涼宮ハルヒのSS 厳選名作集>>長編>>もう一人の秘された神
消えた。
緊張
恐れ
悲しみ
温もり
いろんな感情がないまぜになった何かを最期に、さっきまで感じられたキョンの気配の、一切が喪失した。
今、何があったの?
状況がつかめない。 突然すぎて、現実味がない。
キョンは先に帰るって言ったのよね? でも、寄り道するかもって。 って、どこに?
だってここは現実じゃなくて、ただの仮想空間で……
──現実じゃない──
そうよ、ここは現実じゃない。 だからキョンは帰った。 現実の世界に。 そうよ、他にあり得ないじゃない。
あたしも帰らなくちゃ。 だって、現実のあたしはきっとお腹がすいてる。
──現実じゃない──
帰ろう。 帰ったらみんなでお昼を食べよう。
人を恥ずかしい妄想に使ったキョンにはさんざんおごらせてやらなきゃ……
現実に帰れば、こんな寂しくて不安なこともきっとなくなる。
「有希? あとどのくらいかかりそう?」
『…もうすこし』
※※※※※※※※
そのとき、長門有希は戦っていた。
内に生じた混乱。 背反する欲求。
情報制御をやめれば、涼宮ハルヒは消滅する。
涼宮ハルヒの外郭を構成する情報因子の概念変換を続けながら、一方でそれを放棄したがっている。
放棄などできない。 涼宮ハルヒの保全は最優先。
ERROR ERROR ErROR ERROr eRRoR ER&oR ErrOr eRroR !rrOr EeROOR
EEEERROOOOORRRR
エラーが蓄積していく。 発生源を突き止めて対処しなくては。
エラーに浸食されないよう、幾重にも防壁を施した自己診断プログラムをいくつも放つ。
この様なことに能力を割いていては、涼宮ハルヒの保全に支障を来す可能性がある。
やがて、診断プログラムは解析結果を返し始める。
結果が示す、エラーの発生源は……
…彼との、記憶?…
記憶はただの情報でしかない。 それ自体がエラーを発生することなどあるはずが無かった。
診断プログラム自体の誤動作を疑ったが、プログラムは正常だった。
なぜ、彼との記憶が涼宮ハルヒの保全を妨げようとするのだろうか?
そのとき、診断プログラムが別のエラー発生源を報告した。
報告を検査して、私は理解した。 私は、彼を失うことになった、その原因を消したいのだ。
無駄なこと。 現在の彼女はすでに原因ではない。 消すならば、原因になる前に遡行しなければならない。
いくつか不明な点はあるものの、エラーの原因がわかった以上、対処は容易と思われた。
が、エラーの蓄積は続いていた。
……なぜ
私はいつのまにか、これほど彼に依存していたのか?
彼に会えない。 これだけのことでエラー訂正に不全をきたす程に?
彼に会えない。 その思考が表層に上ったとたん、膨大なエラーが発生。
※※※※※※※※
「有希? 大丈夫? 有希!?」
『…なにが?…』
「………? ううん、気のせいよね。 有希が大声で泣いてるような気がして」
『泣いてなどいない』
「うん」
これはエラー。 涼宮ハルヒが絶望すれば、この宇宙は消滅するかもしれない。
それでも、私は彼女に聞きたい。
『もし…… 彼を失ったら、あなたは泣く?』
「彼? もしかしてキョンのこと?」
『そう』
「考えたこともないわ。 それに、寄り道したって帰ってくるんでしょ?」
彼女は知らない。 彼は……
『彼は帰らない。 帰還の可能性はない』
間髪入れずに言葉が返ってきた。
「帰るわ」
理解できない。 なぜこうもあっさりと言い切れるのか。
『……なぜ?』
「あいつが、必ず帰ると言ったからよ」
「あいつはね、できるくせにできないできないしか言わないのよ。 いつだって、できねーよ! なんて文句言いながらやっちゃうの」
「そのあいつが必ず帰るって言ったのよ。 そりゃ、帰ってくるわよ」
彼は、帰ってくるのだろうか? 涼宮ハルヒが信じている限り、可能性はあるのかもしれない。
「だから、あたしたちも帰ろう?」
『……うん』
彼は確かに、帰ると言った。 彼女は彼を信じると言った。 ならば、私も彼を信じよう。
論理的な私がエラーだと否定しても、この私が肯定したいと望んでいるから。
※※※※※※※※
戻ってきた。
起き上がり、隣に横たわるカレを見つめる。
今の私にできること……
マイクロマシン注入による肉体保全。 彼が帰ってくるために。
経口摂取型マシンを合成、投与………… 完了。
……もっと、ゆっくり、すれば、よかった……
「長門さん?」
