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用語集/人名 - (2011/05/23 (月) 10:58:31) の編集履歴(バックアップ)


人名

天野 喜孝(あまの よしたか)

 イラストレーター。『ファイナルファンタジーシリーズ』のキャラクターデザイン・イメージヴィジュアル・タイトルロゴを手がけている。
 幻想的な作風はFFの方向性を定めたといっていい。特に初期FFはモンスターデザインもしていたこともあって天野色が強い。シリーズを経るごとに天野絵は前面に出なくなっていったが、タイトルロゴとイメージヴィジュアルは最新作のXIVまで健在である。
 天野絵をドット再現するのは難しかったのか、FF5のバッツなどゲーム中グラフィックとかけ離れたデザインも多く(特に躊躇なのはディシディア ファイナルファンタジー)、リメイクやリファインに悩まされることも多い。

飯島 多紀哉(いいじま たきや)

 シナリオライター、小説家。旧ペンネームは飯島健男。通称「メシジマ」
 『ラストハルマゲドン』『ONI』『BURAI』『学校であった怖い話』など多くの名作を手がけたゲームクリエイターであった。
 全般的に話は重く、複雑なシナリオを得意としている風があり、隠れてはいるが良作を数多く作り上げていた。
 しかし、今の彼の名前は 『四八(仮)』『ONI零 戦国乱世百花繚乱』『Apathy 鳴神学園都市伝説探偵局』とクソゲー三冠王を生み出してから、クソゲーまとめに乗っている方が有名である。
 この三作品発表後から結構時は経つが、未だに彼の巻き返しは見られない。

池田 恒基(いけだ つねき)

 愛称はIKD。シューティングゲームメーカーの雄として鳴らした東亜プランの社員であったが、同社倒産後にその気風を受け継ぐ会社ケイブを設立する。
 ケイブのチーフプログラマーとして活躍し、『怒首領蜂』で同社と自らの名をとどろかせ、その後も『怒首領蜂大往生』『ケツイ~絆地獄たち』『虫姫さま』などの数々の名(迷?)作弾幕シューティングを生み出している。2010年現在は取締役でありながらなお開発の第一線にあり、たぶんケイブで一番忙しい人。
 現在のアーケードシューティング業界をリードしている人物の一人。シューティングゲームに対する考え方は保守的で、基本的に戦車とヘリコプターが大好きの模様。
 SFモノの怒首領蜂でもヘリを飛ばし、和風ホラーの『ぐわんげ』でも木製戦車を走らせる。
 一方でその言語感覚には独特のものがあり、「光翼型近接支援残酷戦闘機」「必ず死なす」など、ハッタリを利かせているつもりでもなんか笑えるフレーズを多く生み出している。
 近年は『大往生』や『ケツイ』などで発生した難易度インフレを反省し、抑えたゲームを作る一方で「人類に挑戦してみようかと…」「自己責任でお願いします」と言いつつ、同じゲームに天井知らずの高難易度モードを実装することが多い。

伊藤 賢治(いとう けんじ)

 イトケンの略称でも親しまれている作曲家。代表作はサガシリーズ。『サガフロンティア』までの顔となった。
 主にHMやプログレ等、ロックの影響を色濃く受けた烈しい戦闘曲が人気を集め、同人CD等でのアレンジも数多い。
 ニコニコ動画でも彼の戦闘曲メドレーは非常に人気があり、他の作曲家の楽曲をイトケン風にアレンジした、という動画も数多く投稿されている。『ファイナルファンタジーIV』や『ファイナルファンタジーV』にも関与しており、そこでは効果音を務めている。えもいわれぬバイオのシンセ音と騎士剣の涼しげな金属音が好評。

伊藤 裕之(いとう ひろゆき)

 『ファイナルファンタジーシリーズ』におけるATBを発明した人物。
 やりこみを視野に入れたゲームバランスが特徴で、FFシリーズでよくある「ボス戦で経験値等が貰えない」のは彼の「ボス戦はプレイヤーを試すテスト」という思想によるところが大きい。
 ATBの他にFF5のジョブ・アビリティシステム、FF8のジャンクションシステムおよびカードゲーム、FF12のADB・ライセンス・ガンビットなどを開発した。
 ゲーム内テキストや作詞も手がけている。コミカルな作風が特徴で、有名なFF4の「いいですとも!」も伊藤氏によるものである。

いのまた むつみ

 元アニメーターで現在はイラストレーター。愛称はむっち。
 繊細かつ可憐なタッチで今も昔も多くのファンに支持されている。ゲーム業界ではテイルズオブシリーズのキャラデザとして有名だが、ハードカバー・文庫版の小説ドラゴンクエスト全シリーズにて挿絵を担当し、小説ならではの世界観の構築に大きな役割を果たしている。
 少年漫画を地でいく鳥山明とはあまりにもタッチが違ったこともあり「ドラクエじゃねえ」「こっちの方が良い」などいろいろと物議も醸したが、概ね好評だったよう。しかし、新たに発行された新書版では挿絵は別絵師のものに差し替えられている。
 これ以外のゲームへの関わりとしては、パソコンゲーム誌『テクノポリス』(徳間書店・休刊)の表紙やパソコンゲーム『アルファ』(86年、スクウェア)のパッケージイラストを手がけている。

