「涼宮ハルヒの憂鬱」改
*注意:欝エンドです 1.断章───遠ざかる超常 学校を案内してあげると言って涼宮が古泉を連れ出し、朝比奈さんが用事があるからと帰ってしまったので、部室には俺と長門有希だけが残された。 今更オセロをする気にもなれず、長門の読書シーンを観察していても面白くも何ともなく、だから俺はさっさと帰ることにした。鞄を提げる。長門に一声、「じゃあな」「本読んだ?」 足が止まる。長門有希の暗闇色をした目が俺を射抜いていた。 本。というと、いつぞや俺に貸した異様に厚いハードカバーのことか?「そう」「いや、まだだけど……返した方がいいか?」「返さなくていい」 長門のセリフはいつも端的だ。一文節内で収まる。「今日読んで」 長門はどうでもよさそうに言った。「帰ったらすぐ」 どうでもよさそうなのに命令調である。 ここんとこ国語の教科書に載っている以外の小説なんて読んでもいないけど、そこまで言うからには他人に推薦したくなるほどの面白さなのだろう。「……解ったよ」 俺が応えると長門はまた自分の読書に戻った。 長門と別れて自宅に戻った俺は、晩飯食ったりしてダラダラしたのち、自室で借りたと言うより押しつけられた洋モノのSF小説を紐解くことにした。上下段にみっちり詰まった活字の海に眩暈を感じながら、順番に読み進んでいるうちに、俺は眠ってしまった。 翌日、朝比奈みくる写真を隠しフォルダに格納して帰ろうとしたとき、長門が俺をじっと見ていた。「なんだ?」「本」 長門は、ただ一つの単語だけを発音した。「ああ、あの本か。今読んでいるところだ。俺の読書力じゃ、全部読み終わるには一週間はかかるだろうな」「そう……」 結論から言おう。 俺は、あの本を二度と開くことはなかった。あんなの読んでも眠くなるだけだからな。 ・ ・ ・ ・ ・「わたし、こんなふうに出歩くの初めてなんです」 護岸工事された浅い川のせせらぎを眺めながら朝比奈さんが呟くように言った。「こんなふうにとは?」「……男の人と、二人で……」「はなはだしく意外ですね。今まで誰かと付き合ったことはないんですか?」「ないんです」 ふわふわの髪でそよ風が遊んでいる。鼻筋の通った横顔を俺は見つめた。「えー、でも朝比奈さんなら付き合ってくれとか、しょっちゅう言われるでしょ」「うん……」 恥ずかしそうにうつむいて、「ダメなんです。わたし、誰とも付き合うわけにはいかないの。少なくてもこの……」 言いかけて黙る。次の言葉を待っている間に、三組のカップルがこの世に何一つ悩みがないような足取りで俺たちの背後を通り過ぎた。「いえ、何でもありません。今のは聞かなかったことにしてください」「はぁ……」 なんだかよく解らないが、朝比奈さんが話したくないというのなら、無理して聞き出すつもりもない。 その後、俺たちはひたすらに街をブラついて過ごした。涼宮にはデートじゃないんだからと釘を刺されていたが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。 俺と朝比奈さんはコジャレ系のブティックをウィンドウショッピングして回ったり、ソフトクリームを買って食いながら歩いたり、バッタモノのアクセサリーを往来に広げている露天商を冷やかしたり……つまり普通のカップルのようなことをして時間を潰した。 ・ ・ ・ ・ ・ この日の授業中、不機嫌オーラを八方に放射する涼宮のダウナーな気配がずっと俺の背中にプレッシャー与えていて、いや、今日ほど授業のチャイムが福音に聞こえた日はなかった。山火事をいち早く察知した野ネズミのように、俺は部室棟へと退避する。 部室で長門が読書する姿は今やデフォルトの風景であり、もはやこの部屋と切り離せない固定の置物のようでもあった。 そして、古泉とオセロ対戦。これもデフォルトと化しつつあるな。 途中で朝比奈さんがやってきた。メイド服に着替えるということで、俺と古泉はいったん退散。律儀に涼宮の言いつけを守るとは、何とも健気なことだ。 メイド服の朝比奈さんにお茶を給仕してもらって、オセロの続きをする。 結論から言うと、対戦成績は俺の全勝だった。 結局その日、涼宮は部室に姿を現さなかった。 ・ ・ ・ ・ ・ 実は、涼宮に話しかけながら、俺は一つの懸案事項を抱えていた。その懸案は朝、俺の下駄箱に入っていたノートの切れ端。 そこには、「放課後誰もいなくなったら、一年五組の教室に来て」 と明らかな女の字で書いてあった。 どう解釈するか。脳内人格を結集して会議を開くまでもなく、結論が出た。 差出人の署名すらない呼び出し。こんなもんは、たちの悪いイタズラに決まってる。 あるいは、カツアゲかなんかだろう。