何ですか?」
俺は爽やかな笑顔で言った。
「手を繋ごう」
あやせも華やぐ笑みでこう答えた。
「嫌です。穢らわしい」
例によって例の如く、台詞と表情の不一致甚だしいなオイ。
まあいい。
「お前が嫌なら無理強いしないが、はぐれないようにしろよ」
この歳で迷子になったら笑い者だぜ。
「お、お兄さんまでわたしを子供扱いしないで下さい。
お互いがお互いを見失わないよう、意識していれば大丈夫です」
「心配になったら、いつでもお兄さんの腕に抱きついてこいよ。
俺はいつでもウェルカムだ」
「わたしはいつでもノーサンキューです」
そいつは残念。
俺は誰からも必要とされない右手をポケットに仕舞いつつ、
道なりに連なる屋台骨と、それを縁取るネオンの光を眺めた。
さてと……俺たちもそろそろ、露店巡りに繰り出すとしますかね。
駅前を離れ、大通りを歩き始めることを数分。
右手からカランカランと鐘の音が鳴り響いたので振り向くと、
「やったぁ、一等賞だっ!」
と小さな男の子がはしゃいでいるのが見て取れた。
手渡された最新型の携帯ゲーム機を誇らしげに掲げ、周りの友達に自慢している。
あやせが言った。
「へえ……きちんと当たりクジも用意されているんですね。
三等以上の景品なんて、所詮は人目を引くための飾りだと思ってました」
「実際、ほとんどのクジ屋はハズレクジしか用意してないんだろうさ。
けどガキの頃なんて疑うことを知らねえから、馬鹿みたいに小遣いを注ぎ込んだよな」
「仲間を見るような目でこっちを見ないで下さい」
「隠すなって、誰もが通る道だろ?
百円玉数枚で豪華景品を手に入れる夢を見るのは」
「わたしは三回ほど挑戦したところで、無垢な子供を食い物にする仕組みに気づきましたから」
あやせ様は幼少期より素晴らしい炯眼をお持ちで。
しかし真の賢者とは最初からクジ屋に金を落とさないヤツのことで、
クジを引いちまった時点で俺とあやせは五十歩百歩の距離にあるんじゃないか、と言えば睨まれるのは自明の理、
「どうだ、試しに俺たちも引いてみないか。
さっきの騒ぎが仕込みじゃなけりゃ、あのクジ屋は世にも珍しい優良店みたいだぜ」
「仕込み?あの男の子がサクラかもしれないと疑ってるんですか?」
「可能性はあるだろ」
「お兄さんは捻くれすぎです。
あんなに可愛い男の子が、そんな悪事に荷担するわけがないじゃないですか」
「分かった分かった、汚れてるのは俺の心の方だ。で、どうするよ?」
あやせはしばし迷った末に、ハンドバッグから財布を取り出して言った。
「それじゃあ、一回だけ」
列の最後尾に並び、クジ箱の前に着く頃には、
背後には先の一等賞獲得の噂を聞きつけたのか、長蛇の列が出来ていた。
クジ箱には『一回:三百円、二回:五百円』の文字。
気のよさそうな店主の「二回の方がお得だよ」の言葉を半笑いで聞き流し、
俺とあやせはそれぞれ三百円を手渡した。
まずは俺から。
箱に手を突っ込み、勘とセンスで一枚の紙片を掴み取る。
最初から当たる期待なんかしてないっての、
というようなクールな風体を装いつつ、内心では八百万の神様に祈りを捧げる。
あのう、二等の音楽プレイヤーが欲しいんですけどなんとかならないですかね?
今持ってるプレイヤーの調子がすこぶる悪いんです。
ここで当たれば新しいのを買わずに済むんです。
「ほい、兄ちゃん。残念賞だ」
クラッカー単品を拝領する。
ハハ……これで誰かの誕生日を祝ってやれるぜ。
三百円には到底釣り合わないが、夢と希望を買ったと思えば慰めにもなる。
「さあさ、次は嬢ちゃんの番だよ」
「……行きます」
あやせが袂を捲り、箱に手を差し入れる。
指先に全神経を集中させるためか、目は瞑られ、呼吸さえも止まっているように見えた。
やがて俺の倍ほどの時間をかけて、あやせは紙片を選び出した。
手渡された紙片を、店主が慣れた手つきで検める。
果たしてその結果や如何に?
