ポール・クルーグマン QE3はベストな選択 共和党ライアン副大統領候補の歳出削減案は、まったく馬鹿げている

ポール・クルーグマン/Paul R. Krugman
世界経済は蘇るか
QE3はベストな選択
共和党ライアン副大統領候補の歳出削減案は、まったく馬鹿げている
(月刊Voice 2012年11月号)

オバマは四年間、よくやり通した

- 11月6日、アメリカ合衆国は大統領選挙を迎えます。あなたは4年前の『Voice』インタビューで、「オバマノミクスに期待する」といわれました。オバマ政権の4年間について、どのように評価されていますか。政権の途中から、辛口になられた印象ですが。

クルーグマン オバマが大統領に就任したのはちょうどリーマン・ショックが起こったときで、最悪といってよい時期でした。他の大統領と比較するとき、そのことを考慮に入れなければフェアではないでしょう。医療保険制度改革法にしても、利権が絡んだ業界のロビー活動にもめげず、よくやり通したと思います。もちろん根本的な医療改革への道のりはまだ遠い。批判すべきはしますが、どのレベルを基準にするかによって、批判のレベルも変わってきます。

辛口になったのは、それは私の仕事だからです。どれほど自らが思う政策を大統領が実現したとしても、理想からみればまだまだ。批判して警鐘を鳴らすのが私に与えられたミッションですから。

もしオバマが大統領になったとき、あれほど経済が悪化していなければ、エネルギーの面でも教育の面でも、もっと長期的な政策が立てられたでしょう。

- しかし経済面のみならず、外交・安保面でも4年間で多くの実績を残しながら、オバマの支持率はあまり高くありません。共和党候補のロムニーが当選する確率もまだ残っているように思えます。気鋭の論客といわれる副大統領候補のライアンが唱える歳出削減案については、どのように思われますか。

クルーグマン まったく馬鹿げていますね。次の10年で4兆ドルの歳出削減を行なうのがライアンの案ですが、そのうち3分の2は低所得者層の役に立つプログラムの削減です。さらには3400万人のアメリカ人から健康保険を奪う。しかも老人ではないアメリカ人です。

富裕層への課税を減らし、貧しい人への援助を削減する政策は、どうみてもおかしいでしょう。消費者の支出が滞っているのに政府まで支出を減らせば、さらに景気が悪化するのは自明の理です。

- ライアンはあなたが評価する医療保険制度改革に対しても、痛烈な非難を浴びせていますね。そもそも歳出削減と再分配の整合性をどのようにとるべきでしょう。

クルーグマン 再分配はメディケアなどですでに強く実行されていますが、自分の収入が平均より上か下かによって、それを望むか望まないかが変わってきます。下の場合は再分配から恩恵をこうむりますが、上の場合はそうではない。
収入の格差が大きくなればなるほど、さらに再分配を進めなければなりませんが、現実はそうなっていませんね。ヨーロッパ諸国はアメリカよりも格差が小さく、再分配の割合は大きい。おそらくこれは経済では説明しきれない、政治の問題でしょう。


QE3と大統領選の関係

- 大統領選の渦中でFRB(連邦準備制度理事会)は9月13日、QE3(量的緩和第三弾)を決めました。住宅ローン担保証券を月に400億ドル購入する政策についての評価はいかがですか。

クルークマン QE3については私がずっと提唱してきたことで、バーナンキの決断は大歓迎です。消費者からみれば低金利でローンがしやすくなるし、そこから適度なインフレがもたらされれば、返済も容易になる。そうなれば民間企業も売上げが伸びて、ドルが減価するので輸出産業も競争力をもつでしょう。もちろん、これだけで目下の経済問題が、長期的にみて解決するわけではありませんが、当面の落ち込みから抜け出す方法としては、ベストな選択だと思います。

共和党側は、この政策は悪性インフレを呼び込むと思い込んでいますが、いま通常の金融政策はまったく効き目がありません。QE3の効果がないという人は、ほかにどんな策があるというのでしょう。

最終的に雇用を増やさないかぎり、景気はよくなりません。QE3の目的の一つは経済がよくなる契機を作り出すこと。FRBが影響力をもつ唯一の方法は、「流動性の罠」から抜け出せばインフレ率が高くなる、と約束することです。インフレ期待が目的であることを忘れてはなりません。ご存じのようにインフレ期待が醸成されると、株価や為替のような資産価格が反応して、短期的に貨幣量が増えなくても物価が上がります。

- このタイミングでQE3を実施したのは、選挙を意識したところもあるのでしょうか。

クルークマン そのレベルはもっとアグレッシブであるべきでしたが、バーナンキの金融緩和に対する姿勢は正しかったと思います。QE3を大統領選前に発表したのは、万一、ロムニーが新大統領になれば、ライアンが歳出削減といういまとは正反対の政策をやるので、このタイミングでなければ時機を逸する、という判断があったでしょう。そうした意味では、選挙を意識したといえるかもしれません。

