「ずっと昔から僕はこういうことをしたかったからだよ」
低く、甘い言葉。 その言葉だけで彼女はたまらないと言わんばかりに首を振り、成歩堂の体をぎゅうを抱き返す。
成歩堂は彼女に好意を持っていたし、それを「相棒」「妹」「友達」で括るだけでは物足りなかった。 けれどそれが「いつから」と聞かれても分からない。
泣いている肩を抱き寄せることは安易なことで、けれども関係が崩れてしまうことを懸念して触れることすら出来なかった自分がいたのも事実。
それぐらいに大切だったと言えば簡単だが要は自分に度胸がなかっただけだ。
「だから――、みぬきと真宵ちゃんの思いのベクトルは違う。 ……それでいいだろ? 君だって御剣と僕に向ける思いのベクトルが違う。 それと同じことだよ」
「な、なんで御剣さんが出てっ、っんん……」
異議を申し立てようとする真宵の言葉を紡がせないとばかりに襦袢の上から、そっと胸のラインをなぞれば真宵は押し黙った。 それにしても着物と言うものは着るのも脱がすのも一苦労らしい。
長襦袢を引っぺがしても尚、肌襦袢が成歩堂の行く手を阻む。 いっそ破ってしまおうかとすら思ったが、流石に彼女の帰りの際に何も下に着ていないのも問題になる。
……というよりも、成歩堂よりも他人に彼女の薄着を見られるのが嫌なだけかもしれない。
「大体一緒だよ」
「そんなっ、あ、テキトー、ずる、ぁ、ひゃあっ!」
耳の穴の中に舌をねじ込ませればくすぐったいのか、体を捩じらせる。 その反動で肌襦袢が徐々に崩れ、漸く彼女の肌が姿を現す。
白く華奢な体は見ている成歩堂を吸い寄せるように艶かしく、肩で息をしているせいだろう胸が僅かに上下するのが余計に煽り立てていた。
真宵が異論を言う暇も与えず、彼はその手を彼女の体に余すことなく撫ぜ回し、キスをし、花を咲かせる。
彼女の感度は非常に良く、甘い声とソファーがぎしりと二人の体重に耐え切れないとばかりに悲鳴をあげるのとそろってハーモニーを奏でている。
「な、るほどくっ……んっ」
上の空で呟いて、彼女の両手は虚空を掴んだ。 それを成歩堂は片手を引っ張り自分の頬に触れさせる。 ここにいる、と言うことを立証するように。
カーテン越しに差し込む朝日は電気が一つもついていないというのにお互いの顔をはっきりと見させる。
成歩堂の視線が恥ずかしいのか、それとも行為自体が恥ずかしいのか、彼女の頬と身体は紅潮して、呼吸は荒い。
縋るような、女の目で成歩堂を見上げ、ちらりと覗く舌は呼吸と成歩堂との何度も行った接吻のせいだろうか、だらりと唾液をたらしている。
無自覚に成歩堂を誘い込み、彼女の黒い瞳は揺れている。
はやく。 目がそう訴えて成歩堂の内側に潜んでいた獣じみた欲望を引っ張り上げてくる。
双丘に直に触れると、その頂点はぴん、と姿勢をただし己の存在を主張していた。
だが敢えてそこには触れず、成歩堂は双丘の中央の谷間に口付け、そこを少し強めに吸い付く。 紅の花が一輪、そこにまた浮かび上がった。
花が咲くことと共に物足りないとばかりに肩を震わせ真宵は成歩堂を睨みつける。
……無論、涙がうっすらと滲み、更には甘い嬌声まで上げている状況でそんな行為が成歩堂を止められるわけがない。
「ぁ、ひゃぁっ……! んんっ……」
触れて欲しいのに、触れてもらえない。 一番欲しいところに貰えず焦らされ身体をよじり如何にかしてもらおうとするのだが、胸が僅かに震えるだけで結局体は固定されたまま。
どうしようもない真宵に、ニヤリと成歩堂は笑った。
「……どうかした? 真宵ちゃん」
分かっているのに、態々聞くのは卑怯だ。 数分前に言った言葉であると言うのに彼の中ではすっかり削げ落ちているらしい。
笑う成歩堂に真宵は泣きそうになったが、いくら待っても彼はくれないのだということを悟るとすう、と息を吸った。 恥ずかしい。 けれど言わなければいけない。