クジの中身を確認した店主の手が、ミニクラッカーの寄せ集めに伸び……その隣のハンドベルを鳴らした。
カランカラーン。
「おめでとう、特別賞だ!」
おいおいマジかよ。
特別賞なんてあったのか。
けど、展示されてる中に特別賞の札付きの景品なくね?
「ちょっと待っててくれるかい。景品は別のところに置いてあるんだ」
と言って、店主が屋台の裏手に消える。
あやせが譫言のように呟く。
「当たった……信じられない……」
「すげえな。特別賞だぜ、特別賞」
茫然自失としていたあやせも、徐々に実感が込み上げてきたのか、
「お兄さん、わたしやりました!」
「おう、やったな!」
極々自然なハイタッチを交わす。
あやせは慌てて手を引っ込めて何か言いかけ、戻ってきた店主を見て絶句した。
無理もないと思ったね。
店主が脇に抱えていたのは、星くずうぃっち☆メルルの等身大ぬいぐるみだったんだからな。
「はいよ。大切にしてやんな」
「あ、ありがとうございます」
「ハッ、桐乃への土産を買う手間が省けてよかったじゃねえか」
と俺が言うと、あやせは困惑気味の表情になって、
「確かにあの子は大喜びするでしょうけど、
これを持ったまま歩くのは流石に恥ずかしいので……お兄さんに預けておきますね」
「おう……」
って自然に受けとっちまったが、なんで俺?
「だって、お兄さんなら"そういう趣味の人"と思われても問題ないじゃないですか。
むしろ白い目線が心地良いんじゃないですか?……変態」
ハイ今日の初「変態」頂きました。
って、問題あるし心地よくもないわボケ!
しかしこの縫いぐるみ、妙にディティールに凝ってるな。
遠目からだとマジに俺が児童誘拐してるように見えないこともなさそうで怖いんだが……。
「ママー、あたしもメルルのぬいぐるみほしい」
と後ろで小さな女の子が、母親に駄々をこねている。
譲ってやりたい気持ちは山々だが、
悪いな、俺の家にも一人、メルルの大きなお友達がいるんだよ。
それから俺は試行錯誤を重ね、ぬいぐるみを肩車する方法が、
一番負担がかからず、両手も自由になるという結論に達した。
道行く人の冷たい視線?知ったこっちゃねえや。
だがあやせ、お前まで俺から微妙に距離を取るのはやめてくれ。
さて、次に俺たちが足を止めたのは、夏祭りの露店といえばコレをおいて他にない、金魚すくいの屋台である。
といってもあやせは通り過ぎる気まんまんだったようで、
「急に立ち止まってどうしたんですか?」
「金魚すくいやろうぜ」
「構いませんけど、やるならお兄さん一人でどうぞ」
「寂しいこと言うなよ。やりたくない理由は何だ?」
「大人気ないじゃないですか。あんな小さな子供たちに交じって金魚すくいだなんて……」
待ち合わせ場所で顔を合わせた時から思っていたが、
どうもあやせはまだ、祭りの雰囲気に乗り切れていない感じだな。
矜持は捨てて童心に還る、これ縁日の鉄則だぜ?
「イヤなものはイヤです」
強情だな。
しゃーねえ、諸刃ならぬ逆刃の剣になりかねんが、一丁挑発してみるか。
「お前さぁ、もしかして金魚すくいできねえの?」
「は、はぁ?」
「一匹もすくえなくて、惨めな思いをするのがイヤだから渋ってんだろ?」
「なっ、なんでそうなるんですか!?