俺は、不良に目をつけられるようなことをした覚えはないんだが。いや、涼宮に引っ張りまわされてなんやかんややっている時点で、目をつけられたという可能性も否定できないか。 まあ、どうでもいい。君子危うきに近寄らずだ。 その日は、涼宮がさっさと帰ってしまったため、俺も帰ることにした。 翌日、俺は、朝倉涼子が突如として転校した事実を担任岡部から聞かされることとなる。 ・ ・ ・ ・ ・ その懸案事項は封筒の形をして昨日に引き続き俺の下駄箱に入っていた。なんだろう、下駄箱に手紙を入れるのが最近の流行なのか? しかし今度のブツは一味違うぞ。二つにおったノートの切れ端の名無しではない。少女マンガのオマケみたいな封筒の裏にちゃんと名前が記入されている。几帳面なその文字は、俺の目がどうにかしているのでもない限り、 朝比奈みくる と、読めた。 封筒を一動作でブレザーのポケットに収めた俺が男子トイレの個室に飛び込んで封を切ったところ、印刷された少女キャラのイラストが微笑む便箋の真ん中に、「昼休み、部室で待ってます みくる」 どう解釈するか。今度こそ脳内人格を結集して会議を開催した。 まず一人目が「朝比奈さんから愛の告白か!?」と浮かれている。 すると二人目が「そんなわけねぇよ。昨日の呼び出し主が、懲りずにまたイタズラをしかけてきたんだろ」と突っ込む。「そう断定してしまうのももったいない。とりあえず、イタズラかどうか確かめてみるというのはどうだろうか」と三人目。 俺は三人目の意見をとった。 昼休み。俺は朝比奈さんの教室の前をさりげなく通り、朝比奈さんが教室内で弁当を食べている姿を確認した。 その後、部室棟までの最短経路にある階段のところで待ち伏せした。朝比奈さんが部室棟にいくなら、必ずここを通るだろう。ここなら人通りも少ないし、ずっと待機してても怪しまれることはない。 結局、昼休みが終わるまで、俺は朝比奈さんと遭遇することはなかった。 やっぱり、たちの悪いイタズラだったようだ。 ・ ・ ・ ・ ・ そう、その日、俺たちは何の変哲もないSOS団的活動をして過ごした。やりたいことも取り立てて見当たらず、何をしていいのかも知らず、時の流れに身を任すままのモラトリアムな高校生活。当たり前の世界、平凡な日常。 あまりの何もなさに物足りなさを感じつつも、「なあに、時間ならまだまだあるさ」と自分に言い聞かせてまた漫然と明日を迎える繰り返し。 それでも俺は充分楽しかった。無目的に部室に集まり、小間使いのようによく動く朝比奈さんを眺め、仏像のように動かない長門を眺め、人畜無害な微笑みの古泉を眺め、ハイとローの間を忙しく行き来する涼宮の顔を眺めているのは、それはそれで非日常の香りがして、それは俺にとって妙に満足感を与えてくれる学校生活の一部だった。 そうさ、俺はこんな時間がずっと続けばいいと思っていたんだ。 そう思うだろ? 普通。 しかし、そんな日常は……いや、その前に、その日の夜の出来事を語ろうと思う。 いまだに忘れられない、鮮明に覚えている記憶だ。 2.突然の灰色世界 頬を誰かが叩いている。うざい。眠い。気持ちよく眠っている俺を邪魔するな。「……キョン」 まだ目覚ましは鳴ってないぞ。何度鳴ってもすぐ止めてしまうけどな。お袋に命じられた妹が面白半分に俺を布団から引きずり出すにはまだ余裕があるはずだ。「起きてよ」 いやだ。俺は寝ていたい。胡乱な夢を見ているヒマもない。「起きろってんでしょうが!」 首を絞めた手が俺を揺り動かし、後頭部を固い地面に打ち付けて俺はやっと目を開いた。 ……固い地面? 上半身を跳ね上げる。俺を覗き込んでいた涼宮の顔がひょいと俺の頭を避けた。「やっと起きた?」 俺の横で膝立ちになっているセーラー服姿の涼宮が、白い顔に不安を滲ませていた。「ここ、どこだか解る?」 解る。学校だ。俺たちの通う県立北高校。その校門から靴脱ぎ場までの石畳の上。明かり一つ灯っていない。夜の校舎が灰色の影となって俺の目の前にそびえ──、 違う。 夜空じゃない。 ただ一面に広がる暗い灰色の平面。単一色に塗り潰された燐光を放つ天空。月も星も雲さえもない、壁のような灰色空。 どう考えてもこの世のものではない。 ここはいったいなんなんだ? 俺はゆっくりと立ち上がった。寝間着がわりのスウェットではなく、ブレザーの制服が俺の身体をまとっている。「目が覚めたと思ったら、いつも間にかこんな所にいて、隣りであんたが伸びてたのよ。どういうこと? どうしてあたしたち学校なんかにいるの?」 涼宮が珍しくか細い声で訊いている。「俺だって訳が解らん。とりあえず、他に誰かいないか探してみよう。どっかに出口があるかもしれんし」 俺は涼宮とともに歩き回った。 