――南洋、マレーシア半島近海。つい数秒前まで夜風が凪いでいた海上を、二つの飛翔体が高速で駆け抜ける。
「……逃がさない!今度こそ堕ちろ、ガンダムっ!!」
「くっ……!こいつ、この前の……!?」
追う者と追われる者。追われるのは白と橙で塗装された戦闘機、それを猛追するのは桃色に塗られたMS。
両機は夜の闇を切り裂き、海面スレスレの低空を疾駆する。前方を飛ぶ戦闘機、ガンダムキュリオスが追っ手を振り切らんと何度も急激な方向転換を繰り返すも、後方を飛ぶ桃色のMS、ティエレンタオツーは離される事無く喰らい付き、攻撃を加え続けていた。
「くっ……!飛行形態のキュリオスにここまで喰らい付いてくるなんて!」
キュリオスのコックピットで、アレルヤ・ハプティズムは予想外の事態に歯噛みする。
先程から、コックピット内は敵機からロックオンされている事を知らせるアラート音と警告で赤く染まったモニターの光で埋め尽くされていた。未だに一発も被弾しては居ないが、一方的に撃たれる状況に焦りだけが募っていく――――
――異常は、攻撃目標への爆撃ミッションを終え、隠れ家へと帰投している最中に起こった。
頭の中をほんの僅かな違和感が走った瞬間、レーダーが正体不明の機影を捉えたのだ。
急ぎデータを照合して見れば、機影の正体は人類革新連盟――通称人革連の保有する大型輸送機であった。
別段、網を張られていた訳ではない。たまたま空路でMSを輸送していた輸送機のルートに、たまたま帰投中だったキュリオスのルートが重なっただけだ。
アレルヤは自らの不運さに舌打ちしつつも、特に焦るという事は無かった。レーダーを撹乱するGN粒子を撒布しつつ輸送機を振り切り、何処かの海中にでも身を隠して捜索をやり過ごせば済む事。多少余分な手間は増えるが、ただそれだけ……その筈、だった。
――事態が傾いたのは、突如輸送機から桃色のMSが飛び出し、キュリオスへ向かって真っ直ぐ突っ込んでくるという状況になってからだ。
少し前のミッションで遭遇したそのMSは、まるで周りが見えていないかの様にキュリオスに襲い掛かり、帰還すべき輸送機から遠く離れた海上までしつこくキュリオスを追い回し続けていた。
その執拗さにアレルヤは舌を巻き、しかし、いい加減逃げ回ってはいられないと迎撃する覚悟を決めた。
「お前が何故僕を目の仇にするのかは知らない!だが、飽くまで邪魔をするというのなら、撃墜するまでだ!」
――それまで海面付近を逃げ回っていたキュリオスが急上昇し、MS形態へと変形を開始する。
鋭角的なシルエットの戦闘機はすぐさま人型形態へと切り替わり、眼下で旋回を行いつつあるティエレンの姿を射程内に捉えた。
アレルヤは躊躇わずに照準を合わせ、敵機を撃ち落すべくビームサブマシンガンを連射。しかし――
「……っ!舐めるな、ガンダム!」
「何っ!?」
――それまで直線的に移動していたティエレンは、頭上からビームの雨が放たれた瞬間、バレルロールしながら急速旋回を行う。
標的を外したビームが次々と海面に着弾し、その膨大な熱量により大量の水蒸気と水柱を吹き上げる。
――だが、ティエレンは無傷だ。無茶な機動で体勢こそ大きく崩れているが、一発の被弾も許していない。
さらに、スラスターの推力で無理矢理崩れていた体勢を立て直し、返す刀でキュリオスに向かって右手の滑空砲を撃ち返す。
「ちぃっ……!あんな無茶苦茶な機動を行うなんて!あのパイロットは死ぬ気か……!?」
辛うじて襲い来る砲弾を回避した物の、アレルヤは敵パイロットに対して驚愕の念を禁じ得なかった。
飛行形態で、しかも戦闘機動を行うキュリオスに追随してくるだけでも異常だと言うのに、あそこまで無茶な回避運動。並のパイロットでは、四方から襲い来る強烈なGに耐え切れずに失神するはず。
そこからさらに反撃まで行ったのだ。相手のパイロットは果たしてどんな化け物か。
アレルヤは、改めて敵機を見据える。――先程から原因不明の頭痛が起こっている。早めに決着を付けなければ……
「ぐっ……うぅぅ……!また、頭が……!」
――キュリオスと対峙するティエレンタオツーの中で、ソーマ・ピーリスは断続的に襲い来る痛みに苦鳴を漏らした。
以前の低軌道ステーションでの暴走の一件以来、彼女のスーツには脳量子波を遮断する機能が組み込まれている。
……にも関わらず、その後に起こったガンダムとの初の戦いの中で、彼女はまたしても自身を蝕む他者の思念を感じ取る事となった。
