†第二部†
目を冷ましたとき、オレはそこが天国に違いないと思った。
視界一面真っ白で、その清廉さはあらゆる生命の存在を認めないかのようだった。
だが、オレの命はそこで生きていた。オレだけじゃない、隣のベッドには、黒猫がすやすやと寝息をたてている。
天国かと思ったのは、消毒液のにおいが漂う病室だった。
オレはそこにあるベッドに横たわり、真っ白な天井を見上げていたのだ。
あの日、オレの乗ったナイトホークは反政府ゲリラのミサイルに撃墜された。オレの遭難地点を確認に来た黒猫まで撃墜され、二人ともだだっ広い大海原を漂った。
助かる見込みはゼロに近かったはずだが、どうしたことかオレたちは二人とも助かったのだ。
「気がついたか」
低い声が聞こえた。首を横に向けると、基地司令が椅子に腰掛けてオレを見ていた。
「司令……」
オレはやっとの思いで声を搾り出した。この一言を発しただけで、もう体力が底を尽きそうだった。
「無理してしゃべるな。せっかく助かった命だ。安静にしていればまた空を飛べるぞ」
司令はそう言って、珍しいことに笑ってみせた。
また空を飛べる。
その言葉がとてつもなく空虚に聞こえたのは、体力が落ちていたからではないだろう。
九死に一生を得た人生も、上官の命令さえあれば再び危険に晒さなければならない。
いまさらながら軍人の抱える無情な運命を認識したオレは、もう何も考えたくもなかった。
司令はことの顛末を詳しく聞かせてくれた。
オレのナイトホークを撃墜したのは、ゲリラが我が軍から盗み出した最新型の対空ミサイルだったらしい。
レーダー、発射管制装置、そして発射台などをまるごと盗まれていたのだそうだ。共和国軍も落ちたもの、司令は自嘲気味に呟くと、また笑って言った。そのとばっちりをうけて君も墜ちたわけだ、と。
面白くもないジョークを受け流して黙っていると、司令はまた喋りだした。
オレが撃墜されたのを知った黒猫は、ただちにオレの遭難空域に向かってくれたらしい。だが、そこで黒猫までもが撃墜されてしまった。
すでにオレ達の遭難位置を突き止めていた司令は、さらに救援隊を送った。飛行艇二機と戦闘機一個小隊という仰々しい救援隊は、気絶したまま海上を漂うオレと黒猫を発見し、拾い上げてくれたのだそうだ。
「救援隊を派遣するか否かは、正直に言うとかなり迷った。ゲリラは新型の対空ミサイルを手に入れたのだ。救援隊までもが撃墜されてもおかしくなかった」
司令は表情ひとつ変えずにそう言った。この基地の責任者としては当然の苦悩だっただろう。だが、オレはこう感じたのだ。結局兵士は使い捨てか、と。
救援隊の派遣にしても、たまたまオレ達二人を発見できただけだったかもしれない。形だけの派遣だったかもしれない。軍隊とはそういうところだからだ。
巨大な組織は効率を重視する。末端の歯車が行方不明になったところで、また新しい歯車を用意すればいいだけだ。そのほうがあちこち探しまわるより効率がいいのだから。
司令は病室を出ていった。まだ仕事が山のように残っているらしい。
静かだった。蛍光灯がジリジリと音をたてている。その音を聞きながら、しばらくなにも考えずにいた。
「バチが当たったのかもね」
不意に黒猫の声がして、オレは驚いて彼女のほうを見た。彼女はすでに目を覚ましていたのだ。
「わたし達は島を一つ吹き飛ばした。それって自然の摂理に反することじゃない?だからきっと、バチが当たったんだよ」
促しもしないのに、黒猫は勝手に話し続けていた。オレはとくに受け答えもせず、黙って聞いていた。
「ゲリラの拠点はもうあの島にはなかったんでしょ?だったらそっとしておけば良かったのに。ゲリラの人たちからしてみれば、ちょっとは愛着のある島だったかも知れないよ」
