真田十勇士

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真田十勇士 - (2012/10/27 (土) 18:27:50) の編集履歴(バックアップ)


【用語名】 真田十勇士
【読み方】 さなだじゅうゆうし

【詳細】

真田教導院が有する10人の忍者たち。江戸時代中期の小説『真田三代記』が初出。
史実上、実際にモデルとなる人物を持つ者もいれば、完全なフィクションが襲名元の者もいる。
初出が江戸時代中期のため、歴史再現的に問題は無いのか疑問が残るところである。

当代の真田十勇士は二代目。初代真田十勇士は二代目達からは"先生"と呼ばれている。
"先生"と呼ばれている先代真田十勇士は天竜であったことが判明した。

代替わりしてしまったのは、歴史再現が長引いて初代達が老いたためで、初代達は後継者を捜していた。
現在の該当者は次のとおり。

"要らずの一番":猿飛・佐助
"要らずの二番":霧隠・才蔵
"要らずの三番":三好・晴海入道
"要らずの四番":伊佐・入道
"要らずの五番":穴山・小助
"要らずの六番":由利・鎌之介
"要らずの七番":海野・六郎
"要らずの八番":根津・甚八
"要らずの九番":望月・幸忠
"要らずの十番":筧・十蔵

それぞれが小規模な教導院なら副長、大規模教導院でも特務クラス以上は確実の実力者達。
全員が"要らずの"で始まる番号を持ち、数字が減るごとに地位が高くなる模様。
実際、“要らずの一番”猿飛・佐助は「班長」と呼ばれている。

なお彼らが"要らず"と呼ばれるのは、かつて他の教導院で争いに負け、真田教導院に辿り着いたため。
根津・甚八は自分がミスしたことにより要らずとなってしまっていた。
5の下では、本来ならば彼等が十本槍になるはずだったのだが、羽柴が連れてきた今の十本槍に負けたことが明らかになる。

登場当初は清武田の麾下にあったが、将来的には西軍、つまり羽柴側に雇われ武蔵の敵となる予定だった。
一時的に武蔵に滞在していたが、3巻下のラストで三方ヶ原の戦いを経た長篠の戦いが始まったため、"武田・信玄が病死"したとして清武田を離れ、
武蔵の内部で破壊工作を行いながら武蔵を去っていった。

4巻では彼らはばらばらに各国に諜報として潜入したり、武蔵の修繕に紛れ込んで破壊工作や
武蔵の要人暗殺を目論んでいたがいずれも失敗し、4巻下では伊佐が死亡。
だが、伊佐はやるべき事をやり、それにより十勇士は“要らず”では無くなったという。

5巻上では海野、望月、筧が武蔵勢と対戦する。いずれも相対に敗れるが、忍者らしく生を拾って生き延びた。
5巻下の武蔵の移動教室において、猿飛・佐助(先代)霧隠・才蔵(先代)が討ち取られる。