分かった事は唯一つ。その思念を発しているのが変形するガンダムのパイロットであろうと言う一点のみ。
今回の遭遇は偶然の物であったが、ソーマに取っては自身を脅かすモノを排除する又とない機会。彼女は周囲の制止を振り切り、単身ガンダムへと襲い掛かった――――
「うぅ……!私の、頭の中に、入って来ないで!消えろ……消えて、無くなれぇぇっ!!」
叫びと共に、ソーマは機体を全力で加速させ、キュリオスへ向かって突っ込んでいく。ガンダムとの戦い以降、更なる改良が加えられた彼女の機体は、最早常人ではその加速に耐えられない程のGを生み出す暴れ馬と化していたが、その莫大な推力こそがガンダムに迫る機会を生み出す。こちらの突撃に対して回避運動を取ったキュリオスに対し、振り向き様にその背に向かって銃撃を叩き込む。
「……っ!?かわされた!?」
――それは一体どの様な手品か。キュリオスはこちらに背を向けたまま、真横に滑る様に平行移動を行う事で回避。
従来の機体ではあり得ない機動だ。慣性も航空力学も無視するかの様な動きに背筋が凍える。そして――
(――――誰だ――――。)
「っ!?」
(俺の中に入って来るのは、誰だ――。)
――ソーマの頭の中に、怒りと不快を滲ませた男の声が響いた――
「うっ……ぐぅぅぅぅぅっ!?こ、これは……!?」
――先程まで感じていた鈍い頭痛、それが、突如痛みの度合いを増してアレルヤに襲い掛かる。
この痛みには覚えがある。人革連の低軌道ステーションで感じた頭痛と同質の物だ。
「あの、時と、同じ……。つまり、アレに乗っているのは……!」
『そうだ。あの時の野郎だ。』
「っ!?」
自身の内側から響いた声に、アレルヤはその身を硬くする。己と同じ声で紡がれる、その意思の持ち主は。
「ハレ…ルヤ。駄目だ、今は……!」
『一度ならず二度までも、人の中に勝手にズカズカ上がり込んで来やがって……。許さねえ……!』
「ハレルヤ……!」
己の中に存在する「もう一人」の意思。今、その意思は怒りに震え、徐々にアレルヤの肉体を支配しつつあった。
凶暴性を隠さないその意思が、荒ぶる感情のままガンダムを動かせばどの様な事態になるか予想も付かない。
アレルヤは必死でハレルヤを宥め、押さえようともがいた。しかし……
『邪魔をするな、アレルヤ!奴は俺が殺る。お前は引っ込んでろ!』
「ハレ……ルヤ……!ぐっ……」
アレルヤが呻くと同時、彼の身体から完全に力が抜け、前のめりに倒れかける。
だが、次の瞬間、彼は勢い良くその身を起こした。
――その顔つきは普段の彼からは一変している。普段は長い前髪で隠れた「金色」の右目が爛々と輝きを点す。
「……ふぅぅぅぅ……。奴は…………っ!」
一度だけ深く息を吸い込み、敵機の位置を探るべくモニターに目を走らせる。見れば、ソーマのティエレンは動きを止めたこちらに対して既に射撃体勢を取っている。
「ちっ!!」
舌打ちと共に強引にレバーを押し込む。GNドライヴが唸りを上げ、機体を急加速。それとほぼ同時にティエレンの砲が火を噴き、機体の直ぐ脇を火線が掠めていく。数瞬の後、遥か後方で爆発が起こった。
「野郎……!舐めんじゃねぇ!!」
「何っ……!?」
咆哮一閃。ハレルヤはキュリオスを加速させ、ティエレンに向かって真っ直ぐ突っ込んで行く。
虚を突かれたのか、ソーマは一瞬だけ逡巡した後、回避を行うべくスラスターを噴射する。しかし――
「逃がすかよ!」
「なっ……!」
――あろう事か、ハレルヤはキュリオスを体当たりさせ、ティエレンをホールド。
そのまま、最大推力を叩き出して眼下に向かって凄まじい勢いで降下して行く。
「貴様っ……!正気か!?」
モニターを見れば、機体が落下する先には小さな島があり、このままでは両機とも地面に叩き付けられる事になる。
そうなればティエレンは確実に大破する。ガンダムとて、仮に機体が耐えられても中のパイロットは激突の衝撃に耐えられまい。
あるのは自滅という結果のみ。ソーマには、ガンダムのパイロットが冷静さを欠いたとしか思えなかった。
「こ……の……!」
「……っ!こいつ!」
ソーマは瞬時の判断でホールドされた機体を動かし、自機とキュリオスとの間にほんの僅かな隙間を作り、そして、
「離せっ!」
「ぐぅっ……!」
空いていたティエレンの左腕でキュリオスを殴りつけ、続けて膝蹴りを叩き込む。