馬鹿なこと言わないでください。
金魚すくいは得意……じゃありませんけど、お兄さんよりたくさんすくえる自信はあります」
「口では何とでも言えるよな」
「くっ……分かりました。
実際に証明すればいいんでしょう、実際に証明すれば」
おー釣れた釣れた。
「ただの勝負じゃつまらねえし、そうだな、
多くすくえた方が、後で何か食べ物を奢るってのはどうだ?」
「の、望むところです」
硬貨を支払い、ポイと椀を受け取って、水槽の前に陣取る。
チビッ子たちよ、俺の肩に乗ったメルルに興味津々なのはいいが、
どうか俺とあやせの神聖な戦いの邪魔だけはしないでくれよな。
「それじゃ、始めるか」
「……はい」
意気込みとは裏腹のなんとも緩慢なかけ声で、火蓋は切って落とされた。
ポイを握るのは久しぶりだが、やっぱり体が覚えてるモンなんだな、
「おらよっと。一匹目」
幸先の良いスタートを切り、その後もテンポ良く二匹目三匹目をすくい入れる。
東に高坂京介ありと謳われた実力を遺憾なく発揮し、
十匹目をすくい入れたところで椀の中はいっぱいに。
「兄ちゃんすごいな」と店主。
「わぁっ、どうしてそんなに上手いのー?」と背後の子供たち。
へっ、これも一重に練習の賜さ。
新しい椀を店主から受け取り、恐らくは数で俺に負けているあやせを煽ってやろう、と隣を見ると、
「……………」
あぁ……。まぁ、その、なんだ。
「久しぶりだもんな、初めから調子が出ねえのは仕方ねえよ」
あやせは空の椀と破れたポイを見つめて言った。
「……なんです」
「ん?」
「昔から、下手なんです。何度やっても、一匹もすくえたことがなくて。
今のわたしになら簡単かと思ったんですけど……やっぱり、ダメでした」
微かに湿った双眸、噛み締められた下唇。
やれやれ、俺は知らず、あやせのプライドをいたく傷つけていたらしい。
「おっちゃん、ポイもう一つ」
「あいよ」
受け取ったポイを、そのままあやせに握らせる。
「何度やったって、同じです」
「やってみなくちゃ分からねえだろ。
それにな、物事には何でもコツがあるんだよ。金魚すくいだって例外じゃない」
あやせの右手に自分の手を添える。
あやせはぴくりと肩を震わせ、しかし、我慢してくれた。
他意がないことを直感的に悟ってくれたのかもしれねえな。
「ポイを水につけるときは、ゆっくりじゃなくて、思い切りよくだ。
あとは金魚は追いかけるな。寄ってきてくれるのをじっと待て」
「………」
「いい位置に金魚が来たら、ポイの面の端っこですくいあげる。
金魚が暴れないうちにな。ちゃんと聞いてるか?」
「……は、はい……」
こっちは真面目に教えてるのに、そんなに艶っぽい声を出されても困るんだが。
触れあった右手が妙に熱い。
つーか、教えるために無意識にとった体勢だが、
このあやせの背中から覆い被さるような格好、かなりヤバくね?
「あっ、お兄さん……!」
「おっ、来た来た」
タイミングよく金魚が寄ってきて、俺はあやせの右手をアシストする。
ぽちゃんと水音。椀の中には、形、色ともに良しの金魚が一匹。
「出来たじゃねえか」
「……こんなに簡単なことだったんですね」
「だろ?さ、次は自分一人の力でやってみな」
数分後。
屋台から離れたあやせの手には、水草模様が描かれた金魚袋があった。
「酷いです。わたしを置いてきぼりにするなんて」
「他の利用客にスペースを空けてやろうと思ってな。
で、何匹すくえたんだ?」
「四匹です。お兄さんと一緒にとったのも入れて。
お兄さんには遠く及びませんね。
……そういえば、お兄さんの金魚はどこですか?」
「周りの子どもたちの椀に、一匹ずつプレゼントしてやったよ。
どうせ持って帰っても、おふくろに『池に返してこい』って言われるのがオチだからな」
というわけで俺の成果はゼロ、この勝負はお前の勝ちってことで。
「そ、そんなの反則ですっ」
自分が不利になる反則を咎められるとはこれいかに。
「だって、お兄さんにコツを教えてもらうまで、わたしは一匹もすくえなかったんですよ?」
俺はあやせを遮り、
「勝者には豪華賞品、フランクフルトが送られます」
「……先に屋台を離れたのは、これを買うために?」
「まあな」
「いくらしたんですか?」
「聞くな。俺だって初心者相手に賭け試合吹っ掛けたことに、罪悪感を感じてんだ」
その罪滅ぼしがコレだ。さあ、遠慮なく食え。
あやせはしばしフランクフルトを眺め、
やがて熱さを確かめるように唇を付け、あむ、と先端に齧り付いた。