引きつった笑いを貼り付けた古泉一樹と、紅潮した顔を手で覆う朝比奈みくるが立っていた。
「お二人は、ご無事なのですか?」
問いかけを無視して、いまだ起き上がれないでいる彼女の元へ向かう。
彼女の額に手を当て、知覚境界面を涼宮ハルヒの肉体に沿って調整。 完了。
彼女は目を開け、深い息をついた。
※※※※※※※※
目を開けると、有希がいた。 額に当てられた手が気持ちいい。
「ふうぅぅぅ」
大きく息を吸って、吐いたあたしに古泉君とみくるちゃんが駆け寄ってきた。
「涼宮さん、気づかれましたか? 大丈夫ですか?」
まだ頭が8つに足が6本、おまけに尻尾が9本くらいあるような気もするけど、とりあえず大丈夫みたい。
「あたしは大丈夫。 それより、キョンよ。 アイツはど」
首を回してキョンを探したあたしは横たわるその姿をみつけ、言葉に詰まった。
深呼吸して自分を落ち着かせ、側まで歩み寄っていく。
冬の日の記憶が蘇る。 冷たい、階段の踊り場に倒れて、動かないあいつ。
首筋に手のひらを押し当て、暖かさを確かめる。 大丈夫、暖かい。 よく寝てるようにしか、見えない。
そうよ、寝てるだけに決まってる。 寄り道だの何だの、あたしがこんなに不安になるようなことなんて、本当は何も無いのよ!
キョンの襟首をつかんで、揺さぶりながら怒鳴りつけた。
「いつまで寝てんの! 早く起きなさい! 団長より遅れて起きるなんて、お昼はあんたのおごりよ!」
「涼宮さん、落ち着いてください!」
みくるちゃんに、抱きかかえられた。 相変わらず、むねおっきいわね。
――何考えてんだろ、あたし。 こんなときに。 ――こんなとき? どんなとき?
だめ。 思考がまとまらない。 ちゃんと考えなきゃいけないはずなのに。
「状況は掴めませんが、彼に何事かあったのですね?」
有希が短く、そう、と答えるのが聞こえた。
「わかりました。 ともかく、彼を病院に運びましょう」
嘘よ、こんなの。
硬直するあたしの背中で、声を殺して泣くように、みくるちゃんが震えていた。
※※※※※※※※
あの冬と同じ病室。
身体的な異常は無し。 ただ、意識だけが戻らない。 そんなところまであの日と同じ。
面会時間も消灯時間もとっくに過ぎて、窓からは月がさし込んでくる。
あたしは丸いすに腰掛けて、ベッドに肘をついてキョンに話しかけていた。
「あたしを放り出せばよかったのに、バカ」
「そりゃ、有希を放り出したりしたら、絶対許さないわよ。 でも、だからって自分を放りださ無くってもいいじゃない」
「あんたを放り出して助かったって、うれしくないわよ、バカ」
そう言って、キョンのおでこを指先でつついた。
嘘。 本当はうれしい。 助かったことが、じゃない。
『あたしに軽蔑されるような生き方をする方が怖い』
キザなセリフ。 似合わないわよ、バカ。
しかもこいつは、キザなセリフを口先だけで終わらせなかった。
本当にやっちゃうやつなんて、いないわよ、普通。
あたしは立ち上がり、腕を広げてキョンに覆い被さった。
「認めてあげる。 あんたは普通じゃない。 宇宙人でも未来人でも超能力者でも異世界人でもなくても、あんたは特別な人」
「そして認めるわ。 あたしは普通の人間とつきあうなんてまっぴらで、ついでに厄介ごとは嫌いじゃないってこと」
あたしも、あんたに軽蔑されるような生き方はしない。
あんたは待てと言った。 あたしは待つと言った。
この約束だけは、絶対に破ったりしない。
だから、帰ってきなさい。
ずっと、待ってるから。
唇を合わせて、キョンの顔をじっと見つめる。
キスで目覚める、なんて、さすがに無いか。
他人が見たら砂糖を吐いたかもしれないような笑みを浮かべながら、あたしは床の寝袋に入った。
※※※※※※※※
ここは…… 学校? おかしいな、あたしはキョンの病室で寝たはずなのに。
淡い灰色に一面覆われた、のっぺりとした変な空。 以前に一度見たことのある、あの夢にそっくりだ。
! キョンは!? ここがあの夢なら、きっとキョンがいるはず。
あたりを見回しても、見あたらない。 あのときはすぐそばに倒れてたのに。
きっと部室にいる。 あたしはそんな確信を持って、旧校舎の部室へ向けて歩き出した。
旧校舎の階段をゆっくりと上がる。 早く行きたいという思いに、もしいなかったらという恐怖がブレーキをかけた。
ゆっくりゆっくり、しかしそれでも、部室のある二階はすぐだ。 二階の廊下から部室の方をみやると、部室に明かりがついてる!