そういう風に考えたことはなかった。ゲリラの気持ちなんて。
「新しい兵器ができたからって、気まぐれにあんな綺麗な島を消し飛ばしちゃってさ。わたし達は罪深いことをしたんだよ。だから……」
黒猫の声が急に涙ぐんだ。オレは何事かと思い、ベッドの上に身を起こして黒猫を見た。
「だからわたしの足、罰として取られちゃったんだね……」
黒猫は横たわったまま泣いていた。彼女に覆い被さるシーツは、ふともものあたりからすっかり平らになっていた。
2ヶ月が過ぎた。オレは順調に回復し、退院することになった。
「毎日ここに来るよ。お前もはやく元気になれよ?」
黒猫にはそれだけを言い残した。彼女は少しだけ泣きそうになりながら、それでもはにかんで見せた。
†
再訓練の期間は驚くほど短かった。オレの回復が順調だったこともあるだろうが、それにしても短すぎる。
オレに再訓練を基地司令が、次第に差し迫ったような表情になっていくのも気がかりだった。
オレの知らないところでなにか良からぬことが起こったのだろう。それが教えられるまで、オレはひたすら訓練に打ち込んだ。
頭には常に黒猫の姿が浮かんでいた。病室のベッドで、今も横たわったままの黒猫。彼女が自分の足で立ち上がることは二度とない。ましてや、自分の意志で戦闘機を飛ばすことなど論外だ。
空を飛ぶのが大好きだった彼女の分まで。
それが意味ある行為なのかはわからない。それでもオレは、自分一人だけほとんど無傷で助かったことを負い目に感じていたのだ。
ならば彼女の代わりに飛ぼう。どんな任務であろうと、オレは空高く舞い上がっていこう。
出撃の機会は意外とはやく訪れた。
日課となった黒猫の見舞いから戻ったオレは、基地司令に呼び出された。
「君に特別任務がある」
司令はそう切り出した。特別任務と聞いただけで悪寒が走った。
「最近、ゲリラ側に強力な戦闘機乗りが出現した。そのパイロットは新型のSu-27を操り、我が軍の輸送機に多大な被害をもたらしている」
オレはひたすら黙っていた。戦闘機との本格的な格闘戦は、ナイトホークの得意とする分野ではない。ナイトホークは本質的に攻撃機なのだから。
「そのパイロットは奇妙なことに、こちらの無線に割り込んで自らの名を宣言するのだそうだ。曰く、『我はギエロンの使者。死んだ仲間達の復讐に来た』と」
「ギエロンの使者?」
ギエロン。その名前は忘れようにも忘れられない。オレが超兵器R―1号を投下し、地図上から葬りさった無人島。黒猫の両足を奪うきっかけとなった島。
「今から君に重要な機密事項を話す。他言無用だ。黒猫中尉にも話すな」
オレが黒猫の病室に毎日通っていることは司令も知っている。凄味を増した司令の声は、この話が連邦軍内でもかなり機密度の高いものであることを物語っていた。
「約束しましょう。誰にも話しません」
「よし。いいか、心して聞け。君が爆撃したギエロン島だが、調査の結果、R―1号投下時には無人島でなかったことがわかった」
「なっ…!?」
言葉を失った。あの島には人はいない。その事は任務の前に念を押して確認したはずだ。それがあっさり覆された。
「不運なことだよ。R―1号投下の前日まで、あの島は確かに無人だったのだ。だが投下決行の夜、闇に紛れて島に上陸した連中がいた。監視衛星が小型ボート数隻を捉えていたそうだ」
「だったらなぜ、投下を中止しなかったんですか?!」
「情報部が衛星の解析画像を寄越したのは、R―1号が投下された後だった。といっても情報部が悪いわけじゃない。もっと上から抑えられていたのだ。連邦軍最高司令部は、R―1号の実験を何がなんでも決行したかったんだろう」
「そのために、犠牲になる人間がでてもいいと?」
