朝、いつもの時間に教室に入った俺はハルヒの射貫くような視線に思わずたじろいでしまった。
ハルヒがこちらにその苛烈な視線を送ったのは一瞬のことで、勢いよく窓の外に視線を送りはじめた。
あんな目で睨まれるような、なにかをやっちまったのだろうかと胸に手を当てずに考えて見たが、心当たりはない。
「よう、ハルヒ。元気か?」
いつものように声をかけたが、いつものハルヒはそこにいなかった。
「なんでメール無視すんのよ」その声は低く、地の底からわき出るようだ。
「メール?」
俺は席に座り、ポケットに入れた携帯を取り出して、メールを確認した。
ハルヒからのメールなど届いていない。そもそもこいつはメールは面倒だと言っていたはずなんだが。
「勘違いじゃねえのか?」
俺を睨みつけたまま、どこからか出した携帯を俺に突き付けた。薄いピンク色の二つ折携帯が、かなり古く見えた。
「ほらあんた宛のメール」
目の前1cmに携帯を突き付けられても読めるものではない。俺はひょいと手を出して、ハルヒの携帯を取り上げた。
ハルヒの焦るような表情がおもしろい。さて、メールの中身はと……
ハルヒの白い手が伸びてきて、携帯は持ち主の元に戻ってしまう。
「別段、たいした内容じゃないわよ」
「そうか……もういっぺん、それ送れ」
「違うのを送る」そういってハルヒは携帯を操作しだした。
顔を上げて俺を睨んだところを見ると、送信できたのだろう。では、俺はメールを取ればいいのか。
「『新着メールはありません』だ」
「……おかしいわね」ハルヒは首をひねった。「送れたって出てるけど」
「携帯、壊れたんじゃねえのか?」
「あんたから送りなさい」
我らが偉大なる団長殿から言われれば雑用係としては送らない訳にはいかないね。朝比奈さんが相手ならば、美辞麗句を並べ立てるところだが。
ハルヒには空メールで十分さ。
「……こないわね」
「電話はどうだ?」
着歴からハルヒに電話を掛けてみた。俺の電話から呼び出し音はすれど、ハルヒの携帯は無反応のままだった。
「なんてことよ、まったく」
ハルヒは呆れたという顔で、携帯に視線を落とした。

 放課後になれば、最近さらに活動目的が曖昧になりつつある部活がある。
今はハルヒを中心に俺以外の団員が輪を作っている。手にそれぞれ携帯を持っている様はなんというか、新興宗教の儀式のようにも見えなくもない。
「うーん、あたしのはだめですぅ」
ワインレッドの二つ折り携帯を手にした朝比奈さんが言う。
「僕のもだめですねえ」
古泉の携帯はシャンパンゴールドのストレートタイプだ。あまり見かけないモデルだ。
「同じ」
非常に小さな携帯を手にした長門もぼそりとつぶやく。
「これはやはり故障したということ、でしょう」
そう古泉が結論づけ、ハルヒを除く皆がそれぞれに同意した。
「そう……みんなありがと」
その言葉で儀式は終了。長門は読書、朝比奈さんはお茶を入れる準備にとりかかった。
古泉は今日取り組むボードゲームを決めたようだ。
「今日は久々にモノポリーでもしませんか?」
古泉はモノポリーの箱をテーブルに乗せながら言った。
「ああ、いいぞ」
「ちょいまち」
ハルヒの声に振り向くと、なぜか不機嫌な表情を浮かべたハルヒの視線にぶつかった。
「ねえ、キョン」
「はい?」
「しょうがないから、これ買った携帯ショップに行くわ。あんた、付き合いなさい」
「はぁ?」
「あんたにメールを送ってから携帯がおかしくなったの。責任があるでしょう?」
「なんの責任だ?」
「いいから付き合いなさい」
古泉、朝比奈さん、長門。それぞれが俺を見つめている。それぞれが『黙って付き合え』と言っているように感じる。
非情だね、この世界は。俺をこの境遇から救い出してくれるならば、そいつを神と呼んでもいいんだが。……困ったことに神様はいないようだ。
俺は肩をすくめるほかなかった。

空はちぎれた綿菓子のような雲が浮かび、冬にあるまじきぽかぽかした陽気に包まれている。歩いていると、軽く汗をかきそうだ。
「携帯、機種変かなぁ」
ハルヒがつぶやくように言った。
「短期だと高いだろうけど、何年使った?」
「二年は使ったけど……」
「そんだけ使えば新規と同じ値段だろうけど、高い奴は高いぜ」
「んー安いのでいいわよ、別に。こだわりないし」
「そうかい」

駅を通り過ぎ、商店街を抜ける。そこに目指す携帯ショップがあった。
順番待ちレシートを引き抜く。平日の昼間なので、さほど待ち人もいない。
ソファに俺とハルヒは腰を落ち着ける。目の前にあった最新カタログを手にとって開いてみた。
「どんなのがあるの?」
ハルヒが身を乗り出してくる。シャンプーだかの甘い香りに、どうした訳か戸惑いを感じてしまう。
「どうしたの?」
キョトンとしたハルヒの顔が近いね。吐息を感じるのは具合悪くないか。
「いや、なんでもない」
「変なの」
ハルヒはそれだけ言うと、カタログを俺から奪った。

カタログの吟味も進まないまま、順番がきた。
ハルヒはなぜか俺の手首をつかんで、窓口へと向かう。何故だと思うが、もはやあきらめの境地に達しつつある自分を嫌いになりたいね。
清楚な感じの遊び人。そんな感じのお姉さんが窓口に座っていた。
ハルヒは携帯を取り出して、事情を説明し始めた。常識をわきまえ、礼儀正しい女子校生という別の顔を引っ張り出していた。
「ちょっとお待ちいただけますか?」
お姉さんはハルヒの携帯を手に店の奥に消えて行く。俺の視線はついお姉さんを追いかけてしまったのだが、ハルヒは目ざとかった。