あたしは駆けだした。
※※※※※※※※
廊下を走る音がする。 もうすぐ扉が勢いよく開いて、あいつのびっくり顔が現れる。
「よお、いいタイミング。 そろそろと思ってお茶、淹れといたぜ」
「あああぁぁぁぁ あんた! こんなところで何してんのよ!」
こらこら、苦しい。 首を絞めるな。
「俺に怒るな。 第一、ここはおまえの夢の中だろうが」
「そうだけど…… って、あんた夢だって言う自覚があるの?」
「夢の中だからな、なんだってありだ」
「……? えーと……?」
「考えるのは後にして、座れ。 お茶を飲んで少し落ち着け」
納得できないけど、反撃の糸口が見つからないといった風情のアヒル口でしぶしぶ団長席に座るハルヒに、湯飲みを差し出す。
「熱いからな、気をつけろ」
お茶に息を吹きかけて冷ましながら、じっと考え込むハルヒを待ち続ける。
やがて、ぽつり、とつぶやいた。
「あんたは…… あたしの夢の中だけのキョンなのよね。 起きたらそこは病室で、あんたは眠ってる……」
「うーん……、まぁ、そうとばかりも言えないんだが」
「どういうこと?」
「気にするな」
「なるわよ」
湯気越しに不満顔のハルヒをみつめていると、ハルヒが妙にそわそわしている。
「なんだ? トイレなら早く行った方がいいぞ?」
「ばっ! 違うわよ! そんな締まりの無いにやけ顔で見られてると落ち着かないのよ!」
む? いつの間にかそんなに締まりの無い顔になってたか? だがそれは無理な相談だ。
「おまえを見てるとそうなるんだよ」
「っ――――――!! あ、あんた変よ! そんなこと口に出せるやつじゃなかったわ!」
「いろいろあったからな。 後悔より、恥ずかしい方がましだ」
そう言って湯飲みの底に残ったお茶を飲み干し、お代わりを注ぎ直した。
立ち上る湯気が、部屋の空気をやわらかく落ち着かせていく。
ハルヒは湯飲みを両手の平で抱えるようにして口元にやり、考え事を始めた。
その背後、窓の外に、こちらの注意を引くように揺らめく赤い光点。
「ハルヒ、済まんがちょっと待っててくれ」
「どこか行くの?」
「生理現象だ」
「ばか」
※※※※※※※※
「よう、古泉。 おまえと連れションなんて、ぞっとしないな」
「そうですね」
赤い光点はそう言って軽く笑い、おぼろな人型に変化していく。
「お戻りだったのですね、助かります。 例の、我々でも進入できない閉鎖空間です。 あなた不在でどうなることかと思いました」
「迷惑かけちまったな、あとは任せとけ」
「おや? 失礼ですが、本当にあなたですか? 以前のあなたは、そのようなことを口にする方ではありませんでしたが」
「俺は帰ってきた。 あいつといるために。 それだけだ」
「……心を決めた、ということですね。 それを聞いて安心しました。 是非、機関をあげて祝福させてください」
人型がうやうやしく礼をとった。
「勘弁しろ」
人型は球体に戻ると、軽い笑い声を残して消えていった。
※※※※※※※※
部室に戻ると、ハルヒと目があった。 しばらく、互いに目をそらすこともせず見つめ合う。
その間、ハルヒは何かを言いかけてはやめて、また言いかけてはやめてを何度も繰り返した。
俺も同じだ。 言いたいことがある。 伝えなきゃいけないことがある。 覚悟もしたはずだ。 だのに、いざとなると怖い。
俺の方から視線を外した。 目の端に、失意と驚きをありありと浮かべたハルヒの顔が映っていた。
「なぁ、ハルヒ。 その先は目が覚めてからにしないか。 俺は夢の中じゃなくて、現実のおまえの声で聞きたい」
「それに、おまえにとっての俺は眠ったままだろう? 俺も、ここじゃなくて現実の声でおまえに言ってやりたい」
