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用語集/メーカー(消滅) - (2013/01/08 (火) 22:40:42) の編集履歴(バックアップ)


用語集(現存しないメーカー)

  • このページは倒産(解散)、吸収合併、ゲーム業界からの事業撤退など、かつて存在したゲームメーカーを表示しております。
  • 現存するゲームメーカーについては用語集/メーカーをご覧下さい。
  • クソゲーまとめ@ウィキの用語集にも同趣向の記事があります。ご参照ください。

株式会社アスキー/株式会社メディアリーヴス(事業撤退)

 コンピュータおよびゲーム関連が中心の出版社。ゲームソフトも数多くリリースした。『ダービースタリオン』『RPGツクール』『ウィザードリィ?』(日本語ローカライズ版)などが代表作。
 1990年代後半にかけて業績が悪化。複数の企業の出資によって企業再建を果たす。再建後はソフトウェア事業をエンターブレインに移動して出版のみに専念する。
 なお同時期に「週刊ファミ通」などのエンターテインメント関連出版も同社に移動しており、その後は社名をメディアリーヴスに変更、2010年にエンターブレインに吸収合併された。
 余談だが、2008年4月のアスキー・メディアワークス設立の際、旧メディアワークスに吸収合併されたアスキーは、メディアリーヴスの子会社だったアストロアーツが社名変更した新社である。

株式会社アトラス(合併消滅)

 家庭用では『女神転生』シリーズや『世界樹の迷宮』、アーケードで『豪血寺一族』シリーズや『怒首領蜂』(開発・ケイブ)など多くの作品を世に送り出した会社。
 90年代はセガと共同開発したプリクラ(プリント倶楽部)で大成功し、会社のマスコットキャラクターにもなっているジャックフロストはプリクラのシンボルとして親しまれていた。
 アトラスの制作するゲームは『女神異聞録ペルソナ』や『真・女神転生』のように「マニア向けで硬派で高難度」なイメージを持たれることが多いが、『ソウルハッカーズ』や『ペルソナ4』のように比較的ライトなものも少なくない(あくまでも「アトラスとしては」というレベルである。他のRPGと比較した場合、雰囲気はともかく難易度は口が裂けてもライトとは言いがたい)。
 しかし女神転生シリーズは全体的におどろおどろしいムードを漂わせており、世界のあらゆる宗教、神話、童話、都市伝説のキャラクターを「悪魔」とひっくるめ、無節操な程にRPGに於けるモンスターとして扱っている。ある程度神話中での地位は尊重しているものの、一方では映画『遊星からの物体X』の怪物のオマージュや、がしゃどくろなど近年作られた創作妖怪をも含んでおり(ある意味宗教にこだわりの薄い日本ならではの)混沌とした世界観を完成させている。
『真・女神転生II』ではユダヤ教の唯一神YHVHをラスボスに据えてしまった事も有名。
 尚、海外向けに発売する際は日本よりも規制が厳しい場合が多いこともあり、ナチスドイツを連想させる卍マークやイスラム教のシンボルに使われる三日月と星は、新たに漢字をデザインしたマークに差し替えられる事になる。
 2010年10月1日をもってインデックス・ホールディングス(後にインデックスに社名変更)に吸収合併され、企業としてのアトラスは消滅した。
しかしゲーム事業から撤退したわけではなく、本社内のアトラス事業部として存続している。

イマジニア株式会社(事業撤退)

 1998年に子会社のロケットカンパニーを設立。ゲームソフト開発業務はそちらに移管し、イマジニアは携帯電話などのコンテンツビジネスを主業務としている。

株式会社エーディーケイ(ADK)/アルファ電子株式会社(倒産)

 アルファベット表記の「ADK」として知られるメーカー。旧社名はアルファ電子、およびアルファ電子工業。
 アーケードゲームメーカーとしては老舗であり、ゲーム黎明期に『ジャンピューター』を大ヒットさせたことにより業界に本格参入。自社販売ゲームのほか、セガから発売されたゲームも多い。
 1990年にはMVSの原型となるハードウェアを開発してSNKに持ち込み、ハードおよびソフトの共同開発を行う契約を締結。ADKはネオジオにおける有力ソフトメーカーとなる。この時期の代表作は『ワールドヒーローズ』シリーズなど。
 だがSNKとの契約に背き他社ハードウェア向けのソフトを開発したことが原因で関係が悪化。ネオジオから撤退することになる。これが原因となったのか業績不振に陥り2003年に倒産。ソフトウェアの知的財産権はSNK(後のSNKプレイモア)に引き継がれた。

