ゆ狩る海峡冬景色(ver1.02)改行 24KB
現代 ゆっくりがちょっと強め 淡々と虐待 実験
『ゆ狩る海峡冬景色』
感想付きの素晴らしい作品置き場が勝手に生えて来たので、歩いて投下しにきました
以前別所に投下したものですが、多少手直しと変更を加えてみました
※超独自設定です。ゆっくりが水に溶けなかったりします
※そこそこ長いです。あと文章が読みにくいと思う
※ゲスオンリーです。人間なら石の海行きレベルです
※ゆっくりの台詞が一言も無いと言う実験作です
※虐待や制裁には分類されないかも?
※日本の伝統的お祭りの話なので、都会派等の言葉が出ますが餡子種しか出てきません
でいぶやばりざしかいないのか、すべてのゆっくりが餡子種なのかは読み手の好みと想像次第。
以上注意書きでした。本編はこの下20由旬↓
12月半ばにもなると東日本各地で雪が舞い始め、海辺は凍えるような潮風に襲われる。
ゆ狩る半島最北端に位置する鬼ヶ浜がいかに寒いかなど、敢えて説明するまでもないだろう。
だが冬になると人が全く寄り付かない海岸も、今日、冬至だけは大勢の人々が集まっていた。
何百年も前から続く伝統の豊漁祭りを行うためだ。その名をゆ船祭りという。
まだ日も出ない早朝の暗闇の中、百を越える漁師とその妻達が焚き火の用意をするため鬼ヶ浜の防波堤に集ま
る。皆手桶に用意された海水を柄杓一杯かぶり、白い布で作られた着物に着替えてから防波堤を降りて海岸に足
を踏み入れる。祭りが行われる神聖な海岸は、祭りが終了するまでこの儀式なしに立ち入ることは固く禁じられて
いる。
漁師だけではない。幾人もの人達がやってきては漁師に声を掛け、儀式を行った後一緒になって準備を進めてい
く。昔は漁師だけで行う身内の祭りであったが、今では祭りが始まる前から自主的に手伝いをする参加者が大勢
いるのだ。当事者でないとはいえ、祭りは皆で作っていくもの。旧き善き日本の祭事の基本である。
そうこうするうちに海岸にはいくつもいくつもの火が灯されていき、朝陽が上り始める頃にはこの世のものと思えな
い幻想的な光景を目にすることができる。波立つ海には曙光が煌き、まだ仄暗い海岸には赤々とした炎が柔らか
い光を揺らめかせ、この余りにも美しい光景に涙ぐむ参加者までいるほどだ。
ひとしきり焚き火の準備が終わると、今度は並々と海水を湛えた大鍋が、特別大きな36の焚き火に掛けられる。
大鍋も全部で36有り、その横にはそれぞれ小麦粉袋やへら、丈夫な作業机、茣蓙、何艘もの小船等等、準備の
ための道具一式が揃えられる。この頃になると海岸の防波堤沿いには気の早い見物客が集まり、祭りの始まりを
今か今かと待ち始める。だが誰一人砂浜に足を踏み入れることは無い。清めの水を被り焚き火の用意に参加して
いない者が海岸に入れば、この伝統行事を汚してしまうことになるからである。手持ち無沙汰な見物客から口々に
声援が贈られ、場が暖かい雰囲気に包まれ始める頃に祭事の目玉が厳かに登場する。
街の方からかすかに聞こえていた太鼓の音が徐々に近づき、海岸からもそれが見え始める。太鼓の先導に従って
やってくるのは、井の字型に組まれた、神輿の土台部分だけを持った白装束の男達の行列だ。土台には干し柿の
ように縛られ猿轡を噛まされた、極罪を犯したゆっくりの束(通称ゆ束)がいくつもいくつも吊るされている。
向こうからやってくる土台は一台だけではない。いくつもいくつもの土台が男達の手によって運ばれ、防波堤に到
着した。一つの土台につき36匹が括り付けられており、しばれるような海風に晒され涙を浮かべているが、それを
気にするものは一人としていない。
