17

イルミネーションに彩られた街の中を、我が愛車ビートルが走っていく。
車内には、男女ふたり。
…しかし、糸鋸に心浮き立つものは全く無かった。

「…で、聴取の方はどうだったの?」
「…」
恐らく要件はそれだろうとは予想していたが、糸鋸は答えるのに躊躇した。
あの証言はおそらく須々木マコ自身にとって不利なものとなるに違いない。
それを、立件の担当者に漏らしたくはなかった。

…が、すぐ何事か思いなおして正直に話すことにする。
「まず、殺害したのは彼女ではないッス」

「…そう証言したのね」
糸鋸はそれには答えず、
「ただ、どうもキッチンで何かを見たようッスね。
 それが何だったのかはこれから調べるつもりなんスが…」

「?」
糸鋸の言葉に冥はいぶかしげな顔をしてみせた。
「つまり、須々木マコはあの時間キッチンに入ったということ!?」
「…」
どう答えるべきか、糸鋸は少しの沈黙を置いた後、
「須々木くんは、『入っていない』と言っているッス」

冥は、さも呆れたと言わんばかりに「どういうこと?」と言った。当然の反応である。
…とはいえ勾玉のことを説明するわけにもいかず、
「さて、どう言ったものか」などと考えあぐねていると、冥の方から畳み掛けるような言葉が浴びせられた。

「しっかりしなさい、イトノコギリ刑事!
 知り合いが容疑者ということで混乱しているのは分かるけど、あなたは刑事なのよ?
 須々木マコが何をどう言ったのか知らないけど、
 あの時間にキッチンに入ったというならもうほぼ確定とみて間違いないわ」

冥も何の確定、とは敢えて口にはしない。無論それは糸鋸にも充分に分かっている。
分かってはいるが、
「それでも、殺したのはあのコじゃないッス」
彼は頑として聞き入れない。
「…」
冥は絶句して糸鋸の横顔に目をやった。
何か、怒っているふうにも見える。
この男のこんな表情を、冥は見たことがない。

殺害を否認したと際に勾玉が反応しなかったということもあるが、
糸鋸にしてみればそれ以上に、「あの娘を信じたい」という心の方が強かったのだ。
(…けれど)
そうであるにも関わらず、あの娘は嘘を付いた。
―――いったい、なぜ?

疑問が疑念を生み、それを打ち消そうとする葛藤が糸鋸の胸の内で渦巻いていた。

いま糸鋸が確信していることは、
 ・殺害したのは彼女ではない。
 ・犯行時刻前後にキッチンに入った。
 ・そして、なぜかそれを否定している。
という3点のみである。

そう述べた後しばらく続く気まずい沈黙を破ったのは、やはり冥だった。

「あのひとを信じているのね」
心の中の何かを抑え込むかのように、糸鋸はゆっくりと頷く。

冥は突然「フッ」と馬鹿にしたように鼻で笑うと、
「仮に殺したのが彼女自身ではなかったとして」
ややヒステリックな声だった。
「その時被害者が死んでいたにせよ生きていたにせよ、キッチンに入ったのはなぜ?
 それを隠そうとしているのはなぜ?…全部矛盾しているじゃない」

まさしく、糸鋸が感じている疑問はそれだった。
バンダナに関する証言も、今にしてみれば曖昧で要領を得ない。
そのほころびから、実はやはり須々木以外に神楽を殺した犯人など存在しないのではないかとさえ思えてくる。

「…」
糸鋸は打ち払うように首を振って、信号待ちでクルマを停めた後、冥の方に向き直った。
「狩魔検事」

「…何?」

「ケーキ食って帰りましょう。…そこの店、美味いッス」

そこは有名な高級西洋菓子店で、1階が売り場、2階が喫茶室になっている。
主層の女性客はもとより、
水商売の女性へのみやげ目的で買っていく中年以降の男性客も多いため深夜まで開店していた。
遊びは下手な糸鋸刑事だが、この男、顔に似合わず甘いものが好きだった。

「自分、そっちのチョコレートケーキとアメリカンコーヒーで。
 狩魔検事は何にするッス?」
「…モンブラン」
冥は糸鋸の意図が読めず、憮然とした顔で注文する。

「飲み物は?」
「…ダージリン」

「それでは2階の方へお持ちします」
糸鋸が会計を済ませようとすると、
「おごってもらう義理はないわよ!」
と言って、彼女は財布を取り出そうと懐に手をやった。

「いや、検事。自分には考えがあるッス。先に行って座っててください」

「考え?」
まあまあ、と糸鋸に促され、冥は仕方なく2階へと上がっていった。
糸鋸は会計しつつ売り子の娘に何か話しかけている。
「?」
冥はますますワケが分からず、首をひねりながら階段を上がった。

