31. ジャンル(Genre)

 ジャンルという語には、芸術作品を分類しカテゴリー化しようという、古代ギリシャの哲学者アリストテレス以来の欲望が反映されている。その結果、作品の題名として、ジャンル的な名称がしばしば現れる事になる(例えば、交響曲や協奏曲)。ジャンルは必然的に記号と期待値のセットを形成し、故に、音楽文化によって音楽自体に課され、音楽が書かれる仕方に影響を与える何物かとして理解され得る(文化の項参照)。例えば、作曲家やポップ・ミュージシャンはジャンルごとの習慣に従って演奏するだろうが、この事は音楽における意味の可能性について考察する音楽学者にとって、潜在的に有用である。また、ジャンルの理解は聴取の仕方についても示唆する。民族音楽学者のウィリアム・ハンクス(William Hanks)によれば、社会の構成物と音楽内容の間の相互作用として見た場合、ジャンルは(1)聴衆が自らの志向を形作るのに用いる枠組み、(2)音楽解釈の手順、(3)期待値の集合を提供すると見なし得る(Hanks 1987、エスニシティの項参照)。
 音楽学の著述中で時にスタイルとジャンルの2つの語の重複が、混乱を伴って現れる事がある。アラン・ムーア(Allen Moore)は、一般的にポップ・ミュージックの研究ではジャンルの語の方を用いられる一方、クラシック音楽についての記述では、少なくとも80年代中盤までは、2つの語を自由に混同して用いる傾向があったと指摘する(Moore 2001b)。しかしそれ以降音楽学者は、ジャンルの語は作品の社会的に条件付けられた外的な側面について、スタイルの語は形式的・内的な特徴についての考察のために用いている(分析の項参照)。
 17世紀以前は、音楽のジャンル的題名はその作品の機能、歌詞(もし有るならば)、そして書法によって定義された(Dahlhaus 1987参照)。18世紀には、編成と形式がジャンルを決定したが、これらを含む内的な特徴は、次第に外的で社会的な要素に影響を受ける様になる。18世紀から19世紀初頭にかけて、この語は音楽において特別な重要性を獲得する。例えば、ロマン派のリートはシューベルトやシューマンの様な作曲家の一連の作品を包含する訳だが(ロマン派の項参照)、これらの作品は言語(ドイツ語)、編成(ピアノと声)そして機能(注意深い聴衆向け、通常親密な環境で演奏される)によって関連付けられている。また、リートの語は歌によってどのような主題が伝えられるかについての示唆(自然、愛、悲劇)を含み、幾らかの形式・スタイル的なアプローチを要求する(言葉と音楽的手段との間の明確な繋がり)。同様の事がポップ・ソングについても適用される。例を挙げると、音楽学者のロバート・ワルサー(Robert Walser)は、ヘヴィー・メタルというジャンルは特定のイデオロギーを与えると指摘し、「80年代中盤までのヘヴィー・メタルというジャンルの結束は、若い白人男性の演奏者とそのファンによる、男らしさの本質についての物語を聞き、また信じたいという欲望に依存していた(Walser 1993, 109頁及び言説の項も参照)」この観察はファン・カルチャーの形成におけるジャンルの重要性を指摘している。また、ある種のジャンルが真実性、又は正当性の感覚と結び付けられ得る事も示唆しているが、一方グラム・ロックの様にその感覚が人工性、非正統性と結び付いている場合もあり得る。
 ジャンルの一つの見方として、例えばレントラーやスケルツォが交響曲の内部に見出せる様に、階層性があり親ジャンルを内包するというものがある。これらの全ての場合において、ジャンルは音楽的表現の文脈を形成する。一般にジャンルという概念は、音楽作品の限定的で確定された評価を担おうとするが(作品の項参照)、これはスタイルの持つ生来の多様性と、発展しようとする傾向とに反するものである。また、ジャンルは音楽的習慣の内のどれが一貫して、繰り返し行われているかを指摘して固定化しようと試みるが、スタイルやテクニック、そして形式の様な、ジャンルを定義するのに用いられる幾らかの特徴が時代を通じて変化するという事を斟酌していない。
 ドイツの批判理論家テオドール・アドルノ(Adorno 1997及び批判理論の項も参照)と、音楽学者カール・ダールハウス(Dahlhaus 1987)は共に、ジャンルにおける社会的・歴史的な偶然性を信じていた。彼らは、19世紀を通じて社会は作曲家と個々の作品により注意を払ってきた故に、ジャンルの持つ重要性は失われ始めたと主張する。特にダールハウスは名作(masterpiece)の概念が如何にしてジャンルの慣行から直接的に現れてきたかを看破する。この移行は音楽作品の自律的な地位を強調するが(自律性の項参照)、ジャンルよりも形式や表現を重要視する19・20世紀の音楽分析の勃興を反映している。またそれは(19世紀末以前の様に)作品をある類型のヴァリエーションとして聞く事から、個々の作品をその固有の語法において解釈する形への聴取姿勢の変化にも影響している。