- アメリカは日本の「失われた10年」をなぞることになるのでしょうか。

クルーグマン アメリカの10年物国債の金利は1.4%まで下落しました。これは2000年代初頭の日本のレベルと同じ。市場はまるで、アメリカが日本のシナリオに近づいている、と見なしているかのようです。アメリカはヨーロッパのようなさし迫った崩壊には向かっていませんが、真の回復の兆しもみえません。もちろんいまアメリカが感じている痛みは、日本の過去の痛みよりもはるかに大きい。アメリカは日本と同じくらいひどい状態になるか、とよく聞かれますが、私の答えはイエスです。


ドイツこそが通貨ユーロの障壁

- そのヨーロッパでも動きがありましたね。9月6日、ECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁は国債の購入プログラムを発表し、市場はやや落ち着きを取り戻したようにも思えます。

クルーグマン 私はつねづね「ECBは実際の行動に出て、スペインやイタリアの国債を買うことが重要だ」と言い続けていましたが、そのとおりになりました。ユーロは破綻寸前で、それを防ぐ方法はこれ以外になかった。ただ長期的にみると、今回の決断も真の景気回復にはつながらないように思えます。あくまでも対症療法であり、根本的な治療にはなっていません。

金融危機が起きた時点で、ユーロ圏では経済面、財政面、金融面で不均衡が深刻化し、膨大な経常赤字を恒常的に抱える国、逆に経常黒字が恒常化する国に分かれました。ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペインなどは巨額の対外純債務国になったのです。この不均衡を解決するには時間がかかりますが、その時間をわずかばかり与えてくれたのが、今回のECBの決断といってよいでしょう。

根本的な問題解決のためには、どこまで各国が財政改革を実行できるか、ということがカギとなります。しかし緊縮政策に力を入れすぎると今度は国家財政がさらに悪化し、逆効果になる。

- そもそもユーロの問題点はどこにあるのでしょう。

クルーグマン 端的にいえば、単一通貨であるにもかかわらず、政府が一つではないこと。それに付随する、あらゆる問題が起こっています。そうした状態(単一通貨なのに、政府が複数ある状態)を機能させるには、例外的な政策が必要です。ECBが金利を抑えるために周辺経済の国債を進んで買い、その経済がうまく回るために、ある程度のインフレを起こす必要があるのです。

- ユーロ圏共同債というアイデアは、解決策にはなりませんか。

クルーグマン それは一つのやり方ですが、実際には実現しないでしょう。仮に実現したとしても、問題の半分しか解決できません。問題の半分は国家債務ですが、もっと基本的な部分ではCompetitiveness(競争力)にあります。ドイツに比べると周辺国のコストと貸金が高すぎる。その調整を可能にする対策が必要ですが、ユーロ債はそれを解決できません。

- いまヨーロッパがもっとも危倶すべき点は?

クルークマン 周辺国が緊縮を遂行するのと同時に、ドイツもまた緊縮財政を実行しているのは、ほんとうによくないことです。ドイツはECBが国債を買うことに真っ向から反対している。インフレが起こるとドイツが苦境に追い込まれる可能性があるからです。つまり、ほんとうの障壁はドイツの政治家と、ドイツの世論であったわけです。

- 今回のECBの決定についても、ドイツ連銀総裁は「紙幣増刷によって政府の財政を賄うのも同然だ」と批判しましたね。ユーロの将来についてはどのような見通しをもてばよいのでしょう。

クルーグマン 経済的な面だけでみれば、もしユーロが完全に崩壊しても、一~二年が経過すれば経済は回復する可能性があります。ギリシャのような国で通貨安が起これば、景気回復には有利に作用するからです。しかしEUの政治システム全体に対するダメージはとてつもないものになるでしょう。その確率はけっして低くありません。ギリシャのユーロ離脱は80~90%の確率で起こりえます。ユーロの分裂も50%はあるのではないか。

- ヨーロッパ発の世界恐慌が起きるかもしれない、という人もいます。

クルークマン もちろんその可能性はありますが、私はそこまで事態が悪化することはない、とみています。もしユーロ圏外の銀行がひどい事態になっても、アメリカ政府やイギリス政府はそうした銀行を救済する、と人びとは考えるでしょう。ドルがなくなることはありません。印刷し続ければよいからです。ポンドも同じ。

もし何らかの理由でアメリカの政治が麻痔し、そうした銀行が救済されないとなったとき、本格的な危機が到来しますが、いまのところ2008年の再来にはならないでしょう。主に被害を受けるのはヨーロッパのシステムです。


円安にするだけで、将来は明るくなる

- 世界経済の停滞は、日本経済にも大きな影響を及ぼします。

クルークマン 日本にはアメリカにはない、根本的な問題があります。高齢化と少子化です。アメリカには少子化の問題はないし、いまでも移民を受け入れている。そういう意味ではアメリカのほうが将来は明るい、といえるかもしれません。しかし日本が3~4%のインフレになれば、事情はまったく変わってきます。

- どうやってインフレにするのですか。

クルーグマン 経済が回復しはじめたとき、お金をものすごい勢いで印刷し続ける、と約束するのです。そこには将来への期待が大いに関係してきます。

- お金を印刷し続ける?

