今は虐待鬼威さんと呼ばれる俺の、ガキの頃の話をしよう。
小学校に上がって三年目。
長かった梅雨も明け、気の早い蝉がフライング鳴きを始める頃、
俺と友人はいつものように公園で待ち合わせていた。
友人の名前は仮に、Kとしておこう。
「持ってきたか?」
「うん、大丈夫」
俺たちは笑顔を交わし、互いに持ち寄った物を見せ合う。
俺の手には二リットルのコーラボトル。Kの手には未開封のメントスがあった。
きっかけは、昨日テレビでやっていた衝撃映像特集である。
紹介された映像の一つに、太った男がコーラをがぶ飲みしてからメントスを食べ、
口からコーラの噴水を吐き出すというものがあった。
方法は至って簡単、しかもド派手。
これで試してみたいと思わないわけがない。
絶対に真似しないでくださいという注意書きもあったが、小学生にそんなものは逆効果だ。
というわけで学校から帰ってすぐに、俺は家の冷蔵庫にあったコーラのボトルをこっそり持ち出してきた。
昨日風呂上がりに飲んだせいで三分の一ほど減っているが、まあ支障はないだろう。たぶん。
子供だけで危ないと思わない事も無かったが、別に俺たちが実験するわけじゃない。
これを飲むのは、ゆっくりなのだから。
「あー、あまあまうめえなー! ほんっとゆっくりできるなー!」
公園の真ん中でコーラを飲むふりをしながら、俺はわざとらしく大声で叫ぶ。
すると、声を聞きつけたゆっくりの姿が、ツツジの茂みの隙間から見え隠れする。
最近は人間を警戒するようになり(主に俺たちのせいで)、余程のゲスか餡子脳でない限り
すぐには近寄って来なくなった。
「どこかにゆっくりがいねえかなー! ゆっくりしてる奴になら、あまあま分けてやろうかなー!」
「ゆ? あまあまくれるの…!?」
それでも、ゆっくりにとってあまあまは絶対的な魅力を持つものらしい。
見え見えの餌に釣られて、実験台一号が茂みから這い出してきた。
どこにでもいるゆっくりれいむ。
成体よりひと回りほど小さく、どうやら巣立ったばかりの若いゆっくりのようだ。
「にんげんさん、れいむはとってもゆっくりしてるよ! だからあまあまちょうだいね!」
「へいへい、ちょっと待ってろ」
コーラの蓋を開け、れいむの口に突っ込んでやる。
ちっぽけな体のどこに入っていくのだろう、物凄い早さで中身が減っていく。
「ごーくごーく…しししししあわせえええええええ!!!」
れいむの顔が輝いたかと思うと、見る見るうちに赤く火照り出した。
目つきはトロンとしていて、どこを見ているのかわからない。
「ゆへへぇ…れいむ、しゅわしゅわさんのんだらきもちよくなってきたよぉ…にんげんさんがたくさんにみえるよぉ…」
「酔っ払っちゃったみたいだね」
へべれけのれいむを見て、Kがくすくす笑う。
どうやらこいつら、炭酸飲料で酔っ払うらしい。
予想外の反応だったが、大人しくなったのならむしろ好都合だ。
「れいむ、ついでにこれも食べろよ」
「ゆふぅん…? あまあまさん…?」
「はい、どうぞ」
だらしなく伸びたれいむの舌の上に、Kがメントスを乗せてやる。
赤ら顔のれいむは緩慢な動作で、それを口に運んだ。
メントスの砕ける、がりりという音が聞こえた。
「むーしゃむーしゃ、しあわ…ぼびょおおおおおおおおおおおお!?」
直後、れいむの体が膨張したかと思うと、口から茶色い水柱を吐き出した。
ほんの二リットル足らずのコーラが、テレビで見た映像とは比較にならない勢いで噴射される。
噴水どころか、消防隊のホースのようだ。
口だけではない。目やあにゃるからも、白い泡と餡子混じりのコーラが漏れ始める。
服をコーラまみれにされては堪らないと、俺たちは慌てて公園の入口まで避難した。
体内から吐き出される水流に翻弄され、ぐるぐると回転を始めるゆっくりれいむ。
四方八方にコーラを巻き散らす様は、まさにスプリンクラーだった。
「ごばっ! ぶばがっ! がべべぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!!!」
コーラ噴水の威力は一向に収まる様子を見せない。
回転速度は徐々に加速し、遂にれいむの体を宙に持ち上げ始めた。
そういえば、昔回転しながら空を飛ぶ亀の怪獣映画があった気がする。
「ごぼがぼぼんべぶびばびーーー!!」
コーラを噴きながらも、お決まりのセリフは忘れなかったらしい。
