キーンコーンカーンコーン…
大学での朝からの授業を終えたあたしは教室で鞄に教科書とノートを入れている。
この大学での講義説明会に一週間前行った時、担当教授や先輩チューターに受講しなければならない卒業出来ない授業をまんべんなく教えてもらった。
その時に男の先輩チューターがたくさんあたしのところにやって来て色々とこの授業が楽だとかこれはレポート提出だけで出席しなくていいとか教えてくれた。
帰りに食事に誘われたり連絡先を聞かれたりしたが、全て断ってしまった。(だって怖いんだもん)
今日の授業は一般教養科目である英語。特に高校時代と代わり映えのしない授業時間とその内容。大学生はもっと怠惰で遊べるものだと聞いていたんだけれど…カリキュラムを見ればそんなことは全くなさそうだった。
「もう行こっかな」
鞄に教科書類を詰め込んだあたしはまだ人の声が残っている教室を足早に出る。中学、高校とあまり特定の友達と仲良くするということはなかったが大学でもそうなりそうだった。
中学高校では男子は奇異の目であたしのことを見てくるし女子もあたしとどう付き合ったらいいのかわからないといった感じで常によそよそしかった。
結果どっちの社会にも馴染めずじまいのあたしは自然半ば孤立することとなった。だからいつも休み時間は大好きな文庫本や料理の本を見て時間を潰していた。慣れてしまえばどうっていうことはないがそれでもマイノリティがゆえの肩身の狭い思いはそれなりにしていた。
その点大学というのは基本的に自由だ。あたしのような「独り者」はそこら中にたくさんいることがわかったし、誰とも付き合いがなさそうな人も珍しくない。
義務教育の時のように管理体制の下で暮らさなければならなくていいのは凄く開放感がある。
「そろそろお昼ご飯食べなきゃ」
今日は午後は選択科目の欧米宗教論一つだけだ。これを受けたらまっすぐにアパートに帰ってその後の用事の仕度をしよう…。その前に昼食を取らなくちゃだけど。
食事は家で朝起きて作ってきている。教室で食べる人もいたけれどあたしは食堂で食べさせてもらっている。大学の食堂はとても人が多くその比は高校時代の比じゃなかった。
「今日はどこで食べよっかな」
どこも凄く人で溢れ返っていて席が人で埋め尽くされている。なかなか座れる席がない。その中でお弁当を食べる席を探していたら、
「あ、あそこ」
何故かそのあたりは一人の女の人を中心としてぐるりと席が空いており、誰も座っている人がいなかった。まるでドーナッツのようだ、なんて少し思ってしまった。席は誰も使ってないようだしいいよね?
そう思いあたしはその女子学生の斜め前に席を取る。その女子学生も誰とも一緒に食べる友達が居ないのか一人でお弁当を食べていた。窓から差し込む太陽に照らされた綺麗な黒髪を片手で押さえながら優雅に切り分けながら食べている…って、
「え?!あ、あやせ?!」
「え?き、桐乃?!」
向かいに座って一人で食事をしている女子学生は
あやせだった。あたしの地元千葉の中学の時の同級生。クラスメイトだった女の子。
「桐乃~!!久しぶり~!!」
彼女はあの時と何ら変わることがない弾けるような笑顔を見せた。
「本当に久しぶりだね、桐乃。中学以来だから3年ぶりかな?」
「う、うん。そうだね」
「懐かしいな~。あ、こっち来なよ。一緒にご飯食べよ?」
「う、うん。でもいいの?」
「何が?」
「誰かと一緒に食べてないの?」
一応聞いてみた。するとあやせは、
「あはは。そんな人いないよぉ~」
あやせは中学時代と何ら変わらない屈託のない笑顔をあたしに見せた。
~~~
「でも驚いた~。まさか桐乃が私と同じ大学に居ただなんて」