クルーグマン 日本にはそのチャンスがありました。2005年から07年にかけて、日本経済の状況は悪くなかった。そのとき日銀は思い切ってインフレ率をプラスにする、と約束すべきでした。しかし実際に行なったのは金融引き締めだった。いま考えてもひどい失策です。経済が復活したあとに拡張的な金融政策をやるというコミットメントに合わせて一時的な財政刺激策をやれば、マクロの景気は一気に爆発して回復する可能性があります。

- このタイミングで野田政権が決めた増税については、どうご覧になっていますか。

クルーグマン 日本経済はさらに落ち込むことになるでしょう。増税と歳出削減という組み合わせはよくありません。長期的にみても増税がプラスになるかどうかさえ、明確ではない。私であればやりませんね。

- 増税で個人消費が冷え込むのみならず、日本の製造業も苦境に喘いでいます。

クルーグマン 日本の実質金利をたとえば0.8%としましょう。先ほども述べたようにアメリカの10年物国債の金利は1.4%、しかしアメリカは1~2%のインフレ期待がある。日本は逆にデフレ期待があるので、他の先進国に対して実質金利が高くなります。これは円高を意味します。言い換えるなら、生産部門が打ちのめされる、ということです。これこそ日本の問題であり、円高はデフレの産物なのです。

- デフレの解消こそ製造業復活への道、ということですか。

クルーグマン 大量の為替介入は、事態を打開する一つの手段かもしれません。しかし、それを実行すれば当然ながら他国に影響が出る。そもそもデフレ期待をインフレ期待に変えないかぎり、その効果は明白ではないかもしれませんね。

- もし、あなたが日銀総裁なら何をするでしょう。

クルーグマン 日本の状況をみると、私はいつも驚きます。私が1998年に書いた「日本経済は『流動性の罠』にはまっており、そこから抜け出すにはインフレ期待が必要だ」という論文がいまだに有効である、ということです。それほど日本の状況は変わっていない。

これだけ時間が経過しても、日銀は型破りな金融政策を進んで実行してきませんでした。デフレを終わらせようと真剣に努力をしてこなかったのです。

まず、インフレターゲットを公表します。それから、バーナンキ・スタイルの量的緩和を行なわなければなりません。日銀の量的緩和は控えめすぎて、まったく足りない。非伝統的な資産も買い足りません。

1%のインフレ目標を発表したところで、きっとそこまでのインフレにはならない、と国民は思っています。ほんとうは4%が望ましいが、2%でもずいぶん状況は変わるでしょう。円安にするだけで、将来は明るくなるのです。


いまこそケインズ政策の出番だ

- 最近、『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房刊)という新刊を出されましたね。そこでもっとも強調したいことは何ですか?

クルーグマン アメリカや財政上の余裕がある国は、緊縮ではなく拡大金融政策を遂行すべき、ということが核になっています。私は基本的なケインズ政策の議論をしていて、いまこそそのロジックが当てはまる、といいたいだけです。

- なぜ、多くの国家があなたの提唱するアイデアを実現できないのでしょう。

クルーグマン アメリカには政治の問題があります。二つの政党の一つ、共和党がいかなる積極的な政策に対しても、イデオロギー上、反対するからです。さらにはエリートたちがこの危機に対し、適切に対処することなくバラバラに分裂しました。経済学者のなかにおいてすらそうです。彼らのほとんどは数十年前に、すでに現実との接点を失ってしまっている。

本のなかで私は政策エリートのことを〝the very serious people(とても深刻な人たち)"と書きましたが、財政赤字や医療保険改革などにおいて、彼らはギアシフトができなかった。いま現在では雇用の停滞こそが、アメリカ経済を麻痔させているのです。

キヤメロン氏率いるイギリスでも似たようなことが起きています。ヨーロッパではそれに加えてユーロの問題もある。ドイツやオランダなど拡大政策を推進できる力のある国は、問題の根源は南欧諸国の無責任さだと確信しています。どれだけそうではないという証拠をみても、その考え方に固執しているのです。

いますぐではありませんが、選挙が行なわれたあと、アメリカやイギリスで政策の変更があるという希望を私はある程度、もっています。

- 政策決定者にもぜひ読んでほしい、ということですね。

クルークマン いうまでもありません。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのリチャード・レイヤード氏と私は、この本に書いたことを簡潔にまとめたマニフェストを出し、何千人もの経済学者の署名を集めました。事態を正しい方向に動かそうとしているのです。少しずつよい流れになっている、という確信があります。

- そうした政策について、バーナンキとは話をしていますか?

クルークマン 話してはいませんが、彼は私の言いたいことはわかっています。彼の立場からすれば、私と相談することは政治的に有毒でしょう。彼とはメディアを介して話しますが、いずれ何がほんとうに正しいか、それは歴史が証明してくれると思います。
最終更新:2015年06月11日 20:39