株式会社SNK/新日本企画(倒産)

 「SNK」として有名な会社だが、当時の商号登録規則の関係で正式社名は「エス・エヌ・ケイ」とカタカナ表記にしていた(1999年にSNKに変更)。旧社名「新日本企画」。
 1980年頃からアーケードビデオゲーム事業に進出し、『ASO』『怒シリーズ』『アテナ』など、一風変わった操作性とハッタリの効いた独自の作風で知られるようになる。
 1990年にアルファ電子(後のADK)の協力を得て業務用ビデオゲーム基盤「Multi Video System(MVS)」及び、MVSと同一規格の家庭用ゲームハード「NEO GEO(ネオジオ)」を発売。
 格闘ゲームブームの波に乗って次々にヒット作を世に送り出し、ゲームセンターからの圧倒的な支持を背景に業界屈指の大メーカーへと急成長を遂げた。代表作の多くは対戦格闘ゲームで、カプコンと並ぶ二大格ゲーメーカーと呼ばれる。
 斬新なアイデアと魅力的なキャラクター・演出を売りとするノリの良い社風。多くの名曲を生み出したサウンドチーム「SNK新世界楽曲雑技団」や人気イラストレーターの森気楼などを擁した。
 一方でゲーム内容の作りがやや甘く、バランス面に問題がある作品も多い。とは言え、当時の格ゲー(対戦面)で問題視された「待ち」、「鳥カゴ」などに回答をもたらすシステムを搭載している(例:しゃがみ移動(=下溜め維持)のできる『餓狼伝説2』、飛び道具に射程距離のある『餓狼伝説(1)』、ライン移動で鳥カゴを抜けられる『餓狼2』、気力ゲージ制で必殺技を多用できない&飛び道具をパンチ(キック)で相殺できる『龍虎の拳』シリーズ)。また、「相手がダウンした際、こちらがやる事が無い」事態に対しては、挑発やダッシュ(及びバックダッシュ)で対応している。
 その後は「ハイパーネオジオ64」「ネオジオポケット(カラー)」といった新規ハードの不発、アミューズメント事業で失敗を繰り返して多額の負債を抱え、アーケード市場の縮小も手伝って90年代終盤に失速。
 パチスロメーカー・アルゼ(現:ユニバーサル・エンターテインメント)の子会社となるが経営は好転せず、2001年10月に倒産した。
 現在はSNKプレイモアがSNKの知的財産権を継承している。プレイモアは末期に作られたSNKのパチスロ用子会社であり、一応現在でも旧SNKの社員が残っている。

 

株式会社エニックス(合併消滅)

 『ドラゴンクエストシリーズ』で有名な、ファミコン時代以前から参入している老舗メーカー。社名は「ENIAC(世界初のスーパーコンピュータ)」と「フェニックス」をかけた造語。RPGのみならず、ゲーム史において欠かす事の出来ない企業である。
 社内に開発室を置かず、すべての商品を関連企業や下請けに開発させるという、ゲーム本業の会社としては珍しいパブリッシングオンリー体制をとっており、ゲームコンテストから『森田将棋』の森田和郎・『ドアドア』の中村光一を輩出した逸話は特に有名。また出版業も営んでおり、副業の域を超えた大手マンガ出版社に成長している。
 2003年にスクウェアと統合、スクウェア・エニックスになった。

 

NECアベニュー株式会社(事業撤退)

 NECグループのレコード会社だったが、同時にPCエンジンのセカンドパーティとしてソフトや周辺機器の開発・販売も行った。初期は『ファンタジーゾーン』『スーパーダライアス』などの他社移植作品、後期は『ドラゴンナイトIII』『卒業』などのギャルゲー路線が人気を集める。
 1995年にゲーム関連のすべての事業をNECインターチャネルに移管。NECアベニューは音楽業務のみを行うことになった。その後、1998年に業務を完全停止。

