或る終わり


「あたしは、あたしの夢を叶える。そんでもってあんたとも離れない。そう決めたの。文句があったとしても言わせない。絶対に、後悔はさせない。だから、京介。あたしに付いてきて」
 いつか、聞いた台詞だった。無茶苦茶で、強引で、強欲な宣言。
あの時は、誰を相手に言っていたか。
「……エロゲーと同じぐらいに、か」
 我ながら、このタイミングに相応しくない返しだと思う。
だが桐乃はその言葉を聞いて、「馬鹿じゃん」と呟いた。
「……エロゲーよりも、あんたが必要に決まってんでしょ」
 そりゃそうか、と普通の奴が相手なら納得出来る。だが、言った相手が他ならぬ俺の妹だとすると話は別だ。エロゲー、エロゲーよりも必要だって言ったのか?
あの桐乃が?
「…………」
 俺を相手に?
「…………」
 実感がまるで沸かない。というか、展開に頭がついていけてない。
今、こいつは何を言った? 俺になんて言った?
頭が真っ白になってしまっている俺の前で、桐乃はまるで全力を出しきったかのように息を大きく吐き、耳まで真っ赤に染めた顔で、ぷいとそっぽを向いた。
 そして改めて、横目でこちらを見やる。まるで親の仇を見る様な強い輝きだ。
「…………」
「…………」
 數瞬、お互いの間に沈黙が訪れる。やがて桐乃が口を開いた。
「で?」
「……で、とは?」
「…………」
 俺を睨む瞳により鋭さが増した。視線で人を殺さんとばかり、俺を睨みつけて、
「あんた馬鹿? ちゃんと脳みそ入ってんの? 決まってんでしょ、返事。……答えなさいよ。言っておくケド、断る権利なんてあんたには無いから」
 なんじゃそりゃ。
断る権利が無いなら、返事を聞く必要だって無いだろう。
……いや、そうじゃないな。そうであったとしても、こいつは聞きたいんだ。俺の口から直接。長年、兄をやってんだ。そんぐらいは分かる。
だから、答えた。
「断る」
「な……ッ! な、なんで! つか断る権利無いって言ったじゃん、聞いてなかったワケ?」
「聞いてたっつーの。その上で、断るって言ってんだよ」
 俺ははっきりと妹の目を見据えたまま、そう返した。
その俺の言葉を聞いた桐乃は、目を僅かに見開き、顔を伏せて「そっか」とだけ呟いた。
 まるで、想定していたかの様に、桐乃は取り乱さなかった。コイツなりに、無茶を言っているという自覚があったのだろう。なんせ、これは一日二日の話じゃない。確実に人生に影響がある範囲での、要求だ。この高坂京介という男の人生を左右するレベルの、要求だ。
 だから、当然断られるという事は、想定していたのだろう。
それでも。
親への説得。住む場所の確保。生活する為の貯蓄。断られるという前提では、無かったのだろう。これはコイツなりに、全力を出して俺を説得する為の準備だった。
俺を本気で、連れて行こうとしていた。
 ……馬鹿な奴だ。俺が付いて行く筈がない事ぐらい分かっていただろうに。
「桐乃」
「…………」
「おい、桐乃」
「…………何?」
 伏せたまま、顔をあげない。……構わない。聞いているのであれば、話を続ける。
「一つだけ、答えろ」
「…………」
 沈黙。即ち、肯定。
「俺は、おまえの何だ?」
「……なにって」
 伏せたまま、桐乃は言葉を紡ぐ。
「あたしの……大事な人?」
 バッ……!
「こっ恥ずかしい事言ってんじゃねえ! そういうんじゃなくて、こう、もっと違う意味合いでの質問だ!」
 落ち込んでいる時の桐乃は、いつもより扱いが難しい。なんて言うか変に素直というか、子どもっぽいというか、とにかく扱いに困る。こいつは偉そうで、生意気なぐらいがちょうどいいと痛感する。
「……?」
 桐乃は分からないという言いたげに小さく首を振る。やれやれ。自分から切り出すと中々台なしなんだぜ。
「分かった。いいか、俺が答える。俺にとっての、おまえが何なのか……。耳をかっぽじってよく聞けよ?」