れいむは飛んだ。公園の垣根よりも高く、緑の葉を茂らせる桜の木よりも高く。
ロケットの如く上昇を続け、その高さは三十メートル程度まで達した。
そこでやっと効き目が切れたのか、ぴたりと噴水が止まる。
ぐったりと白目を剥くれいむの体は、地球の重力に引かれて急速に落下を始める。
ただし真下の公園ではなく、垣根を超えて隣の民家の方へ。
一瞬間を空けて、がしゃーんと何かの割れる嫌な音が聞こえてきた。
「…やっべ」
一連の流れを全く成す術もなく見守っていた俺とKは、そこで我に返る。
確かあそこの庭には、盆栽の棚が置いてあった事を思い出したのだ。
「K、逃げるぞ!」
「そうだね」
コーラのボトルを回収する間もなく、俺たちは全速力で公園から走り去った。
窓を開ける音と犬の吠え声、ゆんやあああと泣き叫ぶれいむの悲鳴も、何も耳には入らなかった。
だいぶ遠くまで離れたところで、俺たちはようやく一息ついた。
ぜーぜーと肩で息をし、誰か後ろから追いかけて来ていないか確認する。
「あー、やっちまったな。しばらくあそこの公園には近付けないぞ」
「でも、面白かったね。れいむ」
ハプニングはあったものの、Kは概ね満足そうだ。
ゆっくりを見れば元の形がわからなくなるまでボコボコにする悪ガキの俺とは違い、
Kは実験や観察に近いやり方が好きなのだ。
何にせよ、ゆっくりを使ったメントスコーラ実験は大成功に終わった。
このまま家に帰っても良いかもしれないが、まだ日は高く遊び足りない気もする。
どこか別の場所で仕切り直そうかと考えていると、不意にKが背中を叩いた。
「鬼威くん、今から家に来ない?」
「へっ?」
「家、この近くだから。どう?」
小首を傾げると、さらさらの髪が流れるようにKの肩口にかかる。
仲良くなって数年経つが、俺は一度もKの家に行ったことが無かった。
俺の方は何度かKを家に招いているけれど、Kの住む家や家族には、まだお目にかかった事が無い。
(Kはお袋を「おばさん」ではなく「鬼威くんのお母さん」と呼ぶので評価が高い)
今まで遊びに誘うのは、いつも俺の方からだ。
Kが本当は俺の事をどう思っているのか、不安を感じる事もなかったわけではない。
「行くよ、絶対行く!」
ここへ来てようやく、相棒として認めてもらえたのかもしれない。
答える俺の声は弾んでいた。
Kの後ろについて歩くこと約数分。
連れて来られた家の前で、俺は声も出せずに立ち尽くしていた。
学校のグラウンドより広い敷地。
丁寧に芝生が刈りこまれた庭とバラの垣根、隣にはプールとテニスコート。
絵に描いたような、白亜の大豪邸。
…ではなく、そのお隣にあるみすぼらしい一軒家だった。
壁はトタン張り。薄い窓ガラスはひび割れ、ガムテープで補強してある。
全体的に劣化が進んでいて、風が吹く度に何だかぐらついて見える。
この平成の時代にまだこんなボロ屋が残っていたのかと、俺はある種の感動さえ覚えていた。
台風でも来ようものなら、屋根どころか建物ごと掻っ攫われる様が目に浮かぶ。
なんというか、Kは卑しい俗世の悩みとは無縁の存在と勝手に思い込んでいた俺は、
突きつけられた現実を前にただただ放心するしかなかった。
召使いのゲートで出迎えられたりとか。午後は紅茶でベートーベンとか。
家の中の巨大水槽で、むらさとにとりといくさんが舞踊りとか。
そんな俺の儚い幻想は、昭和の名残り香漂う引き戸の音と共にガラガラと崩れ去っていく。
「…入んないの?」
引き戸の奥から、色白の座敷童子が半分顔を覗かせている。
俺は覚悟を決めて、未知なる領域に足を踏み込んだ。
玄関に足を踏み入れて一歩、カビと埃が入り混じった重い空気を肌で感じる。
放課後オバケが出るともっぱら評判の、学校の図書室に近い雰囲気だ。
歩くたびにギシギシ音を立てて軋む床が余計おっかない。
ふと見上げた天井の隅では、クモの巣までもが埃を被っていた。
Kの後ろを歩きつつ、俺は落ち着きなく辺りを見回す。
ホラー映画でなくとも、いかにも何か出てくるぞと言わんばかりのシチュエーションだった。
「K、帰ったのかい?」
不意に手前の襖が開き、奥から皺だらけの老婆がぬっと顔をのばして来た。
Kが一緒でなかったら悲鳴を上げていたかもしれない。
しゃがれ声を廊下に響かせ、老婆の濁った目が俺の姿を捉える。
こちら鬼威! こちら鬼威! 助けてくれ、小豆婆と遭遇した!
