アットウィキロゴ

【心理のカケラ】

【心理のカケラ】

 ふるえる刃。
 つのる不安。

 幾度目の逡巡ののち。ついに、私は彼女の側頭部にメスをいれた。

―――――

「精神強圧臨性上脳支配症」

 それが、彼女の病名だった。

―――――

 彼女は母性豊かで、もともと物静かだった。それが、私と暮らし初めてしばらく経った頃に突然、手がつけられないほどに凶暴になった。 あちこち暴れ回り、家のなかはぐちゃぐちゃになった。彼女が癇癪を起こすことはつまり、小さな嵐が吹き荒れることであった。そして、ひとしきり暴れて疲れたら、糸の切れた人形のように動かなくなってしまう。丸いふくよかな体は痩せ細って、肌はがさがさになっていた。
 医者からは、抗鬱薬の投与を勧められた。効果が出るには、数ヶ月から数年、必要だと言う。
 私は待てなかった。すぐにでも、優しく微笑む彼女の顔が見たかった。

―――――

 以前の彼女に会いたい。私が知った方法は、
「前部前頭葉切裁術」というものだった。一般的には「ロボトミー」と呼称されるらしいが、そんなことは私にはどうでもいいことだった。
 医者にこの手術のことを話したら、強く否定された。彼の話では、ロボトミー手術は効果の信憑性が薄く、しかも命に危険が迫る可能性が高い。あげく、私の彼女に対する愛情まで疑われた。そんな医者を信頼できるはずがない。
 私は、自らの手で彼女を「治す」ことにした。

―――――

 もう少しだよ。
 もう少しで、楽しい毎日が訪れる。
 不安の影に怯えながら、恐怖に支配されることは無くなる。
 私が、私こそが、きみを愛する最大のものなのだから。
 さあ。
 起きて。
 眼を覚ましておくれ。
 あたたかな眼差しを見せて、喜びの声を聞かせてほしいんだ。
 れいむ――――。

―――――

「…………おにいさん、だいすきだよ」

 彼女は、微笑んでくれた。長く暗いトンネルを抜けた気分だった。
 私は、彼女の好物の生クリームをスプーンによそって、食べさせてあげた。
 彼女はにっこり笑って、

「おにいさん、だいすきだよ」
と言った。うれしかった。ロボトミー手術を開発した人に、心のなかで感謝した。

―――――

「……おにいさん、だいすきだよ……おにいさん、だいすきだよ……おにいさん、だいすきだよ……おにいさん、だいすきだよ……おにいさん、だいすきだよ……」


      完

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年10月24日 22:38
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。