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陣内智則プロフィール

本名: 陣内 智則
生年月日: 1974年2月22日(35歳)
出身地: 兵庫県加古川市
事務所: よしもとクリエイティブ・エージェンシー
(大阪NSC11期生)
受賞歴
・1999年 ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞
・2000年 YTV上方お笑い大賞銀賞(最優秀新人賞)
・2004年 YTV上方お笑い大賞話題賞
・2005年 東京スポーツ映画大賞日本芸能大賞
・2005年 NTVお笑いネタのグランプリ!!グランプリ
・2007年 卒煙表彰

所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本社。兵庫県加古川市出身。加古川市立別府中学校、兵庫県立高砂南高等学校卒。身長168 cm。血液型O型。

1人コント形式で舞台装置を用いた音声や映像に対してツッコミを入れるという独特なスタイルに定評がある。あだ名は「陣さん」「陣くん」「陣」。「なるトモ!」では三浦隆志(読売テレビアナウンサー)から「陣様」とも呼ばれている。(番組が始まった頃に冬のソナタが流行っていたのでヨン様から)

妻は藤原紀香。

大阪NSC11期生。同期にはケンドーコバヤシ・たむらけんじ・中川家・海原やすよ・ともこ・ハリガネロック・堂土貴(ルート33)、吉本新喜劇の烏川耕一、たいぞうなどがいる。出囃子はBLANKEY JET CITYの「ロメオ」。

「サークルJ」と称するグループを結成している。これは陣内がやっているラジオから出来たもので、名前の由来は軍団と言うにはゆるい集まりなのでサークルと付けたものである。そのメンバーと共に「陣内智則のイケメン5」という旅番組を年1回放送している。タイトルにイケメンと入っているものの陣内いわく「リアルイケメンは徳井と小出水だけ」。メンバーは小出水直樹(シャンプーハット)、徳井義実(チュートリアル)、すっちー、中川貴志(ランディーズ)等。

陣内孝則、陣内貴美子とは遠戚。2人と共演した番組「陣内家」(関西テレビ、2004年2月14日放送)で、それぞれの家系図を調べて判明した。

ネタ、相方について
リミテッド解散後、ピンとして活動。2001年頃からテレビ、ラジオ、営業などで、正式なコンビではないが同期のケンドーコバヤシとのセットでの出演が多く(陣コバと呼ばれる)周りもコンビと見紛う程だった。お互いに全国区で売れ始めた頃から減り始めたが、現在でも共演は多くその頃から続いているレギュラー番組もある。たむらけんじとも一時的に「たむ陣」と言うコンビを組んでいた。

元ピン芸人で現グラフィックデザイナーの原田専門家(彼も同じくNSC11期生)が裏の相方として、ネタ画面のCGや仕掛け製作を手伝っている。共に作った映像や音声を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までに無いスタイルを確立した。またネタで流れる女性の声は、吉本興業の女性社員である(吉本新喜劇にマドンナ役で出演している五十嵐サキが起用されることもある)。

NSC入学から「リミテッド」時代(1992〜1995) [編集]
地元の同級生と一緒にNSC大阪校の11期生として入学。その同級生と2人で「リミテッド」と言うコンビを結成(このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット」と間違って名付けたものである。「リミテッド」は「制限された」「僅かな」という意味の言葉であるが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかった)。リミテッドとしての初仕事は、その当時Wコージーが毎日放送でやっていたラジオ番組の素人参加のコーナーだった。

「NSCアマチュア大賞」の秋開催のグランプリを獲得。これが、リミテッドで獲得した唯一の賞となる(同期の中川家は、春開催時のグランプリ)。ちなみに陣内と相方はNSC入学と同時に寿司屋に就職しており(バイトで入るつもりだったが、手続きを間違え社員になった)相方はすぐに辞めたが陣内は卒業までの一年間、早朝から皿洗いや料理の下ごしらえ等をしていた。

NSC卒業後、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし当時の「リミテッド」は評判が芳しくなく、2丁目ブームの中「リミテッド」は「2丁目で一番おもんないコンビ」などと揶揄されていた。結果、結成3年後の1995年9月に解散。相方は芸能界自体をも引退してしまった為、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされる。


ピン芸人としての再出発(1995〜1999) [編集]
リミテッド解散時、年末の若手ネタ番組「オールザッツ漫才」出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出た為(相方の突然の不参加による)、陣内が急遽、進行役のオール巨人との協議の結果、1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち、一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、なぜかウケにウケまくり、3回戦まで進出してしまった。