植松 伸夫(うえまつ のぶお)

 『ファイナルファンタジーシリーズ』の音楽を手がける作曲家。愛称「ノビヨ」。現「有限会社スマイルプリーズ」代表。
 坂口博信氏に説得されてスクウェアに入社して参加したFFIでは、ファミコン音源でメロディアスなBGMを表現し、プレイヤーを魅了した。
 その後、天野とともにFFの顔として活躍、「愛のテーマ」「ビックブリッヂの死闘」「片翼の天使」「Eyes on me」などの名曲を多く産み出すが、FFXを契機に単独作曲ではなくなり、FFXIIやFFXIIIではほとんど絡まなかった。
 スクエニ退社後はミストウォーカーのゲームやアニメ『グイン・サーガ』の劇判音楽などを手がけ、後にFFXIVで久々にFFシリーズに復帰した。

遠藤 嘉一(えんどう かいち)

 故人。日本アミューズメント業界(AM業界)の先駆者にて技術者。日本遊具機械の父であり、ゲームの歴史をたどる上で彼の存在を欠かす事はできない。
 1922年にわけあってコンドームの自動販売機を作ったところ売り上げが増加。これは後のガチャポンの原型となる。これをキッカケに多くの自動販売機を製作した後、28年に日本自動娯楽機製作所(現ニチゴ)を設立。ピンボールやエレメカのような機器から遊園地の巨大遊具まで、さまざまなAM機を開発製造した。
 2001年に102歳で老衰により死去。

小倉 久佳(おぐら ひさよし)

 通称OGR。作曲家。
 1983年にタイトーを入社。影の伝説、『奇々怪界』やダライアスシリーズで一躍脚光を浴びる事になる。
 同社サウンドチームZUNTATAに所属し、80~90年代タイトー作品の楽曲を支えてきた。独自の哲学や思考を取り入れた楽曲は多くの熱狂的ファンを生み出した一方、あまりにも強い個性の小倉がいたためか彼以外のZUNTATAメンバーの評価が低くなると言う不思議現象が起きるほど。
 2007年に退社、現在はフリーで活動している。

小島 秀夫(こじま ひでお)

 ゲームデザイナー。コンマイの小島・MGの小島。
 元々映画作家を目指していたが、『イーアルカンフー』を出していたコナミに興味を持って入社。MSX部門に配属され、ハード制約の関係から弾丸を殆ど出さずにすむゲームとしてメタルギアを製作。その後、元来の映画好きを生かし「スナッチャー」や「ポリスノーツ」等、映画の風を取り込んだゲームを製作していった。
 メタルギアシリーズ・Z.O.Eを手がけ、2001年暮のニューズウィークに「未来を切り開く10人」に選ばれた。
 彼の手がける作品は濃厚な世界観と咽返るような雰囲気を持ち、映画的演出を多く取り入れる傾向にある。これは「その世界観を理解しなければ訳がわからないゲームが多い」という意味でもある。
 本人もそれを知ってか、「解る人だけついてくればいい」とライトユーザーを突き放すような物言いが多い。

坂口 博信(さかぐち ひろのぶ)

 『ファイナルファンタジーシリーズ』の産みの親。現ミストウォーカー代表。
 FFI~IXまでに関わり、スクウェア黄金期を築き上げた。彼のストーリーテリングの特徴として「自己犠牲」「死を乗り越える」「大きな魂」などがあり、FFII・FFIII・FFIV・FFVII・FFIXなどのFFシリーズのみならず、退社後に製作したロストオデッセイ・ASHなどでも顕著である。
 その反面、映画の失敗によってスクウェアを大きく傾けたり、小島秀夫と同じく「ムービーゲー」化の要因を作ってしまったりとその功罪も大きい。また、ストーリーも「同じような内容を繰り返している」と批判されることもある。
 良くも悪くも、ゲーム業界全体に多大な影響を与えた人物の1人といえるだろう。

崎元 仁(さきもと ひとし)

