グローバル経済の可能性は、グローバリゼーションの概念中に反映されているが、これは近年最も激しく議論され、深く政治化された術語の一つである。グローバリゼーションは国民国家を弱体化し、グローバル経済としての資本主義の現状を代表し、文化的慣習の覇権を暗示を伴ってもいる。その必須の結末は、文化的・経済的そして人生の他の構造の相互依存性である(文化の項参照)。アメリカの文学理論家マイケル・ハルト(Michael Hardt)と、イタリアの政治哲学者アノトニオ・ネグリは彼らの大胆な『Empire』と言う著作において次の様に表明している:
「グローバル経済のポストモダニゼーションにおいては(ポストモダニズムの項参照)、富の創出は我々が生政治的(biopolitical)な生産と呼ぶもの、即ち社会生活そのものの産出の中に、経済的・政治的そして文化的なものが徐々にオーヴァーラップし、互いに投資する様になる形態をより一層志向する。(Hardt and Negri 2000, xiii頁)」
換言すれば、グローバリゼーションの影響下においては、個人的なものを政治的なものから、文化的なものを経済的なものから切り離す事が不可能になっていると言える。
多くの文化理論家が、今の世界は進行する経済的グローバリゼーションによって定義され、小規模生産の重要性は減少し、標準化された経済慣行を世界的傾向として課すと主張する。社会・批判理論家のダグラス・ケルナー(Douglas Kellner)は、グローバリゼーションの効果的な要約と、それを取り巻く言説を「進歩的で解放的な特徴と抑圧的で否定的な属性を区別する弁証法的骨組み(Kellner 2002, 285頁)」の構築を通じて提供する。この視点からすると、グローバリゼーションは、対抗されなければならない単に純粋に否定的なものではなく、非常に複雑なバランスを要求する行為という事になる。
グローバリゼーションが自己主張する最も直接的な仕方の一つは、情報・通信技術を通してである。アメリカの文化・批判理論家のフレデリック・ジェイムソン(Frederic Jameson)によれば、「グローバリゼーションはコミュニケーション的な概念であり、文化的・経済的意味をある時は隠し、またある時は伝達する。(Jameson 1998, 55頁)」我々はこの見方を、ある種の生産者(例えばマクドナルドやディズニー)が世界的規模で商品を売るのみならず、その事によって、ある種の文化的価値を伝達していると同時に、グローバリゼーションがイデオロギーやアイデンティティの観念と結び付いている状況を隠しても居る様な仕方に関連付ける事が出来る(価値の項参照)。
各国の経済市場の相互浸透と相互依存は、音楽とその受容に対し、例えばMTVや「メインストリームの」アングロ=アメリカン・ポップスの世界的普及に明らかに見られる様な帰結を伴っている。しかし、グローバリゼーションの最も興味深い文化的反映の一つは、独立系レコード会社の集まりが非ヨーロッパ音楽の伝播のために作り上げた「ワールド・ミュージック」の興隆を通じて形成された。イギリスのポップ・ミュージック研究家サイモン・フリス(Simon Frith)は、この主題についての洞察力に富んだ記事の中で、この語の起原を描き出し、その経済的・市場的機能に焦点を当てている(Frith 2000)。世界のあらゆる地域の音楽を含む(大文字の)他者の音楽(他者性の項参照)への渇望は、オーセンティシティの問題と、西洋の聴衆による度々繰り返される、音楽における異境的なものの探究を反映している(オリエンタリズムの項参照)。「ワールド・ミュージック」の例はグローバリゼーションの「抑圧的で否定的な」特徴を反映しているかも知れないし、これらの音楽の広汎な普及は、文化的風景の平地化であり、経済的に不利な立場の地域からの音楽のマーケティングは、土着文化の搾取であり得る。しかしながら、ローカルな音楽の広範な伝播を「進歩的で解放的な」特徴と解釈する事も勿論可能であり、抵抗の声としてこれらの音楽が聴かれ得る事で、ケルナーの言う様にグローバリゼーションが「底辺から異議を申し立てられ再構成され(Kellner 2002, 286頁)」得る事を示している。この音楽的抵抗は、ローカルな音楽の多くが持つ多様性が今や、グローバリゼーションの文化的覇権が疑義を差し挟まれ、挑戦を受ける様な構造を通して聴かれ得るという帰結をもたらす。
多くの近年の著作が音楽とグローバリゼーションの問題に取り組んで来たが、最も直近で容易に入手出来るものの一つに、ティモシー・テイラー(Timothy Taylor)の『Global Pop: World Music, World Markets(Taylor 1997)』がある。彼は、グローバリゼーションという背景に抵抗するポップ・ミュージックの活動を全世界的規模で考察する一方で、同時に西洋の音楽家(ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)やクロノス・カルテット)によるワールド・ミュージックの借用についても関心を払っている。他の著作家はグローバリゼーションの問題を通し、より特定の文脈と文化に焦点を当てる。例えば、岩渕功一はポップ・カルチャーと日本のトランスナショナリズムの関係を、日本というグローバル経済が劇的に顕在である意味で極めて重要な文脈において精査し、日本のポップ・カルチャーがアジア中に発する影響力を通じ、グローバリゼーションの再中心化(recentring)を定義している(Iwabuchi 2002)。
参照すべき項目:エスニシティ、ハイブリディティ、ナショナリズム、場
更に詳しく:Denning 2004; Harvey 2003; Nercessian 2002; Tomlinson 1999
最終更新:2008年01月17日 03:59