「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」とは善悪の基本である。
特徴
「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」の特徴として以下を挙げられる。
- 誰かにでも好かれれば善である。
- 誰かにでも嫌われれば悪である。
- 誰かにでも都合が良ければ善である。
- 誰かにでも都合が悪ければ悪である。
- 誰かにでも好かれれば味方である。
- 誰かにでも嫌われれば敵である。
- 誰かにでも都合が良ければ味方である。
- 誰かにでも都合が悪ければ敵である。
- 悪を傷つけた存在も悪である。
- 悪を殺した存在も悪である。
- 敵を傷つけた存在も敵である。
- 敵を殺した存在も敵である。
- 善でもあり悪でもある事もある。
- 味方でもあり敵でもある事もある。
概要
善悪とはなにか?善悪とは曖昧なものであり、一般的に善や悪とされているものが善悪とされたり、人の数だけ善悪があるとされたり、この世に善悪は存在しないと言われたりもする。
ただ、曖昧とされる善悪にも絶対的なものが存在する。それが「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」である。
「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」の「誰か」とは人間だけでなく動物・虫・植物・自然・生命も含まれる。「都合がいい」には「好き」も含まれており「都合が悪い」には「嫌い」も含まれる。
何が善で何が悪かを考えるのならまず「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」である事を前提に考えるべきである。
もし「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」を無視したり自分に都合がいい時しか関心を示さなければ歪んだ正義感の持ち主、歪んだ正しさの持ち主、吐き気を催す邪悪、自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪などになる危険性があるので「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」は重んじるべきである。
最終更新:2023年11月27日 22:44