校門から外に出ようとしたら、見えない壁のようなものに阻まれた。 学校の中で誰かいないか探していたら、赤く輝く球体に追い回された。あれが古泉そっくりの声でしゃべり出したときには、背筋が凍りつくかと思ったぜ。 そして、今、青白い巨人が、校舎を破壊しまくっている。 いったいなんなんだ!? いい加減にしないと、気が狂いそうだ。 俺たちは、何とかグランドまで逃げのびた。「ねえ、キョン。あんた、ここから出たいの?」 涼宮がそんなことを訊いてきた。「当たり前だろ。あの青白い野郎から逃げられたとしても、見えない壁で閉じ込められてんだ。確実に飢え死にするぜ」 学校にある食料なんて、たかが知れてる。「んー、なんかね。不思議なんだけど、全然そのことは気にならないのね。なんとかなるような気がするのよ。自分でも納得できない、でもどうしてだろ、今ちょっと楽しいかな」 「なに訳の解らないこと言ってんだ。気分だけじゃ、食い物が降って湧いてきたりはしねぇよ」「意味わかんない」 意味わかんないのは、お前の方だ。「あんたは、つまんない世界にうんざりしてたんじゃないの? 特別なことが何も起こらない、普通の世界なんて、もっと面白いことが起きて欲しいと思わなかったの?」 「思ってたとも。だが、死んだら元も子もない」「キョン」 涼宮は、俺の目をじっと見つめてきた。「わたしと二人じゃ嫌なの?」「冗談じゃない。こんなところで、お前と心中なんてごめんだ。お前はさっきから何言ってるんだ? いい加減正気に戻れ!」 涼宮の目から雫が流れ出てきた。 いきなりのことで、俺が唖然としていると、「──────!!!!」 涼宮が鼓膜も破れんばかりの音量で泣き叫んだ。 次の瞬間、俺は不意に無重力下に置かれ、反転し、左半身を嫌と言うほどの衝撃が襲った。そして、上体を起こして目を開き、見慣れた天井を目にして固まった。 そこは部屋。俺の部屋。首をひねればそこはベッドで、俺は床に直接寝転がっている自分を発見した。着ているものは当然スウェットの上下。乱れた布団が半分以上もベッドからずり下がり、そして俺は手を後ろについてバカみたいに半口を開けているという寸法だ。 夢か……。 えらく憂鬱な夢だったな。 ……寝よう。 俺は布団を頭まで被り、冴え渡った脳髄に睡眠を要求した。 3.日常の終わり 結局、俺は一睡もできなかった。 翌朝、ぼうっとする頭とだるい体を酷使して、何とか一年五組の教室にたどり着くと、涼宮の姿がなかった。 風邪でも引いたかと思っていたのだが、担任岡部が朝のホームルームで驚愕の事実を告げてきた。 涼宮が入院した。 朝、起きてこないため、母親が起こしにいったところ、呼吸が停止しており、急いで救急車で運ばれたそうだ。 それからずっと意識不明のまま。俗にいう植物状態だ。 あまりのことに、俺は一時間目の授業をまともに聞くことができなかった。 そして、二時間目までの間のわずかな休み時間、今度は谷口が驚愕の事実を伝えてきた。 長門有希と朝比奈みくるが突然転校した。 「なんてこった。SランクとAマイナーの美人がいなくなっちまった」 などと、どうでもいいことをほざく谷口を無視して、俺は一年九組の教室に駆け込んだ。 俺は何も聞いてないが、古泉は何か聞いているかもしれない。 しかし、一年九組の教室で知ったのは、古泉も突然転校したという事実だけだった。 朝倉に続いて、一気に三人も。 涼宮でなくても怪しむに足りる現象だったが、俺はあまりにもショックが大きすぎて、それ以上追及する気にはなれなかった。 放課後、俺は、谷口と国木田を伴って、涼宮の見舞いにいった。 しかし、俺たちは、人工呼吸器と点滴の管につながれてベッドに寝ている涼宮を、ただ見ていることしかできなかった……。 それは、俺にとって、楽しい日常が終わってしまったことを意味していた。 4.エピローグ その後、俺は平凡な高校生活を送り、地元の三流私大に入った。 涼宮が死んだという知らせを聞いたのは、大学二年のときだ。 突然転校した四人の行方はいまだに知れない。連絡がつかないため、同窓会の案内すら出せない状態だった。 今から思えば、あの四人にはいろいろと不自然なところがあったような気もする。 今更問い詰めようもないが。 大学を出てしがないサラリーマン生活を送る今でも、あのころのことを思い出すことがある。 そして、そのたびにこう思うのだ。 涼宮と、朝比奈さん、長門、古泉とともに、あのままSOS団を続けられたなら、俺の高校生活はもっと楽しかっただろうか────
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