微妙にマニアックなチョイスは、最近読んだ妖怪大図鑑の入れ知恵だ。
「おやまあ。誰だいその子は」
「お婆ちゃん、この子が鬼威くん」
「おーおー、そうかい。あんたのことはKからよう聞いとるわ。さ、こっち来て上がりんさい」
何の事はない、Kの婆さんであった。
腰の曲がった婆さんは、土地の人間らしく訛り混じりで、全部の言葉に濁音がついたような喋り方だった。
ゆっくりの悲鳴みたいになるので、再現はしないでおこう。
案内された四畳半の客間には、時代を感じさせる裸電球にちゃぶ台。
テレビは四角い箱型。リモコンなどと言う高尚な物は無く、チャンネル操作はレトロなダイヤル式だった。
地デジとかどうする気なんだろうと、下世話な心配をしてしまう。
程なくして、婆さんがお盆に湯のみとお茶請の入った器を乗せて持ってきてくれた。
「大したもてなしは出来んけど、まあ二人で仲良くしてな」
婆さんの他に、家族はいないのだろうか。
そんな俺の心を見透かしたように、ぽつりとKが言う。
「お父さんとお母さん、アメリカで働いてるの。日本には滅多に戻ってこれないから、いつもはお婆ちゃんと一緒」
「ほんとにあの馬鹿息子夫婦と来たら、子供をほったらかして何やってんだか。
養育費だけ出しておけば良いと思ってるんだろうよ。あたし達の世代じゃとんでもない事だ、世も末だよ全く…」
婆さんは深く溜め息をつき、それから俺を見た。
「あんた、鬼威くんだったね? これからもKと仲良くしてやっとくれ。
親は馬鹿でも、Kは本当によく出来た子だからねぇ。れいむから、さなえが生まれてきたようなもんだわ」
「…その例え、なんか嫌だな」
普段何を言われても動じないKが、珍しく顔をしかめる。
その眉間の皺の寄せ方が、ちょっとだけ婆さんに似ている気がした。ほんのちょっとだけ。
「まあ、あんまり構ってやれんけど、二人でゆっくりしてお行き」
婆さんはちゃぶ台に二人分のお茶と、お茶請の器を置いて出て行った。
襖の閉まる音を聞いてから、俺は恐る恐る器を覗きこむ。
瀬戸物の深皿にたっぷり盛られた、細長い緑色の何か。
「…あの。コレ、何?」
「ゆっくりの茎。鬼威くんも見た事あるでしょ?」
勿論、ある。
毎年三月の終わりから五月くらいまで、頭からコレを生やしたゆっくりが町のあちこちを跋扈している。
ゆっくりがミニトマトのように子供を実らせる事は、理科の時間に教わった。
生まれたばかりの赤ゆっくりは、まず最初にこの茎を食べさせられるということも知っている。
いやしかし、俺の言いたい事はそうではない。
赤ゆにとっては離乳食なのだから、確かに栄養はあるんだろう。
だが、果たして人間が食べても美味いものなのだろうか。
いやそもそも、食べられるものなのか。
加工所のゆっくり食品はいつもおやつの時間に世話になっているが、ゆっくりの茎なんて今まで食べた事がない。
食べたいと思った事さえない。
その時の俺はきっと、原住民の御馳走と称して猿の脳みそを出された冒険家と同じ顔をしていたと思う。
ついでに器に盛られた茎には、本来付いているはずの実ゆっくりの姿は見えない。
「実ゆっくりは放っとくと栄養吸い取っちゃうから、早めに外すんだって。お婆ちゃんはよく未熟ゆを漬物にしてる」
Kは普段から食べ慣れているのか、何の屈託も感じないようだ。
ポッキーでも食べるように、細い指で一本ずつ摘まんでは口の中に入れていく。
俺はそんなKを横眼で窺いつつ、器の中に何十本とある茎を凝視する。
食べやすいように三等分くらいに切ってあるようだが、それにしたってこの数を集めるのは手間がかかっただろう。
Kの手前、ここで食べなきゃ男がすたる。
ついに意を決した俺は、どうにでもなれとばかりに一番上にあった茎を取り、かじった。
固い繊維質もなく、モヤシに似たシャキシャキとした歯ごたえ。
噛みしめた部分から滲み出る甘みは、水羊羹のような清涼さで口の中に溶けていく。
「あれ、意外と美味い」
濃い緑色の、筋っぽい外見からは想像も出来ない味だった。
瑞々しい野菜の食感と餡子の甘みを併せ持つゆっくりの茎は、確かにお茶が欲しくなる。
「まあね。採れたてだから」
「採れたて? どこから採って来たんだよ?」
