世界的な統一の流れについての考察案
地球全体の人口が80億人を突破しつつある2040年代(かなり現実的な数字、各国の人口爆発対策措置を考慮したうえで、少しだけ少なめに設定)、対策によってほんの僅かずつとはなったものの確実に進む地球温暖化のあおりを受け、地球の大規模気候変動とともに枯渇しつつある資源。
その中でももっとも危機的状況にあるのが「水」であった。地下水は有限であり、短期循環機構である河川水も温暖化に伴う水位上昇によって、塩水の混じる場所が増えてしまい減少してしまっていた。温暖化防止のために行われた一時的な水素燃料転換も、皮肉にも世界的な水不足を助長する結果となった。
オーストラリア大陸や東アジア大陸などではでは、大規模な干ばつが訪れることが多く、ヨーロッパやアメリカ大陸でも十分とはいえなかった。加えて、河川を国境とする地域では多国間の部族同士の「水域所有権」をめぐる対立も少なくはなく、血が流れることさえもあった。
その中で、もともと水資源が豊富であり、何より国内淡水資源の使用率が非常に少ない日本では、この世界的な水不足に巻き込まれることはなかった。その上古くからその食生活を輸入品で補ってきた日本は、いわば世界中の農業用水を間接的に、いわゆる「バーチャルウォーター」として輸入することとなってしまい、世界の批判を免れることはできなかった。しかし、日本の食料自給率から考えて、輸入を制限することは難しく、世界中の非難の矢面にたたされることとなった。
そこで日本政府は、国内の複数の主要企業と提携し、「巨大ウォータープラント」の運用に乗り出した。各企業の技術提供と国庫を含む巨大資本によって歳月をかけて実現されたそれは、波力による自己発電を備え、膨大な量の海水を化学物質とバクテリアによって真水に変え、生活用水として使用に耐えうるものにすることができたのである。このウォータープラントを世界各国の海に設置することによって、当面の水不足は防がれたと思われた。
しかし、もちろんこの施設の設置には膨大な費用がかかることと、内陸国ではパイプラインの増設を必要とするため、どこにでも水が供給されるわけではなく、特に発展途上国に設置するのは難しく、農工業用水の確保のできないことが引き金となり、経済の二極化はさらに深まったのであった。
そこで世界の各国家統合体はこの事態に対して、更なる協力体制を敷くために「統一論」の気風を高めることとなり、発展途上国のウォータープラント設置の技術的・経済的手助けをするという条件を餌に、数々の国家を「統一論」に取り込んでいくのであった。
しかし実際には、技術革新の行われていない途上国内ではその施設の設置のみならず、管理・運用も難しく、結局先進国の技師等に頼らなければいかず、長期的に見た場合には、やはり先進国の儲けが増えることとなった。このとき、もとの技術開発国であった日本の収得は計り知れず、日本の国際的地位もより大きくなっていた。
ちなみに、途上国の住民にとって、「水がない」ことと「金がない」ことを比べた場合、圧倒的に「水がない」ことのほうが一大事であり、その危機的状況から比較的速やかに抜け出したことによるショックで、「金がない」ことを問題視する機能が麻痺していた。
そして水を巡る闘いは一部の地域では武力紛争に発展している。
ニュースなどでは「つづきまして、全世界的な水不足、各地での水源確保を巡る問題、いわゆるウォータークライシスですが……」のように報道され、知られている。
二酸化炭素の排出権みたいにこれも證券化されたりして、それもまた問題解決の妨げのひとつになったり。
この問題に対処する国連機関はWWRP国際水資源計画(World water resource programme)
最終更新:2010年04月14日 07:25