「う、うん。あたしもびっくりしちゃった」
「ね~?中学卒業してから高校生になったら地元でもすっかり会わなくなっちゃったんだもん。まさか東京で再会できるなんて思ってなかったよぉ。地元じゃ全然会わなかったね。なんでだろ?」
「あやせ忙しいしさ…。活躍はいつも聞いてるよ?本屋さんで見かける本でも表紙モデルとしていつも出てるし…」
「あはは、見ててくれてるんだ?ありがとう桐乃」
相変わらず彼女の笑顔は眩しい。あやせは中学の時からティーン向けファッション雑誌の読者モデルをしていた。中学の入学当初から大人びた姿で皆どぎまぎしていたんだっけ。
お父さんも議員さんでお母さんもPTAの会長を務めていたことに加えてあやせ自身も成績優秀、しかも人当たりもよくて人望があったためか、美少女モデル優等生という肩書きは全く嫌味に見えなかった。
「ところで桐乃はどこの学部なの?」
綺麗に切って盛られたアボカドを口に運びながらあやせは尋ねてくる。
「あたし?文学部。英語の学科」
「文学部かぁ…じゃあ私の学部と同じ棟だもんね。会うのも時間の問題だったかもしれないね」
「あやせは?」
「私は政経。政経の政治学科」
「あ…そっか。お父さんの仕事が議員さんだもんね」
「うん」
「やっぱりあやせは頭いいなあ」
この大学は入学試験の偏差値は全体で見ればごく平均的だけど、政治経済学部と工学部はひとつ飛びぬけていた。これは聞いた話なんだけど、この大学は元々戦前からある大学で最初は男女共学だったみたい。つまり戦前男女共学→戦後女子大学→最近再び共学化、という不思議なことになっているわけで…。
戦前の設立当初から平成の現在まで続いているのは政経学部と工学部、そして文学部。政経学部は軍部からの要請での男子への大学教育が行われていた。工学部はこれまた戦前からある理化学研究所からの研究協力をしていたからだ。その中で文学部だけは戦後人が集まらなかった。
何故かと言うと戦時中に英語が敵性言語として認識され海軍以外使われなくなったからだ。その弾圧がこの大学にも来たらしく、当時の学長の抵抗もむなしく一時閉鎖。その時から政府に対して敵愾心を抱いていた学長は女子教育の近代化を目指して完全女子大学化。
でも再開したときには時すでに遅しで優秀な人材は全てよそに行ってしまっていた…ということだった。
閑話休題。
「でもよかった。こうしてまた同じ学校に一緒に通うことが出来て」
「うん。あたしも」
「桐乃は今日の授業まだ午後から何かあるの?」
「う、うん。宗教論が一つだけ…」
説明会で教えてくれた先輩チューターによると毎回出席の確認を取られる上に小テストまである厄介な授業だけれど、サボりさえしなければ期末テストもなく単位取得は容易らしい。
「そうなんだ」
「あやせは?」
「ん?あたしはこの後は何にもない、かな。仕事も昨日までがスケジュール煮詰まってて…。今日からは当分基本フリーなの」
「そっか。売れっ子学生モデルだもんね凄いなあ。そのお弁当も自分で作ったの?おいしそうだね」
サラダの上に鳥のささ身が綺麗に盛り付けられている。体炭水化物で高食物繊維。モデルだからか食事には気を使っているらしいことがすぐにわかった。
「おいしそうって…私に料理を教えてくれたの桐乃じゃない」
「え?」
「覚えてないの?中学の時に私に料理の作り方を教えてくれたじゃない。私が料理作れるようになったのって桐乃のおかげなんだよ?」
「あ、そっか…そういえばそうだったね」
中学の時の懐かしい思い出。放課後の家庭科室を借りて少しの間二人で一緒に作ったんだっけ。そしてそれはあたしとあやせの出会いにも大いに関係があった。
――ねえ、何の本を読んでるの?
