-3-  side: Tsubasa


 高校に入って二週間を過ぎ、クラスの雰囲気にようやく慣れ始め、流月さんや他の友達と親しく過ごすようになって、あたしはやっと肩の力が抜ける思いがしていた。

 あたしは生来の人見知りで、まだあまり多くのクラスメイトたちとは口をきけていない。親切でいい人たちだっていうことは見ていて分かるけれど、こればっかりは仕方が無い。そういうわけで、自然とあたしは、入学式前に偶然見知った流月さんと、その彼女の腐れ縁で入学式の日に知り合った佐藤恵理香・小波真緒と、四人でいることが多くなっていた。三人ともさっぱりとした気性で、なんだかんだ言っててもあたしは、このメンバーでいるとひどく心地が良かった。

 しかし、気になることがあるのも事実だ。
 いくら一緒にいるといっても、彼女たち三人とあたしはたかだか二週間ちょっとのつき合いでしかない。あたしを除いた他の三人は幼稚園からの縁だそうで、人生の大半を共にしてきた仲だが、あたしだけは違う。三人がいくら遠慮なく接してくれたとしても、彼女たちにとってあたしが異質な存在であることは、間違いないだろう。

 つき合ってきた年月の隔たり。
 考えれば当たり前であるそれを、あたしは今日になって、ようやく実感することになった。


 ・・・あれもこれも捨てらんなくて、全部背負い込んでたら、つぶれてしまう・・・

 ・・・いつか、かならず。


 そう言った、彼女。
 震える指。白い頬、僅かにひきつった目元。

 あたしに向かって言っている、というよりは、無意識にくちびるから漏れ出たかのような、どこかうつろで、茫然としたような言葉。
 それは、普段のしたたかな彼女とは思えないほどの、・・・ ・・

 しらない。
 あんな流月さんは、あたしはしらない。

 しってしまった。

 苦しい。くるしい。
 彼女のかおが、声が、ことばが、離れない。

 なぜ、あたしはこんなにも、くるしいんだろう。
 たかだか二週間と少しのつき合い。彼女について、知っていることよりも、まだ知らないことの方が多いのは、当然のことなのに。なにも知らなくて、当たり前なのに。

 どうしたらいい。どうすればいい。

 彼女の心の奥底にくるまれ、幾多もの鎖でがんじがらめに封じられている、彼女の一番もろくて、弱くて、はかない部分。
 あたしはそれを垣間見てしまったけれど、あたしは、彼女の心を踏みにじらずに、その部分に上手に触れるすべを持たない。
 そして、きっとおそらく、その部分をもう一度垣間見ることも、ないのだろう。
 あたしと違って彼女は聡いから、これからはさらに気を配って、あたしにもう一度気づかせることはしないはずだ。
 きっといまごろ彼女は、あたしなんかに一瞬でも垣間見られてしまったことを、ひどく恥じて、悔やんでいる。

 そしてあたしは、そうやって本気で彼女が隠そうとしたら最後、もう二度となにもできない。

 なにも、できない。

 あたしは、無力だ。


「あ、あのさ・・・富士、間、さん・・・?」

「・・・?」


 バッグを肩にかけて帰ろうとしていた矢先、おずおずとあたしは後ろから話しかけられた。
 振り返ると、気弱そうな表情であたしを呼び止めたのは、同じクラスの男子生徒だった。名前は、よく覚えていない。


「・・・なんですか?」


 相手の硬い表情につられて、ついあたしもよそよそしい言葉になってしまう。同じクラスの人なのに、さすがに今のはまずかっただろうか。その男子生徒は、いっそう顔を強張らせて、うつむいてしまった。


「・・・おい、」

「う、うん・・・」


 その男子生徒の後ろで、こちらの様子を黙ってうかがうようにしていた2.3人が、同じくらい張り詰めた顔で、あたしに声をかけた男子生徒を小声で促した。
 なんなのだろう。
 いったい、なんの話をするつもりなんだろう。

 静まり返った放課後の教室の、変に緊張した異様な空気に、あたしが不安そうに眉をひそめたのを見たのか、最初に声をかけたきりうろうろと言葉を探していた男子は、ようよう口を開いた。


「あの・・・富士間さんってさ、・・・そのう・・・流月さんたちとよく、一緒にいるよね・・・?」

「・・・?・・・え、あ、うん・・・まあ、そうだけど」


 一瞬拍子抜けして、あたしは間抜けな声で返事した。


「・・・それが、なにか?」

「いや・・・なにか、って言うより・・・」


 なんなんだ、いったい。
 いましがた、あたしも彼女のことで悩んでいたというのに。
 こんどは、いったい何が。

 なかなか進まない話にじりじりしたあたしは、先を急かすように目の前の彼をにらんだ。


「富士間さん、知らないの・・・?流月さんのはなし・・・」

「流月さん、の?・・・話って、どんな?」


 苛立ちでいくぶん棘の混ざった声音であたしが聞き返せば、彼は小さくやっぱり、と呟いた。


「やっぱり、知らなかったんだね。・・・そうだよね。当然だよね。知ってたら、ああやってあいつらと平然と一緒にいられるわけがないもんね」

「・・・『あいつら』?」


 その、少しぞんざいな、あざけりを含んだような代名詞が、流月さんと恵理香とコナミの三人を指していることは、わかった。
 なかなか話の流れが見えないことも手伝って、その言葉はいとも容易にあたしの血をのぼらせた。