しかし「リミテッド」解散のショックからなかなか立ち直れないでいた中、ある日吉本側から「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、ついに“最期通告”を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならず、開演数分前にようやく完成。そのイベントで今までに無いぐらい評判が良かったため、会社の彼に対する評価も一変。次々と仕事が舞い込むようになる。

1999年10月スタートの情報番組『ちちんぷいぷい』(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西のおばちゃん層への知名度も徐々にアップする。番組内では、司会者である角淳一とはいつも舌戦を繰り広げていてお互いに「親子の様な関係」言うほどの仲だった。深夜のバラエティ番組「クヮンガクッ」(同)でのレシートすごろくは、その後「ノブナガ」(中部日本放送)で人気となったコーナー「地名しりとり」をはじめ、各局で類似の番組が多く制作されている。


baseよしもと時代(1999〜2003) [編集]
1999年にbaseよしもとがオープン。FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩らをまとめる役を買って出る事に。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されるようになるが、その中でも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期があった。そのため、彼は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われ、ケンドーコバヤシには「(当時同局アナウンサーの角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめた程であった。


base卒業後(2003〜2005) [編集]
baseよしもとを卒業後、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。また、2003年に「エンタの神様」(日本テレビ)に出演して以来東京での仕事も増えたが、活動は平日は大阪で仕事をし木曜日に「なるトモ!」の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるや否や、午後から新幹線や飛行機で移動し、東京で番組収録(「エンタの神様など)、ルミネtheよしもとの公演をこなしていた。また、朝日放送の日曜正午枠の「日曜笑劇場」には、『開運コメディ 今日も大吉!パンパンパン』からフットボールアワーらと共にレギュラー出演(主演)するようになり、『なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!』にも、引き続きフットボールアワーらと共にレギュラー出演(主演)していた。

2004年からは、声優など他の仕事も舞い込むようになった。映画「犬夜叉 紅蓮の蓬莱島」(2004年12月23日公開)では声優デビューを果たす。が、本人は原作を「読んだ事がない」「犬が戦うマンガ?」とラジオで発言してしまう。又、実写では2005年に公開された映画「ビートキッズ」(HUNGRY DAYS、相武紗季ほか出演)に、半ば無理やり"大学生D"というエキストラで出演。テレビコマーシャルでは、かねてから好きだと公言していたゲームソフト、桃太郎電鉄シリーズ(ハドソン)の第13作「桃太郎電鉄USA」のコマーシャルに出演(若槻千夏、Psycho le Cemuと共演)。これが自身初のCMとなった。

2005年4月4日、5年2ヵ月レギュラー出演していた関西ローカルの情報番組、「ちちんぷいぷい」を卒業した。その後すぐ、日本テレビ系列の番組「ミンナのテレビ」・「世界!超マネー研究所」でレギュラー出演が決定。両番組は2005年4月から9月まで放送されたが、それ以来陣内は司会の立場で、全国区や関西ローカルのテレビに出演することが多くなってきている。また、関西ローカルで放送されている「なるトモ!」が2005年10月3日から日本テレビ、中京テレビ、広島テレビ、熊本県民テレビでもネットされるようになった(日本テレビは翌年3月で打ち切られた。その後2007年4月から西日本放送がネットに加わる)。2005年12月、映画「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」の声優も務めた。

「爆笑オンエアバトル」(NHK)では初挑戦にして537KB(キロバトル、100人中98人が投票)という高得点を獲得した。これは当時の番組最高記録であり(後にますだおかだが満点で記録更新)、また「初挑戦における最高キロバトル」として歴代でも1位タイの記録である(後にパンクブーブーも記録)。その後16戦16勝という高記録でゴールドバトラーに昇り詰めた。これらの輝かしい記録から、2008年の番組公式ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「オンバト史上最強の一人芸人」と番組プロデューサーに評された。

2005年12月31日開催の「輝け!ネタのグランプリ」で優勝し賞金1000万円を獲得。この賞金の半分は裏方の原田専門家や音響スタッフ等と分けた。


藤原紀香との出会い・結婚(2005〜) [編集]
2006年1月19日放送の「なるトモ!」で番組開始から約1時間の遅刻をしてしまう。「陣内智則のひとり番長」生放送終了後、東京から大阪へ向かう新幹線で熟睡、下車する新大阪駅を乗り過ごしたことが直接の原因。この一件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。くわしくは「なるトモ!」の項を参照。