 作曲家。80年代後半、同人シューティングゲーム『REVOLTER』のサウンド(岩田匡冶氏との合作)が高く評価され、フリーのゲーム音楽作曲家として活動を始める。
 『伝説のオウガバトル』『タクティクスオウガ』『ファイナルファンタジータクティクス』(いずれも岩田匡冶氏との合作)のサウンドでその地位を確立するが、他にもシューティング、アクション、RPGなど幅広いジャンルで数多くの作品を手掛け、いずれも高い評価を得る。しかし、オウガでは「明るさの限界を突破」「発酵女」、紅蓮隊では「突撃秋嵩君」のような趣旨の分からない曲名をつける傾向がある模様。
 オーケストラ調の重厚なサウンドが特徴的だが、テクノやトランスを交えた作品も多い。
 一時期はスクウェアに所属していたことがあり、社員としては『ベイグラントストーリー』を手掛ける。
 その後は再びフリーとなり、『ファイナルファンタジーXII』『戦場のヴァルキュリア』などに関わるが、近年は自ら設立した会社ベイシスケイプに所属する他作曲家との共同制作が多い(『オプーナ』『朧村正』など)
 また、サウンドプログラマーとしても活躍しており、『ドラゴンクエストVI』、『ドラゴンクエストIII』(いずれもSFC版)などに編曲、プログラミングとして関わっている。

桜井 政博(さくらい まさひろ)

 ゲームデザイナー。ハル研究所出身。『星のカービィ』『大乱闘スマッシュブラザーズ』の生みの親として知られる。
 学生時代から大量のゲームを買いこんでは研究を重ねており、その習慣を現在まで続けている、文字通りゲームを作るために業界の門を叩いた人物。
 そうした研究によって培われた独自の視点により、既存のジャンルに斬新なシステムを入れつつも元のジャンルの面白さを括り出し、簡単な操作と巧みなバランスで初心者にも上級者にも楽しめる万人受けを目指すというゲームデザインを持ち味としている。
 これまでに作ったゲームは『星のカービィ』(横スクロールアクション)『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(対戦型アクション)『カービィのエアライド』(レース)『メテオス』(落ちものパズル)など。現在は『新・光神話 パルテナの鏡』(TPS)を製作中。
 人物面では、童顔ゆえのゲームクリエイターの中では比較的端正な顔立ちと、それとギャップのある渋い低音な声、簡単な言葉を用いた分かりやすい文章などが特徴。
 その渋い声を生かしてか、一部のカービィシリーズやスマブラXではなんと氏自らがデデデ大王の声優を演じていたりする。
 現任天堂社長の岩田聡はハル研究所時代の上司で、経営難に陥っていたハル研究所が桜井の作った「星のカービィ」のヒットで持ち直したことから、現在まで岩田は桜井に全幅の信頼を寄せている。
余談になるが、とあるファンが彼の画像を年代順に並べてみたところ年を経る毎に若返っているようにしか見えないというちょっとしたホラーな事実が判明した。

桜庭 統(さくらば もとい)

 作曲家。スターオーシャンやテイルズシリーズの音楽を手がけた事で有名。名前の読みづらさでも有名。
 ジャズやロック、オーケストラなどの様々なジャンルの音楽を得意としている。特に戦闘曲やダンジョン曲で評価が高く、ハイテンポでインパクトの強いメロディーが多い。
 変拍子が多用されているなどで、非常に複雑なつくりの曲も多く、演奏者やアレンジを手がける別の作曲家からは「演奏し難い」「作り難い」という意見も少なくない。にもかかわらず様々な音楽サイトで彼の曲のアレンジが聞ける事等から、その人気の高さが窺い知れる。
 また作曲速度が異様に速いという特徴があり、ピアノの即興曲なら10分、複雑な曲でも一日あれば作れると語っている。
 そのせいか、近年は脅威の4作品掛け持ちという離れ業を披露している。ただしその弊害か、氏のファンからは「曲のクオリティが劣化している」など厳しい意見を言われるようになってしまっている。

下村 陽子(しもむら ようこ)

 2010年現在、フリーで活躍しているゲーム音楽作曲家。
 元々カプコンサウンドチームALPH LYLAに属しており、『ストリートファイターII』の作曲を手掛けたことで一気に知名度を上げる。
 その後スクウェアに移り、『ライブ・ア・ライブ』『フロントミッション』『スーパーマリオRPG』『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』『キングダムハーツ?』など多くの名作、大作の音楽を担当。フリー以降はキングダムハーツシリーズ、マリオ&ルイージRPGシリーズ、『ゼノブレイド』などを手掛けている。
 シーンによって世界の色がころころ変わるLALやKH、ストIIなどを手掛けていることからわかるとおり、いかなる世界観にも対応できる曲幅の広さがある。
 また、作曲者が女性とは思えないほど熱く哀愁深いバトルミュージックを作るのが特徴。その旋律はファンから「下村節」と呼ばれ、本人も自らの音楽を「直情型」と評している。
 ブログを開設しており、ユーモア溢れる発言やオープンな性格から人柄の面でも人気が高い。

森気楼(しんきろう)

