その日の欧米宗教論の講義は滞りなく終了した。出席と小テストでの確認だけで本当に楽な授業だった。途中に出される小テストも授業を聞いていたら簡単に答えられるもので、毎回授業に出席しなければならないということを除けばとてもいい授業だと説明会で教えてくれた話は本当だった。
「さてと」
今日はこれで授業は終わり。明日は朝に二つあるだけでそれの予習も既にすませているし…。問題はこの後のサークルだ。
「あやせ…本当に来る気なのかな」
あたしが午後の授業を受けている間外で時間を潰して待っている、と言っていた。本当ならあたしもひとまず家に帰ってからサークルに顔を出そうと思っていた。だけど
あやせが待っていてくれているからそのまま一緒に行くことになった。
そうこうしているとあやせからスマートフォンにメールがあった。棟の前のベンチで待っている、らしい。
「あの状態のあやせを連れて行って大丈夫かな?何事もなければいいんだけど…」
「ゲーム」という単語を聞いた時のあやせのあの闘魂(?)ぶりは半端じゃなかった。あやせこそ過去に何があったんだろうって思ってしまう程だ。
あたしだって今日行くサークルが実際にどんなサークルかは全然知らない。赤城と名乗る女の先輩からもらった勧誘のビラにも「楽しくやってます」しか書いてなくて。これじゃ全然わかんないよ…。
棟の前のベンチに行くとあやせが立っていた。周りには声をかけたそうにしている男子達がたくさんいたがあやせは気にしたそぶりもなく携帯電話をカコカコといじっていた。
「あやせ、ごめん待った?」
「ううん。そんなことないよぉ」
あたしがあやせに声をかけると周りの反応がひと際大きくなった気がする。それでもあやせは慣れているのか気にも留めずに、
「それじゃ行こっか」
「う、うん」
よかった、今のあやせは普通だ。さっきの食堂での闘志はどこへやらいたって普通のそぶりで…シャネルの白い鞄から見え隠れする手錠を見てあたしは自分の考えを0,1秒で撤回した。
「それでどこにそのサークルがあるの?」
「ううんと…サークル棟の前で待っててくれるらしいんだけど…」
「…」
学部棟から少し離れた所にサークル専用の棟がある。その中でもスポーツや武道館と文科系のサークルに棟が分かれていた。そのまま一緒に歩いていくと…。
「あ!こっちこっち!」
入学式のあの時強引な男の人の勧誘から助けてくれた赤城という女の先輩がこっちに手をふっていた。
「ど、どうも」
「久しぶりですね~!あの時からだからちょうど2週間ですかね?」
「あ、は、はい。あの、あの時はありがとうございました」
「え?いいんですよそんなこと!」
赤城先輩はとても笑顔で屈託がない。初めて会った時はとても真面目な風紀委員長!といった感じがしたんだけれど…。こっちが彼女の素顔なのかもしれない。なんとなくそう感じた。
「それに今日はお友達も連れてきてくれたんですね」
「え?あ、はい」
「こんにちは。新垣あやせといいます」
「新垣あやせ…って、ああ!!」
赤城先輩は眼鏡の奥の大きな黒目をパチパチとさせた後、
「あのモデルの?!」
「はい。そうです」
「うわー!いつもあの雑誌買ってるんですよ~!いつもあやせちゃんが載ってるの見てますよ~!」
「あ、ありがとうございます」
そういいつつあやせの両手を握る赤城先輩。敵地に乗り込もうとしていたあやせにとって予想外の歓迎だったのか、どうしたものかと戸惑っている。
「あ、申し遅れました。わたし
赤城瀬菜って言います。下の瀬菜で結構ですよ」
「よ、よろしくお願いします」
そのまま三人一緒にサークル棟へと上がっていく。歩いている時あやせはあたしに耳打ちしてきた。
「変な人が来ると思ったけど、よかったね」
「う、うん」
「でもでも!まだ油断は出来ないから!瀬菜先輩が毒されている可能性だって!」
あやせはまだあきらめていないようだった。
「ここでーす!」
瀬菜先輩に手招きされ、あたしとあやせはその部室に入る。
「って…あれ?」
あやせは肩透かしを食らったようにきょとんとしていた。それもそのはず、部室内にはコンピュータがあったりパソコン用の専門書らしきものが本棚にあったりするだけで、あやせが思っていたような「ゲーム」は全くなかったからだ。
「いやぁ~!桐乃ちゃんとあやせちゃんが来てくれなければどうなるかと思ってましたよ。去年このサークルに入ったのわたし一人だけなんです」
あやせは警察が実況見分するかのようにまじまじと部室内を見回す。
そこにはあの時の真壁先輩と背の高い男の人(ずいぶん男前な人だった)と眼鏡をかけた痩せぎすな先輩(何故か制服のようなブレザーを着ている)とが居た。真壁先輩と眼鏡の先輩はパソコン画面に向かって一心不乱に何かを打ち込んでいる。もう一人の背の高い男の先輩は顔だけこっちに向けてソファで寝ている。
そして奥には一人ライダースーツを着ている女の人が楽しそうに少年漫画を読んでいた。顔を上げてこちらに気づく。
「お?瀬菜が言っていた新入生ってのはその子らのことか?」
「はいそうなんです。それにもう一人来てくれたんですよ~」
「へえ…そいつは大漁だな」
ライダースーツを着た女の人はニカッと人好きのしそうな笑顔を見せてきた。
「あたしの名前は槇島香織。香織って呼んでくれ。このサークルの…まあ責任者みたいなもんだ」
カカカとあけすけに笑う。少年のような笑顔だった。
槇島香織と名乗った女の人はとんでもない美人だった。体の綺麗なラインがタイトなライダースーツにぴったりと出ていて抜群のスタイルをしていた。
しかも化粧っ気がないにもかかわらず遠目からでもわかるほど日本人離れした美貌。女性の可愛さ、というより生き物として美しい人といえば上手く表現出来ているだろうか。
キバを向いて笑うその姿はしなやかな細身の肉食獣を連想させた。
こんなにも綺麗な人テレビでも見たことがない。
「このサークルはまあなんだ…基本的に自由にやりたい放題するサークルでな。前はゲームもしてたけど最近はやってない。もっぱらコンピュータばっかりいじってる」
パソコンをいじっている男の先輩二人はタイプする指を止めてこちら側を見ていた。
「こいつは真壁楓。工学部3年生。それからあっちは三浦絃之介。学部は…まあ聞いてやるな」
?どういうことだろう?