再び正面から見たハルヒは、涙をにじませていた。
ゆっくりと歩み寄り、腕の中にハルヒを包み込む。 体を預けてくれるハルヒが愛おしくてしょうがない。
その耳元に、ささやくように名前を呼ぶ。
「ハルヒ」
呼ばれて、ハルヒが面を上げる。
二人の唇が重なり合い、世界が還ってくる。
※※※※※※※※
目が覚めた。 暗い。 雰囲気が違う。 あたしの部屋じゃない。 ここは…… 病室だ。
見上げたベッドの縁にかかった白いシーツが、闇の中にうっすらとしたコントラストを作り出していた。
夢…… 夢とは思えないほど、リアルな夢。 あたしは寝袋から這い出して、キョンの顔をのぞき込んだ。
月はとっくに沈んだのか、窓から差し込む光は弱くてキョンの様子はよくわからない。
「キョン」
呼んでみても、返事はない。
やっぱり、あれは夢だったんだ。 甘くて、切なくて、残酷な……
キョンは目を覚まさない。 あたしに、好きだなんて言ってくれない。
ほほを伝う涙が落ちていく。 まだ一日もたってないのに、こんなに弱くて、ずっと待ち続けるなんて、あたしできるの?
あたしはキョンの胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
悲しくて悲しくて、もう何が悲しいのかわからなくなるくらい悲しくて、とにかく泣いた。
いつのまにか、優しい手が髪をなぜていた。
あたしは悲しくて心がぐちゃぐちゃになるくらい悲しくて、なぜる手が気持ちよくて、しばらくそのことに気づかなかった。
泣くのに疲れてやっと、頭に置かれた手の存在に気がついた。 その手の主は……
あたしは恐る恐る、その主を呼んでみる。
「キョン? 気がついたの? あたしの声が聞こえる?」
手が頭の丸みに沿って髪をなぜ、一日とたっていないのに懐かしく感じる声が聞こえた。
「もう、泣くのは気が済んだか?」
その声で、あたしの心は別の意味でぐちゃぐちゃになって、決壊した。
「~~~っ! 誰のせいだと思ってるのよ! バカっ! バカっ! バカっっ!」
「3回もかよ」
「言い足りないわよっ、バカっ! あんたどれだけ心配かけたかわかってるの!?」
「すまん」
「……いいわ。 元はといえばあたしが原因だし。 それよりお医者さん呼んでくるから、戻ってくるまで寝ちゃだめよ!」
あたしが部屋の明かりをつけ、扉を開けて出ようとしたとき、後ろから声がした。
「ハルヒ、ただいま」
振り向いて返す。
「うん。 おかえりなさい」
※※※※※※※※
翌日は朝から検査漬けで、午後も遅くにやっと解放された俺は、へろへろになりながら
夕べからいるハルヒはもちろん、古泉や朝比奈さんと夏休みの宿題会をやっていた。
ハルヒ曰く、他に有意義な時間の使い道を思いつかなかったそうだ。 勘弁してくれ。
ただ、長門は珍しく都合が悪いとかで、来なかった。
面会時間も終わり、明日またくると言ってハルヒは帰っていった。
やがて消灯時間。 月明かりの差し込む、薄暗い部屋でベッドに座ったまま、俺は待っていた。
来なければ嘘だという、ある一人の少女を。
そして現れる。 なんの前兆も、気配もなく突然に、その少女は部屋の中に立っていた。
少女を知らない者でも見間違いようのない、怒りのオーラを立ち上らせて。
すまん長門。 今回の件ではおまえには一番、苦労をかけた。
「おまえにはまだ言ってなかったな。 ただいま、長門。 俺は帰ってきたぞ」
少女は答えない。 硬質な瞳が射貫くような視線で俺を見据える。
やがて、開いた口から出た言葉は、明確な敵意のこもった誰何だった。
「おまえは、何」
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