防波堤のスロープ前には、全ての準備を済ませた海岸組がそれぞれ手桶に海水を一杯に張って待ち構えていた。
お互い準備が整っているのが確認されると、太鼓が大きく激しく打ち鳴らされる。それを合図に神輿組がゆっくりと
砂浜に下りていき、スロープの降り口で待ち構えていた海岸組は、神輿組が通りざまゆっくり目掛けて恐ろしく冷た
い海水をぶっかける。柄杓なんてまだるっこしいものは使わず、手桶ごと叩き付ける様に水を浴びせては後ろに捌
けていき、後ろのものが入り口にずれては降りてくるゆっくりに冷水をぶっ掛ける。後ろに捌けたものはまた海水を
汲み、自分が冷水を掛けたゆっくりのところに走り寄ってはまたそれを叩き付ける。邪気の強いゆっくりを何度も何
度も海水で清め、その穢れを落とすという昔から伝わる禊である。
成ッ、成ッ、成ッと太鼓に合わせて小気味よく海水を浴びせられたゆっくりは、余りの寒さと水の冷たさ、塩による痛
み、水を吸って膨れる縄の締め付けに、恐ろしい形相で悲鳴をあげる。が、まるで”叫び”のようになっているにも関
わらず、その悲鳴が砂浜に漏れることは無い。砂浜に穢れを撒き散らさないたよう、ゆっくりの薄汚い声を猿轡で
封じ込めているためだ。
海岸線に沿うよう神輿の土台が一列に並べられる。大鍋一つの前に神輿の土台が一台づつという配分だ。ゆ束は
ほどかれ、ゆっくり達は茣蓙の上に均等に並べられる。因みに、ゆっくりの穢れを吸い込んだ縄と猿轡は火にくべ
られ浄化される。また、水の余波を被って少なからず濡れている神輿組に新しい着物と熱燗やお茶などが手渡さ
れ、男たちは皆一仕事終えた顔で火の近くに座って休息を取る。
一方海岸組はもうすっかり穢れが落ちた(はずの)ゆっくりたちの処理に取り掛からねばならない。
土台一つにつき十数人が集まり、てきぱきと小麦粉の準備にかかる。
ゆっくりたちはがちがちと歯を震わせながら口々に薄汚い言葉を飛ばすものの、体当たりするものや跳ねるものは
一匹もいない。というのも、砂浜のような地面が脆い所ではゆっくりの構造上跳ねるのが難しいのだ。加えて極低
温の冷水をかけられたせいで、溶けることこそ無いものの表面はぬるぬるとぬめる。更にささくれ立った茣蓙の上
では這いずるのも苦痛を伴うので、彼女らに可能なのは精々方向転換か口を動かすかくらいなのである。
何もできないまま罵声を吐くゆっくりを尻目に海岸組は業務用小麦粉袋の封を切り、ゆっくりたちの頭上に小麦粉
を大量に撒いていく。ゆっくりたちは悪さをして捕まって以来ろくな物を食べていなかったため、味気ない粉でも歓
喜の声を上げ、滅茶苦茶に咳き込みながらも顔を真っ赤にしてなめ取っていく。が、当然次々に撒かれる粉を舐め
切れるわけもなく、小麦粉の煙が晴れた頃には口付近を除いた全身が真っ白になったゆっくりたちが鎮座してい
た。腹も朽ちたゆっくりたちは、やれ雪のようだの綺麗だの都会派だの楽しそうに騒いでいたが、それもここまでの
話だ。海岸組の大部分はそれぞれ何匹づつかのゆっくりを手に取ると、手にしたへらでゆっくり達を打ち固めてい
く。底の部分は砂を手で払って落とし、地面に落ちている小麦粉を手ですくって擦り付けてはまたへらで打ち固め
る。ゆっくりたちは本当に穢れが落ちたのか疑わしいくらい汚い言葉を並べ立てて抗議の声をあげるが、この場に
それを聞き入れるものなど誰一人いはしない。10分もしないうちに、ゆっくりたちはしっかり表面の乾いた、元より
丈夫な饅頭となって茣蓙に並べられていた。引っぱたかれているうちは泣き叫びつつ徐々に謙虚になるゆっくりで
あったが、攻撃の手が止まった今その増上饅は留まる所を知らない。その余りにも人を貶める妄言にいい加減青
