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 薄紅の帳




 白い顎は、うつむいていた。
 大きな榛色の瞳をふちどっている茶色い睫毛は伏せられ、頬の上に細かな影を落としている。
 小さくて、やや薄い唇はかたく引き結ばれ、桜貝のように小さな爪の乗る指は、絶え間なく和紙に筆を滑らせていた。

 少女は、17、8くらいかと思われた。
 あどけなさの強く残る顔を緊張で白く青ざめさせて、脇目もふらず、和歌を書いては消し、書いては消し、を繰り返していた。
 違う、こんなんじゃない、これも違う、と自問自答しながら小さく首を振るたびに、川のように流れる栗色の髪と、側頭部に一つずつ結んだ梅の髪飾りが、さやさやと揺れた。


「・・・あの方は?」

「あら。あなた、ご存じないの。小式部内侍(こしきぶのないし)さまよ。ほら、あの、和泉式部さまの娘の・・・」

「ああ、そうね、そうだったわ。たしか、今回の『歌合はせの会』にお選ばれになられた・・・」

「ええ、そうよ。和泉式部さまがいらっしゃらないときに限って、お気の毒に。大変でしょうね・・・」


 女房たちの悪気の無いささやきが、ひそひそと響いている。遠巻きに言っていても、否応なしにそれは少女の耳に入った。

 「歌合はせの会」とは、優れた歌人が数名選ばれて歌を詠み、その歌の優劣を競う、宮廷内の雅な遊戯であった。
 少女-「小式部内侍」は、母である和泉式部の歌人としての能力を買われ、母の代わりに出席することになったのだ。
 まだ幼いといえる小式部には、少々荷が重いといわれるのも無理はないだろう。

 小式部は、ぐっと俯いた。
 唇を、白くなるまできつくかみ締めていた。

 桜の花弁を運んできた風が、さらさらと髪を揺らしていた。






 風が吹いてきた。

 一瞬だけ、ぴゅっと強まった春風が、ばさりと直衣の袖を乱した。と、同時に、運ばれてきた桜の花弁が顔に貼りついたのを感じて、うとうととまどろんでいた意識は浮上させられた。


「・・・・・・り、おい、定頼(さだより)!おきろ!」


 忌々しげに顔に貼りついた花弁を振り払って、もう一度狸寝入りでも決め込もうかという計画は、耳元ではじけた呼び声で邪魔された。
 のろのろと瞼を上げて声のほうを見上げると、そこに仁王立ちしていたのは見飽きた黒い直衣姿だった。


「・・・なんだ、成通(なりみち)か」

「なんだとはなんだ、失敬な」


 くっきりとした秀麗な相貌をきりりと引き締めて、幼馴染はため息をこぼした。
 よっぽど走り回っていたのだろう、烏帽子の両脇から顔の横に一筋ずつ垂れている黒髪が、すっかり乱れて汗で顔に貼りついている。息もあがっているようだ。