そこは広いラウンジになっており、高級志向の冥の目から見てみても、なかなか洒落た造りになっていた。
日曜のこんな時間ではあったが、客の数は少なくない。
奥の席にすわると、ほどなく会計を済ませた糸鋸がやって来た。

「どういうつもり?」
冥はいぶかしげな顔を向けながら糸鋸に尋ねた。
「つもり、って言われても…疲れた時には甘いもんが一番だと思ったものッスから」
頭を掻きながら、糸鋸は冥と向かい合わせの席に座って答えた。

「…この際、ハッキリ言っておくけど」
冥は厳しい声で言った。
「あなたの知り合いだろうが後輩だろうが、立件するからには私は徹底的にする主義よ?
 容赦はしない」

「…」

「捜査の結果に従うだけ。
 集めうる証拠、集めうる証人、総力をあげて被告を有罪にするのが私の仕事。
 言うまでもないわね?」

「…だからこそ」
やっと、糸鋸の疑問が氷解した。
「だからこそ、今日…自分を呼んでくれたッスね?」
「…」

「現行の予備審制度で被告が無罪になる可能性はほとんどゼロに等しいッス。
 ましてや事件を担当するのは狩魔検事ッス。
 それこそ、弁護士があのナルホドくん…成歩堂龍一でもない限りは」

冥は、黙して語らない。

「容疑が固まり告訴される前に、他に存在するならその犯人を探し出せ、というわけッスね?
 須々木くんの名前を見て真っ先に連絡してくれたこと…これでも感謝してるッス」

「さあ?」
冥は肯定するでもなくあからさまに目を逸らし、しかし否定もしなかった。
糸鋸は苦笑する。
そういう天邪鬼なところは一向に変わりがない。
…が、やはり彼女はどこか変化しているということに、この鈍感な朴念仁も気づき始めていた。

以前の彼女であれば、容疑者に対してなんの躊躇もなかった。
捜査で上がってきた人物を片っ端から告訴して有罪にする以外、何も見てはいなかったのだ。
それもある意味では検事として正しい姿かもしれぬ。
…だが。
成歩堂龍一との出会い、御剣検事との再会が彼女の中の何かを変えたのだろう。
「狩魔検事は検事の仕事をしてくれればそれでいいッス。
 証拠の捏造や隠匿は…勝つためだけの裁判は、もう狩魔冥には有り得ない」

勝つためではなく、真実を掴むための裁判。
それが、幾多の戦いの末に成歩堂龍一と御剣怜持が手にしたものだった。
検事の仕事のことはよく分からないが、この天才検事もそれを掴みかけている(少なくとも
自分のものにしようと努力している)ように見える。
あの男達が居なくなった今も、いや今だからこそ、彼女はなお彼らの姿を追い求めているのかもしれない。

「…」
「自分は、自分の仕事をこなすだけッスから」

だが冥本人の目から見ると、どちらかといえば変化したのは糸鋸の方だった。
勾玉の事実を彼女が知らないということもあったが、それにしてもこういう頼もしさを覚えるような相手だっただろうか?
年上とはいえ一介の(しかも優秀とは言いがたい)刑事が「知ったふうな口を」と思わなくもない。
…だが、その言葉は一面真理を衝いている。


会話にひと段落がついたところで、ちょうど注文したケーキが運ばれてきた。

「…これはこちらでよろしかったでしょうか?」
各々のケーキと飲み物の他にウェイトレスが持ってきたものは、一本の細いロウソクだった。
冥はやや嫌な予感が胸の内を掠めた気がして、ウェイトレスが去った後、
「何?それ」
と尋ねると、
「だいぶ遅れたけどお祝いッス」
と言って、糸鋸はいきなり冥のモンブランにロウソクを突き立てた。
「ちょっと…ッ!」
周りに聞こえぬよう囁き声で、しかしするどく抗議の声を上げるのだが、
糸鋸は意にも介さずロウソクに火を点ける。
「狩魔検事。19歳の誕生日、おめでとうッス」
そう言って、糸鋸はニィと笑った。

(…全く、馬鹿馬鹿しい)
一体なんというセンスだろう。
あろうことか、この男はこんなものをバースデーケーキに見立てているのだ。
しかし冥はなぜか糸鋸のそんな笑顔が憎めなかった。

「…馬鹿」

冥は小さくそう呟くと、羞恥で真っ赤になった顔のままフッ、とロウソクの火を吹き消した。
最終更新:2006年12月12日 20:50