「どうだ、美味いか」
「はい、とっても……あ、お兄さんも」
無垢な笑顔で俺にフランクフルトを差し出しかけ、慌てて引っ込めるあやせ。
「な、何でもありません」
「はいはい、分かってるよ」
お前も優しさも照れ性もな。
とても美味しい、という感想は本当だったようで、あやせは気持ちの良い頬張りっぷりを見せてくれる。
いやあ、実に健全な光景ですなあ。
眼福眼福。
「……お兄さん?」
おっと、考えが顔に出ていたらしい。
「目がすっごくいやらしいです」
「気のせいだろ」
「いかがわしい妄想をしているようなら、即刻ブチ殺しますよ」
「失敬な。次にどこに行こうか考えてたんだよ」
というのはもちろん嘘で、あやせもそれを承知しているんだろうが、
右手に金魚袋、左手にハンドバッグの状態では万全の殺害ができないと判断したらしく、
「お化け屋敷……はどうですか?」
と俺の話題転換に乗ってくれた。
つーか、この祭りに来てから初めてだよな。あやせが行き先を指定したのって。
「このお祭りのお化け屋敷は、その怖さで有名なんです。
入ったうちの二組に一組は、ゴールできずに、入り口まで引き返してくるそうです」
「詳しいな。入ったことがあるのか?」
「子どもの頃、お父さんと一緒に二回ほど」
「ゴール出来たことは?」
「……ありません」と俯き気味に白状するあやせ。
親父さんが怖じ気づいたとは思えねえし、
お化け怖さに泣きじゃくるあやせを、親父さんが肩車して引き返したんじゃないか、と想像する。
「よし、行ってみるか」
というわけでお化け屋敷である。
見た目は打ち捨てられて久しい蒼然の廃屋、奏でるは物寂しい和楽の調べ。
一日限りの興行の割りにはえらく意匠が凝らされた造りだな。
「前の方がゴールされるまでしばらくお待ち下さいね」
と受付の女性に言われ待つこと数分、
わんわん泣き喚く小さな男の子と、その母親と思しき人が入り口から現れた。
「今年も相当怖そうですね」とあやせ。
「入る前から怖じ気づいててどうするよ」
「お、怖じ気づいてなんか……!
わたしがゴールできなかったのは、小学校に入る前の話ですよ?」
「今はもう怖くないと?」
「当たり前じゃないですか。
中に人が入っているお化けなんか、ちっとも怖くありません」
ほう、そいつは頼もしい。
ところでさっきから気になってたんだが、どうしてあやせは俺の背後に立ちたがるんだ?
入り口は俺たちが横に並んでも余裕がある広さだぜ?
「うるさいですね。早く進んでください」
「分かったから押すな」
俺としては隣でお化けにびくつくあやせたんを鑑賞したかったんだがな。
消沈しつつ入り口の垂れ幕をくぐると、ひんやりとした冷気に出迎えられた。
中は狭い通路が延々と続く構造になっているようで、
等間隔に配置された蝋燭の光が、唯一の光源として正しい行く手を教えてくれる。
「なかなか良い雰囲気だな」
「…………」
進むこと数歩、最初の角を曲がってすぐのところでファーストコンタクト。
右手に包丁、ぼろぼろの服を身に纏い、ざんばら髪で顔を覆った女が、
「きひひっ」
と不気味な笑い声を響かせながら、通路の先へ走っていく。
ああ、こりゃ怖ぇわ。
ガキなら小便漏らすのを必死に我慢して、一目散に引き返しても仕方ないレベル。
だが、その怖さが夏には丁度良い。
俺はさらに歩を進め、通路の天井からだらりと垂れるろくろ首や、
壁から突き出す無数の手、右手のガラス窓にへばり付く口裂け女を華麗にスルーしていった。
そういやあやせ、お前さっきから口数が少ないが大丈夫か?
「えっ……あ、はい……大丈夫です……」
瞬きが多い。呼吸も肩でしているような感じがする。
パニックの前兆じゃあるまいな、と訝った矢先、あやせの背後に誰かが立った。
トントン、とそいつがあやせの肩を叩く。
元々振り向いていた俺には、そいつの顔――のっぺらぼう――が丸見えで、
普段なら大いに驚かせてやれと口を噤んでいるところなのだが、その時ばかりは流石に止めた。
否、止めようとした。
「ばぁっ!」
「いやぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!!!!」
誰何もなく、躊躇いもなく。
あやせは下手人に渾身の平手打ちを叩き込んだ。
「ぶべらっ!?」
のっぺらぼうの面が派手に吹き飛び、中の人がもんどり打って倒れる。
俺はなおも追撃にかかろうとするあやせを羽交い締めにし、
「お、落ち着け!」
「離して!離してくださいっ!
