201 名前:なんかもう
プルツーが幸せならそれでいいと思った :2010/09/05(日) 00:05:43 ID:???
たとえば、ここに、自分のクローン人間がいるとする。
果たして人は、その自分にあまりにもよく似た人間を愛せるだろうか?
答えはYESだ。
別に私は個人的なナルシズムを語っているわけじゃない。
ただ、そいつと私は、よく似ているだけの別の人間なのだと言っているにすぎない。
遺伝子的には確かに同一の存在かもしれない。
だがそれでも、そいつは私と全く違った人間になるはずだ。
何故ならば、個人の感性や嗜好は誰かと完全に同じではあり得ないし、
人生において経験することだってそれぞれ違っていく。
人はそうやって他人と「ずれ」ていくのだ。
私のクローンは私よりも怒りっぽい性格かもしれないし、
熱心な信仰心を持って神へ敬虔な祈りを捧げるような奴かもしれない。
ジャンクフードばかり食べる不健康な食生活をしているかもしれないし、
そういう奴なら、ひょっとしたら私より体重が重いかもしれない。
いずれにせよ、私とそいつは一事が万事こういう風に「ずれ」ているだろう。
その「ずれ」こそが個性であり、オリジナリティであり、アイデンティティだ。
そしてそれは、宇宙全体を見渡してもたったひとつしかない、唯一のものだ。
人間関係なんてものは「ずれ」ているもの同士がぶつかり合っているにすぎない。
噛み合わないことなんてしょっちゅうだけど、私達はそれを結構楽しんでいるのさ。
たとえば、ほら、ここに。
「プルツー? どうしたの、ボーっとして」
「いや……私達って、似てない姉妹だな、って思って」
「あはは、なにそれ。見た目はこんなにそっくりなのに?」
「だからだよ」
こんなにも「ずれ」ている私達が、こうして笑いあっていること。
それは恐らく、この地上で最も幸福なことのひとつであるはずだ。
最終更新:2014年11月03日 22:14