近頃になって大阪言葉が研究され始めた。研究されるといふより玩弄せられるといふ方が適當かも知れない、都會の人が田舎ものゝ訛りをまねてふざけるやうに。
池谷新三郎氏(ママ、「池谷信三郎」)の「有閑夫人」に大阪言葉の會を組織して東京の有閑夫人たちが先生を傭って、大阪言葉を練習してゐるといふことがあった。谷崎潤一郎氏の「卍」にも作品中の人物を大阪言葉で話させてゐる、中河與一氏、百田宗治氏なども文藝批評において大阪言葉を論じてゐる。
東京言葉は、標準語として小學校時代から訓練が積んでゐるから一般に読みいゝが、大阪辯はそれがないため、大阪で産れ大阪で育ってゐる私たちでさへ読みにくい、大阪落語でさえ意味を解しにくいといふ東京人が、抑揚もアクセントもない紙上大阪辯を理解し得られるものとは信じない。たゞ讀みにくいだけなら我慢もできるが、ほんとうの大阪辯をむき出しにすれば、まるで意味を成さぬ程度まで読みにくさが徹底する。
いま、大阪で純大阪辯を使ふものは、まづ全人口の三割とみられる、精選すれば一割もあるまい。藝妓のなかに流暢な大阪辯を使ふものもあるが、それも舞妓からたゝきあげたものであるから、そんな女の掌をみればきつと鼓胝がある。それでも純とはいえない、仔細にきゝわけるものゝ耳には女學生言葉も交つてゐる。時としては活動辯士の調子も交ってゐることに気がつく。
幼稚園時代から始めて小學校では先生が先づ大阪言葉を破壊してかゝる。義務教育を終えた時分は東京の混成語ができる。これが現代大阪語の基調である。だから谷崎氏が小説中に大阪人から大阪言葉を摘み出して、皮肉に取扱ってゐるのは相當に苦しい仕事と思える……。尤も氏の背後には矯艶な語學の先生が控へてゐるといふ噂も知らぬではない。
「雑誌をかつて来い」といえば東京では「買って来こい」だが、大阪では「借つてこい」であるやうに動詞と、助動詞との使ひ方がちがふ。鴎を都鳥とのやうに名詞までちがつてゐるのが多い上に半訛語がある。「着物」を「着りもの」「軽業師」を「かりわざ師」といふ様な皮肉なところまで突っ込ば、卍に出た以上に奥深い船場の嬢はん語となる。最近に「よういはん」といふ流行語がある。三味線の弦が切れた……あて、よういはん。辷りこけた……あて、よういはん。着ものができてうれしい時にもそれを使ふ、悲しい時にもそれを使ふ。使用法は廣汎であるが、その言葉が表現する意味はデリケートである。藝妓や女給は一時間に四五度も使ふ言葉で、女學生から深窓にまで及びかけてゐる。
大阪辯の短所は、だら〳〵と長くなって寸鐵人を殺すといふ警句は出ない、明瞭又は簡潔を要するものには大阪言葉は向かない、議會でも大阪選出の代議士には野次がない、京阪の代議士が揃ってお上品なといふわけではない。大阪辯では野次が飛ばせないのである。
大阪人が東京言葉を習うには、三年も五年もかゝつて尚ほ旨く行かない、却って四國九州人の方が早い。これは大阪言葉になれると義太夫や浪速節に〓をわって、聲帯に變化を来たすのではあるまいかと想ふ、東京人のやうに針で刺すやうな發音はドイツ語を習うよりもむづかしい、私たちが東京へ行って来ても第一に言葉で悩まされる。大阪辯は私たちに取っては廃語である、その魔語を弄ぶ東京人の物好きにも驚く。
源平盛衰記に、法皇の使者が鎌倉へ頼朝の様子を捜りに行った復命にも、容㒵と態度と言語との三點によって頼朝を意識させてゐる。外史にも頼朝は言語明晰にして義仲の比に非ずとある。義仲は北國育ち頼朝は關東に成長した、木曾節は歌へば意気でも政治的の對話としては振はぬ。これに反して東京語はきび〳〵として武人らしく、敕使もメンタルテストの一項に言語を加へたものらしい。
東洋の言語は音築からきてゐる。或は言語から音楽ができてゐる。こゝが西洋のとはちがふ、言葉を永く引くのが歌であるから歌を永言ともいひ、それを動詞にして「詠」といふ。その語源は鳳凰の鳴き聲から出たといはれる。
日本風ではライオンとライオネスとの性別を設けないで、たゞ獅子と称するやうに、たゞ鳳凰といつてしまふが、元来は雄が鳳で雌が凰である、鳳は「律」の聲で凰は「呂」の聲で鳴く、律音は楚に残って呂音は呉人に残ったお坊さんのお経を誦する聲には一種の聲調があつてこれを坊主聲といふ。──籍を籍と読んだり、工を工と、華を華と、
若を若と読んだりするのは呉音である──。東京は荊楚の聲、京都(大阪)は呉越の聲である。
中央政権が京都にあった時には、關東武者が京言葉をまねたものであった。これは楚の人たちが、
中原(晋)の言葉を習ったと同じことである。春秋時代に楚の屈原は外交に長じ、辞令に〓《なら》ってよく中原の人と折衝した、だから屈原の作った「離騒」には口語のところに楚の訛りが少ない。
話が長くなるからこの邊で打切るが、要するに大阪言葉は義太夫に残るくらゐで、一二の小説に現はれても、アメリカ女優がハッピーコートを着るやうな一時の眼先き轉換に過ぎない。音楽に合はぬ文字にうつらぬ言葉を紙上語とするのは、言語道断ではなくとも私たち大阪人から見れば何だか調子がをかしい。
北村兼子『地球一蹴』(1930)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175453/68