NECインターチャネル株式会社/株式会社インターチャネル/株式会社インターチャネル・ホロン(事業撤退)

 1995年に、NECおよび日本電気グループのソフトウェア部門を分離統合して生み出されたソフトウェア開発会社。PCエンジンやPC-FXのセカンドパーティとして、数多くのゲームソフトをリリースする。
 2004年、株式の過半数をインデックスが取得し、NECグループを離れる。これに伴い株式会社インターチャネルに改名。
 2009年から2010年にかけて、ソフトウェア開発事業のすべてを他の企業に譲渡。現在は映像作品の製作・販売を主な業務としている。

株式会社NMK(倒産)

 ジャレコやUPLの下請けを行なっていたゲーム製作会社。1991年の『サンダードラゴン』以降は自社開発であることを明記するようになっている。
 処女作である『アーガス』や『バルトリック』に象徴されるように、新しいアイデアを盛り込みつつも、ある者は「殺人的」と言い、ある者は「発狂」と呼ぶ高難易度STGを産出している。
 敵の配置が意地悪でボム決め撃ち必至の雷龍、自機が動物で可愛らしいのに激ムズな『はちゃめちゃファイター』、ライフがないと大きく稼げるが当たり判定が大きくて事故死しやすい『ガンネイル』などなど。
 1985年に日本マイコン開発として創業し、1989年にNMKと社名変更している。
 折しもシューティングの難易度インフレ期であったため、その波に乗るように上記の高難度ゲームを送り出してきたが、1996年にエレメカに転進し、1999年に倒産した。
 ラインナップはぶたさん、サイキック5、天聖龍、サボテンボンバーズと言った秀作が多い。(エレメカ対象外)
 名作レベルのクオリティとしてはオペレーション ラグナロクと湾岸戦争の2つ。
 双方ともBGMの人気が高く、難易度も割合低め。
 作曲はさんたるること並木学。  彼は元々この会社の出身(ちなみに初期の名義「三太郎」は彼がNMKの3人目のサウンドコンポーザーということに由来する)で、後にバトルガレッガを皮切りに多くのSTGを手掛け、STG業界に欠かせない存在となる。
 そのためか、いやその難易度の高さ故か。高品質ゲームの数が少ないにも関わらずシューターからは相当な支持を得ているので、名を聞く事も多い。

株式会社クエスト(合併消滅)

 代表作は『伝説のオウガバトル』『タクティクスオウガ』。またPCエンジンの隠れた名作シューティング『マジカルチェイス』も開発。
 1990年にボーステックと合併。その後、ボーステックのゲーム部門ごとスクウェアに売却される。

株式会社コンパイル(倒産)

 魔導物語やぷよぷよで知られる。
 かつてはSTGやらアドベンチャーやらの硬派なメーカーとして知られていたが、上記魔導物語のヒットにより路線をそちらに大幅転向した。
 90年代中期から一大パズルゲームメーカーとして名を馳せるようになったが、蓋を開けてみればぷよぷよ及び魔導物語以外のゲームを殆ど出さない、魔導物語シリーズに依存した会社になっていた。
 マイナーチェンジの繰り返しによる非難や、ぷよぷよをかたどった饅頭「ぷよまん」の失敗、過剰な広告宣伝、社員の過剰採用(当時の社員数と同数・もしくはそれ以上の数の新入社員を内定した)、社屋移転の繰り返し、果てはオートバイチーム設立など諸々により、1998年3月に75億の負債を抱えて経営破綻。再建を図るも振るわず、2002年12月8日付で会社解散、2003年11月6日に破産宣告となってしまった。
 『ぷよぷよ』シリーズの商標権等はセガに売却される事となり、現在はセガが開発・販売を行なっている。
 株式会社コンパイルハートと直接的な関係は無いが、コンパイルの代表を務めた仁井谷監修のパズルゲーム『のーみそコネコネパズル たころん』等が開発され、2006年12月5日に仁井谷との監修契約解除が発表された。