「お婆ちゃんがお店の奥で育ててるんだ。捕まえた野良ゆっくりに子供を産ませて、ある程度育ったら使うの。
お前にはまだ早いって中に入れて貰えないから、詳しい事は知らないけど」
Kはすました顔でずず、と茶をすすった。
野良ではなく、Kの家で培養されたゆっくりの茎なら、衛生面での心配はしなくて良さそうだ。
十分も経てば、たくさんあった茎は綺麗に無くなってしまった。
因みに俺たちが「生殖」という言葉を教わるのは、それから数年後の事になる。
「…ん? ちょっと待てよ、お前さっき店って言ったよな?」
「お婆ちゃん、お隣で駄菓子屋やってるんだ。うちの学校の子もよく来るよ。知らなかった?」
知ってるも何も、Kの家の事だって今日聞いたばかりだ。
何で早く教えてくれなかったんだ、という恨めしさが俺の中に湧きあがる。
しかし駄菓子屋という言葉の魔力は、そんな小さな気持ちを一瞬にして消し飛ばしてしまった。
駄菓子屋。
子供の小遣いでも食べたいだけお菓子を買える、今は失われた楽園。
漫画で知ってからずっと憧れを抱き続けていたが、まさかこんなに身近にあるとは思ってもみなかった。
俺は思わずちゃぶ台から身を乗り出す。
「なあなあ、お前の婆ちゃんってさ、仕事中に邪魔すると怒るタイプ?」
「見に行きたいんでしょ。いいよ、ついて来て」
家の裏口から出てすぐ隣に、これまた風が吹けば崩れそうな、老朽化の進んだ店舗があった。
石を投げたら、コントのセットよろしく倒れてしまうんじゃないかと不安を覚える。
長年雨に晒され、すっかり朽ちかけた看板からは、かろうじて「ゆっくり堂」の文字が読みとれた。
「…おや、あんた達か。どうしたね、何かあったのかい?」
「鬼威くんが、お婆ちゃんのお店に来たいって」
「あの、お忙しいところお邪魔しちゃってすいません。でも俺、駄菓子屋とか行った事なくて、すっげー憧れてたんです!」
「構いやしないさ、別に忙しくも何ともないからね」
狭い店の中には、商品棚やアイスクリーム用のボックスの他、
かなり型の古い電子レンジや電気ポットといった簡単な調理器具も置いてある。
埃っぽい棚には一般的な駄菓子に加え、ゆっくりで作られた駄菓子、いわゆるゆ菓子が所狭しとひしめいていた。
初めて来たのに、どこか子供心に懐かしさを感じさせる空気。
そして店中どこを見渡しても、お菓子、駄菓子、ゆ菓子…。
言葉にするなら酒池肉林。これに尽きる。
思わず涎を垂らしそうな俺に、婆さんが信じられない事を口にした。
「食べたいもんがあったら食べればいいさ」
婆さんの皺だらけの顔には、神々しい後光が差して見えた。
仲良くなって数年、こんなにもKを拝みたくなったのは初めてだ。
以下、店にあったゆ菓子のうち、俺が食べさせてもらったものを一部紹介しよう。
最初に食べたのはゆーグル。
赤ゆっくりを丸ごと容器に加工し、ムース状の餡子を小さな木べらで掬って食べる。
この容器がなかなかユニークで、上を向いた状態の赤ゆの口を、十円玉サイズまで丸くこじ開けてある。
赤ゆっくりはとっくに死んでいる筈だが、口にへらを突っ込んでグリグリかき回すと何故か甘みが増すという。
串ゆカステラ。
カステラで包み込んだ赤ゆっくりに粒の粗い砂糖をまぶし、三つ仲良く串に刺してある。
三つが三つとも凄まじい表情をしているのがアレだが、
ふかふかのカステラは香ばしく風味豊かで、餡子との相性も良い。
その次は実ゆジャム。
給食で出るジャムのような袋に餡ペーストが入っていて、付属のお飾り入りせんべいに塗って食べる。
混ぜ物なしの実ゆっくりの餡子だけで作られていて、普通の餡子より爽やかな甘みと酸味がある。
婆さん曰く、コッペパンやトーストにつけても美味しいそうだ。
餡水あめ。
水飴に漉し餡を溶かしたもの。二本の割りばしで練りに練り続けた飴は、陶器のように艶やかな小豆色になる。
手が疲れたので途中で止めたが、口の中でフワリと溶ける甘みは何とも幸せな気持ちにさせてくれる。
結構伝統のあるゆ菓子らしく、婆さんが子供の頃からあったという。
最後はお飾りキャンディ。
通常種子ゆっくりの飾りを果汁入りキャンディでコーティングしたもの。
口の中で溶けて無くなるまで舐め転がすも良し。豪快に噛み砕くのも良し。
