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要旨

「過去数百万~数十万年を対象にした地形変化の調査・研究-過去から現在を復元して将来を予測する-」
安江健一(富山大OB)

 私たちが住んでいる土地(地形)が,今後,どのように変化していくのかを予測することは,私たちおよび後生が安全な生活を送る上で重要である。とく
に,長期に渡って使用する施設においては,将来の地形変化を予測して,それを基に適切な設計・施工を行う必要がある.
 地形は,地殻変動や気候変動によって変化する.よって,万年オーダーや十万年オーダーで考えた場合,現在のテクトニック場や周期的な気候変動が続く限
り,過去から現在までの傾向と同じ地形変化が今後も続く可能性が高い.
 そこで私は,主に現地調査で得られた地形・地質などのデータを基に,過去から現在までの地形変化を把握するための研究を行ってきた.例えば,礫の種類
や大きさ,礫の運ばれてきた方向などを調べ,その結果を基に山地の形成過程,横ずれ断層の活動様式,河川争奪などについて検討し,過去の地形の復元を試
みた.また,再堆積した珪藻化石種を用いた後背地の解析手法を考案し,丘陵の形成過程について検討した.このような過去数百万~数十万年を対象にした調
査・研究の課題の1つは,堆積物の堆積年代を詳しく把握することである.本報告では,以上のような内容を中心に紹介する.



富山市中心部における肢体不自由者の生活空間
~総曲輪・中央通り商店街を事例として~

石川原 敏郎

富山市は,誰もが安全かつ快適に生活できるコンパクトなまちづくりを目指して,都市活動空間や居住空間の改善を計っている。中でも,商業・文化交流・公共サービスが複合的かつ凝集的に展開する中心市街地の再構築は,コンパクトなまちづくりにおいて先導的・重点的な拠点として検討されている。特に中心商店街である総曲輪・中央通り商店街はまちなか居住の転換・複合化が進められている。これらの場所でのバリアフリー化・ノーマライゼーションも今後のまちづくりの課題ともされている。
そこで本研究では,居住空間の見直しが図られている富山市の総曲輪・中央通り商店街において,身体や感覚器官などに障害をもつために社会的・文化的な社会活動への参加に困難を伴う肢体不自由者が,どの程度の社会的活動が可能であるのかを,車椅子を用いた実地体験と総曲輪・中央通り商店街にある施設へのアクセスの可能性をもとに検討した。次に,肢体不自由者に対して中心商店街の評価と,外出先に関するインタビュー調査を行ない,肢体不自由者が求める生活空間について考察を行なった。
調査の結果から,現在の総曲輪・中央通り商店街は「混雑していて移動しづらい」,「一度に用事が済ますことができず,移動が多くなる」,「店の中が狭く買い物がしづらい」などといった,肢体不自由者にとって利用しにくい空間的要素を多く含んでおり,肢体不自由者は社会的・文化的な生活を営むために必要な施設を十分に利用できないことが分かった。
また,肢体不自由者が求める生活空間の要素は「アクセスしやすい広い駐車スペースがあること」,「障害者に配慮された設備が整っているところ」,「移動が少なく,一度に用事を済ませることのできる場所」が主な要素である。したがって,肢体不自由者により利用しやすい条件を満たしていると認識され,購買活動が彼らにより展開されている空間は大型のショッピングセンターやデパートであることが明らかとなった。



神通川流域の水害

北川早穂子(富山大学)