近年これらの考えは、特に民族音楽学者フランコ・ファッブリ(Franco Fabbri, Fabbri 1982)や、音楽学者ジェフリー・カルバーグ(Jeffrey Kallberg)のショパンについて(Kallberg 1987, 1987-8)そして、アダム・クリムス(Adam Krims)のラップに関する(Krims 2000)著作などで様々な音楽ジャンルとの関連において発展を遂げている。クリムの著作は特に、ポップ・ミュージックにおいてはジャンルの観念は聴取・演奏の双方において中心的である事を示唆しており、例えばクラブ・ミュージックの場合、DJは彼らのかける個々の曲よりもその包含するダンスのジャンルにより有名になる事を例に挙げている。
 多くの学問がジャンルに関する着想の発展を経験して来た訳だが、ヴラディーミル・プロップ(Vladimir Propp)のお伽話の分類(初版1928年、Propp 1968参照)、バフチンの言語学(Bakhtin 2000)、ジェイムソンの文学(Jameson 1981)、そして映画やテレビに関する研究(Neale 1980参照)などは特記すべきである。特にこれらの分野(映画やテレビ)はジャンルを社会的慣習として強調する点において、近年の音楽学におけるジャンルの研究に大きな影響力を持つ。映画に関連した場合、ジャンルの中心定義の一つは、ある確立された慣習を観客に喚起しする事により、同様のテクストの記憶に基づいた期待を彼らに抱かしめるという役目である。音楽に関して言えば、カルバーグはジャンルが聴き手を「『一種のジャンル的契約(kind of generic contract)』によって導き……作曲家はそのジャンルの慣習、パターン、そして表現の幾らかを用いる事に同意し、聴き手はそのジャンルによって条件付けられた仕方において、作品の幾らかの側面を解釈する事を承諾する(Kallberg 1987-8, 243頁)」と主張すが、これは作品の題名とその内容の間の相互作用が意味の形成において持つ重要性を示唆している。例えばムーアは「ボウイの『Fashion』の様な曲の理解は、アップテンポなダンス・ミュージックというジャンルの慣習の理解に依存した皮肉な理解を意味する(Moore 2001b, 441頁)」と指摘している。更に、何が音楽を面白くするのかと言えば、ジャンルの社会的な規約や慣習が挑戦を受けたり転覆させられる瞬間であり、その時ジャンル的契約は破壊されるのだが、ファッブリはこの様な違反から新しいジャンルが形成されると指摘している。またそれは、ヴォーン・ウィリアムズの《タリスの主題による幻想曲(1910, Pople 1996参照)》の様にジャンルの混交によっても達成され得る。他方で、音楽のジャンルがその要素の制御を行う事を止め、代わりに注釈的に用いられる事もあり得る。この現象は例えば、マーラーの交響曲がワルツやマーチといった幾らかのジャンルを、その当時の社会的関心を反映する形で批評する仕方において見る事が出来る(Samuels 1995参照)。
 今日のクラシック音楽の聴取と実践において見られる推移、モダニズムや前衛勢力による転覆と新ジャンルの形成(例えばオーケストラのための協奏曲)への明らかな欲求にも拘らず、ポストモダニズムが旧いジャンルへの関心を復興させている。例えばこの事はハイナー・ゲッベルス(Heiner Goebbels)が《Eislermaterial(2001)》において、調性後の書法という文脈でキャバレーを探究する中に見て取る事が出来る。またマクスウェル・ディヴィスやルトスワフスキの交響曲、ティペットやバートウィスルのオペラの様に、ジャンルは未だ第2次大戦後のモダニストの何人かと関わりを保っている。ポップ・ミュージックのマーケティングにおいては、ジャンルは次第に中心的地位を獲得しつつある。この事はロイ・シューカー(Roy Shuker)がメタ=ジャンルと呼ぶ、関連付けられたジャンルの緩い集積(ダンスやワールド・ミュージック等)ーーその中に任意のサブ・ジャンル(ハウス、テクノ等)を含み、それも更に分割され得る(ハード・ハウス、クラシカル・ハウス等)様なーーまで含めた無数のカテゴリーを通じて表明されている(Shuker 1998)。これらの区別においてさえ他のジャンルへの言及があり、異種混淆へと繋がっていく(ハイブリディティの項参照)。この様な仕方でのジャンルの発展は、受容・消費・マーケティングの一層洗練された様式の形成として見られ得るだろう。

更に詳しく:Bauman 1992; Fornäs 1995a; Harrison and Wood 2003; Pascall 1989; Samson 1989

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最終更新:2008年01月14日 04:31
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