「あそこで寝ている奴は赤城浩平。そこにいる瀬菜の兄貴だ…って起きろ!」
ソファでくうくうと寝ていたやたらと筋肉質なその男前の先輩は香織さんにたたき起こされる。
「痛い!」
「おら、お客さんだ。いつまで寝てるんだ」
「香織さん今起きました起きましたよ。あれ瀬菜ちゃん…連れてきたんだ。ってその子、」
赤城先輩(兄)は勢いよくソファから飛び起き、
「もしかしてモデルのあのあやせちゃん?!うわー俺すごいファンなんすよ!よかったらサインと握手を、」
「もう、お兄ちゃん!みっともないからやめてよね!」
「い、いや瀬菜ちゃん違うんだ!お兄ちゃんちょっとびっくりしただけなんだ!」
あやせに飛びつこう(?)とする赤城先輩を瀬菜先輩が牽制する。
「まあこういうメンツでな。あんたらが来なけりゃ今年もこのままだった。こんな何してるかわからないサークルってな感じで誰も来ないんだよなあ…」
赤城先輩に説教する瀬菜先輩を見ながら、
「本当はあと一人いるんだけどな…こいつは他大学の工大の奴だ。まああたしの弟なんだけどな。とはいえたまにしか来ない奴だから気にしなくていい。もし見かけたら声をかけてやってくれ」
工大といえば日本でも五指に入る技術系の難関国立大学だ。凄い。すると説教をしていた瀬菜先輩がこちらを向いて、
「そうだ、香織さん。槇島先輩は最近何してるんでしょうか?」
「ああ。まーたどっかのバイトに精を出してるみたいだ。今は引越し屋だったかな。よくやるよ」
「勤労学生。立派じゃないですか」
「まああいつの場合それだけじゃないんだけどね…。少しは槇島の家を頼ればいいのによ」
香織さんたちはメンバー紹介をひとしきりした後、
「こっちの自己紹介ばっかりで悪いね。それで?おたくらの名前は?」
「私は新垣あやせと申します」
「応。有名モデルなんだってな。よろしくな」
ニカッと笑って香織さんはあやせと握手を交わす。
「それで?そちらのモデル様に負けず劣らずの綺麗なお譲ちゃんは?」
「こ、高坂桐乃っていいます。文学部一年生です。よ、よろしくお願いします」
あたしが自己紹介をすると香織さんは目を大きくしばたたかせた。
「…高坂…、桐乃?」
「?は、はい」
どうかしたんだろう?あたしの自己紹介何か変だったかな?
香織さんは少し考え込んだ後、わずかばかり慎重になった口調であたしに尋ねてきた。
「…地元は?」
「千葉です。千葉県から来ました」
「千葉かー。…どのへんに住んでたの?」
「○○市の○○町ですけど…」
「あそこらへんに住んでて今年入学…ってことは3つ年下か…」
さらに考え込むように口元に手を当てている。
「…そのヘアピン、センスいいね。どこで買ったの?」
「あ、これは…」
このヘアピンは買ったものじゃなくある人からもらったものだ。使い始めてもうかれこれ何年にもなる。それくらいあたしの中では大切な物だった。
「昔…昔よく遊んでいた男の子にもらったんです」
「…。そっか」
そういうや否や香織さんはパシっと手のひらを顔につけて天を仰いでこう言った。
「まじかよ…運命って本当にあったんだな…」
「香織さん?」
天を仰いで何事かを呟いている香織さんに瀬菜先輩は怪訝そうに尋ねる。すると笑顔であたしに肩を寄せてきた。
「いんや~?面白くなりそうだな、ってな」
香織さんはにしし、と犬歯を剥いて何かいたずらをする少年のような笑顔を見せる。
私達は楽しそうな香織さんのその様子をわけもわからず見ていた。
最終更新:2013年03月02日 12:44