筋を立てる物が現れ始めたが、神に捧げる供物に手はつけられない。そして、相手が手を出してこなければ有頂
天の先までつけあがるのがゆっくりだ。大して物を知らない餡子脳をフル回転させ、怒涛のごとく罵詈雑言を並べ
立てる。仕方ないので皆用意された飴をゆっくりたちの口に放り込んで黙らせる。昔は叩いて黙らせていたようだ
が、それでは時間も手間もかかる。そんなわけで、甘味の安くなった今は不本意ながらこういう方法が取られるよ
うになったのだ。一転して顔を綻ばせ、身に余る幸せを享受するゆっくり達。召使い発言や更なる要求が飛び出す
が、その度に飴が投げ込まれるので砂浜に響き渡っていた罵声はあっという間に消えた。だが、いい気になってい
たゆっくりたちは知らなかった。へらで叩くごときの事は単なる前準備だったということを。
へら叩きに参加しなかったものは、小麦粉に水を加えて作ったバスケットボールより二回りほど大きい団子捏ねて
いた。作業机の上にをゆっくりの数だけ団子が並ぶと、それを大きく繰り抜いて煮えたぎる海水を湛えた大鍋に放
り込む。鍋にはたちまち巨大な中空のすいとんがいくつもできあがる。長い菜箸でつついて煮え具合を確認する
と、網で引き上げてそれをゆっくりのとなりの大きな茣蓙にあげていく。ゆっくり達はそれすら食わせろと煩かった
が、次々に投入される飴で注意を逸らす。投げ上げられる飴玉の動向に眼を血走らせたゆっくり達は、甘い匂いの
しないすいとんの事など見向きもしなくなるのである。ゆっくりにわざわざ飴を与えてやるもう一つの理由だ。
さて、ここからがこの祭りの本番だ。すいとんが上がり始めたのを見て、太鼓の音が再び高らかに鳴らされる。観
客が太鼓に合わせて拍手を打ち鳴らし、それを合図に神輿組がそれぞれの茣蓙に分かれ、用意された甕を引き
寄せた。甕はゆっくりより少し小さいくらいでこれまたゆっくりの数だけ準備されている。
一定のリズムで刻まれる太鼓がひときわ強く打ち鳴らされた瞬間、飴係に執拗に催促を繰り返すゆっくり集団の背
後に回った一人が中空のすいとんの口を大きく広げる。あまりに熱くて素手では触れないため、何重にもした濡れ
布巾でしっかりと掴む。もう一人が背中を見せて隙だらけのゆっくりを掴み、顔を上に向けさせすいとんに突き込
む。朦朦と湯気をあげるすいとんは小麦粉を糊にしてゆっくりにしっかりと張り付く。先ほどたっぷり小麦粉を掛け
たのはそのためだ。この処理をしておかないとゆっくりが水気で回転してしまい、顔が穴から出ない可能性がある。
また突き込むときに邪魔にならないよう、わざわざ湿ったところに小麦粉を掛けて飾りを叩き潰したのだ。顔面だけ
残して灼熱の皮に覆われたゆっくりは、今までの叫びが比にならないような絶叫を上げようと口を開くがそれがキ
モだ。甕を持った男が咄嗟に蓋を開け、中身を流し込む。甕の中身は取れすぎて廃棄される魚や雑魚等の食べら
れなかった海産物を甕に入れて土に埋め、相当な時間放置し腐らせたものだ。海の物は海に返し、陸の甘味を捧
げる事で海の神に豊漁を願う。それがこの祭りの趣旨なのである。凄惨な腐臭を上げる腐り汁を吐き出す前に力
ずくでゆっくりの口を閉じ、水で溶いた小麦粉を塗った紙を貼り付ける。これで一時的にゆっくりの口は封印され、
中身を吐き出すこともできず煮えたぎったすいとんから逃げることもできないゆっくり達は、無言で滅茶苦茶な転が
りを見せる。海岸一杯に押しかけた観客は、一瞬の早業に惜しみない拍手を贈った。
一方ゆっくりたちは仲間が怒涛の転がりを見せていることには気づかず、誰よりも沢山飴を貰う事に御執心の様