株式会社コーエー(合併消滅)

 PCゲームの黎明期から活動していた老舗メーカー。ブランド名として「光栄」という漢字表記も用いていた。『信長の野望』シリーズや『三國志』シリーズなどの歴史シミュレーションゲームや、『アンジェリーク』シリーズなどの女性向けゲームが特に有名。出版業も営んでおり、自社ゲームの関連書籍や歴史関連書籍などを刊行している。
 2009年4月にテクモと経営統合し、2010年には吸収合併してコーエーテクモゲームスに商号変更。

株式会社彩京(合併消滅)

 初期の正式名称は株式会社彩アート京都だったが、それを縮めて「彩京」となる。
 名作シューティングゲーム『ソニックウィングス』を開発したビデオシステムのスタッフが独立して興した会社であり、同作の要素を継承したシューティングゲームを多数世に送り出した。
 その作風は「彩京弾」と呼ばれる高速の弾幕が最大の特徴。特に2周目ともなると目で追って避けることが完全に不可能な域に達する狂気の弾速はシューターの間で語り草となっており、少ない弾数で確実にプレイヤーを殺しにかかる傾向が強い(いわゆる「弾幕系」(敵弾の数は多いが弾速が遅いシューティングゲーム)と対比されることが多い)。
 このためいわゆる「覚えゲー」の要素が強い作品が多いが、一見避けられないような高速弾幕もパターンと対処法を把握してしまえば綺麗に潜り抜けられるように計算して作られており、上手く避け切ったときの快感は特筆もの。格闘ゲームが勢力を伸ばしていた当時のゲームセンター事情に合わせて「短く、熱く、シンプルに」楽しめるゲーム性はシューター層から初心者層まで幅広い支持を受けた。
 また、独特の濃い世界観やキャラクター性も売りにしており、『ストライカーズ1945』に見られるようなぶっ飛んだボスデザインやギミックは特徴的。キャラクターデザインでは同社の看板絵師として活躍した司淳、中村博文や寺田克也、後にケロロ軍曹でブレイクする吉崎観音といった人気イラストレーターを起用していた。
 シューティング以外では「ボタン連打でお仕置き」で有名な脱衣麻雀『対戦ホットギミック』シリーズや、退廃的で登場人物ほぼアングラ系の格闘ゲーム『堕落天使』などを製作。ゲーム内で「新声社爆破」(アーケード専門誌「ゲーメスト」の出版元)というギャグをやった直後に本当に新声社が爆死(倒産)してしまいシャレにならなくなるなど、ネタに事欠かなかったメーカーでもある。
 処女作『戦国エース』のヒットを皮切りに90年代中期のシューティング復権を担ったが、『ガンバード2』辺りからゲームデザインの弾幕化、及び高難度・複雑化が顕著になり、方向性を見失って衰退することに。
 2002年5月にクロスノーツに吸収合併されており、以後彩京ブランドのゲームは、2006年の『対戦ホットギミック 未来永劫(みらいへゴー)』を最後に出ていない。
 彩京シューティングの新作は皆無であるどころか、ブランド所有社が改悪移植を繰り返すためにファンから嘆きの声が上がるのが現状となっている。

株式会社CSK総合研究所(CRI)/株式会社SEGA-AM2(合併消滅)

 CSKを母体とするソフトウェア開発会社で、セガの系列企業。1989年から多数のゲームソフトを開発する。多くはセガ製のゲームの移植版だが『ダイナブラザーズ』シリーズや『エアロダンシング』シリーズなどのオリジナル作も手がける。
 2000年にセガのAM2研を営業譲渡され、体感ゲームや3Dゲームなどを多数開発。2001年、社名をSEGA-AM2と改め、同時にゲーム以外のミドルウェア開発部門を分離して別会社「CRI・ミドルウェア」とする。その後、SEGA-AM2は2004年にセガに吸収されて、会社としては消滅。

株式会社スクウェア(合併消滅)