俺が一番気に入ったのは、オレンジ味のちぇんの帽子だ。何故かちぇんの三角耳まで一緒に付いてきていた。
より取り見取り、色とりどりの甘いゆ菓子に、俺は舌鼓を打つ。
一昨日ゆー戯王カードでレアが出た事など、取るに足らないと思えるくらい幸せな気分だった。
食べ終わったゴミを片づける傍ら、ゆ菓子の袋を見比べて、俺はふとある事に気が付いた。
ゆっくり製品には必ず記載されているはずの、加工所のマークが見当たらないものがいくつかあるのだ。
餡水飴や、お飾りキャンディなどの飴類が多い。
「おや、よくわかったね。そういうのは加工所からの仕入れじゃなくて、うちで養殖したゆっくりで作ってるんだよ」
「それって、大丈夫なの? ショクヒンエーセーホーとか、今うるさいんじゃない?」
「ふん。お上が怖くて駄菓子屋がやってられるかい」
尊大に胸を張る婆さんを余所に、Kが小声で耳打ちする。
「ほんとは駄目。だから、内緒にしてて」
婆さんは椅子に腰かけると、自分用にポットで茶を淹れ始めた。
「大体ね、ゆっくりなんぞに高い金を払うなんて間違ってるよ。あんなもん貧乏人の食い物さ。
あたしが子供の頃はこの辺も野っ原が多くてね、そこらじゅうにゆっくりがいたよ。
戦時中はお菓子なんか買えなかったからね。
おやつ代わりにゆっくりを取り合って、近所の子たちとしょっちゅう喧嘩したよ。懐かしいねえ。
道端で出くわしたところをとっ捕まえて、親ゆっくりの目の前でちびを踊り食いしたもんだ。
目玉も、髪も、飾りも、茎も、ゆっくりに捨てるところなんて無かったんだよ」
俺は婆さんの話に目を丸くした。
今までたくさんのゆっくりを潰してきたが、食べるなんて選択肢は考えた事も無かった。
何せ町中をうろつくゆっくりは皆不潔で、生ゴミなんかを漁ってるような奴らだ。
加工所製のゆっくり食品を食べる事はあっても、汚くてバイ菌まみれの野良ゆっくりを食べる人間なんていない。
それとも昔、まだ土地が綺麗だった頃は、ゆっくりも綺麗だったのだろうか。
湯のみから昇る湯気を追うように、婆さんは天井を仰ぐ。
その眼差しは天井の木目も屋根も貫いて、遥か遠い過去を見ていた。
「ああ、今でもよーく思い出せる。昔はどこの家にも必ずゆっくりの番がいてね。
配給が足りなくなると赤ゆっくりを作らせて、そいつで飢えを凌いだもんだ。
ゆっくりの餌なんて、ミミズか雑草で良かったんだよ。何を食べようが、全部餡子に変えちまうんだからね。
それが今じゃ高級ゆっくりだの、有機ゆっくりだの。やれ餌はゆっくりフードだの、あまあまだの。
あたしに言わせりゃ馬鹿馬鹿しいったらないよ」
婆さんは延々と、誰に言うでもなくくだを巻き続ける。
話の内容もゆっくりの事から、だんだん息子夫婦の愚痴に変わっていった。
興味を無くした俺は、お飾りキャンディの最後の一個(みょんのリボン。薄荷味)を口に放り込む。
空になった袋を捨てようと、ゴミ箱を探して店内を見回した。
と、店の片隅に、縁日で焼きそばやお好み焼きを作るような、大がかりな鉄板が置いてあった。
そこだけは毎日掃除されているらしく、鉄板の上とその周辺だけは埃を被っていない。
俺が鉄板を見ているのに気付いたのか、Kが声をかけてくる。
「鬼威くん、ゆっくり焼き食べる?」
「え? あ、うん」
お好み焼き、もんじゃ焼きなら知っているものの、ゆっくり焼きなんて初めて聞いた。
ゆ菓子を食べたお陰でそれほど腹は減っていなかったが、雰囲気に流されてつい頷いてしまう。
「お婆ちゃん、ゆっくり焼き二つ」
「はいよ。ちょっと待ってな」
婆さんは重たげに腰を上げると、店の奥へと消えていく。
奥の方からガヤガヤと騒がしい声が聞こえたが、一分も経たないうちに戻って来た。
婆さんが持ってきたのは、バターふた切れと、とろけるチーズの細切りが入った茶碗。
そして二匹の子ゆっくりだった。
「くしょばばあ! れいみゅをはなちてとっととちね!」
「まりしゃさまがいせいっさいっしちぇやるんだじぇ! おろしゅんだじぇ!」
二匹の悪態にも耳を貸さず、婆さんは慣れた手つきで鉄板にほんの少し油を敷く。
台の下をまさぐってスイッチを入れると、暴れる子ゆっくり共を鉄板の真ん中に放り投げた。
「ゆ? なんだかぽかぽかしちぇるよ!」