だ。飴係は次々に飴を与えるが何しろゆっくりの数が多い。ゆっくりたちは他のゆっくりを出し抜いて貰えるだけ貰
おうとしていたため、最後尾の仲間が灼熱の塊になっていることなど知る由も無いのである。中空の巨大すいとん
は次々に茹で上がり、ゆっくりは次々に怒涛の回転団子となっていく。流石に転がる団子の数が増えれば気づく
ゆっくりも出てくるが、叫んだり逃げ出そうとする前に背後からひっさらわれすいとんに詰められていく。ほんの数
分もたたないうちに何百という回転団子が砂浜に芸術的な軌跡を引いていた。一抱えもある何百もの団子が高速
回転運動を続けるという珍妙かつダイナミックな光景に見物客は沸きに沸きたち、万来の拍手で空も割れんばかり
であった。
顔中を涙と砂と小麦粉塗れにしたゆっくりたち。この世の物とは思えない臭気を発する何かを口に放り込まれて吐
き出すこともできず、衰えることなく灼熱を放つ何かが肌一面に粘りつく。単純に火炙りにされた方がよっぽどまし
だったろうが、海神への供物であるゆっくりたちに死ぬことなど許されない。
しっかり煮えたすいとんは長時間熱を保ち、ゆっくり皮との同化が始まっても際限なくゆっくりを苦しめる。が、寒風
吹きすさぶ砂浜を転がり回ったおかげで表面はすっかり冷め、内部は未だに煮えたぎっているものの、触れば今
や人肌よりわずかに温い程度だ。男たちはそれを見計らって転がる団子を取り押さえ、再び当初の数どおり配分し
て茣蓙に集めていく。苦痛の逃げ場がなくなった上に無理矢理押さえつけられたのでゆっくりたちの苦痛はいや増
すばかりであったが、顔を除けばめいりんなぞ比較にすらならない丈夫な皮と弾力を持つに到った彼女らは、多少
の手荒な扱いでも死ぬことはおろか皮が破れることすらなかった。
男たちがゆっくりを力ずくで抑えると、女達が集められたゆっくりにぬるま湯で溶かした小麦粉汁をぶちまけて砂を
洗い流す。そして目の上に小麦粉を塗った紙を貼り付けると、恐怖からかゆっくりたちの動きが多少鈍る。すかさ
ず男たちがゆっくりの側面同士をくっつけると、すいとんだった小麦粉の皮同士がみるみるくっついていく。餡子が
漏れなければ死なないとはいえ、熱で受けた大きなダメージは大きい。それが脅威の再生力を底上げし、更に表
皮に撒かれた小麦粉汁が癒着を加速させるのである。なんとも摩訶不思議な生物だ。
男達はどんどんとゆっくりを連鎖させて球体を作り、練った小麦粉と小麦粉汁で隙間を埋める。最終的にできたの
は、屈強な男四人でやっとこさ持ち上げることが可能か否かくらいの中空のゆっくりの塊だった。顔が全部内側に
向けてあるため、超巨大でつややかな白玉といった風情である。更に転がしつつ全体に、特に底になる部分に分
厚い小麦粉皮の層を繰り返し繰り返し貼り付けていき、癒着したところで上から冷たい海水を何度も何度もかけ
る。すると熱で弛んでいた饅頭がまるで勃起でもするかのように次第に引き締まっていく。これでようやく殆ど完成
だ。浜辺にいくつも転がる立派な巨大団子に、関係者たちは頬を綻ばせる。
後は仕上げだ。脚立に上った男が、上面に一つだけ残された隙間に異様に太い穴開き鉄パイプをねじ込む。丁度
簡易の口封じが唾液で外れたところなのだろう。海水で冷まされて程よい暖かさになったのか、中からはゆっくりた
ちの安らいだ声が聞こえてくる。小麦粉で腹が満たされ、程よい暖かさに真夜中のような暗闇を与えられたおかげ
で夢見心地なのだろう。もう少し経てば、ご機嫌なれいむ種の歌声の一つも聞こえてくるかもしれない。だが彼らに
与えられた安息の時間は短かった。