 元SNK、現カプコン所属のイラストレーター。ペンネームは蜃気楼のようなボーっとした性格に由来しており、SNKがゲーム会社であると知らずに入社したと言われている。
 SNK在籍時は『餓狼伝説』、『龍虎の拳』、『サムライスピリッツ』、『THE KING OF FIGHTERS』、『月華の剣士』、『メタルスラッグ』など主要シリーズのほとんどに携わり、同社の看板絵師として名を馳せる。
 2000年にデザイン室を通じて交流のあったカプコンへ移籍し、『CAPCOM VS. SNK 2』、『バイオハザード』派生作、『タツノコ VS. CAPCOM』などのイラストやカバーアートを担当。
 アメコミテイストの写実的で陰影の濃い人物描写が持ち味。キャラクターの特徴を的確に表現しながらも自己主張しすぎず、見る者に想像の余地を残す独特の絵柄はゲームのイメージイラストのお手本と言われ、退社した現在も「SNKといえば森気楼」というイメージを持つファンが多い。
 海外でも評価が高く、本場のアメコミ関連の仕事をこなしている他、『MARVEL VS. CAPCOM 3』でもメインイラストレーターに抜擢された。
 イラストを描くスピードはかなり速く、『CAPCOM VS. SNK』のインタビューで当時カプコンの社員だった西村キヌが脱帽するほどであった。
 絵を目にする機会に比して森気楼本人が公の場に顔を出すことは皆無と言っていいほどなく、活動や来歴に謎が多い人物でもある。
 弟子にSNKプレイモア作品のイラストを描いているおぐらえいすけ、ヒロアキがいる。

すぎやまこういち(椙山 浩一)

 作曲家、フリーディレクター。『ドラゴンクエストシリーズ』の作曲で有名。
 非常にゲーム好きであり、旧エニックスのパソコン版『森田将棋』に向けて書いたものの放置し、家族が代わりに送ったアンケート葉書がメーカーの目に留まり、『ウイングマン2 -キータクラーの復活-』を作曲する事になった事がある
 『ドラゴンクエスト』の曲を担当する事になる際には、プログラマー・中村光一が難色を示したものの、2人が面会すると、すぎやまが非常にゲームがわかる人物だということで承諾となった経緯がある(因みにかなり後に「征服王」というダイスを使ったウォーシミレーション番組において中村と一緒にタッグで参戦している)。ゲーム中のBGMに対しては非常にうるさく、BGMがゲームに合わない場合は消音して別の曲を聴きながらプレイするほどである。
 現在では色々な意味で衰退している「日本レコード大賞」において、1988年に『交響組曲ドラゴンクエスト I・II・III』が 「特別企画賞 新しい子供達の音楽のために」 を受賞している。VとVIIIには彼が主人公につけている名前である「すぎやん」という名前の仲間モンスターも存在(V…ヘルバトラー3匹目、VIII…ドラキー3匹目)し、語感のよさからそのまま彼自身のニックネームにもなっている。  『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』にいたってはテストプレイで200時間、Vジャンプでも発売前に、すぎやまのテストプレイキャラクター『ナイン』を紹介。発売後には『すぎまろ』『すぎやん』の2キャラまで作成している。
 ちなみに元東京都知事・故、青島幸男とは中学からの幼馴染。また、2ちゃんねらーであることも公の場で明らかにしており、あまり叩かれる事は無いが右翼的な発言・音楽著作権問題での強い著作権重視発言には評価が大きく分かれている。

鈴木 裕(すずき ゆう)

 セガの名物ゲームクリエイター(だった人)。
 製作するゲームは美麗なグラフィックによる3D表現を行った『ハングオン』『スペースハリアー』、
 スプライトの重ね合わせによって背景などの様々な演出を表現した『アウトラン』『アフターバーナー』『パワードリフト』、
 ポリゴンを使った『バーチャレーシング』『バーチャファイター』など、技術的ブレイクスルーによる最先端のハードに頼ったゲームデザインが特徴で、
 時代と共に価値が薄れ色褪せていく弱点はあるが、当時のプレイヤーにとっては記憶を鮮烈に焼き付けるものであり、「時代を先取りするセガ」の象徴的存在であった。
 最後に大きく関わったゲームは家庭用ゲーム機の性能が高性能化し、業務用に追いつき始めた頃に作られた『シェンムー』。ギネスに載るほどの莫大な制作費をかけたため、悪い意味でセガの命運を決定付けたゲームであったが、根強いファンを多く産み、またシェンムーのようなスタイルが後年大きな評価を受け、超大作のジャンルとして定着していく。
 一方で黒い噂も多い人で、現在では色を失いすっかり忘れ去られてしまったが、その功績は大きい。

高橋名人(たかはしめいじん)