「あっちゃかくてきもちいいにぇ、れいみゅ!」
「ここをれいみゅたちのゆっきゅりぷれいすにしゅるよ!」
「ゆっへっへ、くしょどれいはさっさとあまあまもってくるんだじぇ!」
その合間に、婆さんはオンボロの電子レンジにバターの入った器を入れる。
相手にされていないのを怖気づいていると勘違いした子ゆっくり共は、ますます調子に乗ってふんぞり返っていた。
数分経つと鉄板はもうもうと熱を放ち、店内の体感温度を少しばかり上げる。
最初に異変に気付いたのは子れいむの方だ。
さっきまで温かくて気持ち良かったゆっくりぷれいすが、今は立っていられないほど熱い。
陸に打ち上げられた魚のように、子ゆっくり達は温度を増した鉄板の上で跳ね始める。
「あぢゅい! なんだかあちゅくなってきちゃよ!?」
「ゆんやあああああ!! あぢゅいいいいいい!! ゆっぐぢできないいいいい!!」
「どれ、頃合いかね」
再び戻って来た婆さんは、両手にフライ返しを装備していた。
もんじゃ焼で使うような金属製のアレだ。
二本のフライ返しを手の中でくるりと一回転させ、跳ねまわる子ゆっくりたちを豪快に切り刻んでいく。
「ゆびゃあああああ!! でいびゅのほっべしゃんんんんんんん!!」
「やめるんだじぇ、きゃわいいばりじゃにひどいことしゅるんじゃないのじぇ!!」
「だぢゅげでええええええ!! おぎゃあじゃん! おぎゃあじゃああああああん!!」
「あじゅいいいいい!! いだいいいいいい!! ゆっぐぢでぎないんだじぇええええええ!!」
古木のような体から繰り出されるとは思えない、迫力ある裁きぶり。
鉄板の外へ逃れようとする子ゆっくりの進路を塞ぎ、即死させない程度のダメージを与えていく。
鋭いフライ返しに傷つけられて、皮もお飾りもあっと言う間にボロボロ。
柔らかかったあんよは、鉄板の熱で焼き固まっていく。
子ゆっくりの悲鳴と二匹の体が焼ける音、鉄板を叩くフライ返しの音が精巧に重なりあい、ひとつの音楽になる。
そのうち子ゆっくりは跳ねる事も出来なくなり、二匹揃って鉄板の上で痙攣を始めた。
「おぎゃあ…しゃ…」
「もっど…ゆっぐぢ…」
じゅうーっ!
止めとばかりに鉄板に強く押しつけられ、今際の言葉もかき消される。
二匹の子ゆっくりだった物を平らにならした所へ、溶かしたバターを塗って両面を焼き上げる。
餡子と小麦粉、バターの織りなす香ばしい匂いに、俺の胃袋には早くも空席が出始めた。
最後に婆さんはチーズをつまんで全体にまぶし、軽く温めてから紙袋に移した。
大きさは煎餅ほどで、餡子の色とチーズの黄色が混ざったまだら模様。
れいむなられいむ、まりさならまりさの髪とお飾りが、仲良くぺしゃんこになって見え隠れしている。
「ほい、ゆっくり焼きお待ちどう。うちの隠しメニューみたいなもんだよ」
「鬼威くん、れいむとまりさ、どっち食べる? 両方餡子だからあんまり変わりないけど」
「あ。じゃあ、れいむで」
箸もスプーンも使わず、鯛焼きのように直接食べるものらしい。
Kに習って、俺もゆっくり焼きにかぶりつく。
死の間際までたっぷりと苦しみ抜いた子ゆっくりの餡子は、この上ない甘みを醸していた。
焦げる手前まで焼きあげた皮はサクサクと香ばしく、バターのコクと餡子の相性も絶妙である。
何より、甘いゆ菓子を食べた後の舌に、チーズの塩味は最高のアクセントになっていた。
柔らかく溶けたチーズを咥えて引っ張ると、ゴム紐のようにどこまでも長く伸びる。
婆さんにいつもこんな美味い物を作ってもらっているKを、ちょっとだけ羨ましいと思った。
「むきゅ、そこまでよ!」
最後の一切れを飲み込んだ時、突然店の入り口が開いた。
キンキンと甲高い鳴き声は、ゆっくりぱちゅりーだ。
戸をきちんと閉じていなかったのだろうか、隙間をこじ開けて入って来たらしい。
「ぱちぇはみたわ、このおうちのにんげんはあまあまをどくっせんっしているのよ!」
「ゆふん。ちょっとボロっちいけど、あまあまがあるならがまんしてやるんだぜ」
野良まりさとぱちゅりーの番らしい。子ゆっくりは連れていなかった。
薄汚れた二匹を見て、やっぱり野良ゆっくりは食べたくないと強く思う。
「おいにんげんども、ここはいまからまりささまのゆっくりぷれいすなんだぜ!