鉄パイプの太さに見合う程大きな特注のじょうごがセットされると、脚立や団子の傍に寄せられた作業机に筋骨
隆々の男が二人乗り、数人がかりで持ち上げられた巨大な甕を受け取る。こちらは先ほどの小さな甕には入らな
い大型魚の廃棄品だ。大きいだけに腐敗にも時間がかかり、この甕は土に埋めて10年のものだ。幾度も夏を越し
た甕の臭いは小さい甕とは比較にならない。信じがたいほど凄まじい汚臭に流石の男達も怯むものの、神聖な儀
式を中断することはせず全てを漏斗に注ぎ込む。ギリギリまで注ぎ込んだらパイプを抜き取って小麦粉と小麦粉水
で蓋をする。見事な海神への捧げ物の完成である。地震のように波打つ皮に耳を当てると、おどろおどろしい篭っ
た水音が聞こえてくる。甕の中身が相当堪えているのだろう。おまけにそれがこの浜の湿った冷たい土に埋まって
いたとあれば、海水ほどではないがとても我慢できる冷たさではない筈だ。しばらくすれば目の封印も外れるが、
その時彼女らはどんな反応を見せるのだろうか。
この巨大な白玉ともすいとんともわからぬ物体を神輿の土台に取り付ければ完成となる。男達が息を合わせて饅
頭塊を神輿の土台に乗せ、太い荒縄と小麦粉汁で完全に固定する。所謂ゆ輿の完成だ。男たちはほんのり汚臭
を漂わせるそれを勢いよく担ぐ。文献によれば、強度不足や癒着ミスで運搬途中に崩壊し、悲惨な事態を巻き起こ
した事もあるらしい。が、ふんだんに小麦粉を使える近年ではそうした事も起こりはしない。浜に並んだ36のゆ輿
のどれもが自信を持ってお披露目できる傑作である。プルプルと小刻みに震える立派なゆ輿の感触に、男たちは
誇らしげに町へと繰り出した。
町――といっても漁師町なので成人の多くは既に準備に参加していたが――では観光客や子供達が手に手に魚
の背骨を持ってゆ輿を追いかけ、適当な場所に思い切り突き刺していく。練り歩く36のゆ輿全てに刺しに回る物好
きもいる。ゆ輿に魚の骨を刺すことで、海に還った魚が海神様に願い事を伝えてくれるという伝説があるのだ。一
本骨が刺さるたびに饅頭の震えが大きく増す。馬鹿でかく皮が厚いからといって決して痛みに強いわけではない。
それはドスが少し痛い目にあっただけで泣き出し怒り狂うのを見ればわかるだろう。既にこの分厚い皮は彼女らの
一部となっており、ちゃんと痛覚もあるのだ。だがそれを知ってか知らずか次々に突き刺される骨に、饅頭の振動
が更に増していく。皮が分厚いため、背骨といえど餡の端にすら達することは無い。死ぬことすら出来ないのが余
計に苦しいのだろう、荒縄が表皮に食い込もうとも饅頭塊は震えるのを止めようとしない。だが、いくら震えても屈
強な海の男たちはゆ輿を手放すことは決してないのだ。
町を練り歩く間魚の背骨を刺され続け、仙人掌のようになった饅頭塊が海岸に戻ってくる。そしてここからがこの祭
りのクライマックスだ。防波堤につくと男たちは着物を脱ぎ捨て褌一丁となる。そこへ桶を持った女達が冷水をか
け、身震いをした男たちは、破れんばかりに打ち鳴らされる太鼓に合わせて気炎を吐き、ゆ輿を担いで海に入って
いく。波打ち際にはゆ輿一台につき小舟二艘が浮かべられており、これにゆ輿を括り付けてゆ船を作り、海へ押し
流すのだ。冬の海に入ることが許されるのは、身体精神共に頑強な男だけ。自分達が頑強な男である証明として、
男達は凍りつくような海に踏み込むのである。
逞しく波を蹴立てて海へ突進した男たちは、その鍛えぬかれた筋肉、船で培われた経験で、大きく震え波を立たせ
るゆ輿を、小さな一震えもできぬほどがっちりと船に縛り付ける。これでゆ輿が解けて途中で落ちてしまうということ