「そこ、じゃなくて……」
「ん?」
「……っ、うう、いじわる……」
「……言わなきゃわかんないよ?」
つう、と太ももあたりを撫ぜ、わざと見当違いのところに触れる。 恨めしい目で彼女は此方を見たが、それさえ可愛らしいと思うのは余程自分が彼女に毒されているということだろう。
甘美な毒に狂うのなら、これもまたありだろう。 甘い毒にじわじわと侵蝕され、脳も支配され――考え事が出来ないくらいに夢中になるのなら、それも悪くない、なんて思ってしまう。
切ない声で必死に懇願する姿は見たこともない表情に、知らずして感情が高ぶっていく。 彼女の芯を貫いたとき、彼女はどんな声を上げるのだろう。 どんな顔をするのだろう。
想像するだけでゾクゾクした。
「……なるほどくん……ずるいよぉ……」
「ごめんごめん、あんまりにも可愛かったから」
ぽろぽろと涙を零した真宵に己の今してきたことを思い返し、成歩堂は苦笑いをしながら親指で彼女の涙をぬぐいとる。 それをそのまま口に含むと少ししょっぱい味が広がった。
刹那、彼女はぴたりと泣くのを止めて「何してんのよう」とポカポカ胸を叩く。
「ああ、舌でぬぐった方が良かった?」
「ばっ、バカ! なるほどくんセクハラだよそれ!」
「合意の上だからいいんだよ、別に。 それより、触れて欲しかったんだろ? ここ」
「ぁあっん! ちょ、まっ……っ、あん!」
口論をしていたというのに、真宵の言葉は失われて直ぐに切なくも甘い声に変わる。 大きな掌に収まり、その突起を弾き、親指でぐりぐりとつぶす。
「やっ……あんっ……」
甘い声が脳を支配するには時間は要さなかった。 もっと喘がせたくて、それを口に含み舌で転がせば身体が弓形にしなる。
逃げ腰になる真宵をがっちりと掴みとり、執拗に突起を甘く噛み、嘗め回し、もう片方の丘には手を這わす。
舌と手の二つの手段で二つの丘を攻め上げると真宵はたまらないとばかりに腰をくねらせ切なく鳴いた。
鳴いている姿も見たいのは山々だが、先ほどから幾度となく繰り返した甘い行為によって彼女の身体の中心部はどうなっているのだろうか、と気になりそっと身体をスライドさせる。
小さな悲鳴が成歩堂の耳に届いた。
さらりとそれを無視し、既に落ちた長襦袢を足で遠ざける。 彼女は肌着といえるものは肌襦袢だけなのでそれさえも払いとってしまえば生まれたままの姿だ。
これ以上痴態をさらしたくないと言う防衛本能なのか、必死に足に力を入れて抵抗を真宵は試みていた。 ……が、女性が男性に力で勝てるわけもなく、彼女の両膝の裏を成歩堂は優しく触れて、一気に開く。
「きゃわわわわっ! だ、だめっ、ぁ、ひゃあっ!」
「ん、十分濡れてるね。 ……気持ちよかった?」
ふう、と身体の中心部に息を吹きかけるように成歩堂が問うと、全身を電流が走り回ったように、先ほどとは確実に異なる何かがうごめく。
もはや熱帯雨林の湖になった場所へ手を這わすと卑猥な、粘着質な水音が部屋に響く。
それは間違いなく、彼女の身体から出たもので、その事実を認めたくないのか、真宵はぶんぶんと首を振っている。
そんな姿がいじらしくて、可愛らしくて、ついつい先ほどまで鎮圧されかけていた加虐心が燻り、何の前ぶりもなく指を湖の中へと浸した。
太腿を液体が伝う感触と、ゆっくりと湖を渡る船のように蠢く成歩堂の優しくも激しい指の動きに真宵の瞼の裏で火花が散る。
彼はピアノの弾けないとはいえ「ピアニスト」であるせいか、指が長い。 湖の奥深く、洞窟の中へ入ると中を探ろうとぐるりぐるりと指が動き回る。
堪えられない、とばかりに唇を噛締め目を硬く閉ざすと、優しい声が降ってくる。
「真宵ちゃん、大丈夫。 ……目、あけて」
「や、やぁっ……! あ、だ、駄目、ぁんっ!」
