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 -2- side: Tsubasa 


 入学式は、まだ肌寒い日だった。
 3月によくあるあの冷たい雨で、せっかく咲いた桜はあえなく散ってしまい、葉の出ていないむきだしの枝は見るにも寒々しい。


(4月初旬なのに吐く息が白いってどうよ・・・)


 支給された冬服を着ているにもかかわらず、今激しくマフラーと手袋が欲しい。いや、それよりも…


(ホットココア、誰かちょうだい…!)


 この前自動販売機で買って飲んだあの甘い味が、思い出される。そしてふと、あの時偶然はちあわせた少年のことも思い出した。


(今日は入学式だから、当然あの人も来てるはずなんだけど)


 それらしい影は見当たらない。


(帝王の制服着てるはずだから、すぐ見つかるとおもうんだけどなぁ)


 まぁいいか。
 時計を見ると、式が始まる20分前だった。そろそろ席についた方がいいのだろう。

 入学式は、伝統に則って粛々と行われた。初老で中肉中背といった感じの校長が、階段をギシギシと鳴らしてステージに上り、新入生の名前をA組から一人一人読み上げていった。


「・・・次、B組、新井一穂」

「はい」


 わたしの番がくるまでは、まだ間がある。張り詰めていた気を緩め、息を吐いた。


(…わたし、ほんっと頑張ったなあ…)


 思い返すと、あの辛すぎた日々。
 担任にも、悪いことは言わないから諦めなさいと引導を渡され、両親に受けさせて下さいと頼み込み、塾の先生をとっ捕まえて毎日補習をつけてもらい、偏差値を無理やりに20くらい上げて吐いたこともあった、あの日々。
 自分には到底手が届くはずのなかった、高望みもいいとこの、この高校の入学式に今、確かに自分が出席している。

 酸っぱいような、甘いような、くすぐったさにも似た不思議な感覚が胸にわき起こり、のどを上り、つーんと鼻を刺激する。じわんと涙がこみ上げた。

 一日も無駄にはすまい。毎日を一生懸命に、まっすぐ生きる。後悔などしないように。この幸福を、例えようもないキセキを、いつまでも忘れないでいるために。


「富士間つばさ」

「はい」


 背筋を伸ばして顔を上げ、まっすぐ壇上を見据える。声が震えないように、のどの奥に力を入れて、凛と答える。

 見たか、わたしの姿を。
 聞いたか、わたしの声を。
 これが、わたしの決意、わたしの全て。
 わたしは今、ここにいる。
 ここに立って、存在している。
 誰に命ぜられるでもなく、拒まれるでもなく、まごうことないわたしの意志で。


「堀越タケル」

「はい」

「村木瞬之介」

「はい」

「森健太」

「はい」

「矢吹凜」

「はい」

「流月爽」

「・・・」

「流月? 流月爽?」

「・・・・・・・・・・・」


 応答なし。
 場がざわついた。ぼうっとしかけていたわたしは、はっと顔を上げる。本来、流月という人がいるはずの席には、誰もいなかった。


「あの、流月さん、初めからずっといなかったです」


 隣の、先ほど名を呼ばれたばかりの矢吹さんが、遠慮がちに言った。ますます周りはざわついた。


「どういうこと、あなた、その前に見かけたことは?」


 尋ねたのは、ぴったりしたベージュのスーツに身を包んだ女教師だ。


「すみません、わたし同じ中学じゃないから男子か女子かさえ分からなくて」

「女子よ。どういうこと、まさか入学式においてバックれたということはないでしょうね!?」


 混乱の中、突然、調子の悪いマイクのスイッチを急にオンにしたときのような、ぼこんという音が放送に響いた。そして、あの黒板を引っ掻くようなきーんという音が続き、まわりは一斉に小さく悲鳴をあげて首をすくめた。


『あ…あーあー、このマイク調子わりぃな』

「…!?」


 耳の痛くなる高音に混じり、響きのいい低い声が放送に流れた。


「誰…?」「流月爽ってやつじゃない?」「えーうそ、何やってんの」「男子?」「女子って言ってたよね」


 ざわざわっとささめきが広がる。
 わたしには、不思議と、この響きのいいアルトと人をくったような話し方に聞き覚えがあった。

 あの子だ。


(自販機でのあの子じゃん!女子だったの!?)


 まわりに人がいなかったら、あちゃあと言って額に手を当てて、空を仰いでいただろう。


『遅れてすみまっせーん、手っ取り早く会場の皆様にお詫びを申し上げまっす、流月爽です、以後お見知りおきを…って、肝心の姿が見えなきゃ見知るもクソもないな、今すぐ参りますんでチャンネルはそのままで!!』


 ビシッとこちらに人差し指を突きつける様子が目に見えるかのような声の余韻を残して、放送は再びぼこんと音をたてて切れた。


「なに今のー」


 会場は再び、ざわめきと笑いで満ちた。もう最初のときの厳粛な空気は跡形もない。
 わたしはただ、呆然とフリーズしていた。驚いていたからではない、呆れていたのだ。

 ・・・バカ?

 初めて会ったときは、礼儀はないけどクールでちょっぴり俺様で、もっと格好良いやつかと思っていたのに。

 いざフタを開けてみれば。
 そこにはただの、バカ一人。


(ああああああ男子かと思ってたら女子だったし! 確かに中性的な顔だったけど、いやいやいやあの低い声だしいや待てよ、女子にしてはちょっと低いね、という見方もできなくはない? あああああもうとにかく、ちょっとでも憧れちゃったりしてたわたしのバカー!!)


 頭を抱えて悶えたい気分だった。

 そのとき、ひょっこりと何かがわたしの視界の隅に入った。
 ・・・ん?
 そのふさふさしたものは、舞台の天上の、今は完全に上がりきった状態にあるカーテンのすそから垂れている。
 ・・・え? なに? 天井裏から?

 ・・・ヒトの髪の毛、が?


(いいやいやいや、あり得ないっしょ、いくらなんでもこれは!! ビックリ人間じゃあるまいし!!)


 なにやら恐ろしい方向へアクセル全開全力疾走になりそうな思考を、理性という切れ掛かった糸で必死に引き止めてはみたものの。

 やはり、あの天井から垂れて揺れている毛の束は・・・・ポニーテール。


「ま・・・まままままっさかあ」


 そのまさかだった。


「よっ・・・と」


 小さな掛け声の後に毛の束はくるんと後ろへまわって、コンマ一秒でストッと舞台の上に人影が降りる。


「いってぇ・・・腕のスジ伸びたかも・・・」


 右腕をさすりながら立ち上がったその人影は、唖然としているギャラリーに向かって、至極自然なしぐさでお辞儀した。そして、再び上げたその秀麗な美貌でにっこりと笑い、思わず一瞬見惚れかけた一同に向かって、平然とのたまった。


「どーも、先ほどはお騒がせ致しました、流月でございます」


最終更新:2012年01月21日 05:02