マニピュレーターと膝の装甲が破損した物の、その反動でティエレンは拘束から逃れる。
だが、そうしている間にさらに地面は近づいている。二機のMSは距離を開けながら眼下の島へと落着した――――
――音が聞こえる。焚き木が割れ爆ぜる音。それを認識すると共に、ソーマの意識は少しずつ浮上し――
「……っ!?」
「目が覚めたか。」
聞き慣れぬ声に飛び起きる。視線を走らせれば、自分の横には焚き火の炎。周囲は天井まで岩で出来た空間。
――恐らくは洞窟の中。そして、対面には「左目」を長い前髪で隠した青年が座っていた。
「貴様……!まさか、あの機体の……!」
「……そうだ。俺が、あのガンダムのパイロットだ。」
「くっ……!」
ソーマは敵パイロットに飛び掛るべく脚に力を込めようとする。……が、思う様に身体が動かせず、そのまま前のめりに倒れ込む。
「フン、無様だな。こちらを亡き者にするつもりで挑みかかっておいてそのザマとは。」
「き、貴様…………。」
その男――ハレルヤは地面に肘を着いて必死に起き上がろうとするソーマを見下ろし、嘲りの言葉を投げかける。
ソーマはその言葉に微かな憤りを覚え、警戒心を剥き出しにしてハレルヤを睨み付ける。
「……何のつもりだ?何故、敵である私を殺さずに助ける様な真似をした?」
見れば、自分のパイロットスーツは脱がされ、インナースーツだけの状態とされていた。
そして、墜落した際に負傷した箇所には応急処置が施され、その上から乱暴に包帯が巻かれている。
「お前には聞きたい事があったからな。話を聞く前に万が一にも死なれちゃ困るから手を施したまでだ。」
ソーマの質問に、ハレルヤはつまらなさそうに鼻を鳴らして答える。
「聞きたい事……?」
「…………。」
ソーマの呟きを、ハレルヤは無視する。彼は髪に隠れていない右目でソーマをじっと凝視している。
その、自分と同じ金色の瞳を持つ青年から目を逸らさず、極力感情を殺して静かに言う。
「……私を尋問して情報を引き出そうとしても無駄だ。殺すのなら、さっさと殺しなさい。」
ソーマは無表情にそう言い、彼の反応を窺う。だが――
「……この島に墜落する時も、お前は巧みな操作で墜落の衝撃を最小限に抑えていた。普通のパイロットじゃ、ああはいかねえ。」
「……?」
突然、目の前の男はそんな話を切り出した。正直意味が分からない。こちらの操縦技術が優れているからと言って、それが何だと言うのか。
「……普通の人間なら、あんな限界ギリギリのタイミングで、あそこまで冷静に機体の精密動作を行う事は出来ない。
ついでに言えば、幾ら堕ちた場所が柔らかい砂浜で、激突寸前に勢いを殺したと言っても、激突の瞬間の衝撃は中のパイロットを重傷に追いやって余りある。それでその程度の怪我だけで済んでいるお前は――」
「――普通の人間ではない、と?」
「……。」
漸く、目の前の男が何を言いたいのか理解する。
ソーマは一度目を閉じ、呼吸を整えると、心持ち語気を緩めて話し始める。
「……そう。確かに私は普通の人間じゃ無い。――でも、そう言う貴方はどうなの?」
「…………。」
今度はソーマが問いかける番だ。――自分と同じ金色の瞳。自分達の間だけで起こる思念の共鳴の様な現象。
さらに、この島に墜落した時の状況。ハレルヤがこちらに対して放った言葉は、そのまま彼自身に当て嵌まる。
それらを合わせて考えれば、自ずと答えを導き出せる。
「貴方も、私と同じか、それに近い存在……という事ね。」
ソーマは呟く様に漏らし、じっと目の前の男を見据えた。
彼が知りたいのがソーマ自身の秘密だと言うなら、これで何らかの反応を引き出せる筈だ。
だが、
「ハッ、成る程な。やっぱりテメエはあの胸糞ワリぃ研究者共のモルモットって事か。」
「何……?」
ハレルヤは、一度こちらを憐れむ様な目で見ただけで、彼女の期待する様な劇的な反応を見せはしなかった。
「フン。俺らの失敗の後も懲りもせずに研究だけは続けてやがったか。その癖、出来たのがこんな不出来な人形じゃあ話にならねえな。」
「このっ……!」
余りの言い様にソーマは激昂し、痛む体に鞭打ってハレルヤに向かって殴りかかる。
――だが、ハレルヤは軽く受け流し、逆にソーマの腕を捻り上げ、地面へと組み倒す。
「ぐっ……!」
「ハッ!人形の癖に威勢だけは良いみたいだな。……ふん、気が変わった。テメエには痛い目を見せてやる。」
最終更新:2008年01月10日 22:39