2006年4月に、日本テレビ系DRAMA COMPLEX「59番目のプロポーズ」にて陣内は、藤原紀香と出会う事になる。自身の収録分の最終日に、陣内は紀香に手紙を渡し、約1週間後のオールクランクアップの後、紀香から陣内にメールを送ったのをきっかけに、友人としてのお付き合いが始まる。

7月14日のヨシモト∞で、急性扁桃炎にかかっていると告白。声が出なかった為エンタの神様のスタッフに病院に連れて行かれ、ステロイド剤の注射を打った。しかし、結局この日声は直らず「2年間ずっと眠い」「髭が濃くなる」等、注射の副作用だけが残ることになった。なおこの日に紀香が渋谷∞ホールまで自分の料理したサムゲタンをマネージャーに言付けて届け、扁桃炎で弱った陣内を元気付けた。ただし、この時点では「結婚を前提としたおつきあい」ではなかった[1]。実際にそれが始まったのは2006年10月である。[2]

2006年末になって紀香との結婚の話でメディアに注目され、12月10日神戸市内の生田神社で結納を交わし、2007年2月17日に同神社で挙式(結婚式には、同期のケンドーコバヤシ・たむらけんじやなるトモ!で共演するなるみ・海原やすよ・ともこ・シャンプーハット小出水らが出席した)。この挙式の模様は、同日16:20-16:55に讀賣テレビ放送が放送(他には熊本県民テレビ(KKT)がネット)し、関西で18.2%という高視聴率を挙げた。交際をするにあたり、なるトモ!に出演している芸能リポーター駒井千佳子に相談していた。翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社の様な規制(但しコント出演中の写真撮影禁止)もなく、素でコントをしている所等が見られた。また、結婚を機に東京で紀香と新居に引っ越し、「なるトモ!」の放送及び収録がある毎週月~木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を試行していた。

2007年4月10日、加古川市役所にて共に婚姻届を提出し正式に夫婦となった。2007年5月30日、結婚披露宴が日本テレビ系列でゴールデンタイムに放送され、ビデオリサーチ社が調査した平均視聴率は、関東で24.7%、関西で40.0%であった。また瞬間最高視聴率は、関東で32.7%、関西で49.2%であった。披露宴ではコブクロの「永遠にともに」の弾き語りを披露し、妻の紀香がホロリときた。

2007年8月4日より公開された「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!」に、真田幸村役で出演。撮影中は共演の渡辺裕之から武将の座り方などの演技指導を受けた。

2008年9月23日約4年半司会を続けた朝の帯番組「なるトモ!」を卒業。その日の放送は「陣内智則卒業スペシャル」として、陣内は「しんみりしない様に」にと「トモデミー賞」と称する賞を番組レギュラー出演者に渡す、バラエティ番組としての企画を行った。しかし番組のエンディングに陣内へのサプライズプレゼントとして 山崎邦正が泣きながら「永遠にともに」を歌うと、陣内やなるみ、その他の出演者やスタッフも泣き出し涙ながらの卒業になった。