いたいめにあいたくなかったら、さっさとでていくんだぜ!」
「やれやれ、またかい」
婆さんは腰を軽く叩き、鬱陶しそうな顔で立ち上がる。
「お婆ちゃん、あっちのぱちゅりーで遊んでもいい?」
「いいよ、好きにおし。ただし、後で使うから殺さないでおくんだよ」
「わかった」
空になったゆっくり焼きの袋を折りたたむと、Kは婆さんを追いかけて入口に行く。
「ゆっへっへ、でていくきになったのかだぜ? にんげんにしてはけんっめいっな…ゆゆっ?」
婆さんはまりさを片手で軽々と持ち上げると、店の中へ戻る。
連れて来たのは、あの鉄板の前だ。
今しがた使ったばかりの鉄板は、まだ火傷しそうなほど熱を持っている。
婆さんはまりさの髪を掴んだまま、鉄板のすぐ上にかざした。
「お舐め」
「ゆへっ! ばばあのぶんざいでまりささまにめいれいするとはいいどきょうなのぜ! ぶっとばして…」
言い終わる前に婆さんは熱気を放つ鉄板目掛けて、力いっぱいまりさの顔面を押しつけた。
「―――――ッ!!! ―――――――ッ!!!」
声も出せずに尻を振って暴れるまりさを、ねじ込むようにぐりぐり押さえつける。
たっぷり30秒は経過してから、一息にべりりと音を立てて引き剥がした。
顔の皮が剥げ、目玉と歯茎が丸見えになったまりさの顔は正直グロい。
「お舐めと言っただろうに、汚してどうするんだい。全く、これだからゆっくりは」
「あああ…あが…まりさの…まりさのおがお…」
「ほれ、早く舐めて綺麗におしよ」
「いやあああああ!!! ごべんなざいごべんなざいまりさがわるがっだでずぅ!! あづいのやべで!!
あづいのはいやあああああああ!!!」
垂れ流した涙としーしーは、鉄板に落ちると同時に泡立った蒸気へと化す。
惨めに命乞いを始めるまりさを、婆さんは涼しい顔で再び押しつけた。
まるで雑巾を扱うように、まりさの顔を鉄板の上で滑らせる。
削れた餡子と顔の皮が鉄板の表面を覆い、程よく焦げて良い匂いを昇らせている。
若者顔負けのパワフルな拷問。
俺は厳しい時代を生き抜いた老人の底力と、長年培ってきた対ゆっくりの英知をそこに見た気がした。
「どこ行くの?」
「むぎゅうっ!?」
中途半端に知恵を持つぱちゅりーは、早々にまりさを見限って逃げようとしていた。
Kはそんなぱちゅりーを両手で抱え上げ、にっこりと笑いかける。
「お土産も持たずに帰っちゃうなんて、慌てん坊だね」
「むきゅ!? おみやげさんをよういしているの? にんげんのくせにきがきくわ!」
Kは婆さんに一言断ってから、店の棚にあった駄菓子を一つ手に取った。
餡子の混ざってない方の水飴だ。
オンボロ電子レンジで軽く温めてから、ぷくぷく泡の浮いた水飴を、ぱちゅりーの目の前で掬い上げて見せる。
「はい。あーんして」
「むきゅん。あー…」
ぱちゅりーが口を開けたところへ、Kは水飴の絡んだ小さじを突っ込んだ。
ただし、口の中ではなく、上下の歯に塗り込むように。
粘度の高い水飴と、飴細工で出来たゆっくりの歯。どちらも元は同じ砂糖だ。
素早く小さじを引っこ抜けば、水飴は歯と歯の隙間を埋めるように張り付いた。
熱した水飴は瞬く間に歯に浸透し、成分を少しずつ溶かしながら冷えて一体化していく。
結果、ぱちゅりーの歯は上下くっついたまま完全に固まってしまった。
「んー!? んんん、んんんー!!」
気付いた時には遅く、もうぱちゅりーは口を開けることは出来なくなっていた。
ぱちゅりー程度の顎の力では、どう頑張っても水飴の接着力に勝てない。
必死に歯を引き離そうと唸り続けるぱちゅりーを、Kは微笑ましげに眺める。
「手伝ってあげようか」
Kは一度店を出ると、緑のチューブを持って戻ってきた。
たっぷりと中身を指に押し出し、ぱちゅりーの目の下に塗ってやる。
ただしそれは軟膏ではなく、練りワサビだ。
「んむうううあああああああっ!!」
人間でも辛い刺激臭に耐えかね、ぱちゅりーの顎に己の限界以上の力が加わった。
尻に火がついたと言うところだろうか。