は無いだろう。男たちは野太い掛け声を上げながらゆ船を沖へ向けて押し流す。波打ち際からも、女、老人が長い
棒で浜から饅頭や船を力強く押す。その後ろからは甲子園顔負けの大声援が届く。皆が一丸となって船を押し、そ
れらは引き潮と共に力強く沖へと流されていった。沖まで届く頃には小船の底に空けられた小さな穴からの浸水で
ゆ船が沈み、強いパワーを持った罪ゆっくりの魂、その塊の巨大饅頭は気性の荒い海神への供物となるのだ。同
時に獲られた魚達を海に還し、魚たちの繁殖を願う儀でもある。男達が漁に出る限り、この祭りはどれだけ経って
も廃れることは無いだろう。
神事をやり遂げた漁師達を称える拍手の雨は、暫くの間止む事が無かった。
おまけ
祭りが終わるのは丁度正午に差し掛かる頃だ。皆で一体となって祭りを成し遂げた後は、関係者から観光客まで
皆に食事が振舞われる。今日は魚を獲るどころか食べることも禁忌とされているため、残念ながら漁師特製のアラ
汁を楽しむことは出来ない。だがこの浜ならではのものを食べさせてもらえるため、特に観光客は皆ニコニコ顔だ。
祭りの興奮冷め遣らぬ様子で砂浜に降りてくる彼らの手には一様に透明な箱が抱えられていた。
当然中身はゆっくりである。先ほどの光景を余すことなく見せられていたゆっくり達は泣き喚いたり気絶したりして
いたが、そんなことは関係が無い。先ほど祭事でも使われていたすいとんが次々に用意され、海水で清められ小
麦粉の化粧を施されたゆっくりが瞬く間に放り込まれていく。先ほどと違うのは、口の中に放り込まれるのは焼けた
餅いくつかと沸き立つお湯、そして煮えたぎる海水をお玉一杯だけということだ。ゆっくりが一通り転げまわって表
面が冷めてきたら、砂を少し掘ってそこにゆっくりを置く。あとは皮の薄い顔の部分を匙で切り取り舌を引き抜くと、
鬼ヶ浜名物ゆっくり地獄汁、通称ゆしるこが出来上がる。名物であるだけあってただのお汁粉ではない。分厚い皮
で閉じ込められた濃厚なゆっくりの甘味に加え、流し込まれた鬼ヶ浜の海水がゆっくりを苛み、ここならではの深い
味わいを餡子に与えてくれるのだ。顔を切り取られてもまだ生きているため、餡子が跳ねないように注意して食べ
よう。
おまけ2
沖まで流れていったゆっくりの船団は一つ、また一つと没していった。ゆっくりと沈降していき、ゆっくりと大陸棚に
着艇する。その衝撃で荒縄は外れ、自分達を運んだ船を置き去りに大陸棚の中程まで転がっていく。これでゆっく
り達のぼうけんはおわってしまった。
だが、話はここで終わりではない。それどころかゆっくりの苦しみは今までがプロローグ、むしろこれからが本当の
地獄の始まりなのだ。
ゆっくりを襲う悲劇の一は寒さだ。”すいとん”部と”外周”部、人工的に作られた二種類の分厚い皮を隔てていると
はいえ、中枢餡を突き刺す冷たい海水が外から、海水と殆ど変わらない温度の汚水が前から攻め立てる。温か
い水にはかなりの速さで溶け出してしまうゆっくりの皮だが、前述した通り極度に冷たい水には表層がぬめるだけ
で溶ける事は無い。故に冬が始まったばかりのゆ狩る海峡で、溶死は死因にはなり得ないのだ。
ゆっくり達を襲う悲劇は寒さだけではない。言うまでも無く、どろりと濃厚な汚水のことである。目の封印が剥がれて
思わず目を開けてしまったために汚水が目を直撃し、即座に失明した眼球はゆっくりに言い知れぬ苦痛を与えるだ
けの存在に成り下がる。もちろん既に封印が解けている口にも遠慮なく汚水が流れ込む。数百m離れてもつんとく
る臭いの根源に漬かっているのは想像を絶する苦しみだろう。だが汚水は時間を経るごとにじわじわと減っていく。