 元々、『ベリーベリーサタデー!』にて共演したのが本当の初めての出会いだが、藤原紀香は覚えておらず以下にあるドラマの収録時に初めて顔を合わせた際、「はじめまして」と挨拶している。奇しくも、初共演したこの日(2005年5月14日)の同番組では番組MCである藤井隆が乙葉と婚約したという事で、それに関連したスペシャルコーナーを放送し、陣内は藤井と同期ということでゲストに呼ばれ、紀香はレギュラーコーナーであるトークコーナーにゲストで呼ばれていた(陣内も乙葉と番組で共演経験がある)。
 披露宴でコブクロの「永遠にともに」をピアノを弾いて歌ったことを受け、2007年7月18日の『リンカーン』のコーナー「フレンドリーダウンタウン」では松本人志に捧げようと再度の弾き語りを試みたが、数テイクののち、結局断念した。松本曰く「なんぼほど下手やねん!」。郷ひろみはこの「永遠にともに」を知らなかったのか、作詞・作曲を陣内自身がしたと勘違いしており、披露宴の次の日に「陣内君すごいね!いい曲書いたね!!」と電話がかかってきたという。
 2人で住んでいる家には、陣内の持ち込んだものは狸の置物と液晶テレビの2つしかない(狸の置物は、玄関の外にある。陣内談)。なお、紀香が独身時代に住んでいた家よりも狭い(島田紳助が披露宴で「悲しいお知らせ」として語った)。
 横丁へよ〜こちょの2008年新年スペシャルで犬井ヒロシに「新居移転時に持っていたAVを奥さんが捨てた」と暴露されている。
 いつもスリッパを探しているため紀香の友達から「スリッパ君」と呼ばれてた事がある。[3]
 『ごきげんよう』では紀香との初デート話を語った。バッティングセンターで、陣内は極度の緊張で全く打てず、「タイミングあわせたら打てるよ」と逆にアドバイスを受け、陣内はその時の紀香の打法を見て「ズレータや!」と思ったらしい。そして結婚後、もう一度バッティングセンターに行ったら初デートよりは打てたが、紀香はさらにパワーアップしていて、陣内は「カブレラや!」と語った。なお、紀香本人はこの時点ではまだデートという意識はなかったと婚約会見で述べている。
 紀香を初めてデートに誘う様に勧めたのは、ケンドーコバヤシ。陣内と食事に行った際ドラマで共演した話になり、陣内に好きになってメールはしているが、電話したり、デートに誘ったり出来ないと相談され、コバヤシは告白して振られた陣内を後でからかおうと「今すぐ電話してデートに誘え!」と言い電話を掛けさせた。しかし陣内はその場で紀香との初めてデートの約束を取り付ける。ふざけて言ったことであったが逆にその勧めが大成功を収めて、コバヤシは「自分が日本の歴史を変えてしまった」とトークのネタにしている。
 ある人からおひつを貰い、実際に紀香が使っていたが、ある日おひつをくれた人から感想を聞かれた所、おひつを分かっていない陣内がお風呂の手桶だと思って感想を述べた所、その場に居合わせた紀香に怒られて「ちゃんと(本来の用途で)使ってます」とフォローされた。

 プロ野球阪神応援番組『週刊トラトラタイガース』(読売テレビ)の司会に抜擢され、本人自身も阪神ファンだと公言しており、私生活で赤星憲広、浅井良や阪神タイガースの若手選手との交流があり、元関西テレビアナウンサーの梅田淳の話によれば、陣内の結婚話が噂になった当日、梅田が阪神の赤星憲広に知らせたところ、赤星は「私、相当前から知ってましたよ」との返事が返ってきた。また、関本賢太郎とは後輩芸人らと共に、卓球バーで卓球を行なう仲である。少年の頃からの阪神タイガースファンで、その様子は2007年5月30日に放送された自身の結婚式披露宴中継にてスライド写真が流れた際に、阪神タイガースの野球帽を被る少年時代の姿が映し出されていた。
 なお、2007年5月30日の結婚披露宴当日は妻の出身地にある阪神甲子園球場で阪神対西武の交流戦が開催されており、親交がある今岡誠、桧山進次郎がホームランを放ち、勝利をした日でもあり、桧山はヒーローインタビューで記者団に対し「今日は友人の陣内君の結婚式の日なんですがそんな日に打てて嬉しいです」と二人を祝福した。また、桧山からもらった手袋を、初デートの際のバッティングセンターで爪が多少伸びていた紀香に貸したことが、披露宴の引出物にもなった「紀香魂」に記されている。

 特番の収録中にツッコミのつもりでガッツ石松の頭を叩いたところ、ガッツは怒ってしまい収録を一時中断してしまった。その後ガッツに謝罪して和解が成立したが、今でもガッツには頭が上がらないようである。
 2007年6月にタバコ問題首都圏協議会より「喫煙をやめられた有名人」の1人として、陣内が表彰された事が報道される(他には風見しんご等も共に表彰)。因みに妻の紀香は陣内の禁煙に協力したとして「卒煙アシスト賞」が贈られた。[4]
 POISON GIRL BANDの漫才が好きで、3つ完全コピーできる。その場合、吉田と2人でいる時で阿部を担当するが、吉田役も完全にできる。陣内と阿部は名前が漢字も同じ智則で、身長と血液型も同じ。
 出生時から血液型はA型と父親から教えられていたが、人間ドックで検査したところO型ということが判明したことを報告した(2008年6月6日放送 なるトモ!より)。

 2007年以降、藤原紀香と陣内智則の結婚を指して使われ、披露宴以降格差婚というのが広まったが、実は「オーラの泉」に出演の際にはこの『格差婚』という世間のイメージとは裏腹に「あなたは昔、イギリス貴族の文学青年だったので、身分もプライドも高かったから、まったく気にしてないはずよ。それどころか、あなたは誰の言う事も聞かない頑固者よ。紀香さんくらいの人じゃないと、あなたはダメよ」とあの二人に言われていた。

以上 ウィキペディア引用

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最終更新:2009年03月08日 13:12