 ご存知、「ファミコン名人」。本名は「高橋利幸」だが、こちらの呼び名が一般的である。
 いわゆるファミコンブーム時代に所属するソフト会社、ハドソンの広告塔として活躍する事に。秒間16連射であっというまに有名となり、当時の子供達のカリスマとなった。
 高橋名人をその名を轟かせた16連射で有名なゲームは『スターソルジャー』が挙げられる。このゲームを使った全国キャラバンも開かれ、スターソルジャーの人気拡大にも大きく貢献した。
 余談だがこの16連射、一時期「コントローラーにバネを仕込んでいる」という噂が流れ、それに対して実際にバネを仕込んだコントローラーで実演して見せた。結果は「バネのせいで余計押し辛くて連射できない」というものであった。(間に異物を挟めば押しづらくなるのは当たり前である。しかもバネは反発する。)また、シュウォッチで計測したところ実際は秒間17~18連射だったという逸話も。
 連射のわずらわしさから連射機能搭載のコントローラーを開発したり、ゲーム開発にも一枚かんでいたりとゲームデザイナーとしても活躍しており、ただの客寄せパンダでは無い確かな能力を見る事ができる。
 PTAからの無言のプレッシャー、業界の後の事を考えて言った「ゲームは1日1時間」はあまりにも有名。なお、この発言を取り上げる際、彼が主役となった『高橋名人の冒険島』がとても1時間ではクリア出来ないと言う事を良く言われたりもする。
 なお、本人をモデルとした『高橋名人の冒険島』シリーズでは茄子がマイナスアイテムになっているが、実際は嫌いでも何でもない。むしろ浅漬けが好きだそうである。
 また元々、社内でもそのキャラクターで親しまれており、パソコン用アドベンチャーゲームに登場させられたりもしていた。かつてはプレゼンターとしてハドソン及び関連会社ゲームを紹介したりする『名人』という役職についていたが2011年5月31日付でハドソンを退社することを自身のブログにて明かした。

田中 弘道(たなか ひろみち)

 FF黎明期を支えた人物で、FFIIIやFFXI・XIV、聖剣伝説2、ゼノギアス、デュープリズムなどに大きく関わる。愛称「ひろみちお兄さん」。
 FFXI初期~プロマシアはジョブ差別や延命措置の多さ、プロマシアミッションのあまりの高難度、「ジラートで新しい狩場を増やしたからソロ不可能な問題は回避した」などのとんちんかんな発言から批判の的になることが多かったが、アトルガンの秘宝発売後に再評価の機運が高まる。
 近年ではファイナルファンタジーIII (DS)サガ2秘宝伝説 GODDESS OF DESTINYなども手がけ、好評となるも、FFXIVの不評を受けてプロデューサーから退任した。

多和田 吏(たわだ つかさ)

 作曲家。古くは『ラジカルボンバー 地雷くん』や『伊賀忍者伝 五神の書』等のジャレコゲームを担当。
 『妖精物語ロッドランド』や『E.D.F.』、『SFCドラゴンクエストIII』を手がけている。
 2002年に任天堂セカンドパーティーであるジニアス・ソノリティを設立し取締役に就任、『ポケモントローゼ』や『ポケモンバトルコロシアム』のBGMを担当している。
 コンセプトは誰得ゲー・内容はお使いゲーの『イーハトーヴォ物語』を有名にしたのは、何より彼の手がけた音楽によるところが大きい。ヒーリングミュージックの評価が特に高いが、激しい曲調もこなせる万能の作曲家である。
 現在はフリーになり、海外を拠点に作曲活動している。

豊田 淳(とよだ じゅん)

 かつてテイルズに関わっていた人。
 担当作品はファンタジア、PS版デスティニー、エターニア、レジェンディアと吉積信が手をつけていないゲームばかり。
 吉積は色々と問題のある人物であるため、古参のファンは豊田氏を好意的に見ることが多い。

ナーシャ・ジベリ

 イラン出身のプログラマー。
 スクウェアに入社し『ファイナルファンタジーIII』『聖剣伝説2』等を手がけている。
 電話越しに何も見ずにバグの修正コードを指示したり、バグを逆利用した高速スクロールをして見せたりと、その手腕は天才的。
 「FFIIIが移殖されないのはナーシャの作ったソースがわけわからないから」などという都市伝説級の噂まで出るほど。(事実関係は不明)
 一方で極端に脆弱で繊細らしく、FFIIIアイテム増殖バグや聖剣2ボスバグ等、プログラムの脆弱性をついた操作を行なうとフリーズしたりオーバーフローしたりする欠点がある。
 聖剣伝説2以降スクウェアを退社、ゲームとは無縁の日々を送っているとされている。

並木 学(なみき まなぶ)