「お前なぁ・・・!またこんな所で寝こけやがって!探すのに苦労したぞ!」

「あっそ」


 幼馴染の訴えは、にべもなく切り捨てられた。


「今度はなんだ、窓際か!?なんて所で居眠りしてんだよ、人目というものも考えろ!少しは!」

「そんなもの俺は気にしないぜ」

「気にしろ!!」

「ああ、そう言えば成通、お前、また宝城院の姫君にふられたんだってな。13回目だな」

「うるせえ!!」


 ほんと、こいつをからかうと飽きないな。

 定頼は内心失礼なことを思いながら、体を起こして大きくのびた。ぱきぺきぽき、と軽快な音が響いた。あーあ、と不満げに口を尖らせる。


「せっかく落ち着ける場所を探せたと思ったのに、女どもがかしましくてろくに寝られやしなかったぜ」

「・・・。・・・とにかく、今すぐ仕事にもどれ。まったく、僕が探し出していなければ、いつまで寝てる気だったんだか」

「まあな。ご苦労だったな」

「・・・なんでこんな偉そうなんだろうこの人」


 気苦労の絶えない成通だった。


「・・なあ、そういえば知ってるか、定頼」

「なにを?」


 二人並んでそれぞれの仕事場に戻るとき、成通がおもむろに切り出した。


「もうすぐ『歌合はせの会』があるだろう」

「ああ。それがどうした」

「なんと、小式部内侍さまが出られるそうじゃないか」

「そうらしいな」


 あっさりと肯定した定頼を、成通はぽかんと見つめた。


「・・・なんだ。その顔は。言いたいことでもあるのか」

「あ、いや・・・まさか、お前がすでに知っているとは思ってなくて。ほら、お前ってそういう話題に疎いというか、興味ないから」

「疎くても興味がなくても、これだけ宮中で騒がれていたら嫌でも耳に入るだろうが」

「・・・それもそうだな」

「まったく、たかが一歌人が歌合はせに出るってだけで、どうしてここまで騒がれる必要があるのやら」


 まったく理解できん。

 そう言って、定頼は心底忌々しげに舌打ちをこぼし、烏帽子の中にきちんと収まらずに額を覆っている色素の薄い前髪に指をつっこんで、わしゃわしゃとかき乱した。淡い月色の髪が、風にあおられてふわふわ揺れた。

 藤原定頼は、その繊細で柔和な顔立ちからは想像もつかない、ぶっきらぼうで不器用な性格の持ち主である。
 色素の薄い白い肌に、月色の髪。髪と同色の眉と睫毛にふちどられた瞳の色は、淡い朝焼けの金。
 見るからに儚そうで、ふんわりと微笑んでいるのが似合うその顔は、実のところ、いつも不機嫌そうに引き締められている。眉間には常に皺が刻まれ、形の良い唇はにこりともしない。黙って微笑んでいれば文句なしの貴公子なのに、口をひらけば出てくるのは鬼も真っ青の毒舌だ。
 幼馴染で親友の橘成通といるときは、その泣く子も黙らせる氷の表情がわずかに和むことだけが、唯一の救いである。
 いかにも数多の女性と浮名を流していそうなイメージがあるが、常に不機嫌そうなその雰囲気が女性には近寄りがたく思われるのか、意外にも定頼はモテたためしはない。
 それと比べて、快活で、自他ともに認めるフェミニストで、気さくで話しやすい成通は、今までに両手に余るほどの女性とつきあい、華やかな女性関係を築いている。

 しかし、そんなエロテロリストの成通にもおとせない鉄壁の姫がいた。


「・・・いやいやいやいや、話をそらすな管理人。今の絶対、関係ない話だろうが。しかもなんだ、フェミニストでエロテロリストって。時代錯誤な説明をするな」

「誰に話してんだ?成通」

「いや、ちょっとここの馬鹿管理人にだな・・・」

「意味わかんねえよ。馬鹿はお前だろ。それよりさあ、どうにかなんねえの?コレ」

「・・・キャラ変わってるぞ定頼。コレ、ってなんのことだ?」

「使えねえな。コレだよ、コレ。この宮廷中のうるささ。話戻すけど、なんでたかが一歌人が歌合はせに出る、ってだけで、こんな騒がれなきゃなんねえの?」


 目が据わっている。口調が乱雑になっている。
 どうやら、眠りを邪魔されたのが尾を引いているらしい。


「たかが、って言ってもなあ・・・。帝もご覧になられている前なんだから、大変なプレッシャーだろう。なんといっても、小式部内侍さまはまだ18なんだし、歌人として一流の和泉式部さまが母君だからってことで、余計な期待もされてるし。肝心のその母君は丹波に下っていて、そばにいらっしゃらないわけだし。まあ、要は、そーいう『ワケあり』で『一筋縄ではいかない』ってカンジが、注目を集めるんでしょうねえ」