もう片方の手で、噛締めていた唇を開かされ、止め具がないせいか声が溢れ出て止まらない。
その間も入り口をこねるように動く指に腰が逃げる。 それを追うかのように動く指が、とある部分に触れた時、彼女の身体は今までの比ではないくらいに浮いた。
「あっ! そ、そこっ……だ、だめっ!」
「駄目? 嘘は駄目だよ、真宵ちゃん」
彼女の甘い叫びを理解し、ニヤリと口端を吊り上げ、ピンポイントでたった今さっき大きく鳴いたその場所を今度は先ほどとは異なりスローな速度で押しつぶす。
触れられ、擦られ、その度に真宵の甘い声は増していく一方だ。
甘い甘い嬌声は成歩堂の背筋をゾクゾクさせるだけでは飽き足らず彼の本能を引き出していく。
人間は他の獣たちとは異なりいつでも発情できると言うが、改めてそのとおりだと成歩堂は考える。
確かに、目の前でこのような痴態を見せられ、自分の思ったとおりに踊る姿は人間ならではだ。 ピアノは弾けないが、真宵は一つの場所を変えるだけで楽器のように鳴いた。
軽く爪を立てれば涙のように愛液がこぼれ落ちる。 指を洞窟から抜けば、粘着質な透明な液体が指に絡められる。
その手をそのまま真宵の顎に触れ、唇に撫でれば恥辱に歪む顔が目に飛び込んでくる。
己の舌で、その唇についた液体を舐め、ついでに彼女の唇を堪能すれば恍惚と苦痛と恥辱が交じり合う真宵の表情が映った。
「……真宵ちゃんの、味がする」
「っ、ぁ、ひゃっ……な、るほどくっ…ぅん」
「ん……わかってる」
触れるだけの口付けを再び交わし、船を二隻、三隻に増やし湖を渡る。
洞窟は最初は小さかったが、身体は正直なのかあっという間に飲み込んでいく。
呼吸することすら困難なのか、息を止め、陸に上がった魚のように唇を震わせ、ぱくぱくと声にならない声をあげる真宵の表情は恍惚に滲む。
「なるほ、どくっ……ぁ、や、だめっ、も……っ! あ、ひゃ、あああっ!」
一層絹を裂くような高い声が響き、身体が痙攣し、一瞬洞窟がきつく絞まった。
黒い髪が、頬にぺったりと張り付いて、荒い呼吸。 虚ろな瞳で此方を見据えてくる真宵の姿はより一層成歩堂を煽った。 ここで留めることなど彼には既に不可能だった。
理性の枷なんてものは、とっくの昔に外れた。 今あるのは生殖の本能と、目の前で踊る女への愛情のみだ。 正確に言えば、この瞬間も恐らく「誰か」は自分を見張っているだろうという懸念もあったが――。 それはそれ、だ。
顔に張り付いた髪を優しく払いとると、夢心地とも取れる彼女の顔がゆっくりと成歩堂を見据えた。
「大丈夫?」
「ん……だいじょぶ……」
「……辛いなら、やめるけど、どうする?」
誰がどう止めるって? と恐らく彼の一面を知る友人Yならば言うだろう。 狙った獲物は逃がさない、一種の肉食獣的な一面も成歩堂が持っていることを知るのは一部の人間ぐらいだ。
真宵は首を横に振って、ぎゅうと重たい身体を引きずり彼に抱きついた。
「やだ。 なるほどくんが……ほしい」
「後悔するなよ?」
「しないもん……なるほどくんだから」
ふわり。 甘く彼女は笑った。 その笑顔に、何かまた別の場所がぶちん、と音を立てて盛大に崩れ落ちた気がする。
どこから取り出したのか分からない避妊具の袋を口であけ、右手で真宵を押し倒し、そのまま己の本能の塊に左手で避妊具を用い覆った。
真宵の足を持ち上げると、己のそれを静かに宛がう。
指とは違う感触にかすかに彼女の身体が震えたが、「なるほどくんだから」という言葉に色々なものがはちきれたのだろう。 彼はもう止まりはしなかった。
静かに、己のそれを沈めていけば苦しそうに眉間にシワがよった。 ゆっくりと、宥めるように頭をなでながら静かに、時間をかけてそれを中へと食い込ませていく。
