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【ぜるだのでんせつ ときのおかりな】
ジャンル | アクションアドベンチャー | ||
対応機種 | ニンテンドウ64 | ||
発売元 | 任天堂 | ||
開発元 | 任天堂、エスアールディー | ||
発売日 | 1998年11月21日 | ||
定価 | 7,140円 | ||
配信 |
バーチャルコンソール 2007年2月27日/1,200Wiiポイント |
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ゼルダの伝説シリーズ関連リンク |
任天堂が誇る謎解きアクションアドベンチャー『ゼルダの伝説』シリーズの一つ。
世界市場でシリーズ中最多販売本数を記録しているタイトルで、ROM版は国内で暫定114万本、グローバルワイドでは800万本弱を売り上げた。
とにかくクリエイター・ユーザー双方からの評価が高く、同社の『マリオブラザーズ』などと同様、ある意味神格化されていると言っても過言ではない作品。
日本のゲームメディア最大手のファミ通誌上クロスレビューで、史上初めて40点を獲得。『IGN』の識者によるゲームランクでも上位にランクインしている。
特に海外での人気が高く、海外のゲームランキングではノミネート対象に入ってさえいればかなりの確率でトップや上位をかっさらう。
大まかには「3Dになったゼルダ」。プレイヤーは主人公リンクを操作し、3Dの箱庭を冒険してストーリーを進める。
ストーリー展開は王道だが、ボリューム・システム・音楽・インターフェース・グラフィックなどゲーム内容のどこをとっても(当時の基準で言えば)隙が全く存在せず、総じて高次元にまとめて上手く料理しきっている。
いわゆる「箱庭3Dアクション」の根幹をほぼ完全に定義してしまった作品。様々な意欲的な提案を行い、それらは『キングダムハーツ』シリーズなどをはじめ多くの3Dアクションゲームが現在に至るまで模倣している。
「時オカ」が提案したシステムの中で最も模倣され、現在まで受け継がれているのは「Z注目システム」であろう。
当時、任天堂開発陣は『スーパーマリオ64』の開発において3Dアクションのノウハウを蓄積させていった。次に3Dゼルダを作る上で最大の問題となったのは「3Dのアクションゲームでは、そもそも敵に攻撃を当てる為にも細かい照準補正を必要とし、プレイヤーキャラを動かすのがとても難しい」という点であった。 その中で生まれたZ注目システムは対象となる物体をプレイヤーが任意にロックできるシステムで、確実に対象物に向かって移動できる操作性を実現した上に、カメラワークもセミオートで補正を計る為、対象が隠れることなく、敵との間合いの取りやすさと主人公の位置の認識を容易に出来るという利点があった。このシステムによって3Dアクションの難点とされていたカメラワークと操作性を解消したことで、3Dアクションゲームの操作性の礎として、本作以降の多くの3Dアクションゲームに類似したシステムが搭載されるなど、3Dアクションの基礎基本を完成させた。他にはアクションのある程度の自動化(ジャンプなど)も、操作感を快適にすることに一役買ったと言える。
同時代における3D箱庭アクションゲームという発想自体は、新興ジャンルとはいえ珍しくはなかった(同社の『マリオ64』がいい例である)。本作が傑出した評価を受けた所以は、カメラワークや入力に対する動きの速さなどが絶妙なバランスで調整された素晴らしいインターフェースにある(これは『ファミ通』レビューで浜村通信も絶賛している)。 今作の数ヶ月前に発売された『武蔵伝』を例に挙げると、そのプレイヤーキャラの動きやカメラワークはどちらかというと2Dアクションを踏襲した、古いタイプである(もちろん『武蔵伝』も名作であるが)。実際、今出ている3Dアクションゲームで『武蔵伝』のようなカメラワークと動きをとるゲームはあまりない。しかし『時のオカリナ』のそれは、プレイした事があるならば今現在のゲームの3Dアクションのほとんどに通じていることが分かるはず。まさに「一種の到達点」なのだ。
様々な演出の面でも本作はかなり計算しつくされたゲームである。当時の3Dポリゴンの描写力は現在のものに比べれば厳しいものがあった。容量や描画力の問題が大きく、制約が多かったのである。
最初のダンジョンをクリアしたのち、サリアに見送られ、ハイラル平原に出た瞬間の興奮を語るプレイヤーは多い。これはプロローグエリアを比較的狭い中で展開させ、いざ冒険!というところで一気に自由度を高めて放り出すことで、プレイヤーの期待感やわくわくを抱かせる演出として効果的である。
そしてそのハイラル平原は、実は案外狭い。狭いが、狭さを感じさせない工夫がこらされている。それは丘を多く配置した地形にすることにより、視界を遮り、プレイヤーの「今まさに冒険している感」を煽っているのである。