「それが軍隊だよ、ナガモン中尉。犠牲者が民間人だったかどうかはわからない。だがあの島はかつてゲリラが拠点としていた。そして島が吹き飛ばされた後、『仲間』の復讐を語るギエロンの使者が現れた。状況からすれば、犠牲者はゲリラの構成員だろう。君がどう思うかは別だが、少なくとも最高司令部はなんとも思わないだろう」
「それで、特別任務とは?」
オレは基地司令に尋ねた。
「ナガモン中尉、君にはこのギエロンの使者を倒してもらいたい」
そら来た。
オレは鼻白んだ。
「不可能です。ナイトホークには格闘戦能力はありません。戦闘機の相手は戦闘機にやらせればいいでしょう?」
「そうも言ってられんのだ。ギエロンの使者は我が軍の戦闘機と遭遇すると全速力で逃げる。奴が狙うのは鈍重な爆撃機か輸送機ばかり。だから手を焼いている」
「復讐者を語るくせに、弱い相手にしか攻撃しないんですか。卑怯な」
「ギエロンの使者に直接言ってやるんだな。とにかく、ギエロンの使者に接近できるのはステルスだけだ。我が軍のステルス機はナイトホーク以外にない」
基地司令の言葉は正しい。
連邦軍はせっかく開発した高度のステルス技術を、まず戦闘機ではなく攻撃機たるナイトホークに駆使したのだ。
厳密に言えば、ナイトホーク以前にも多少のステルス性を有する偵察機が存在していたが、ナイトホークほど完全なステルス性能ではなかった。
「しかし、そのギエロンの使者とやらに近づくことができても、ナイトホークじゃ返り討ちにあいますよ。機動力で戦闘機に勝てるはずもないし、何よりナイトホークには機銃すら装備されていない。むざむざ復讐されに行くのは御免です」
「話を聞け、ナガモン中尉。君のナイトホークには、これから大規模な改修工事を施す」
「改修工事?」
「そうだ」
「それでナイトホークが戦闘機に生まれ変わるとでも?」
「その通りだ」
「バカな、子供じみた発想です」
「そうでもないのだ。ナイトホークは空力特性を無視して、フライバイワイヤによって…完全にコンピューター制御されることによって空を飛んでいる。逆に言えば、そのプログラムさえ弄れば戦闘機動も可能ということだ」
「机上の空論です。無茶な機動をすれば失速して墜落するのが関の山。プログラムを弄る程度では…」
「むろん改修はそれだけにとどまらん。失速に対応できるようエンジンの出力は倍増させる。新型のベクターノズルを装備するからステルス性に問題はない。武装についても、君が指摘した機銃を主翼の付け根に積む予定だ。主翼の厚さが増すだろうから、その分機体全体のラインを修正する。いまのコンピュータはナイトホークの開発当時より進化している。君なら知っていると思うが、ナイトホークが直線的なデザインなのはコンピュータの演算能力が曲線的なデザインをするのに不足したからだ。今のコンピュータを使えばより洗練されたフォルムに仕上がるだろう」
「……お話を聞いていると、オレの機体は作戦のために改造されると言うより、むしろ新型ステルス機のテストベットにさせられるように感じますが」
「たしかにな。蛇足ながら付け加えるが、君の機体の改修はミャンマー博士が担当する。博士は全翼機に目がないそうだ」
オレは頭を抱えた。
ミャンマー博士。
超兵器R―1号を開発し、オレをこの事件に引きずり込んだ張本人じゃないか。
「改修工事完了後、君には新型ナイトホークの慣熟訓練を受けてもらう。我が軍の戦闘機と模擬戦を行う予定だ。今のうちに体をGに慣らしておけ。何か質問は?」
「………ありません」
オレはもう口答えしなかった。これは命令なのだ。何を言っても無駄なのはわかりきっていた。
最終更新:2011年11月16日 17:53