14. 批判理論(Critical theory)

 批判理論は容易に引き合いに出されるのだが、定義する事は難しい。興味深い事には、『Encyclopedia of Aesthetics(Kelly 1998)』の当該項目は、我々に「アドルノ、バルト、ベンヤミン、批評、デリダ、フェミニズム、フーコー、ハーバーマス、マルクーゼ、ポストコロニアリズム、ポスト構造主義」のような他の項目を見るようにと告げるのみである(前掲書462頁)。この様な意思表示が、美学についての一般的な情報の重要なソースを提供する書において為されている事は、批判理論が広汎かつ、傘の形の様に、鍵となる思想家や概念、文脈と様々な広がりにおいて関係を持つにもかかわらず、それ自体としては概念として定義される事に抵抗し続けている事を明らかにしている。
 とは言え、批判理論が自らの歴史と知的アイデンティティを持たないというわけではない。第一に、そして最も直接的にはフランクフルト学派と呼ばれるグループの著作に源流を発する。彼らが提供するモデルによれば、批判理論は、本質的にマルクス主義由来または志向の骨組みの中で、各々の学問分野の相互浸透を通じた、哲学的・社会学的な問題への厳密に批判的な取り組みとして形成される(マルクス主義の項参照)。ディヴィド・ヘルド(David Held)はその印象的な批判理論への概観で次の様に述べている:

「この事は強調されなければならないが、批判理論は、一貫した総体を持たず、その支持者全てにとって同一の何かを意味しない。このレッテルによって漠然と名指される思考の伝統は、少なくとも2つの分派に分かれている。一つは1923年にフランクフルトに創設された社会科学研究所(Institut für Sozialforschung)を、もう一つは、ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)の最近の著作をそれぞれ中心にしている。(Held 1980, 14頁)」

 ヘルドの言う2つの分派の内の前者は、テオドール・アドルノ(Theodor Adorno、彼の定義によれば、哲学者・社会学者にして音楽学者)とマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の著作と同義語である。ただ実際には、社会科学研究所では哲学者ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)、心理学者エーリヒ・フロム(Erich Fromm)、そしてより多角的だが明確に定義し辛い仕方で、文学理論・批評家であるヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)らも活発に活動していた。
 批判理論の本質的に政治的な性質は、ホルクハイマーの『伝統的理論と批判理論』という短い試論において把握されている。その中で彼は、歴史を形作る原動力としての人間の働きの重要性に言及しており、批判理論のマルクス主義的指向性を反映している:

「社会についての批判理論……は、その総体において、自らの生の歴史的な道程を生産するものとして人間を対象とする。……対象、この種の知覚、発せられた質問、それらの質問の意味は、全て人間活動と人間の力の度合いの証人となる。(Horkheimer 1972, 222頁)」

 英語圏におけるアドルノと批判理論についての第一人者であるマックス・パディソン(Max Paddison)は、この試みの批判的な性質についての簡潔な概要を提供している:

「端的に言って批判理論とは、ある理論がその対象といかなる関係を持つか、そして、その対象の抱える矛盾にどう対処するかを問題とする。同時にその研究対象を文脈付けするのだが、その際に『事象として(objective)』の社会的・歴史的な文脈だけでなく、この文脈に刻まれた個人と社会の相互作用(『主体ー客体関係』)をも包摂する。(Paddison 1996, 14-15頁)」

 この観点からすると、批判理論はその考察中の対象との批判的な関係を必要とし、それを他のより広い文脈の中に位置付ける過程(「研究対象の文脈付け」)を伴うわけだが、これは我々の音楽の理解への含蓄も有する。アドルノの音楽についての著作には、ベートーヴェン、ベルク、マーラーそしてヴァーグナーについての研究(各々Adorno 1998, 1991a, 1992a, 1991b)そしてシェーンベルクとストラヴィンスキーについての比較研究(Adorno 1973)などが挙げられるが、それらは主題についての批判的な理解を提供し、更なる探究と批判的な反応へのモデルを提供している。
 パディソンのアドルノ批評に付け加えるならば、近年の音楽学のいくらかの側面は、彼の著作への新たな関心を反映している。本質的にアドルノ的な枠組みへの新たな解釈を形作る試みの中で最も特筆すべきものは、アメリカの理論家ローズ・スボトニク(Rose Subotnik)の『Developing Variations: Style and Ideology in Western Music(Subotnik 1991)』である。この本の中でスボトニクは明確にアドルノ由来の問題について一連の試論を展開し、その中には『Adorno's Diagnosis of Beethoven’s Late Style(ピリオダイゼーションの項参照)』というものも含まれる。ここで彼はベートーヴェンが、特にその後期様式において、自足的で自己反映的な性質の音楽語法が実世界に対して批判的関係を構築した事とモダニズムを予言した点で、アドルノにとって重要だった事を確認する(自律性の項参照):

「アドルノによれば……ベートーヴェンの第三期の様式は近代世界の始まりを差し示すものであった。即ち、真に人間的な人間(a fully human species)への見通しの中での反転(reversal)、及び芸術において、雄弁で印象的な、社会への抗議の命令を作り出した反転として。更に、まさにこの様式によって、芸術家の社会的重要性が完全に確立された。(前掲書33頁)」

 この陳述はアドルノにとっての音楽の、そして近代世界における芸術一般のパラドクサルな位置付けを見事に反映している。即ち、批判的な芸術の要求は同時に芸術家の孤立を容認する。
 この議論の初めに述べたように、フランクフルト学派と関連する理論家による既に広大な境界線を越えて、批判理論をより広汎に捉える事は可能である。最近の風潮の多くは、過去の理論に対しての批判的関係性を伴う。多くの著作が、ポストモダニズムがモダニズムへの批判的関係を伴うのと同様、ポスト構造主義(これまた範囲の広い語であるが)を構造主義への批判として解釈し得ると定義している。既存の理論への批判的反映は最も先鋭的な形では脱構築として、デリダの著作の多くにおける、既存のテクスト(例えばルソー、ヘーゲル、フッサールなどの)や概念への批判的な反応として表れている。

参照すべき項目:批判音楽学、新音楽学

更に詳しく:Jay 1973; Norris 1992; Paddison 1993; Williams 1997
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最終更新:2007年11月13日 23:02
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