ゆっくり達の体内に入っていき、想像を絶する吐き気を押しつぶしながら餡子に変換されるからだ。
代わりに問題となるのが排泄だ。うんうん、しーしー、どちらも顎の下にある穴からするのだが、そのどちらの穴も
分厚い皮で塞がれてしまっている。体内を散々逆流し尽くしたそれらは、最終的に口から出る。そして汚水はいつ
しかうんうんとしーしーと汚水のブレンド水となって、ゆっくり達を更に苦しめること請け合いだ。なぜならゆっくり
は排泄物、特にうんうんに触れることを極度に嫌う上に、汚水の臭さは生物の感じられる限界を軽く突破している
ため、ちょっとやそっと薄まったところで体感的には刺激が緩和されたことが感じられないからである。
更には、この汚水による流動がゆっくりたちを海水の浸透による汚染から守っているのである。ゆっくりと言えども
極微量の塩分は必要とするが、それを大きく超えてしまえばゆっくりにとっては命に関わる毒物である。しかし盛ん
に餡子を流動させることで、僅かに、しかし着実に浸透する塩分を汚水に吐き出すことができ、結果的に塩分も死
因とはならない。悲劇を長引かせる役割として、汚水は抜群の効果を誇っていると言える。
第三の悲劇は海底の圧力である。もし中空のゾーンに何も無いのであれば、あっという間にゆっくり達は圧力で分
解され、吹き飛んでいただろう。だが、そこには空気の変わりに汚水が詰まっている。つまり、ゆっくりは水圧で楽
になることを許されない。それだけではない。ゆっくりは圧力で死なないが、圧を掛けられれば当然痛い。水深何百
メートル分の水の重みを受け止めるゆっくりの目はぎょろ目を越えて飛び出し、汚水から目を守ることすらも許され
ない。圧力はゆっくりの弱点の一つであるが、今はそれすらもゆっくりを苦しめ続けこそすれ死なせることはできな
いのだ。
他にも苦しむ要因は生きているうちに語り尽くせないほどあるのだが、余りにも長くなるため敢えてここで全て挙げ
る事はしない。一つだけ言えるのは、人間が知恵を振り絞って行ういかなる拷問も、この意図せずに生成された無
限地獄に比べればちゃちなものでしかないということである。
そしてゆっくりの体感で永遠に比するほど長く、おぞましい時間が過ぎた。
生命に前向きなゆっくりの最高の精神防衛手段は、気絶であり壊れる事ではない。特にゲスであるほどその生命
力は強いといえるため、悪さをして捕まり、それを認識しつつも反省の無いクズ程地上の地獄で苦しむこととなる。
だがそんなゲスすらいい加減限界を迎え、日に何千回何万回と気絶しては悶絶し、うんしーと汚水の海で声になら
ない絶叫を上げる中、適応能力の高い彼女らは極限状態に対し無意識に一つの生命体として機能しつつあった。
外皮やすいとん等後付けされた器官を共有し、それを橋掛けに全固体の能力を集結させようとしていたのだ。汚水
の多くが餡子に変換されて全個体に共有されているのもそれを助けた。そしてその試みは、肉体が生み出した苦し
紛れの策だったにも関わらず驚くほど上手くいきかけていた。
ゆっくり達が癒着してから一年の三分の一と少し程度の永遠が過ぎ去り、とうとうゆっくり達は驚くべき奇跡を生み
出す事に成功した。分厚い皮を生かして仮足を作り出し、ゆっくりと海底を這いずる。所謂軟体動物への進化で
あった。ゆっくりつむり等の亜種を鑑みれば元々素養が有ったのかもしれないが、一世代経たないうちにその固体
だけで進化というのは通常の生物ではありえないことだ。生物学者がこのことを知ったら、人間の永遠の絶頂を脅
かさないためにあらゆる手段で全てのゆっくりを地球上から消し去ることを提唱したに違いない。その恐るべき生物