「とんだ迷惑だな」

「まあなあ。気になる、っていう周りの気持ちも分からなくはないけど」

「・・・俺はわからないな」


 あ、不機嫌になっちゃったみたい。なんでかは知らないけど。

 低く言って眉をひそめた定頼を見て、成通は即座にそう思った。
 幼い頃からの長いつきあいである。他の人には全部同じように不機嫌そうに見える定頼の微妙な感情の変化を、成通は読み取ることができた。
 こうやって定頼が機嫌を損ねたり、落ち込んだりしたときは、余計なことは言わず黙っているのが最善だ。
 口を挟まずにそっとしておけば、定頼は当り散らすことはせずに、自分からぽつぽつと理由や気持ちを話し出す。それを、黙って待つのだ。

 今回も例外ではない。
 先を促すように黙って待っていると、定頼が重い口を開いて語り始めた。


「・・・母親が優秀ってだけで、勝手に期待されて、勝手に落ち込まれて。そんなのは本人にとっては迷惑千万なんだよ」

「そうだねえ」

「・・そんなもんは、野次馬根性以外の何物でもねえ。見苦しい限りだ」

「まあね。君の言ってることは正論だよ。・・でもさ、そうは言っても気になっちゃうのが人の常、ってもんじゃない。ある種、僕はしょうがない部分もあるんじゃないかって思うよ」


 気まずそうに、低くぶっきらぼうな声で語る定頼に、成通は穏やかに反論する。
 これも長年の経験から培った、不機嫌になった定頼を効果的になだめる手段の一つである。ただ単に惰性で相槌を打ってやるのではなく、定頼自身も心の中では認めている、もう一つの可能性や考えを指摘してやるのだ。


「・・・そんなことは分かっている」

「あ、やっぱり?・・でも、ほんと不憫だよね、彼女。うわさや注目の的になって、ひどいプレッシャーだろうね。僕だったらきりきり悩んじゃうよ」


 のんびりと言うと、定頼が妙な表情をした。疑うような、いぶかしむような、そんな顔だった。


「・・・あの人は・・・」

「ん?なに?定頼」

「・・あの人は、そんなヤワなタマじゃないぜ」

「は?」


 成通は、目をぱちくりとさせた。


「なに、どういう意味?定頼、彼女のこと知ってるの?」

「・・・」

「確か、君は彼女と面識はない、って思ってたんだけど。・・そういやさっきも、全然関係のない人の割には、結構同情してたみたいだったし」

「・・・・・」


 だんだんと半目になって追い詰めていく成通の横で、定頼はひたすら黙って仏頂面をしていた。


(こいつ・・・照れてるのか?)

「・・・なに照れてんの?定頼」

「・・・・ッ!!///」

「ああっ!赤くなってるし!やっぱ照れてんのか!」

「うううううるさいっ!!」


 がばっと肩をつかんで顔を覗き込んできた成通を振り払って、定頼は口元を覆った。真っ赤になった顔は隠しきれず、羞恥に潤んだ目は泳いでいる。


「なにお前!もしかしてこっそり小式部内侍さまに気があったりとかしてたわけ!?それとも、彼女とは面識はない、ってこの前言ってたの嘘だったの!?うわあ、やだこの子!このむっつりスケベ!!変態!!」

「だまれ!俺が変態だと!?どの口がそれを言うんだ、お前にだけは言われたかないわ!!この超ド変態オープンスケベ!!歩く春本!!」

「むっつりよりかまだオープンの方がいいだろうが!君はタチが悪いんだよ、清らかそうな顔してさ!!」

(ていうか、むっつりなのは否定しないんだ・・・)


 なんかいろいろと脱力してしまった成通だったが、最後にずずいと詰め寄るのは忘れなかった。


「と・に・か・く!彼女とのこと、洗いざらい吐いてもらうからね、定頼!!」



最終更新:2012年01月29日 15:10