 俺の言葉を聞いたのか、よく聞こうとしたのか、顔を上げる。目が潤んでいた。泣いていた、のだろう。よくも悪くも俺の胸の動悸が激しくなる。くそ、不意打ち過ぎる。
「おまえは、俺の妹だ!」
 何度となく、言ってきた言葉。俺の本心からの言葉で、そして真実。
 その言葉に、桐乃はまた顔を伏せようとする。
いいぜ、分かってんだよ、そういう態度をするって事をさ。
「お前は、俺の妹だ! ムカつくし、クソ生意気だし、傲慢だし、ワガママだし、蹴ってくるし、騒がしいし、正直一緒に居るなんて想像するだけでストレスマッハな、そんな妹だ!」
「……うっさい」
 イラッときたようだな。よし、そんぐらいのおまえが、おまえらしい。
「でもな――」
 そのクソムカツク、俺の妹に告げてやろう。
さあ、聞くがいい。これが、俺の汚らわしい本音だぜ!
「大事で大事で大事で、大事で堪らねえ、特別なんだよ、おまえは! 俺にとって、命にかえても守りきりてえ、そういう大事なヒトなんだよ、てめえは!
分かってんのか、さっきのおまえの台詞で、俺の心臓が止まりそうになった、死ぬんじゃねえかって思った、そんぐらいに心が高鳴ってんだよ、悪かったな、俺はな、てめえにトキメイた!
ドキドキした、恋する乙女のように、おまえに惹かれちまったんだよ! ふざけんなよ、俺をこんなに気持ちにしやがって、この際だからいってやらあ、俺はなあ、シスコンなんかじゃねえ、兄貴なんて高尚な人間なんかじゃねえ!
妹だからってだけで、おまえを大事にしてきたんじゃねえんだよ!」
 なんて、酷い言い草。
今まで大事に積み重ねたものを、俺はいま、ぶち壊している。
ああ、どんな暴言すら、受け入れよう。
「俺はなあ――、おまえが、大好きだぁあああああああああああああっ!!!!」
 兄として、妹を大事にしてきた。それは、嘘じゃない。
でもさ。違うんだよ。俺はさ、自分の家に居る、このとても可愛い女の子を。
 兄と妹の関係でもいいから、このとても可愛い女の子とずっと側にいたかった。
そんな、下心だらけの、兄失格な男なんだよ。
 全てを、吐ききった。覆い続けた清らかな言い訳を、醜い本音で叩き壊した。
「…………」
 桐乃は何も言わない。或いは言えないのか。
伏せられた顔は、ただ黙するのみ。
「…………」
「…………」
 何も言うことが出来ない、そんな沈黙。
そもそも俺は何をしたかったんだっけ、と思考を働かせた所で、桐乃が口を開いた。
「キモ」
 ……だよな。おまえならそういうだろうと思ってたぜ。
思わず苦笑してしまう。
「でも、あたしも充分キモいから」
「あん?」
 訝しげに俺が桐乃を見つめると、いつの間にか顔をあげていた桐乃が不敵に笑む。
そして、静かに息を吸い込むと、彼女は言った。
「あたしだってねぇ! あんたのことが、」
 そこで言葉を切り、かぁああ、と顔を真赤にして、顔を背けて。
「だ、大好きだっての」
 そう付け足した。
「お、おま……」
 そうやって照れられる方が破壊力たけえわっ!
俺を殺す気か!?
そう俺がワナワナと震えていると、桐乃はこちらを横目でみやって、「つか」と続けた。
「あんたの主張は分かったケド、じゃあ、なんであたしの誘いを断るワケ? 意味分かんないだけど」
 ん? ああ、あの事か。
「当たり前だろ。あんな誘い、断るっての」
 全く、責任すら独り占めしようとすんだから、どんだけ強欲だっての。
「一緒に、行こうぜ桐乃。仕方ねえから、最後まで付き合ってやんよ」
「―――」

 この時、桐乃がどんな顔をしてたって?
そんなの決まってんだろ。俺の……なんだろうな?
 ……ああ、そうか。別に妹でいい。今は、まだ。
だから、この言葉で示させて頂く。
俺の妹が、こんなに可愛いわけがない。




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最終更新:2012年06月24日 12:40
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