声にならない叫びをあげそうになり、それでもあげるわけには行かないと必死に堪える真宵を抱き寄せ、その手を背中に回させる。
「声、出したくないなら肩噛んでいいよ」と優しく言い聞かせると彼女は微かに爪を立て、首筋に噛み付いた。
彼女の内は熱く脈打ち、己のそれなど食いちぎってやると言わんばかりの締め付けに苦痛の声がもれる。
「真宵ちゃん……大丈夫。 ……僕を見て」
「っ、あ、ぁ、なるほど、くっ……!」
「大丈夫。 ……優しくするから」
安心させるように、あやす様に大丈夫という言葉を紡ぎ、髪を撫で落ち着かせながら己の本能を内側へとゆっくりと進めていく。
身体が全て埋まるまでには、そう時間はかからなかった。
「入ったよ、真宵ちゃん」
「ん、っ……なるほどくん、あつい……」
「真宵ちゃんが熱いんだよ」
息を整えようと必死に呼吸する真宵の頭を軽くなで、いつもと同じように軽口を叩けば、真宵もそれにつられて口元を緩めた。
それを確認した後ゆっくりと押し込んだものを引き抜き、一気に突き上げれば彼女の喉が反りかえり、高い声が響いた。
同じ行動を繰り返せば嬌声と共に苦痛に歪む真宵の表情が次第に恍惚と快楽のものへと変わりゆく。
身体を揺らし、打ち付けるたびに上がる声は耳を支配し、より一層気持ちを高ぶらせた。
黒い髪がしなやかに揺れ、やわらかく身体が浮く。
一般的に男は目で感じ、女は耳で感じると言う。
その言葉どおりにいくとすれば、彼女の動く様に成歩堂の本能はまし、成歩堂の言葉一つ一つに真宵もまた、本能の為すがままにされているということだろう。
肉が打ち付けあう独特な音は互いの欲を増させる。
足りない、もっと。 もっと。 貪欲に求め、身体を絡めあい、スピードは増していく。
「な……ほどくっ、も、無理……」
「……っ、ダメ」
「な、んでぇっ……? ぁ……!」
「僕の名前は、【龍一】だよ。 ……なるほど、は名前じゃない」
普段なら、何気ないこと。 寧ろ名前で呼ばれるなんて、寧ろ自分自身すら違和感があること。
彼女の中での自分の呼ばれ方は「なるほどくん」であり、それで十分だったはずなのに。 何故だろうか、物足りないと思った。
「っ!……そ、んな……ぁ、っ!んんっ……い、い、じわる…しない、でよう……」
彼女の中でも「成歩堂龍一」イコール「なるほどくん」のせいだろう。 首を振って嫌と言う姿に少し傷付いたが、こんな時だからこそ名前で呼んで欲しいもの。
先ほどまでスピードを増していたそれを緩めれば、物足りないと彼女の腰が浮く。 真宵の紅潮した顔が目に飛び込んでくるが、成歩堂はふてぶてしく笑った。
ピンチな時こそよく笑え。 そう師が言った言葉だ。
「い、言うからっ……おねがっ……! やめな……でっ、りゅ、いちっ……くんっ!」
縋るように言った彼女の言葉。 途切れ途切れではあった。 けれど確かに「龍一くん」と真宵の唇から零れ落ちた。
人間と言うものは非常に単純に生きているものである。 あっさりとたった一言で成歩堂は陥落し、身体を今までのスピードの比ではないくらいに打ち付ける。
嬌声を上げる暇など与えないと言わんばかりに、激しく、それでいて優しく、何度も何度も、上下左右への律動を繰り返した。
そして――彼女は叫びと共に彼を締め付ける。 その締め付けがきつくなったせいだろう、成歩堂の顔にも既に余裕はない。 真摯と苦痛の真ん中で顔を歪め、搾り出すような声で彼女の名を呼ぶ。
お互いの名前を何度呼び合っただろうか。
―― やがて、彼らの視界は突然の光を浴びたかのように真っ白になった。
* * *
「……態々送ってってくれなくても、あたしちゃんと帰り道分かるよ?」
「みそラーメン、買い食いしそうだからね、一応」
「もう、子ども扱いしないでってば!」