 ゲームミュージックの作曲家。NMK入社時三人目のサウンド担当だったため「三太郎」と呼ばれ、さんたるる名義で活躍する事も。
 テクノサウンドを得意とし、特にシューターから絶大な支持を得ている。というのも、高難易度シューティングで有名なNMKに作曲家として入って以降、シューティングゲームの曲を多く手がけているから。
 NMKがゲーム開発から撤退してからはライジングで『バトルガレッガ』の曲を担当。その後崎元仁、岩田匡治と共にベイシスケイプを設立。会社丸ごとではあるが事実上フリーで活躍している。
 彼の手がけた曲が使われている有名ゲームは『湾岸戦争』『バトルガレッガ』『虫姫さま』とシューティングが多いが、別にシューティング専門と言う訳ではなく、『Doki x Dokiさせて!!』『デ・ジ・キャラットでじこミュニケーション』『救急救命 カドゥケウス2』等も手がけている。
 作曲家として名高い彼だが、実は初仕事はレゾンのグラフィッカーだったという。

野島 一成(のじま かずしげ)

 ゲームシナリオライター。現在は有限会社ステラヴィスタ代表。
 かつてドラクエもどきの凡作とみられていたヘラクレスの栄光シリーズのIIIのシナリオを手掛け、その衝撃的な内容、高い完成度から注目を浴びる。
 スクウェアに移った後に『ファイナルファンタジーVII』のシナリオを手掛け、大ヒットさせるという功績を上げる。
 2003年10月30日にスクエニを退社し、ステラヴィスタを立ち上げた。
 総じて評価の高いシナリオが多いがどういうわけかクロスオーバーもののシナリオはあまりいい評価を得ていないことが多い。

野村 哲也(のむら てつや)

 スクウェア・エニックス所属のゲームデザイナー・イラストレーター。
 初期の頃は『ファイナルファンタジーV』『ファイナルファンタジーVI』でモンスターデザインを行っていた。
 『ファイナルファンタジーVII』からは天野喜孝の後をついで後を継いでキャラクターデザインに就任。
 2002年、ディズニーとファイナルファンタジーのコラボ作『キングダムハーツ』でディレクターを勤める。
 その後も、自身が関わった『キングダムハーツII』『武蔵伝II ブレイドマスター』などは問題作として扱われやすいが、現在では『すばらしきこのせかい』『ディシディア ファイナルファンタジー』など良作もしくは名作と誉れ高いゲームに関わり続けており、今に至っている。

広井 王子(ひろい おうじ)

 作家。クリエイター集団レッド・エンタテインメント(旧レッドカンパニー)の総帥。
 ゲームでは『天外魔境』シリーズや、『サクラ大戦』シリーズ、アニメでは『魔神英雄伝ワタル』、『魔動王(マドーキング)グランゾート』、果ては特撮『魔弾戦記リュウケンドー』の原作まで手がける。以前ほど目立たないが現在も精力的に活動しており、「週刊ファミ通」で小説を連載中。自分の作品で作詞をすることもあるが、大抵の場合、これが恥ずかしいくらいド直球なアニソンであったりする。
 『天外魔境』ではDQ・FFとは別の意味でRPGのスタンダードを形作り、『サクラ大戦』ではADVの新しい形を提示するなど、革新的な作品で知られる。また、「微妙に違う歴史を歩んだ」世界を舞台にすることが多い。
 月刊PCエンジンでコラムを書いていたことがあり、PC-FXが出始めた頃は過去の天外シリーズの思い出などを話したりもしていた。この中で、天外魔境ZIRIAの企画書が、カンパニー引っ越し時に紛失したため当時と同じモノが作り出せないと嘆いていたことがあるが、これはおそらく、PCEの頃に容量が足りず、削ってしまったイベントなどを追加した天外魔境ZIRIAが制作できないと言うことを指しているのだと思われる。
 また、そのコラム中で語った『天外魔境』をPCEで作ることに決めたエピソードがちょっとぶっ飛んでいて「天外魔境をどのハードで出そうかと迷っていたときにハドソンからのオファーを受け、同社の社長と話をした。その時、話をした場所がホテルのプールサイドであったため、悪戯心が芽生え当時のハドソンの社長をプールに突き落とした」というもの。広井自身は「これで怒るようなら、この話は無しにしよう」と考えていたとのこと。結果、ハドソンの社長にはその行動がむしろ大受けし、制作を受諾したという。
 また、「『サクラ大戦』がギャルゲーとなったのは、夢がきっかけ」とするなど、変わった発言が多いことも彼の特徴である。

藤沢 勉(ふじさわ つとむ)

 UPLの名物プロデューサー&作曲者&ゲームデザイナー。
 『忍者くん魔城の冒険?』『以降ぺんぎんくんWARS』『忍者くん阿修羅の章?』『宇宙戦艦ゴモラ』などを手がけてきた。
 ラインナップを見ると戦略性やアルゴリズムなどに長け、かつ作曲能力も高かったようでBGMの評価が高い作品が多い。
 一方でゲームバランスの調整には無頓着だったのか、彼が手がけた作品は彼の地位が上がるにつれ難易度が悪化していった。
 UPL倒産以降、ソフトハウス「スカラベ」を設立しゲーム製作を続けていたが、1998年に他界。
 彼が最後に関わったとされる鋼鉄要塞シュトラールは彼の手がけたゲームラインナップ同様、斬新なアイデアの元、画期的なシステムを搭載していたがゲームバランスはイマイチであった。