 本発表では,富山県富山市を流れる神通川の水害の実態,及び神通川流域に暮らす住民の水害に対する意識や問題について述べる。
神通川は,岐阜県の川上(かおれ)岳(標高1625.9m)にその源を発し,富山県・岐阜県を貫流し富山湾に注ぐ富山県最大の河川である。幹川流路延長は120km,流域面積は2,720km²である。
 神通川流域は,これまで度重なる台風や前線の影響による大雨により多くの被害を経験した。1969年8月には,集中豪雨によって戦後最大規模の降雨を記録し,富山県内各地に大きな被害を与えたが,1980年代後半から10年以上にわたり大きな水害はみられない。
しかし,1990年代後半から,局地的な集中豪雨による家屋浸水などの被害が発生し,支川や用水路の増水や排水不良による内水氾濫が目立っている。この内水氾濫は,高度経済成長期以降の宅地開発や,河川上流部の開発,アスファルトによる道路舗装など様々な要因によって生じるいわゆる都市水害である。
発生する水害のタイプが変化したことにより,近年の水害常襲地にも変化が見られる。大きな水害が見られなくなった1980年代後半以前は,神通川右岸の中でも特に旧富山市の中心市街地周辺が水害常襲地であった。しかし,1990年代後半からは,旧富山市の神通川左岸周辺地域がこれまでの水害常襲地に新たに加わった。実際には,神通川左岸は1990年代以前も浸水被害がみられるものの,居住者数が少なく,水害の規模が小さかったり,水害を水害と認識していなかったかもしれない。
 旧富山市の神通川左岸周辺地域は,高度経済成長期以後多くの宅地が造成された地域である。新旧地形図の比較から,それまで水田であった所が宅地に変化した様子が伺える。
 これまで水田として利用されていた土地は,災害に脆弱な土地である。しかし,高度経済成長期以後の宅地化の進展によって,それまで水田が広がっていた土地に宅地が造成され,景観からその土地が脆弱である事が理解できなくなっている。そして,地域を理解しない新住民が水害脆弱地に居住し始め,水害を経験して初めて地域を理解するのが現状である。
 水害に脆弱な土地に居住する住民は,地域の水害をどのように認識しているのだろか。住民の水害の認識について,神通川左岸に位置する新興住宅街において行った聞き取り調査の結果と,富山市で2006年8月に公表・配布された富山市洪水ハザードマップ住民説明会における住民と行政の意見交換から,明らかにしたい。
 今後は,以上のことを踏まえ,地理学の立場にたった地域防災力向上策の検討を研究として行う予定である。


豊田市藤岡地区における戦後の森林植生変化
工藤邦史(名古屋大)

本研究の目的は里山での森林植生の変化とその背景について考察を行なうことである.対象地域の愛知県旧藤岡町(現在豊田市に合併)は気候の上では常緑広葉樹が優占するにもかかわらず,実際の森林の主体はマツと落葉広葉樹である.つまり本来の自然植生から退行した状態にある.そして戦後は禿げ山の存在という,更に植生が退行した状態にあった.この禿げ山を生じさせた大きな要因は当時町の主要産業であった窯業である.原料の露天掘りや燃料としての木材の採取によって植生が失われた.現在は窯業が衰退し,また燃料も電気・ガスへ置き換わったために,森林に対する干渉がなくなって植生遷移が進み,現在禿げ山はほとんど存在しない.したがって現在は自然植生からは相対的に植生が退行しているものの,このまま大規模な撹乱がない限りは藤岡の森はいずれ常緑広葉樹が主体となるといえる.しかしながら同じように植生遷移が進むといっても,戦後の時点で植生があったかどうかで現在の植生の状況も異なる.具体的には植生が失われていた場合は現在でもアカマツのみが生え,土壌の発達もままならない場所があるのに対し,植生が残っていた所では低木層にアラカシやヒサカキ,ヒイラギのように常緑広葉樹が進出している状況が散見される.
またこの植生の退行要因が伐採,窯業原料採掘によるものであるがゆえに,植生分化と森林所有は大きな関わりを持っている.特に瀬戸向けの薪炭材の多くは個人有ではなく,集落の共有林から伐出された.これは森林の所有関係と禿げ山の分布の関係からみても明らかである.さらに,禿げ山の出現地は多くが藤岡東部の木瀬川・犬伏川流域でかつ急傾斜地にあり,昭和47年の水害時に東部でより甚大な被害が出たことは森林植生の影響が少なからずあることが示唆される.