休憩時間に教室の隅っこでいつも通り料理の本を一人で読んでいたあたしにあやせが声をかけてきた。あやせの事はいつも遠くから見ていたけれど、こうして声をかけられるなんて思いもしなかった。
――私仕事上体型管理しないといけないんだけど、いざ作るとなったらどうもうまくいかなくって…。どうせなら美味しく作らないとストレスにもなるから。高坂さんよかったら私に教えてくれないかな?
そうしてあやせとの交流が始まった。もっとも彼女は学校一の人気者、あたしはその他大勢の内の一人だからそう多くはなかったけれど。それでもあやせの方が何かと気にかけてくれていたのはとても嬉しかった。
「ねえ、桐乃。授業終わったら一緒にどこかに遊びに行かない?」
「え?」
「私もオフだし…それに久しぶりにこうして桐乃と再会出来たしこんなに嬉しいことってないよ。ね、一緒にどこか行こうよ。ウインドウショッピングとかしよ」
「あ、実はね、その後用事が…」
「あ、ごめん。何かあったんだ」
「サークルにね、行かなくちゃ…」
「サークル?桐乃サークルに入ってたんだ。何のサークル?やっぱり料理とか読書とか?あ、もしかして何かスポーツとか…」
あやせは興味津々といった感じで笑顔で尋ねてくる。それを受けてあたしは、
「ゲ、ゲームサークルなんだけど…」
あたしが答えたその瞬間、あやせの顔は凍りついた。
「ゲーム?ゲームってあのゲーム?テレビでする…」
「う、うん。まだわかんないけど…」
「…。桐乃…ゲームなんて好きだったんだ…」
「え?ううん。入学式の勧誘の時色々あってそれで行くことになって…」
「…ふぅん」
あやせは光彩をなくした瞳で鳥のささ身を器用に切り分けている。その切り分け方が食肉を捌く人みたいで妙に怖い。明らかに雰囲気が変わったと思うのはあたしの気のせい?
「ねえ桐乃?何があったか知らないけどそこに行くのはやめにしない?大体桐乃にはゲームなんて似合わないよ」
「そ、それは買いかぶりじゃないかなあ…」
「ちっとも買いかぶってなんかないよ。桐乃はダイヤなんだよ。それも磨けばどんどん光る。学生時代って長い様で短いんだから有意義に使わなくちゃ。ね?そんなサークルなんて断って私と一緒にどこか行こうよ」
「で、でも…」
あの時、赤城と名乗る女の先輩と真壁と名乗る小柄な男の先輩に助けてもらったんだし…。それに二人ともあやせが言うような悪い人には決して見えなかった。
「や、やっぱり約束は約束だし…」
「そう…」
あやせはコップに注いでいた残りのミネラルウォーターを勢いよくぐいっと飲み干すと、何かを決意したみたいに、
「じゃあ、私も一緒に行く」
「ええ?」
何故かそんなことを言い始めた。
「い、いいけどあやせこそゲームなんて好きじゃないんじゃないの?」
さっきの口ぶりからどうしてかは分からないが、あやせがゲームに対して嫌悪感を持っているのは明らかだった。
「ううん。これも大事な友達を守るためよ」
あやせはそのつぶらな大きな瞳に(無駄に)闘志をメラメラと燃やしている。
「心配いらないよ、桐乃。この前千葉に帰った時に色々あって…その時の反省から防犯グッズをたっぷり取り揃えてるんだ」
机の上に鞄からズラーーと取り出す。ブザー、催涙スプレー、小型警棒、手錠にスタンガン…って手錠にスタンガン?!
「あ、あの…あやせ?」
「そんな怪しい所に大事な友達を一人っきりで、桐乃一人でなんて行かせないから」
「もしもーし?」
「何かあったら即刻通報するから!!」
今をときめく学生モデルは拳を握り締め高らかにそう宣言した。
最終更新:2013年03月02日 12:40