松野 泰己(まつの やすみ)

 元クエスト、元スクウェア・エニックスのゲームデザイナー。
 クエスト時代は『ファイアーエムブレム』に影響され『伝説のオウガバトル』、『タクティクスオウガ』といった名作シミュレーションRPGを手掛ける。
 スクウェア移籍後は『ファイナルファンタジータクティクス』、『ベイグラントストーリー』など、いわゆる「イヴァリース世界」に属する作品を次々に発表。
 独自の壮大な世界観の構築とゲームデザインを得意とし、マイナージャンルにすぎなかったSRPGをメジャーに押し上げた功績は高い評価を受けている。
 また氏の手掛けるゲームの特徴として、ドロドロとした生々しい人間関係、「ぼくにこの手を汚せというのか」「家畜に神はいないッ!」といった嫌でも印象に残る強烈な台詞回し、民族紛争や階級主義、宗教の醜い部分などをテーマにした現実主義的ストーリーテリングが挙げられる。
 鬱要素は少なくないので人を選ぶが、シナリオの深みとインパクトの強さは並々ならぬものがあり、熱狂的なファンが多い。
 『ファイナルファンタジーXII』の開発途中でスクウェア・エニックスを退社し、しばらくの間動向が不明となっていたが、タクティクスオウガのリメイク作『運命の輪』にて復帰したことが明言されている。

緑川 光(みどりかわ ひかる)

 男性声優。『スラムダンク』の流川楓や『新機動戦記ガンダムW』のヒイロ・ユイ役などで一世を風靡した。
 元々ゲームユーザーの割合が多い声優の中でも「筋金入り」として有名で、2ch掲示板住民にも『廃人』と呼ばれるほど。
 そのおかげか、家庭用ゲーム作品での出演数はとても多く、『電撃プレイステーション』でコラムを連載していたりする。
 特に『スーパーロボット大戦』シリーズはよく関わっており、2005年よりスーパーバイザーという肩書きを与えられている。またプレイする際にはヒイロ、マサキ・アンドーなど、自身が演じたキャラをとにかく優先して育て上げるそうである。この様子はスパロボ公式ブログ『スパログ』の彼の書き込みで見ることが出来る。
 『ファイアーエムブレム 紋章の謎』OVAで主人公・マルスを担当し『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズでも同役に抜擢されたが、『X』の時はオファーが無く「マルスは古い作品のキャラクターだから削られた」と凹んでいる逸話が電撃PlayStation 2008年3月28日号のコラムに存在している。

宮本 茂(みやもと しげる)

 現任天堂代表取締役専務。任天堂の看板タイトル『スーパーマリオ』や『ゼルダの伝説』などを作ったスゴイ人。
 ファミコン初期は「ミヤホン」の名でスタッフロールにクレジットされていたため、彼をミヤホンと呼ぶ人も。
 ゲームの腕や老若男女問わず購入したユーザー全てが満足できるようなゲームを目指しており、「万人向けを目指している」と答えている。
 スーパーファミコンのL・Rボタンやニンテンドウ64のアナログスティックは彼が提案したものであり、他社のハードにもこのアイデアは使用された。
 『メタルギア』の小島秀夫など、彼の影響をうけたゲームクリエイターは数知れず。まさにゲーム界のゴッドマンといえよう。
 また、マイケル・ジャクソンが彼のゲームのファンであったり、ポール・マッカートニーから食事に招待されたり、E3(世界最大のゲームの見本市「Electronic Entertainment Expo」の略)でスティーブン・スピルバーグと『Wii Sports』のテニスで対決したりしている。
 海外の雑誌『TIME』では、2007年度「今年世界に最も影響力のある100人」の中の一人に選ばれている。
 ゲームファンの間では開発中のゲームを「面白くない」の一言で一からやり直しさせる「ちゃぶ台返し」で有名。『星のカービィ』や『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『メトロイドプライム』などでちゃぶ台返しが行われた。
 マスコミが報じたゲーム脳については「自分の開発したゲームで実験してほしい」と反論しており、後の雑誌での「最近一番腹が立ったこと」についてマスコミの偏向性や在り方をあげている。

横井 軍平(よこい ぐんぺい)