起源の異なる石英粒子の電子スピン共鳴(ESR)信号特性

 島田愛子(奈良女子大学)

平野や台地をつくる堆積物がどこから供給されたかは、およそ明らかな場合もあるが、細粒堆積物などの場合、それを推定するのが難しい場合も少なくない。そこで、石英粒子の電子スピン共鳴(ESR:Electron Spin Resonance)信号を用いた堆積物粒子の供給起源推定に関する基礎研究を行った。
本研究では、まず、琵琶湖周辺の花崗岩体や伊豆諸島神津島の流紋岩、京阪奈丘陵周辺に分布する第三系・第四系・現河床堆積物などから採取した各種の試料から石英を抽出した。そして、抽出した石英粒子に約2.5kGyのγ線を照射し、ESR信号測定の試料とした。ESR測定は、日本電子製のJES-TE100電子スピン共鳴装置を用いた。
これまでにも、堆積物に含まれる石英粒子のESR信号から、風成塵の供給起源地推定が試みられてきた(成瀬ほか、1996;成瀬・小野ほか、1997)。しかし、一つのESR信号のみを用いる方法では、詳細な供給起源の推定が難しい場合も少なくない。これまでの研究では、第四紀、古第三紀~白亜紀といった大まかな年代別にE1’中心信号強度が異なることが明らかにされている(Toyoda.et.al,2002)。しかし、これをさらに細分することができれば、堆積物に含まれる石英粒子の供給起源をより詳細に識別することができるであろう。そこで本研究では、その識別に有効な他のESR信号についても検討を加えた。その結果、E1’中心信号以外にも、Al中心、Ti-Li中心信号が供給起源の識別に有効であるとの見通しが得られた。


Reference
成瀬敏郎・柳精司・河野日出夫・池谷元伺(1996):電子スピン共鳴(ESR)による中国・韓国・日本の風成塵起源石英の同定. 第四紀研究,35,25-34.
成瀬敏郎・小野有五・平川一臣・岡下松生・池谷元伺(1997):電子スピン共鳴(ESR)による東アジア風成塵石英の産地同定―アイソトープステージ2の卓越風復元への試み―. 地理学評論, 70,15-27.
Toyoda and Naruse (2002) Eolian Dust from Asia Deserts to Japanese Island since the last Glacial Maximum: the Basis for the ESR Method, Japan Geomorphological union, 23-5, 811-820.


地方都市における都心回帰-金沢市を事例として-
田中悠(金沢大)

東京では1990年代後半にこれまで居住人口の減少が続いていた都心部への人口回帰現象が報告されている.地方都市においても郊外化の進行により都心部の空洞化が進行したが,最近では人口の都心回帰の兆候も見られる.そこで,本研究では地方都市における都心部への人口流入の実態について明らかにする.転入者の属性を明らかにするために,1995年以降に金沢市都心部へ流入してきた世帯について,①世帯構成と社会経済的属性に着目してその特性を明らかにし,②世帯類型別に前住地と前住地からの転出理由を把握した上で,居住地として都心部が選択された理由を明らかにする.さらに,③世帯構成と都心居住に対する志向性に関して考察を加える.
金沢市では,都心部では人口の減少を続けていたが2004年度に都心部への転入者数が転出者数を上回った.そこで,金沢市都心部への流入人口の特徴を明らかにするために,1995年以降に金沢市の都心部へ転入した全世帯(4338世帯)を対象にアンケート調査を行った.
転入世帯のうち単身世帯と夫婦のみ世帯で63.3%を占め世帯規模の小さい世帯の転入が目立つ.単身世帯では各年齢層が比較的均等に転入しているが,夫婦のみ世帯では60歳以上(41.5%),核家族世帯では末子6歳以下(48.7%)の世帯の転入が目立つ.また,転入世帯の世帯主は社会的・経済的地位が高い傾向にある.
転入世帯の前住地からの転出理由は「県外」からの転入者で就職・転勤が大半を占め,「県内」「市内」からの転入者は世帯タイプの違いにより転入理由にも差異がみられた.また,都心部への転入理由としては都心の利便性がもっとも重視されていた.高齢層の世帯では,「市内」「県外」の戸建てから都心の持ち家集合住宅に移動するパターンが目立つ.
定住意識は若年層や中高年層では,今後世帯構成や就業状況が変化経験する可能性があるため低く,高齢層は他の世帯に比べ定住意識が高い.
高齢者が増加し続け都心部のマンション建設が活発化している現状を踏まえると,高齢者の転入により一層都心部の高齢化が進行する可能性が考えられる.