お兄さんが邪魔で、そいつを殺せませんっ!」
「物騒なこと言ってんじゃねえよ!
お化けが怖いからって、お化けに暴力ふるってどうする!?」
「そんなこと言ったって――きゃっ」
「わっ」
後ろに倒れ込んだところで、何かの仕掛けが作動したらしい、
通路を照らしていた蝋燭の光が一斉に消え、視界が暗幕に包まれる。
ジェットコースター的展開に、さらにあやせのパニックは悪化するかに思えたが、
「…………」
身動きが止まる。
が、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「……っ……」
「ちょ、おま……もしかして泣いてんのか?」
「泣いてなんか……いませんっ……」
強がる言葉は湿っていて、耳を傾ければ、微かな嗚咽が漏れ聞こえる。
羽交い締めにしたあやせの体は、固く強張り、震えていた。
「立てるか?」
真っ暗闇の中で、首を横に振る気配がする。
俺がゆっくり立ち上がると、手を差し伸べるまでもなく、あやせは腕にしがみついてきた。
ふにふにとした柔らかい感触に狂喜乱舞するのは後回しにして、
今はこの場所から抜け出すことをが最優先だ。
亀の歩みもかくやの遅々としたスピードで、いずことも知れない出口を目指す。
恐怖音が聞こえる度、また何かに蹴躓く度、
骨が砕けるんじゃないかと思うくらいの力で腕を抱き締められたが、そこは無言でこらえたさ。
やっとの思いで出口に辿り着くと、スタッフの女性が迎えてくれた。
「お疲れさまでした」
「はは、どうも」
スタッフの女性は俺の右隣に視線を移し、生暖かい笑顔を浮かべて、
「今年は少し怖くしすぎたのかもしれませんね。
例年に比べて、出口まで辿り着かれる方が極端に少ないんです。
どうぞ、そちらに休憩スペースがあるので、お連れ様が落ち着かれるまでお休みください」
入場時に預けていた荷物(あやせの金魚袋やハンドバッグ)を受け取り、
ベンチに腰掛けたところで、あやせはようやく俺の右腕を解放してくれた。
「少しは気分が落ち着いたか」
あやせは手のひらで涙を拭い、鼻を啜って、コクリと頷く。
流石にここで「お前ビビりすぎだろ」と笑う勇気は無かったさ。
のっぺらぼうくんの二の舞を演じるのはご免だしな。
「人間誰でも、これだけは絶対に無理、ってモンが一つや二つあるもんだ。
それにな、お化けを全然怖がらないような女は可愛げがねえし、
怖がってる演技をするような女はもっとつまらねえ、と俺は思う」
「……慰めてくれてるんですか?」
「まあな。
でもよ、いくら怖かったからといって、お化けに暴力を働くのは反則だぜ。
あやせがぶっ飛ばしたのっぺらぼう役の人には、後で一緒に謝りに行こうな」
あやせは悄げた様子で肯き、こんなことを訊いてきた。
「お兄さんは、お化けが怖くないんですか?」
「怖いに決まってるだろ」
「後ろからお兄さんのことを見てましたけど……全然、そんな風に見えませんでした」
「ああ、言い方を間違えたな。
怖くて、驚かされて、同時にそれが楽しいんだよ」
「お兄さんが言うと、変態っぽく聞こえます」
お前がいつもの調子を取り戻してきてくれたようでお兄さん嬉しいよ。
「お化け屋敷に入るのは、端から恐怖体験が目的だろ。
それを言うなら、お前はお化けが苦手なのに、どうしてお化け屋敷に行きたがったんだよ?」
「……小さな頃からの夢だったんです。
このお祭りのお化け屋敷を踏破することが」
何もそんなことを夢にせんでもよかろうに。
と俺が呆れたその時、
「おーい」
と誰かが話しかけてきた。
視線を上げれば、見知った学友の顔がそこにあり、
「赤城?……って何だよその格好」
「おいおい、見て分からねえか?」
ぼろぼろの浴衣に乱れた髪、頭の後ろにかけたお面……。