 故人。任天堂を世界のゲーム会社に成長させた立役者の一人。おそらく「ゲームクリエイター」と呼ばれる日本で最初の人物。
 大学を卒業後任天堂に就職。しかし当時まだ花札やトランプのメーカーでしかなかった任天堂において、工学部卒の彼にさしたる仕事はなく、暇を持て余しておもちゃを作って遊んでいたところを社長の山内博に見つかる。山内は怒るどころか「それを商品化しろ」と命令。こうして生まれたのが『ウルトラハンド』であり、140万個を売り上げる人気玩具となった。これを受けて山内より商品開発課長の肩書を貰い、以降『ラブテスター』『光線銃』などのアイディア商品を多数世に送り出す。
 ある時電卓で暇つぶしをしているサラリーマンを見かけ、「電卓型のゲーム」のアイディアを発案。偶然が重なって、当時電卓用資材の在庫を大量に抱えて悩んでいたシャープの協力を得ることができ、世界初の携帯ゲーム機『ゲーム&ウォッチ』が生まれ、空前のヒットとなり、横井考案の「十字キー」は、以後のゲーム機のスタンダードとなる。この経験から横井の開発哲学 「枯れた技術の水平思考」 (ある分野で当たり前になっている技術を、全く別の分野に応用することで新しいものを生み出す)が生まれた。この時のノウハウをもとに後に『ゲームボーイ』を開発。また、かつての横井と同様、工業デザイナーとして入社しながらもこれといった仕事のなかった宮本茂を抜擢し、ゲーム&ウォッチの『ドンキーコング』の開発に据え、彼がゲーム制作の道を進むきっかけを作った。
 ハードデザイナーのイメージが強いが、『メトロイド』『ファミコン探偵倶楽部』『ファイアーエムブレム』などの名作ソフトを手掛けた人物でもある。しかし華々しい経歴の一方で、「 任天堂の赤歴史 」と揶揄される『バーチャルボーイ』を開発して大失敗した経験もある。とはいえ、今でもバーチャルボーイは任天堂公式ホームページで掲載されており、任天堂にとってけっして黒歴史な存在ではない。
 更に2010年、社長が訊く E3特別編 『ニンテンドー3DS』において、3Dのチャレンジに岩田聡と宮本茂が『バーチャルボーイ』を上げている。

+ 社長が訊く E3特別編 『ニンテンドー3DS』 その1

 彼のゲーム開発における「技術よりアイディアで勝負」「ゲームにはコミュニケーション性が重要」という主義は、現在の任天堂にも受け継がれている。その思想は『ゲーム批評』1998年1月号「追悼企画・横井軍平の時代を振り返る」で「業務用・マリオブラザーズ」で「下から叩いて」のアイディアは皆が考えた末の横井氏の発案だ、という記述からも伺える。
 「50を過ぎたら好きなことをやりたい」という抱負どおり、『ゲームボーイポケット』の開発を最後に54歳で任天堂を退社。株式会社コトを設立し、携帯ゲーム機『ワンダースワン』と、そのソフト『GUNPEY』を監修するなど精力的に活動していたが、独立からわずか1年で交通事故に巻き込まれ死去。稀代の「おもちゃの天才」は、56年の短い生涯に幕を下ろした。
 日本システムサプライの河村克己氏は、ある時、横井氏が「これからのゲームはゲームでなくなるかもしれない」という言葉を漏らしていたのを聞き、その真意を聞こうと思った矢先、横井氏が鬼籍に入ってしまい聞く事が出来なかったと言う。今のゲームの状況を見ると、かなり意味深な言葉とも言える。

吉田 明彦(よしだ あきひこ)

 スクウェア・エニックス所属のイラストレーター。元クエスト所属。
 『タクティクスオウガ』『ベイグラントストーリー』『ファイナルファンタジータクティクス』『ファイナルファンタジーIII (DS)』『ファイナルファンタジーXII』などのキャラクターデザインを担当している。
 いわゆる松野ゲーをデザイン面から支えていた人物であり、独特の素朴で淡い画風を特徴としている。ドッターとしての腕前もかなりのもので、タクティクスオウガではキャラの細かい動きまで再現して高く評価された。
 独特の幻想的な世界観から根強いファンがいる反面「動きがない」という批判もあるが本人は「ゲーム内での動きや見栄えを徹底的に検討したうえでデザインを完成させている」とインタビューで答えている。

吉田 健志(よしだ けんじ)

 ニチブツサウンドと呼ばれる日本物産ゲームの大半を手がけた作曲家。
 プロミュージシャンやCMサウンドの製作を経てニチブツに入社。ゲームミュージックとしては当時1ループが飛びぬけて長かった『COP 01』でデビューを果たす。
 その後STG史に名を残す『テラクレスタ』でニチブツサウンドを不動のものとした。当然ニチブツゲームしか手がけていないが、内半数を手がけているため、彼の曲が聞けるゲームの数は非常に多い。
 ニチブツのゲーム業界撤退にあわせてか退社、AjiStudioと言う個人スタジオを立ち上げている。