「なに、制服萌え?」
「いや、別に」
「やらしい目でおいかけちゃって」
「そうか?」
「そうよ。まったく、じろじろと……」
ハルヒの説教が始まる前に、お姉さんが戻ってきてくれた。
修理するより機種変がお得ですとのことだった。ポイントもあるし、モデルによっては無償で交換できますとのことだった。

結局ハルヒは、シンプルなデザインの携帯を選択した。
ほとんど四角い白い箱にしか見えんが、蛍のように時計なりが浮かぶという。
一応最新型ということだったが、ポイント併用で3000円。そんなもんかね。
ハルヒは財布を出して、代金を支払った。
「少々お待ちください。メモリ移しますから……」
お姉さんは店の奥に引っ込んだ。
「これで終了か」
「そうね」
「しかし、おまえがメールしてくるとは思わなかったな」
「んーーーまあそういう気分になることだってあるわよ」
「ふうん、どんな気分なんだ?」
「メールしたい気分」
そういってハルヒは笑顔で舌を出す。なぜかその表情を見るたびに胸の奥がチクリと痛むのは困った事態だ。
「だから、なんでメールしたい気分になったんだ?」
「んーーー夜だからじゃないの?」
「夜だとメールしたくなるのか?」
「なによぉ、そんなのどーでもいいでしょう?」

そんなくだらないやり取りでも時間は進み、お姉さんが奥から現れた。
手に小さな紙袋を下げている。ハルヒの携帯だろう。
「こんなもんしかないんですけど、よかったら」
そういってお姉さんは手足のついたキノコがぶら下がったストラップを差し出した。
「彼氏の分もありますよ」
「ありがとうございます」
俺が否定する前に、ハルヒは笑顔で答えていた。

ショップを出ると、夜だった。月の出ない暗い夜だ。
ここいらは治安が悪い訳でもない。痴漢が出るという話も聞かない。
だが、女子高生を一人夜道を歩かせていい理由にはならないだろう。
なにせ我らが偉大なる団長様だしな。
「なにぶつぶつ言ってんの?」
ハルヒはキョトンとした表情を浮かべつつ、俺の顔をのぞき込む。
「ん?なんか聞こえたのか?」
「そういうわけじゃないけど」
ハルヒは小首をかしげつつ歩を進めている。
冬の空は澄み渡り、いくつかの星が瞬いている。風はないものの空気そのものが冷えていた。
「まあ自分から送るなんて、随分進歩したじゃない」
「そうか」
「……元気ないわね」
「腹減った」
「いいなさいよ。ちょっとぐらい付き合ってあげないこともないのに」
「金がねえんだよ」
「言えば貸したげたのに」
「今 日 は、太っ腹だな」
ハルヒはじろりと俺を睨みつけた。
「なんかカチンとくる言い方ね」
「腹減ってんじゃないのか。気が立ってるんだろう」
「それはあんたでしょーが」

ハルヒの家の近くまで送ればお役御免だ。
まあこの役目を買って出るような物好きはいないだろうから、当分俺が勤めるしかないんだろうな。
「じゃ、この辺でいいから……あ。ちょっと待ちなさい」
ハルヒは紙袋に手をいれて、ごそごそと中を探り、さっき貰ったストラップを差し出してきた。
「これ。あんたの分」
いや携帯の会社も違うし、ストラップならつけてるんだがな、……まあ拒否する理由もないし貰っておこうか。
「ちょっとはうれしそうな顔したら?」
ハルヒは眉間にしわを寄せながら言った。
「販促ストラップ貰ってもなぁ」
「そうじゃないわ。この麗しき団長とおそろいのストラップを持てるっていう幸福を喜べっていってんのよ」
もうツッコミ入れる気力さえ沸かないぜ。好きにしてくれ。
俺はおとなしくストラップをポケットにしまった。
「分かったよ」
「じゃあ、ね」
ハルヒは胸元に手を上げ、小さく振った。
「ああ」
俺もハルヒの真似をして、手を上げて小さく振ってみる。
「なにしてんのよ、帰りなさいよ」
「おまえが先に帰れ」
「……気まぐれでメールするかもしれないけど、そんときは返事すんのよ」
「また壊れたって、いちゃもんつけんなよ」
「事実じゃない」
「勝手なこと言ってんじゃねえよ」
「本当、あんたって素直じゃないわね」
「ほっとけ」
「あたし帰るから」
「ああ。どうぞ」
ハルヒは俺を睨みつけながら、きびすを返した。
小さな背中が遠ざかり、消えるまで、俺は見送った。
寒くてな、足が動かなかったんだ。本当のことだ。

家に帰って食事して風呂に入って、いまはベッドの上だ。
携帯を何度も手にとってしまうのだが、特に理由はない。
メールも着信を待ってるわけじゃない。そうだな、そういうものに脅えているといえば分かるだろうか。
今のところは静かな深夜を堪能しているところだ。
貰ったストラップは机の上に投げ出している。妹にでもくれてやろうかと思ったが、なぜか激怒するハルヒの顔が浮かんでそれはやめておいた。
ストラップ付けとかないと、ハルヒは機嫌を損ね、また皆に迷惑をかけないとも限らないな。
俺はベッドから起き上がり、販促ストラップを取り上げた。
携帯につけていたストラップを外して、今日貰ったストラップを付けてみる。
ベッドに横たわり、携帯を眺めた。違う携帯会社の販促ストラップが揺れている。
なんとなくハルヒに文句をいってやりたくなり、俺はメールを打ち始めた。

結局、静かな夜にはならなかった。

終わり

最終更新:2007年05月29日 02:19