【お飾り考察】
ゆっくりの共通認識としてあげられる最大のものに、
「お飾りのないゆっくりはゆっくりできない」
というものがある。
お飾りとはれいむ種でいえばリボン、まりさ種ならば帽子がそれに当たる。
お飾りは、人間には知覚できないゆっくり特有の匂いや微細な違いによって見分けられるようだ。
では、このお飾りを色んなものに変えたらどうなるのか。「お飾りのないゆっくりはゆっくりできない」という認識の限界はどこにあるのだろうか。
早速、実験してみよう。
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用意したのはれいむ種、まりさ種ともに三匹ずつ。森をうろついていたのを適当に捕まえた。睡眠薬入りのご飯を食べさせてあるので、お飾りを奪っても起きない。
まずは、れいむ種のリボン。一匹のれいむからリボンを外し、巨大なリボンに付け替える。本体のれいむよりも三周りほど大きい。
もう一匹はギラギラのラメが付いたゴージャスなリボン。
最後の一匹には、折り紙をリボンの形に折ったものを付ける。
まりさ種にいこう。一匹にはとんがりコーンを、もう一匹には工事現場とかに置いてある三角コーンを被せ、最後の一匹には元々の帽子に香水をふりかけただけのものを乗っける。
そろそろ起きる頃だろう。あちこちにカメラをセットして、私はその場を離れた。
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「ゆっ? ここどこ? ……なんだかあたまがおもいよ! ゆ、れいむのおりぼんさんぎらぎらだね!」
「れいむのおりぼんさん、そんなにおっきかったっけ?」
「おりぼんさんどこいったのおおお!? こんなぺらぺらのおりぼんさんじゃゆっくりできないぃぃぃ!」
「ま、まりさのおぼうしさんくさいのぜ!? あんまりちかよらないでほしいんだぜ! ゆ? なにかおちたのぜ! むーしゃむーしゃ! しあわ……まりさのおぼうしさんがなくなっちゃったぁぁぁ!?」
「まえがみえないんだぜぇぇぇ!?」
「おぼうしさんがくさいぃぃぃ!」
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彼らは自分たちのことを同じように呼ぶのでややこしいことになるのだが、その辺は自分で脳内補完&処理していただこう。
さて、見たとおりゆっくりのお飾りとは人間で言うところの顔面だとも言えるだろう。
形が整ったものは優遇され、崩れた……ううん、あまり良い言い方じゃないな。個性的な……そう、ある意味では逸脱したおまえらみたいな不細工……いや、失礼。
まあ、つまりはそういうことだ。
だから、そこから格差が生じる。孔雀とドブネズミ、磨かれた宝石と路傍の石ころが戦うようなものだ。どちらが勝ちでどちらが負けかは赤子でもわかる。
しかし、である。ゆっくりにとって、お飾りとは個体識別のためだけにあるように思われる。何故なら、私はお飾りを装飾するゆっくりをあまり見たことがないからだ。
それこそ、木の葉や花飾りなんかを添えてみるくらいのことは彼らにもできようはずだ。だが、現に彼らはお飾りのないゆっくりだけ、もしくは変なお飾りを付けているものだけを排斥する。
ここから結論する。
お飾りとは、単なる認識把握物体にしか過ぎないのではあるまいか、と。
なによりの証拠が、生まれたときからお飾りが備わっているという厳然たる事実。植物型妊娠でも動物型妊娠でも変わらず、お飾りは既に装着された状態で生まれるのだ。
だから、お飾りを装飾することは顔面に泥を塗るようなもので……と言いたいところなのだが。
「ゆゆーん! れいむのおりぼんさんはごーじゃすさんでうらやましいよ!」
「ゆぅー。れいむのおりぼんさんもでっかくてかっこいいよ!」
結局、なんでもいいのだろうか?
もちろん、お飾りがない者は論外だが。
「おぼうしさんのないまりさはゆっくりできないのぜ! どっかいっちまえなのぜ!」
「ゆわぁぁぁぁぁぁ!! ばりざのおぼうじざんゆっぐりがえっでぎでぇぇぇ!」
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「助手Aくん。きみは、どんな女性も視線を向けただけでイチコロにできるイケメンになれるとしたら、整形する? んふふ」
「言外にボクのことを侮辱していますね。 でも……うん、迷うところですよね」
「ですよね、っていうところがひっかかるな。まあ、私も迷うよ。顔で判断される世の中に絶望さえしている」
「まだお若いのに……」
「ゆっくりみたいに、簡単に価値観と外観を変えられればいいのにな」
「そんなことになったら、誰が誰だかわからなくなってしまいますね」
「私が誰だかわからなくなっても……」
「え?」
「すまない、忘れてくれ」
ゆっくりにとって、お飾りは命と同じくらい大切なもの。少なくとも、自分のためには加工も装飾もしない。
では、人間は?
親から与えられたものを不都合だ、不便だと言っていじり回す人間という生き物に、私はある種の不快感を覚えるのだった。
完
最終更新:2010年10月21日 21:43