批評は、演奏会や録音への定期的なレヴューとして理解され得るだろう(録音の項参照)。この種の批評活動は職業的ジャーナリズムの範疇に位置付けられるものであって、必ずしも一般的な音楽学の一部を成すとは限らない。しかしながら、比較と評価に基づいた判断が為される場として、広い意味の批評活動を考える事は可能である。この観点によれば、音楽学のいくらかの側面も、批評の一種として理解され得る。
もし現在、音楽批評と音楽学の間にある種の区別を知覚する事が出来るとしても、かつては必ずしもそうではなかった。音楽についての批評的な文章は、進行中の伝統の重要な一部を形作っている。18〜19世紀にかけての出版の興隆は、音楽についての論評の際立った発達が起こった背景を成しており、音楽研究に特化した新聞の出現は重要な進展の一つである。ライプツィヒで1798年に創刊された『Allgemeine Musikalische Zeitung(以下AMZ)』はしばしば、最初の音楽専門誌であると考えられており、ここには新作や演奏会のレヴューが含まれ、その後ヨーロッパ中で勃興する音楽専門誌のモデルとなった。また18世紀末には、日刊紙に音楽評論が出現するようになる。
新しく生まれる音楽への批評による反応や評価は、19世紀のロマン主義の中で、ベートーヴェンの音楽を最も明確な注意の対象として、繰り返し沸き起こった。この時代の最も興味深く刺激的な批評家はドイツの幻想小説家E.T.A. ホフマン(Hoffmann)で、音楽についての文章も残した。彼がAMZに1810年に発表したベートーヴェンの交響曲第五番(1807-8)のレヴューは、ドイツにおけるベートヴェン評論の伝統の端緒であり、この曲の受容史における中心的な典拠の一つである。ホフマンは作曲家とこの曲の重要性への言明からこの批評を始めるが、彼は自身の反応の個人的な性格を自ら明らかにしている(主体性の項参照):
「批評家の前には、誰もが器楽作曲家としての卓越に疑義を差し挟む事は無いであろう巨匠の最も重要な作品がある。彼は目の前の評論の主題に完全に一体化していて、もし彼が慣習的な価値判断を越して、この作品が彼の中に沸き起こした深い感覚の全てを言葉にしようと骨を折ったとしても、誰も悪く取ることはあるまい。(Charlton 1989, 236頁)」
この事は、ホフマンの反応の主体的な本質を暗示すると同時に、その時代性を暴きだしているが、この作品の評論が彼にとって、更に大きな主題についての熟考への挑戦であった事も明らかである。ここでは、器楽曲を純粋にロマン的な芸術の形式として描き出し、絶対音楽として称揚する事が、ホフマンの解釈を、音楽と意味を取り巻く尺度の大きい美学上の問題との関連の中に位置付けようとする(美学の項参照)。
このレヴューは、その他同様AMZのために書かれたものだが、そこに含まれる音楽的な詳述性の度合いにおいて、我々が一般に評論から思い浮かべるものと区別される。作品への叙述的だが細部に亘る記述は、分析の様な、後年の音楽学的発展との関連においてこの評論を捉えるように促す。分析とのこの共通性は、後にイギリスの作曲家・指揮者で評論家のドナルド・フランシス・トーヴィ(Donald Francis Tovey)の文章中に、叙述的記述の中に驚く程の音楽的ディティールを盛り込もうとした、しばしばプログラム・ノートの形で再現される(Tovey 2001)。
19世紀はまた、ロベルト・シューマンを筆頭として作曲家が評論家として出現してきた時代でもある。1834年、彼は今やAMZにおける保守性と理解されているものへの急進的オルターナティヴとして『Neue Zeitschrift für Musik』を創刊した。シューマンによって擁護された前衛的ロマン主義は、理論においても実践においても、音楽の自律性を信じるウィーンの評論家エドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick)の保守主義と対照を為すようになる。彼はヴァーグナーの影響に批判的に反応し、その楽劇における音楽外の含蓄と意味性に比し、自己充足的と解釈され得るブラームスの器楽曲の方を好んだ。
この様なオーストリア=ドイツ的文脈の上で、音楽評論は今や音楽の性質のイデオロギー的反映の焦点となった。批評とイデオロギーの結び付きは、例えば19世紀のロシアにおいて、音楽の国民的アイデンティティの探究が音楽評論へ反映されるという仕方で最も明確な形を取った(ナショナリズムの項参照)。
20世紀の音楽評論は、全盛期において既に活発だった要因の増大に特徴付けられる。作曲家たちが、もはやシューマンが新しい音楽に対して行った様な批評に関心を払わなくなったとしても、例えばシェーンベルクの様に大量の音楽論を書く事で、言葉による自己正当化を模索した(モダニズムの項参照)。しかし、ある種の文脈においては、音楽評論とその役割は音楽がより明白に政治的表現の源となるにつれ、増大するイデオロギー的圧力に従属した。
専門的でアカデミックな音楽学の更なる発展は、音楽学と批評との乖離の増大によってもたらされた。批評は、演奏会や新曲、新譜のレヴューを取り上げる新聞、雑誌、ラジオ、そしてテレビのような媒体の普及によって、より広汎に行き渡るようになった。しかし、近年の音楽学の進展は、新たな批評の方向性を指し示している。それは、批評活動ではなく、音楽への評価的なアプローチを示唆している。本書の多くの項目で言及されるアメリカの音楽学者ジョゼフ・カーマン(Joseph Kerman)は、より「包括的で『暖かみのある(humane)』実践的音楽批評(Kerman 1994, 30頁)」を、音楽分析の断定的客観性へのオルターナティヴとして示している。この提案は、批評的且つ評価的な前提に基づきつつ、ある種の厳格さと綿密な吟味を通じた音楽研究の見通しを開いている。また、考察対象となっている音楽と同様、それ自体に対しても批判的関係を企図する、音楽への批評的反応を思い浮かべる事も可能である(批判理論の項参照)。
ポップ・ミュージックとジャズもまた独自の批評的言説を有しているが(言説の項参照)、クラシック音楽での伝統とのある種の類似点を示してもいる。双方の分野における特定の雑誌(ジャズにおける『Downbeat』誌、ポップ・ミュージックにおける
『Rolling Stone』誌)の発展が、批評的反応が形作られる枠組みを提供し、リスナーの嗜好を形成するのを助けてきた。評論における批評的ディスカッションは、批判と比較の必要な新たなグループやレコーディングと共に、ある種の力を反映している。ポップ・ミュージックにおいては、ジャーナリスティックな批評とアカデミックな研究の間の区別が、例えばサイモン・フリス(Simon Frith)やグリール・マーカス(Greil Marcus)の双方の領域に跨がる重要な発言に見られる様に、しばしば適切にもぼやけている。
参照すべき項目:批判音楽学、新音楽学
更に詳しく:McColl 1996
最終更新:2007年11月19日 01:17