中国甘粛省にみられるカレーズ様の地下式灌漑水路

渡邊三津子1・井上充幸1・中尾正義1・相馬秀廣2
1 総合地球環境学研究所,2 奈良女子大学

はじめに
 カレーズは,乾燥地域に分布する地下水を利用した伝統的な地下式灌漑水路である。イランではカナート,北アフリカではフォガラ,アフガニスタンやパキスタンではカレーズ,中国では坎儿井(Kanerjing)と呼称される。一般的に,山麓扇状地の扇端付近に分布し,その形状は基本的に共通している。カレーズは,横井戸の掘削や補修の際に土砂を地表に出すための竪穴(シャフト)と水が流れる地下水路によって構成される。竪穴と地下水路を開削した際の土砂は竪穴周囲に盛り上げられ,“モグラ塚”のような形状を呈する。個々の“モグラ塚”は,高解像度の衛星画像・衛星写真上で,個々の点として判読される。
ところで,中国明・清代の文書には,河西回廊地域にカレーズ様の地下式灌漑水路が存在することが記述されている。そこで,本研究では甘粛省の張掖から酒泉にかけての祁連山脈北麓地域を対象として,カレーズ様の地下式灌漑水路について,CORONA衛星写真(最大解像度約3m)および衛星画像(同25m)の判読を実施し,併せて,現地観察を行った。以下,その結果について報告する。
1. 河西回廊の地下式灌漑水路の特徴
(1) 地下式灌漑水路のタイプ: 2006年7月29日~同8月6日に行った現地調査の結果,本地域に分布する地下式灌漑水路の構造は地下水路と竪穴からなる“竪穴式”と,地下水路とこれに直行する水平のトンネルからなる“横穴式”2タイプに分類されることがわかった。
(2) 水源: 本地域の地下式灌漑水路の暗渠は河川に接続して河川水を灌漑地に導水しており,地下水を水源とするカレーズとは異なる。
(3) 立地条件: 祁連山脈北麓には,洪水河,馬営河,黒河などの河川が開析扇状地を形成している。CORONA衛星写真(撮影年)の判読によれば,地下式灌漑水路はこれらの開析扇状地扇頂部付近に分布する。既述のような一般的なカレーズの立地条件とは基本的に異なっている。また,それらの扇面では,現河床からの比高が大きいために,通常の地表灌漑が極めて難しい地域に建設されている。
3. 地下式灌漑水路の継続的な利用
CORONA衛星写真から抽出された地下式灌漑水路は,位置的には,歴史文書の灌漑施設とほぼ一致していた。また,現地調査で採取した,地下水路建設年代を示すと考えられる地下水路壁面に塗りこめられた藁の14C年代と暦年補正年代は120±20 yrBP(1800-1940CalAD),75±20 yrBP(1810-1920CalAD)であった。酒泉南方の洪水河左岸側の場合,1987年5月18日観測のLandsat TM画像では,CORONA衛星写真とほぼ同じ地域に大規模な地下式灌漑施設が建設されていた。また,2006年8月-9月に実施した現地調査において,当該地下式灌漑水路が現在利用されていることが確認された。
これらのことから,地下式灌漑水路は,少なくとも明代以降,ほぼ同じ地域で継続的に利用されてきた可能性が高いことが判明した。

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最終更新:2006年11月07日 10:07
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