 『ファイナルファンタジー』で有名なゲームメーカー*1
 どう見てもシューティングだがRPGと言い放つキングスナイト等、RPGに異様に拘るのが特徴。
 だが言うだけの事はあり、『半熟英雄』『サガ』『クロノ・トリガー』と言った良RPGシリーズを産出している。
 特にスーパーファミコン時代には高いドット絵技術と分かりやすいシステムを兼ね備え、広く高評価を獲得する作品や、『ライブアライブ』といったアクが強いながらも出来は良い作品を次々に出していた。
 しかしプレイステーション移行後にハード性能を生かしたムービーや3Dモデリングを重視した作品が増えて以降、賛否が大きく分かれる作品の輩出が目立つようになり、新規ファン層を開拓する一方でスクウェアを見限るプレイヤーも現れ出した*2
 にもかかわらず膨大な制作費をかけたCG映画「ファイナルファンタジー」を作り、157億と言うギネスレベルの失敗を犯してしまう。その影響は非常に大きく、監督を務めた坂口博信の引責辞任などのほか、アニメ『FF:U~ファイナルファンタジー:アンリミテッド~』の打ち切りなど作品までがとばっちりを食った。
 その後間も無くエニックスと統合、株式会社スクウェア・エニックスとなった。(上記の失敗と合併は関係ないとした公式コメントがなされているが、開発力低下等の原因は映画にしか見えない)

株式会社セタ(倒産)

 『スーパーリアル麻雀』シリーズや『森田将棋』をはじめ、将棋、麻雀ソフトを中心に多数開発。
 2004年を最後にゲームソフト開発から撤退。2009年5月、東京地裁より特別清算開始決定を受ける。 

株式会社チュンソフト(合併消滅)

 元々はドラゴンクエスト(I~IV)シリーズの開発元として活躍していたメーカー。
 『かまいたちの夜』『街』といったサウンドノベルや『トルネコの大冒険』『風来のシレンシリーズ』といったローグライクゲームの発売・流行で一気に知名度を上げ、同時にサウンドノベル、ローグライク両ジャンルを語る上で外せないメーカーとなった。
 『トルネコ』『シレン』両シリーズの衰退などで、一時は以前ほどの勢いを失っていたが、『不思議のダンジョン 風来のシレン4 神の眼と悪魔のヘソ』『428 ~封鎖された渋谷で~』など現在でも評価の高い作品を生み出す開発力を持っている。
 2012年4月1日より、スパイクと合併し株式会社スパイク・チュンソフトとなった。

データイースト株式会社(倒産)

 通称「デコ」。データイースト産のゲームはデコゲーと呼ばれる。
 変なゲームを多く作っており、見た事の無い怪しいゲームがあったらとりあえず疑ってかかっていい。
 極端に人を選ぶセンスを抱えていはいるが、どのゲームもグラフィック・サウンド・システム全てが丁寧に作られている。一方でゲームバランスは大味である場合が多い。
 しかし、その重大な点が霞むほどの「触れる楽しさ」を提供してくれる数少ないメーカーである。暑苦しいかヘンテコか、その両方か、というパターンが多かったが、
 80年代~90年代はピンボール台の輸入・製造、晩年にはギャルゲー(ただし、昔のアドベンチャーよろしく殺伐とした死にゲーでもあった)なども出していた。
 ゲームだけでなく通信・情報機器の開発や、乾燥椎茸やガスマスク販売などの副業もしていたが、本業も副業も売上が芳しく無く、99年11月に和議申し立てを行い、2004年に倒産。
 本Wikiに項目があるソフトは総じて「デコゲーらしくない硬派なゲーム」だが、出回りは少ない。

株式会社テクノスジャパン(倒産)

 データイーストの役員や元スタッフが1981年に設立したゲーム会社。通称は「テクノス」。
 1986年にアーケードで『熱血硬派くにおくん』をリリース、翌年にファミコンに移植されるやたちまち同社の看板ソフトに成長する。「くにお」は社長の名前から取られたことは有名。
 その後も『ダブルドラゴン』等の様々なシリーズを次々とリリースするが、1991年に建設した自社ビルの建設費が経営を圧迫したこと、くにおくん及びダブルドラゴン以外のシリーズにヒット作が生まれなかったことなどから1995年に経営破綻した。
 しかし同社の出したこの両シリーズの人気は非常に高く、今でもリメイク作や二次創作が多数出ている。

