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あれから何がどう間違ってこんな風になってしまったのか、糸鋸にはまるでワケが分からなかった。
(…まずいッス)
去来する虚脱感の中、彼の脳裏を掠めたのは「後悔」の二文字だった。
ここは狩魔冥が暮らすマンションの一室。
事件の捜査について相談に乗ってくれるというからお邪魔したハズなのだが…
それが今では、これまで触れた事もないくらい豪奢なベッドの上で、ふと胸元を見れば冥が寝息を立てている。
ふたりともつい先程まであんなに乱れていたのが嘘のように静かだった。
暗がりの中で垣間見た冥の肉体は、まるで一個の芸術品を思わせた。
思いのほかふくよかな乳房と、折れてしまいそうなほど細いウェストライン。
そこからつながるヒップは絶妙な張り具合でバランスを保ち、無駄な肉など一片も見当たらない。
雪のように白い肌は奇妙なほどなまめかしく、愛撫した指先に何の抵抗も与えないほどなめらかだった。
彼の男の部分を奮い立たせるのに充分以上の威力を持っている。
肩口には小さく、銃で撃たれた痕が残っていたが、
触れれば折れてしまいそうなその身体に余計痛々しく感じられる。
それはどこか冥自身の危うさにも似ていて、糸鋸は妙な切なさを覚えるのだった。
…女を抱いたのは一体何年ぶりだろう?
付き合うまでには及ばなかったが、もちろん彼にしても女性経験はあった。
とはいえ、冥ほど魅力的であったわけでも刺激的だったわけでもない。
正直言って、そういう事柄に関して彼は全く苦手だった。
そんな糸鋸を、好意を寄せている者は「純情」と言い、悪意を抱いてる人間は「甲斐性なし」と言った。
これまでいくつ片思いが破られてきたのか数え切れない。思い返すうちに情けなくなって、糸鋸は考えるのをやめた。
冥が処女でなかったのは意外だった。
彼女は確かに美人でスタイルも良い。だが、性格から察するに男にもてるタイプとは思えなかった。
やや綺麗すぎる顔立ちも、社会的地位や育ちの良さから来るプライドの高さも、
男をいま一歩踏み込む気持ちにさせるには少々度が過ぎるのではないか?と。
実際、こうして男の身体にしなだれかかる姿など、目にするまでは想像もできなかった。
(そして、何より…)
そこまで考えて、糸鋸はまた自己嫌悪に陥った。
陥ったが、考えずにはいられない。
(何より、若すぎるッス)
たしかに、19歳といえば一応社会的に大人として認められる年齢であろう。
今どき高校どころか中学生で男性を経験する女性など珍しくもないことを考えると、
別段彼女が非処女であったとて不思議ではない。
とはいえ、
(12……いや、13?)
とっさに年齢差を計算し、暗澹たる気持ちになる。
そんな子供に手を出してしまった自分がひどく背徳的に思われて、糸鋸は憂鬱になった。
妙なところで思いつめ、また思いつめるくらいなら最初からしなければ良いのだが、
そのあたり糸鋸という人間の可笑しみといえなくもない。
(御剣検事に知られたら、何と言われるか…)
彼にとって冥は妹のような存在だった、とどこかで聞きかじった憶えがある。
「――何を考えてるの?」
不意に、冥が囁くような声で言った。
てっきり寝ているものと思っていたので、糸鋸は内心驚いたが、
「…いや、何でもないッス」
とだけ答えて起き上がろうとした。
「…ッ!?」
起き上がれない。冥が悪戯っぽい目で腕にしがみついているのだ。
「狩魔検事、あの…そろそろ自分」
そう言いかけたところを、形の良い冥の唇に塞がれてしまう。
何度味わっても優しく、やわらかく、甘いキスだった。
糸鋸が目を丸くしている間に、冥は軽く「チュ」と音を立てて唇を離し、
「だめよ」
と言った。
「いや、でも…もう帰らないと…」
「刑事」
「…ッス」
冥が少し声を低くすると、もう糸鋸には逆らえない。彼はそんな自分の条件反射が悲しかった。
(…パブロフのようなものッス)
それが犬ではなく実験者の名前であることを知らない糸鋸は、
そんなことを考えながら目の前の冥を「さてどうしたものか」と見つめていた。
どうにもこのままでは帰してくれそうにない。
「あっ」
男は小さく悲鳴を上げる。
冥の細い指が、無造作に彼の一物を握ったのだ。
冷え症ぎみなのか、一度仕事を終えて敏感になっているその部分に、
彼女の手はゾクリと身を震わせるほど冷たかった。
「ん?」
冥は見上げるような目で、わざとらしく糸鋸の表情を覗き込む。
普段の彼女を知っているだけに、そのコケティッシュな表情はなお淫靡に感じられた。
この時、糸鋸本人は気付いていなかった。
もとからの体格に加え柔道と剣道で鍛え抜いた自分の肉体が、
19歳の若い性欲を満たし酔わせるのに充分足りるものだということを。
実際のところ、こうなってみるまで冥は「男」という生き物がこれほど強く逞しいものだとは知らなかった。
ついたてのような肩。きれいに割れた腹筋。かすかに感じられるオスの体臭。
本来であれば生理的な嫌悪感をもよおすであろう黒々とした体毛も、
今は好ましいとすら感じられる。
――さらに、狩魔冥は知っている。
そんな筋骨隆々の男くさい風貌に似合わず、彼の心は思いのほか繊細で傷つきやすく、
それゆえ他者に対して優しいのだということを。
不器用だが、不器用なりに誰かの助けになろうとする素朴な善良人。
…頭が良いとはお世辞にも言えないが、逆に言えば妙な賢しさは微塵も無かった。
そういう男に自分が惹かれるなど、彼女自身は思いもよらない事だったが…
考えてみれば、そんな人間は今まで誰一人として自分の周囲には居なかった。
糸鋸という存在自体、冥からすると一種の奇跡に思われるのである。
「あ…、ちょ……ッ」
糸鋸がか細い声をあげる。冥は目細め、
「ほら、だんだん…」
大きくなってきた、とまでは言わないが、手のひらに感じられるその変化は明らかだった。
やがてその部分が最大限の自己主張に身をふるわせる頃になると、
もう糸鋸には我慢が効かなくなっていた。
「検事…ッ!」
それまで彼の男根を弄びながら徐々に硬くなっていくその感触を楽しんでいた冥に、
糸鋸の巨体が覆いかぶさってくる。
冥は一瞬だけ驚いたが、やがて期待と恥じらいにその頬を薄く染めた。
最終更新:2006年12月12日 20:51