「・・・ちょっと。あなた、それはないんじゃないの。なんの話かさっぱりだけど、人のことをよく知りもしないくせにそんな、」

「ちがうよ!知ってるよ!流月さんと他の二人のことなら!・・・知らないでいるのは、たぶん、富士間さんだけだよ」

「~~~・・・っ、だからっ、なんの話よ!!」


 ついに声を荒げたあたしに彼はびくりとして、それでも気丈に顔をあげてつづけた。
 あたしにとって、悪夢のように残酷な、話を。


「・・・流月さん、中3のときに学校で、担任の先生とクラスメイト数人に対しての、暴力沙汰をおこしているんだ。・・・それだけじゃない。これは、おそらく流月さんの中学校のほうでうまく隠蔽したみたいで、噂でしか知らないけど、クラスメイトの女子生徒の集団いじめとリンチ事件の、中心だった・・・って。・・・そして、それに加担していたのが、佐藤恵理香と小波真緒の二人だよ」

「う・・・そ・・・・・・・」


 うそでしょう。
 かすれて、声にならなかった。

 衝撃を受けているあたしから目をそらしてうつむいて、彼は溜息混じりにつづけた。


「・・・詳しいことまでは、知らないけど。流月さん、目立つから、他校に知り合いがいるたいていの人だったら、話くらい聞いてるんじゃないかな。表立って問題にならなかったり、処分を受けたりしてなかったのは、その時流月さんが中3の受験生で、尋常でなく優秀だったからだ。実際、彼女は受験したすべてのトップ高校を、すべて一位で受かってるらしいからね・・・」

「・・・・・・」


 しんじられない。
 まさか。
 まさか、彼女が、彼女たちが、そんな。
 よりにもよって。

 そんな・・・


「この学校の人たちも、だんだんあいつらにほだされかけてる・・・。もともと噂しか聞いてなくて、実際に自分の目で確かめたことがないんだから、あいつらの見た目と外聞のよさに、騙されてるんだ。あんな・・・あんなの、ただの上っ面なのに・・・目を覚まさなきゃいけないんだよ!」

「・・・・・・」


 最初のうろつきぶりが嘘のように、どこか熱に浮かされたように話したてる彼の声が、耳に遠い。
 なにも。
 なにも・・・きこえない。
 うそだ。
 だれか。だれか、うそだと笑って、否定してほしい。


「富士間さんも、このまま流されるがままにあいつらとつき合ってちゃ駄目だよ!ちゃんとほんとのことを知って、あいつらの真実を、」

「たいした真実だな、それは」

「!!」


 甲高くわめきたてる彼を、通りのよい声がさえぎった。
 いつのまにか教室の入り口の扉が開かれていて、背の高い黒髪の少女が、教卓のそばで腕を組んで、あきれたような顔で立っていた。


「・・・恵理香・・・!!」


 あたしは、泣きたくなった。
 彼女に飛びついて、人目を気にせず、泣いてしまいたかった。

 恵理香はそんなあたしに微笑んで、つばさ、と呼んだ。
 気にすんな、とも、おつかれ、とも言われているような気がした。
 そしてその瞬間、あたしは全身の力が抜けるのを感じた。いままで知らず知らずのうちに、硬く体を強張らせていたことにようやく気づいた。


「富士間さんっ・・・!!」


 恵理香に駆け寄ろうとするあたしを、彼が信じられない、というような声音で呼び止める。
 彼は間違いなく、あたしを暗に責めていた。あんな話を聞いた後なのに、どうしてそれでもまだ、あいつらのもとへ行くのか、と。
 あたしは足を止めて、彼と、後ろでなりゆきを見ていたほかの2、3人を、ひたと見据えた。
 あたしのその瞳に、なんの怯えも動揺も浮かんでいないことを見てとって、彼らは少し、狼狽したように見えた。
 当たり前だ。
 あたしは今、なんの怯えも動揺も、一片の迷いすら、感じていない。


「・・・あたしはね、」


 あるのは、確かな決意と、静かな怒りのみだ。


「口下手で、人付き合いが苦手で、不器用で、賢いわけでもないけれど、なにを信じていいか、また、なにを信じてはいけないのかくらいのことは、わかっているの。・・・確かにあたしは、流月さんたちのことを、まだよく知らない。知らないことがたくさんありすぎて、でも知りたいことは多すぎて、どうすればいいのか、見当もつかない。」

「つばさ・・・」


 恵理香が、そっとあたしの名前を呟く。いつのまにか、コナミも来てて、恵理香のそばであたしを見つめてる。
 そして、あたしはわかってる。
 このあたしよりも不器用なくらいで、けれどきっと誰よりも優しいもうひとりが、教室の外で、そっとたたずんでる。


「・・・でも、これだけは知ってるの。そして、あたしは、これだけは信じるの。流月さんも、恵理香も、コナミも、・・・あたしを信じてくれる、っていうことを。」


 信じて、いつかきっと、あたしに話してくれる。
 自分たちの心を踏みにじらずに、上手く触れてくるすべを持たないあたしに。

 あたしの名を呼ぶ恵理香が。隣に立って、あたしを見つめてるコナミが。
 そして、
 教室の外で、黙って、あたしを待っている彼女が。

 なきたいほどに、いとおしい。


「・・・あたしは、それだけでいいの。」


 ほかの何も、信じない。

 呆気にとられて、茫然としている彼らを一瞥もせずに振り返って、あたしは微笑んだ。


「・・・恵理香。コナミ・・・」


 いとしい人たち。


「・・・流月さん」



 ほかのなにも、あたしはいらない。


最終更新:2012年01月21日 05:25