「お前……まさか、さっきののっぺらぼうか?」
「ああ」
「なんでお前がお化け屋敷でお化けやってんだよ?」
「割の良いバイト探してたら、この街に住んでるヤツに紹介されてさ。
……なあ、このアニメキャラのぬいぐるみ、高坂のだろ?」
暴れるあやせを取り押さえたときに、肩から落っこちてたみたいだな。
「ああ、確かに俺のだ。拾ってくれてサンキューな」
「えーっと、星くずなんとかマルルだっけか?」
「違ぇよ。星くずうぃっち☆メルルだ」
語気を強くして訂正すると、
「そ、そっか。
とにかく、持ち主が見つかって良かったよ。俺は仕事に戻るわ」
と赤城は引き気味の笑顔で立ち去りかけ、
「待ってくださいっ!」
俺が何か言うより先に、あやせが赤城を引き留めていた。
「わたし、あなたに酷いことをしました。
あの……、お怪我はありませんか?」
顔を近づけるあやせに、赤城は大袈裟に飛び退いて、
「心配ご無用。男の体は丈夫に出来てんだ。
これくらい痛くも痒くもねえって」
「それでも、ごめんなさい。
わたし、何とお詫びすればいいか……」
深々と頭を下げるあやせ。すると赤城は愉快げに笑い、
「君が俺に襲い掛かったのは、それだけ俺を怖がってくれてたってことだろ?
お化け役冥利に尽きる、ってもんさ。
これからはこいつを勲章だと思って仕事に励むよ」
ほっぺたの紅葉をかきながら、お化け屋敷に戻っていった。
「気持ちのいい方ですね。
お兄さんの友達だというのが信じられないくらい」
「二言目が余計だ。
でもまあ、あいつは本当にイイ奴だよ。
一目惚れしたなら紹介してやろうか」
「………わたしはそんなに軽い女じゃありません」
あやせは急に立ち上がり、往来に向かって歩き出す。
隣に並んで表情を伺えば、打って変わったむくれ顔。
いったい何があやせの機嫌を損ねたんだろうね、と訝しみつつ、
俺は自然な流れで、右腕を差し出した。
「何ですか、それ」
「いや、ほら、お前が腕を組みやすいようにな」
「余計なお世話です」
「さっきはあんなに力強くしがみついてきてくれたのにな?」
俺は痺れた右腕を軽く振って見せてやる。
「あっ、あれは足に力が入らなくて、仕方なくですから!」
「じゃあもう一回お化け屋敷に入るか」
「絶対イヤです。……お兄さんは、そんなにわたしと腕が組みたいんですか?」
「ああ。もう一度あの感触を味わいたい」
「感触?」
あやせは頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、
やがて合点がいったのか顔を林檎のように赤くすると、
「もうっ、どうしてお兄さんの頭の中は、いつもいかがわしいことで一杯なんですか!?」
「相手が他の女ならこうはならない。
あやせ、俺がお前のことを愛しているからだ」
「よく臆面もなくそんな恥ずかしいことが言えますね!
愛を穢らわしい欲望の言い訳に使わないで下さい!
どうせその言葉も嘘のくせにっ!」
変態っ!死ねっ!と盛大に俺を扱き下ろし、
あやせは俺を引き離さんと、ずんずん歩調を上げていく。
ちょいと調子に乗りすぎたか。お兄さん反省。
あやせを追いかけようとしたその時、携帯が鳴った。
受信メール一件。差出人は赤城。
『高坂、あの子とはいつから付き合ってるんだ?
田村さんは知ってるのか?
またバイトが終わったら電話する』
赤城よ、お前の勘違いが現実だったらどれだけ幸せか。
俺は苦笑して携帯のフラップを閉じ、顔を上げた。
「あやせ?」
声は、俄に大きくなった囃子の音にかき消された。
御神輿が大量の担ぎ手と奏者を伴い、行く手の十字路を横断していく。
往来が元の混雑に戻ったとき――、あやせの姿はどこにも見えなくなっていた。
夏祭り(前)おしまい! 続くよ~
最終更新:2011年06月29日 22:35