テクモ株式会社(合併消滅)

 アーケードゲーム、家庭用ゲームの開発や、アミューズメント施設の経営を主としていた企業。
 2009年4月にコーエーと経営統合、2010年には吸収合併してコーエーテクモゲームスに商号変更。

株式会社東亜プラン(倒産)

 「ジャイロダイン」を開発し、後に倒産したオルカ(倒産後に起こしたクラックスが倒産した跡に元クラックス)のスタッフが起こした企業。ゲーム販売代理店である東亜企画の開発部門として1984年からアーケードゲームを発表。タイトーの下請けとして開発した『究極タイガー』の大ヒットにより知名度をあげ、自社ブランドでのゲーム販売も行うようになる。『TATSUJIN』『BATSUGUN』などの高難度シューティングゲームが有名。後に東亜企画より独立して、東亜プランとなる。
 1994年に倒産。主要スタッフの多くはその後ケイブを設立し、今もなおシューティングゲームの開発を続けている。

株式会社ナムコ(合併消滅)

 アーケードおよびコンシューマーゲームの老舗メーカー。アミューズメント施設の運営も行なっていた。
 2005年6月、株式会社バンダイのゲーム部門を吸収して株式会社バンダイナムコゲームスとなる。同時にバンダイナムコホールディングスの完全子会社となり上場廃止。いわゆる「バンダイナムコグループ」の一員となる。
 現在、存在しているナムコは、上記とは別の企業。バンダイナムコゲームスの子会社であり、アミューズメント施設の運営を主業務とする。

日本コンピュータシステム株式会社(NCS/メサイヤ)(事業撤退)

 かつては『ラングリッサー』シリーズや『超兄貴』などで知られるゲームメーカーだった。現在は企業向けの組み込みソフトウェアや通信系システムを手がけておりゲーム開発からは撤退。メサイヤブランドの著作物のライセンス事業を、本業と平行して行なっている。

株式会社日本テレネット/株式会社ウルフチーム/株式会社ナムコ・テイルズスタジオ(合併消滅)

 パソコンやPCエンジンをはじめ、多数のハードウェアにソフトを供給したゲームメーカー。代表作は『夢幻戦士ヴァリス』シリーズなど。その開発部門は「ウルフチーム」と呼ばれ、後にその名は同社の独立ブランド名にもなった。
 90年代にはオリジナルブランドのヒット作は減るが、下請けとしてナムコの『テイルズ オブ』シリーズを手がけて大ヒットとなる。
 2003年にナムコとの共同出資でナムコ・テイルズスタジオを設立。開発スタッフの大部分をそちらに異動させて、コンシューマゲーム開発から事実上撤退する。2007年に倒産。
 その後ナムコ・テイルズスタジオは、バンダイナムコゲームスに吸収される。

日本電気ホームエレクトロニクス株式会社(事業撤退・解散)

 略称はNEC-HE。カラーテレビからワープロまで、さまざまな製品を発売する家電メーカー。
 1987年にPCエンジン(HEシステム)でゲーム業界に参入。家庭用ゲーム機としては初と言っていいCD-ROMの本格採用により一定のシェアを確保する。しかし後継機であるPC-FXは不振。これが原因となって業績悪化を招き、NECグループの大規模構造改革によって2000年に解散した。
 ソフトメーカーとしても、1991年から1999年にかけて、PCエンジンおよびPC-FXのゲームソフトを数多くリリース。最末期にはドリームキャスト専用ソフト『戦国TURF』もリリースしている。

日本物産株式会社(倒産?)