どうにか口は開いたものの、歯茎の方が耐えられず、ぱちゅりーの歯は上下くっついたままひっこ抜けた。
根っこの部分まで綺麗に抜けた歯は、Uの字に曲げた背骨のように見えなくもない。
「ふひゅーっ! ふひゅーっ! えれえれ…」
両目は真っ赤に腫れ、歯の抜けた口で息も絶え絶えに、ぱちゅりーがクリームを吐き始める。
Kは素早くぱちゅりーの口を塞ぎ、水飴をたっぷり塗り込んで溶接してしまった。
これで虚弱なぱちゅりーも、簡単には死ねなくなる。
むーむーと涙を流してもがくぱちゅりーを抱えると、婆さんのところへ持って行った。
まりさの方は、最早鉄板に突っ伏したまま身動き一つしなかった。
顔面の辺りから、焦げくさい匂いと共に細い煙が立ち昇り始めている。
髪の毛を引っ張って起こすと、既に顔と呼べる部分は無くなり、ただの黒い面があるだけだった。
婆さんは雑巾の入ったバケツにまりさを放り込むと、Kの頭を撫でてぱちゅりーを受け取った。
「よしよし、よくやったねK。前のぱちゅりーが死んじまったから、ちょうど替えが欲しいところだったのさ。
ちょっと汚いが、子供は産めるだろう。わざわざ捕まえに行く手間が省けて助かったよ」
「生クリームは餡子より用途が多いしね。最近また値上がりしちゃったし」
「……」
全く加わる隙のなかった俺は、ただ祖母と孫の水入らずの虐待を蚊帳の外で眺めるばかりだった。
「…なんか、手慣れてるのな。お前の婆さん」
「うちの店って、人間のお客さんよりゆっくりが来る事の方が多いんだ。
あまあまがあっても分けて貰えるなんて限らないのに、そういうところは考えないみたい」
婆さんはまりさ入りバケツと、口を塞がれたぱちゅりーを連れて店の奥に入って行く。
奥の方からまた騒がしい声が聞えてきたが、それもドアに遮られて消えた。
五時の鐘が鳴り、電線の上でカラスが一声鳴いた。
店の外に出た俺は、赤くなった夕空を仰ぐ。
公園、Kの家、婆さんの駄菓子屋。
最後の虐待には加われなかったものの、クリスマスと正月と夏休みが一度にやって来たような、
不思議な充実感があった。
ぐ、と大きく背伸びをし、俺はKと婆さんを振り返り見る。
「じゃあなK、また明日学校で…」
「お待ち」
手を振ろうとした俺の肩を、枯れ枝のような指がガッチリと掴んだ。
「どこへ帰る気だい? 食べたゆ菓子の会計がまだ済んでないよ」
婆さんがまりさを見るような目で俺を睨んでいる。
俺は自分の耳を疑った。
「タダじゃなかったのかよ!?」
「うん。うちも商売でやってるし、最近はいろいろ厳しいから」
当然とばかりにKも頷く。
散々甘味を堪能した胃袋が、急に重さを増していく気がした。
「あ、あのさ。俺ら友達だし、奢りってわけには…」
「駄目。友達だからこそ、こういう所ははっきりさせておかなくちゃ」
とりつく島も無かった。
俺は泣く泣く、ポケットから小銭をかき集める。
流石にお茶とゆっくりの茎の分は取られなかったものの、食ったゆ菓子とゆっくり焼きの代金、述べ390円。
月500円の小遣いでやり繰りしている俺にとっては、血のにじむ出費だ。
「贅沢だね。うちにはお小遣いなんて言葉さえ無いよ」
Kの冷めた目線に射ぬかれ、ますます肩身の狭い気持ちになる。
ひょっとしてKが俺を家に連れて来たのは、単に俺に小金を落とさせるためだったのだろうか。
認められたと思っていたのは、俺の独りよがりだったんだろうか。
「わからないよー…」
がっくり肩を落とした俺は、加工所のちぇんより情けない声で呟いた。
夕陽の杏色が心憎い、ある初夏の一日だった。
*あとがき
餡庫を訪れるお兄さん、お姉さんたちの心に残る懐かしい思い出を、
ちょっとでもくすぐることが出来たなら幸いです。
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『ふたば系ゆっくりいじめ 1322 はじめてのだがしや』
最終更新:2010年07月25日 19:33