数度に渡る甘い行為を終え、衣服を整える前に仮眠室の横にあるシャワーを半ば強引に入らせた後、未だ残る倦怠感を拭い取ろうと身体を起き上がらせた。
彼女はあれほど成歩堂が脱がすのに四苦八苦していた着物をてきぱきと動かし、着つけていく。 髪の毛も行きと同じように丁寧に束ね上げられ、白いうなじが色っぽく映る。
一人でも振袖って着れるもんなのか、と妙に感心をしていると考えを見抜いたのか、真宵はくすくすと楽しそうに笑った。
―― ああ、本当に彼女はもう「オンナノヒト」なんだなぁ。
妙にしみじみして、成歩堂は彼女を抱きすくめた。 なんだか寂しくて、それでいて彼女を「女」にしたのが自分であると言う幸福感で満たされている。
不思議と、笑みがこぼれた。
「なるほどくん」
「うん」
「なるほどくんが、何があったのかは、あたし分かんない」
「……うん」
「けどね、なるほどくんには、あたしやはみちゃんや、御剣さんや、ヤッパリさんがいるし、みぬきちゃんもいるんだからね。 そりゃ、みぬきちゃんにちょっと嫉妬したけど」
「……ん」
「お母さんがいなくて、お父さんもいなくなっちゃった気持ち、分かるから。 ……あたしに、お姉ちゃんがいたように、なるほどくんも傍にいてあげてね」
「うん」
「後、何度も言うけどね、一人ぼっちだなんて、思っちゃダメだよ?」
くるりと彼女は振り返って、成歩堂の両側の頬をバチン!と音を立てたたいた。
余りの痛みに文句を言おうとしたが、彼女はいつもと変わらぬ笑顔を浮かべていたものだから、言葉はどこかへ捨てることにした。
「そうだ、これからトノサマンシリーズあたし送るよ!」
「うん……って、え?」
「で、それでなるほどくんがトノサマンシリーズのレポートを毎回書くの。 その話ごとに!」
「え、え?」
想像していなかった言葉の嵐に目を丸くする成歩堂だが、真宵はにこにこと満面の笑顔で続ける。
「あたし、保存用と自分用でDVD其々持ってるから、なるほどくん用に新しいの買って、それ送るね」
「いやいやいや、それ無駄遣いだろ!」
「いいの、もう決めたの! それで、レポートをチェックするの。 そうすればなるほどくんが元気かどうかとか、あたし分かっちゃうもんねー!」
なるほどくんのことなら、分かるよ。
彼女の言葉に、成歩堂は泣きそうになった。 全てを打ち明けられない悲しさだとか、せつなさ。 けれどもそれさえ彼女は見抜いたと言うのだろうか。
振り返らずに歩いて欲しいと、涙も何もかもを飲み込んで、何も言おうとしない自分を見抜いたというのだろうか。
「真宵ちゃんには、適わないよ……」
ぽつり、と呟いた言葉に、真宵はにっこりと優しくも強い笑顔を浮かべた。
「なるほどくんのためなら、二時間なんてワケないよ。 あたしだって夢の中で逢うだけじゃ物足りないもん」
それは情事の前に成歩堂が言った言葉だ。 真宵を見つめれば真宵は楽しそうに笑い、成歩堂の髪を撫で、背中を叩き、ぎゅう、と抱きしめた。
「だーいじょうぶだよ。 なるほどくんにはいつだって、この真宵ちゃんがついてるからね! 離れてたって、いつだって一緒だよ。 そうさっき教えてくれたのは、なるほどくんだもん」
「ねぇ?」と確認するように笑った真宵に、つられたように成歩堂は笑い――そして、同意を言葉にする代わりに、彼女の唇に甘い口付けを一つ、落とした。
時刻は十一時半。 少し早いけれど昼飯にするには丁度いい時間だ。 次の言葉はどうしよう? そんな風に考えたけれど、出てくる言葉なんてもうとっくの前に決まっている。
「お昼、一緒にみそラーメン食べにいこっか」
花のように、彼女は昔と変わらずにきっと笑ってくれるだろう。 その時の自分の顔は、どんな顔をしているのだろうか。 考えるだけで成歩堂の頬は緩んだ。
柔らかな日が、進展した彼らを包み込むようにカーテンの隙間からそっと部屋に差し込んでいた。