 通称およびブランド名は「ニチブツ」「Nichibutsu」。脱衣麻雀やシューティングを中心に数多くのアーケードゲームを開発。家庭用でも『F1サーカス』シリーズなど多くの作品をリリース。
 2007年にゲーム開発業務から撤退、知的財産権管理事業に転換する。現在は自社ビルが解体、一部の電話番号が他の会社に使用されており、企業活動が停止していると思われる。

株式会社ハドソン(合併消滅)

 2011年4月、コナミデジタルエンタテインメント(以下、KONAMI)の完全子会社となる。以後、ゲームソフト開発はKONAMIに移管し、携帯電話コンテンツの開発などを行なってきた。
 2012年3月、KONAMIに吸収されて消滅する。

株式会社バンプレスト/コアランドテクノロジー株式会社/豊栄産業(事業撤退)

 旧社名はコアランドテクノロジー株式会社(それ以前は豊栄産業)。セガ販売で『ペンゴ』という名作を輩出する一方、『青春スキャンダル』『ごんべえのあいむそ~り~』という非常にアクの強いアーケードゲームを数多く開発していた。またコナミ販売で『WECルマン24』『ブラックパンサー』も開発していた。
 1989年2月、株式会社バンダイの子会社となり株式会社バンプレストに社名変更。「ガンダム」「ウルトラマン」はもちろん「マクロス(NMK開発)」や「セーラームーン」などのバンダイ版権を活かしたキャラゲーを数多く開発・販売する。平行してプライズゲーム機の景品開発も行う。
 2008年4月、株式会社バンダイナムコゲームスにゲーム開発事業を譲渡。以後はプライズ景品の開発などを主な業務としている。
 なお、バンプレストの名前はバンダイナムコゲームスのブランド名として残っており、現在も「バンプレストの新作ソフト」は継続的にリリースされている。*3

株式会社ビーピーエス(倒産)

 ブランド名は「BPS」。黎明期からの老舗メーカーであり、最初期のコンピュータRPGである『ブラックオニキス』『ファイヤークリスタル』が有名。またコンシューマゲームが定着してからは『テトリス』(ファミコン版)で大ヒットを飛ばす。
 2001年3月をもって解散。

ヒューマン株式会社(倒産)

 『ファイヤープロレスリング』シリーズや『フォーメーションサッカー』シリーズで知られるゲームメーカー。1990年には世界初のゲームスクールと言われる「ヒューマンクリエイティブスクール」を設立。またNEC-HEと合弁で「ヒューネックス」を設立し、PCエンジンやPC-FXのソフトを開発した。
 しかしアーケードゲームへの参入失敗により多額の赤字を計上。1999年に和議申立。2000年に専門学校を売却して破産。
 開発スタッフや人気タイトルはスパイクが受け入れ、特に『ファイヤープロレスリング』は現在もシリーズ継続中。また専門学校は他社に売却されたが2003年に廃校となる。
 ちなみに現在は5pb.の社長を務めている志倉千代丸は、このメーカーの出身である。

株式会社フライト・プラン(倒産?)

 『サモンナイト』シリーズや『BLACK/MATRIX』シリーズの実製作を手がけたゲーム開発会社。現在は公式サイトが消滅、自社ビルも解体していることから、事業停止したと思われる。

  • 項目のあるソフト…サモンナイトシリーズ(クラフトソード物語:1/2/はじまりの石)

株式会社ユーピーエル(倒産)

 元の名前はユニバーサルプレイランド。株式会社ユニバーサル(後のアルゼ、現ユニバーサル・エンターテインメント)の子会社で、1984年にUPLに改名している。
 製作ソフト数は決して多くない物の、『宇宙戦艦ゴモラ』や『忍者くん 阿修羅の章』、『ぺんぎんくんWARS』と言った隠れた名作が多く、古い作品であっても若いファンも多い。
 世界設定やBGMにどこか悲壮感が漂うのが特徴であり、無機質で無骨なドット絵も評判だったが、如何せんどの作品も地味であったため売れ行きは芳しく無く、1992年に倒産した。

株式会社ライジング(合併消滅)

 1993年設立。東亜プランのハードウェアと開発者の一部を受け継ぎ、質の高いシューティングゲームを開発した。代表作は『魔法大作戦』シリーズ、『バトルガレッガ』、『蒼穹紅蓮隊』など。
 兄弟会社である株式会社エイティングと同時に設立されており、当初はライジングが開発を、エイティングが販売を担当する形をとっていた。ゲームのクレジットも「8ing/RAIZING」という表記である。
 2000年10月、エイティングに吸収されて解散。