歴史主義は19世紀から20世紀にかけて、歴史を人間の自己進化の過程と見る啓蒙主義的感覚に代わるものとして現れてきたが、その源泉はイマヌエル・カント及びG. W. H. ヘーゲルに遡る事が出来よう。カントによれば「人間の歴史は全体とすれば、完全なる政治機構をもたらす為の自然の隠れた図面の現実化である。(McCarney 2000, 16頁参照)」ヘーゲルは「世界ー史的個人」が世界史を決定する能力を信じており、彼はそこで歴史がどの様に人間の理性の発達と連関しているかを描き出す為に弁証法的構図を提示する。それによれば、歴史は連続的で連関を持った過程であり、「現在において有効な過去の生産物が……知覚可能な仕方で未来を形成する。(William 1988, 146頁)」音楽史においては、この視点はヒューバート・パリー(Hubert Parry)の『The Evolution of the Art of Music(初版The Art of Musicとして1893年、Parry 1903)』において、中世聖歌を原始的であると特徴付ける仕方に表れている。
これとは対照的に、歴史主義は普遍的な歴史公理としての進化の観念を否定し、その代わり歴史的主題をその時点における社会的・政治的そして文化的状況の産物として解釈する、文化的相対主義を奨励する(文化の項参照)。従ってそこでは過去が現在に対し、それ以上ではないにせよ、同等の価値を持つものとして扱われるが(価値の項参照)、そこから、アイデンティティが歴史的諸条件の影響を受けるという考えを促進する様な理論が派生してきた(エスニシティ、ジェンダーの項参照)。歴史主義の源は過去への崇敬を促す18世紀的視点に存し(ナショナリズムの項参照)、19世紀に興隆した史書叙述というジャンルは、主要な作曲家の伝記の出版や(伝記の項参照)、パレストリーナの様な古楽の作曲家の普及(Garratt 2002参照)そしてGuido Adlerが1885年に歴史的音楽学と呼んだ様な研究手法の進展へと帰結した。
70年代から80年代にかけて、伝統的な物語ベースの歴史的方法論に抵抗して、文化的対象をその社会的・歴史的文脈において位置付け、解釈しようという新鮮な欲求が現れて来た。この「新歴史主義」と呼ばれているものの源流は、フランスの理論家で文化人類学者のミシェル・フーコーや、文化理論家のRaymond Williamsの著作に発し(カルチュラル・スタディーズの項参照)、文学史家のStephen Greenblattの作品により十全な形で顕れて来た(Greenblatt 1980, 1982参照)。この思考の音楽学における影響の例としては、Gary Tomlinsonの魔術とルネッサンス音楽についての研究(Tomlinson 1993b)が挙げられる。彼の意図は:
「大概の歴史解釈学的アプローチがそうであったよりも、より差異に敏感だが(他者性の項参照)、共有の知覚や理解には依存度の低い解釈学を提案する事であり……[解釈における対話の強調は]文化人類学的・歴史的知識の境遇性(situatedness)を明白にし、この様な知識が現れて来た源である、様々な観点間の折衝ーー異なる解釈者、テクスト、そして文脈の交差ーーを見通しの開けたものに保つ助けとなる。(同掲書6頁)」
Tomlinsonの目指す所である、ルネッサンス音楽における「解釈者、テクスト、そして文脈」の真に相互的な対話の追求は、明らかにポスト構造主義の相対主義的視点及び、他の様々な近年の研究にも反映を見る事の出来る、新音楽学のアプローチにより推進された方法論的力点の推移を反映している(Born and Hesmondhalgh 2000, Abbate 2001参照)。
より詳しく:Frigyesi 1998; Hamilton 1996; Veeser 1994
最終更新:2008年03月02日 23:54