同時代の他の3Dゲームに比べ、こうしたプレイヤーの感覚を意識した演出が多いのが時のオカリナの特徴である。3Dの空間をどう生かしてプレイヤーにどう魅せるかを多分に考えてマップが作られているのが分かる。城下町なども実際よく考えてみるとかなり狭いわけだが、背景用のテクスチャを上手く使ったり、(最初はプレイヤーが存在しないと思っている)路地裏や登れるところを発見させたりすることで、狭いとは思わせずに探索させる工夫が凝らされてある。
そして、こういったノウハウはダンジョンのしかけにもいくつも応用されている。どのダンジョンも第一に建造物として矛盾が少なく、非常に構造的かつそれを利用したなぞ解きはどこかスタイリッシュなのが分かるはずだ。井戸の底にダンジョンがあったりなどといった発見も、2Dではただマップを変えて入るだけだが、3Dだと地続きなので「あそこがそうだったの?」となる興奮がある。そういった要素に、本作は特有の7年の時間経過要素も加わっており、とにかく三次元的&四次元的(+時間)に世界を楽しめるようになっている。
3Dゼルダをやりこんだプレイヤーなら、どのボス戦も絶対にダレないようにボス部屋に入った瞬間から楽しませることを主眼にしているのにも気づくだろう。起承転結の起と承に当たる部分がとにかく丁寧に演出される。ゴーマは「あれ?何もない部屋。詰んだか?」と勘違いしたプレイヤーが視点を変えた瞬間に驚きを与えてくれる。ファントムガノンは同じようにプレイヤーが痺れを切らして引き返そうとすると逃げ場を失い、しかも現れたボスは絵の中に逃げていき、プレイヤーは絵の中から向かってくるボスを待ち構えようとするが、何とボスは絵から出る瞬間に絵の中で引き返してしまう。水が襲いかかってくるモーファや、いきなり楽器の上に落とされるボンゴボンゴも同じである。さらに幕引きの演出も怠らない。崩れるもの、破裂するもの、闇に飲まれるもの…、本作に登場するボスは全て違った、かつ劇的な最期を遂げる。とにかく、プレイヤーをダレさせない。ボス戦が楽しい理由はここにある。
楽器がフィーチャーされた作品でもあり、音楽もとても評価が高い。サントラは万を超えるプレミアが付いている。
オカリナで吹くためのメロディーがある専用曲はどれも人気がある。プレイヤー作曲のカカシの歌を除きこれらは全12曲だが、このほとんど(10曲?)は以降のゼルダで再登場したりリメイクされていたりすることを考えれば、その人気は分かるだろう。その他の通常BGMも名曲揃いで、喧騒、ほのぼの、勇壮、不気味、不可思議、荘厳、邪悪、ボス戦といった場面場面での雰囲気にこれ以上なくマッチしている。
ハイラル王国には、緑深き森が広がっていた。その森にはデクの樹という大木があり、その木によって森は守られてきた。 この森には、コキリ族という種族が住んでいた。彼らはみな子供の姿をしており、それぞれが一匹の妖精をパートナーとして従えていた。
そんな中、コキリ族で唯一妖精のいない少年リンクは、仲間に半人前であることをからかわれながらも平和な日々を過ごしていた。
ある日、リンクは悪夢にうなされる。 巨大な門の前に立っていて、1頭の馬が目の前を駆け抜けていく。その馬には少女が乗っていて、何かを訴えるようにこちらを見ていた。その直後に表れた馬に跨った大男が、こちらを挑戦的に見下ろす……。その直後、リンクは夢から覚めた。しかし、その悪夢を見るのは一度だけではなく、悪夢を見る日が連日続いた。
そんなある日、リンクの元に「ナビィ」という妖精がやってくる。リンクは妖精が自分の所へ来た事を喜ぶが、コキリ族の守り神である『デクの樹』が魔物によって弱っていることをナビィから聞かされる。リンクはナビィの指示通りにデクの樹に向かう。しかし、それが壮大な冒険の始まりになるとは知る由もなかった。
いくつかを列挙
後世に模倣される「革新性」、諸々の「完成度」、そして何よりも「面白さ」。この3点を完璧に備えたこのゲームが、世界中のいたるフォーラムで神ゲーの代表として扱われるのは納得せざるをえないところである。今ならVCなどでもプレイできる。
その反面『ゼルダ』という任天堂が誇るブランドにある意味、楔を打ち込んでしまった側面も否定できないのものの、それもまた、本作がいかに優れた作品であるかの証明とも言えよう。
【ぜるだのでんせつ ときのおかりな すりーでぃー】
グラフィックをはじめ、全面的にリメイクした作品。 開発はグレッゾが担当しており、開発プロデューサーは元スクウェア・エニックス所属で聖剣伝説シリーズ等を手がけた石井浩一氏。
64版から無茶な追加要素はなく、BGMや効果音、操作性などといった当時の雰囲気は、ほぼそのまま再現されており、新要素の追加でオリジナルよりも快適にプレイできるようになった。さらに裏ゼルダが収録されているのでボリュームは単純に64版の2倍になっているなど、あらゆる面で非の打ち所のないリメイク作。海外のレビューサイトでも高評価を連発しており、移植作として十分な品質であると認められたと言えるだろう。