は、死ぬためではなく生きるために、気絶と悶絶の狭間で、鬼ヶ浜の地に向けて零に等しい前進をしつつあった。
冬が終わり、春も半ば。慣れなかった仮足の扱いも上達し、無限の苦痛に一筋の光明を見出したゆっくりが、粘菌
に劣る速度からナメクジ程度までの爆発的な加速を遂げていた頃。
春に息づくのは陸の生命達だけではない。まだ凍えるほど冷たいゆ狩る海峡の大陸棚にも、少々遅ればせながら
生命の開花が訪れていた。様々な動物の稚魚や幼生が溢れ、争いながら命を紡いで行く。そんな中で、無抵抗の
小麦粉の塊が食い荒されないわけがあろうか?いや、ない。
共同体になったとはいえ元はバラバラの生物(なまもの)だ、当然その数だけ思考がある。その全てが、今までに
無い形の苦痛を告げていた。いや、経験が無いのではない。あらゆる苦悶の底に押し込められてすっかり忘れ去
られていた、肉体を食い破られる痛み、原初の苦しみだった。幼生達は矮小にして貪欲だ。聳え立つゆっくりの巨
体に無数の矮小が取り付いて体を貪り食っている。皮の領域が独立していればよかったものを、共有にしたがた
めにゆっくりの数だけ増幅を繰り返す。単体であったならばいかなる手段を以ってしても感じることの出来ない壮絶
な痛みが、浅はかな希望の後に訪れる真の絶望が、統合した全ゆっくりを襲った。ほんの少し暖かくなった水温が
更に拍車を掛けた。僅かに僅かに流れ出る小麦粉がこの場に更なる生命を呼び寄せたのだ。生存競争を勝ち抜
かんとする弱小者がゆっくりの全身余すところ無く咀嚼を開始した。元からの計り知れない苦痛に加え、ベンサム
もびっくり、ゆっくりの数の二乗の痛痒、喪失感、焦燥etc...。零に等しい無限がこの巨体を崩す日が来るのはいつ
のことだろうか・・・・・・
かんかんに照り付ける太陽が翳りを見せ始める夏の終わり。
今日もゆ狩る最北端の漁師達は絶好調だ。この付近の海域は、この時期になると何故だか魚がよく釣れる。長年
の勘と経験がこの海域で釣れる筈がないといっているが、釣れるものは釣れてしまうのだ。この時期には毎年多く
の漁師がその話題に花を咲かせる。やれ夏を悲観した人々の自殺スポットだ、やれ壇ノ浦の亡霊が避暑に来てい
る、やれ北の独裁者が流した血が海流で流れ込んでいる。ろくな予想が出ない中、一人の新米漁師がニヤつきな
がら言った。案外、ゆ船祭りが効いてるんじゃないですかね、と。
その場にいた全ての人が彼のくだらないジョークに腹を抱えて笑った。
終わり
・ゆっくりしてないあとがき
まずここまで読んでくれた皆さんに感謝を。どうもありがとう。
処女作なので見苦しいところは山盛りあると思います。誤字脱字やアドバイスあったら感想にお願いします
ただし自分の好み(笑)とかで口からクソたれるのはやめてね。荒れちゃうからね。なるべく客観的にお願いします。
あとここでは名前がないと怒られちゃう?様なので、名前とか必要だったら『生きて苦しめあき』でお願いします。
書く事はこんなもんかな?近いうちにもう数話勝手に生えそうなんで、見かけたらむーしゃむーしゃしてあげてね!
そいではまた後日。
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このSSへの感想
※他人が不快になる発言はゆっくりできないよ!よく考えて投稿してね!
- ↓それだけじゃ解らないだろうに・・・
改行だけでなく、文章の区切りとして更に一行開けたりすると良いかも -- 2010-07-29 01:41:17
- 読みにくい -- 2010-07-29 01:31:48
最終更新:2009年11月06日 18:25